小さな夢のアルバイトpart1


1991年4月
 大学に入学してすぐに見つけて始めたバイト。
 それは、服部克久。今でも覚えている。服部克久が誰なのかは 当時は知らなかった。会場は、メルパルクホール(厚生年金会館)。

 大学はいつでも退学できるよう(退学しても後悔しないよう)に、 夜間部に在籍。また、昼の時間を有効に使えるとも、思っていた。 しかし、それは仕事を両立していくにはかなりきついものであった。

 メルパルクでの仕事は楽なものだった。ピアノを運び、照明のセットと、 ミキサーの搬入で終わった。今思えば、これほど楽な仕事は無かったと思う。

 僕が高校時代に行ったコンサートのアーティストは

  1. ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
  2. ブライアン・アダムス
  3. ピンク・フロイド
  4. ハート
  5. ドッケン
  6. マイケル・ジャクソン
  7. マドンナ
  8. INXS
  9. ヴァン・ヘイレン
  10. デヴィッド・リー・ロス

 メルパルクの後の僕は、その年のゴールデンウィークに横浜アリーナでの バイトを予定に入れた。そこからの仕事はこうだった。
 搬入、客席整理、搬出
と、アーティストは特に興味のなかったジャニーズ系だったが、仕込みの時の ステージの作り方は凝っていて、実に勉強になった。特に演出とはどういうものかが よく分かった気がした。

 その後にいろいろ仕事をこなしていった。学校にも通いながら、デパートのバイトも 両立していった。 そんなある夏休みの日。横浜の赤煉瓦で仕事があるから行ってくれと、バイトの事務所から 電話があった。お金も欲しかったので行くことにした。 現場では、搬入の仕事から、搬出までの、1日の仕事だった。誰のコンサートかは、本番まで 知らなかった。 搬入(仕込み)が終わったあと、本番中はステージハンドと呼ばれる仕事をする事になっていた。 ステージハンドは、ジョイントコンサートにつきものの、アーティストの入れ替えの時に、 セットを入れ替えると言う仕事。時間が決まっていて、素早くやらなければらなない。
 仕込みが終わったあと、各アーティストが会場入りしてきた。誰なのか知らない人ばかりだった。 どうやら、ジャズのコンサートらいしと言うのが途中で分かった。3バンドあるらしい。しかし、 2バンドしか会場には来ていなかった。リハーサルがはじまり、バンドが交代するときに、ステージ の入れ替えのリハーサルもした。場ミリといわれるビニールテープに合わせるだけの簡単なもの だった。
 コンサートが始まる直前、ヘッドライナー(取り)のバンドが入ったらしい。それは渡辺貞夫だった。 コンサートに来た客はほとんどが渡辺貞夫が目当てだったようだった。前座の人たちもコンサート を終えると、ステージ横で渡辺貞夫のステージを見ていた。当然、僕も横で一緒になって見ていた。 こんなに近くで見れるのは生まれて初めてだった。照明に照らされた彼の背中が、めちゃくちゃ かっこよかったのを覚えている。コンサートがいったん終わり、ステージ横に引き上げてきた。 丁度僕の目の前に来て、ドリンクを口にしていた。会場からは、アンコールの手拍子がなりやまなかった。「よかったね〜。もういっちょ行こうか!」渡辺貞夫がこの一言を言うと、バンドのメンバーは、ステージに戻っていき、アンコールに答えていた。この時の渡辺貞夫の顔を未だに覚えている。初めてオーラを感じた時だった。サックスが好きで好きで世界のサックスプレーヤーになった彼の事を思うと、男はこうやって生きて行きたいと思った瞬間だった。これが自分にとっての目標だったのかもしれない。

 この後、自分も好きな事をしてみようと思い始めた。好きだったのはデザインだった。大学を止める ことはしたくなかったので、通信でデザインの勉強をする事にした。お金はなかったので、大学の 育英会から奨学金を無利子で借りそれを学費に当てることにした。
それから、デパートのバイト、コンサートのバイト、絵の勉強、大学とこれらを掛け持ちしながら の生活だった。

 クリスマスが過ぎ、1991年の大晦日、年越しコンサートの仕事が入った。 電話で仕事の確認をしたとき、ステージハンドの仕事に回された。これも、ジョイントコンサート のため、6人のステージハンド(以後ステハンと呼ぶ)が必要だったらしい。当日、搬入が終わった後、リハーサルに付き合うことになった。取りをとるバンドからのリハーサルで、本番とは逆に 行われる。用はその逆をすれば、セットはスムーズに行われると言うわけだ。その時、ステージ裏 から、なにかもめているようだった。どうやら、人が足りないらしいと言うのは分かった。 足りないのは、ケータリングと言われる仕事らしい。ステハンのメンバーどうしで、「ケータリングはきついからな〜」っと。その時、ケータリングのチーフから、「君、ケータリングやってみないか?」って肩を叩かれた。なんてことはない。俺が一番はじにいたからだろう。俺はすぐにOKをした。きついだろうが、なんでもやってみたかった。これが初めての楽屋裏の仕事だった。 後から聞いた話だが、一応、危なくなさそうな人を選んでくれたらしい。確かに、楽屋はすべてフリーパス。

裏話。
コンサートのアーティストは

  1. メタリカ(ヘッドライナー)
  2. ヨーロッパ
  3. テスラ
  4. サンダー
 メタリカの取りで、カウントダウンと言う企画だった。また、メタリカとヨーロッパの客層がどうやらあまり合わなかったらしく、東京ドームでの客の入りは少なかった。企画はウドー音楽事務所だったが、これは失敗ではとささやかれていた。また、ヨーロッパの持ち歌である、「ファイナルカウントダウン」と言う歌があるように、本来取りをつとめたかった、ヨーロッパが前座に・・・。また、 メタリカと、ヨーロッパのプロダクションが違うため、当日のドームの会場で喧嘩・・・。日本人スタッフは大変だった。
 また、メタリカのカウントダウンも、1992年0時0分になっても、頭を降って、演奏にふけって いて、カウントダウンなんて、適当に始めたそうだった。その時の僕は、ケータリングルームで メンバーや、外人スタッフの世話をしていた。
 朝7時から会場入りし、当日はばらし(搬出)まで、やく20時間、たちっぱなしに食事なし。 もうふらふらだったのを覚えている。確かにきつかったが楽しい1日だった。

 これで、終わりだと思っていたが、これはまだ始まりに過ぎなかった。 まさか、あのアーティストの仕事が出来るとは、当時の僕には知る由もなかった。

NEXT