大学に入学してすぐに見つけて始めたバイト。
それは、服部克久。今でも覚えている。服部克久が誰なのかは
当時は知らなかった。会場は、メルパルクホール(厚生年金会館)。
大学はいつでも退学できるよう(退学しても後悔しないよう)に、
夜間部に在籍。また、昼の時間を有効に使えるとも、思っていた。
しかし、それは仕事を両立していくにはかなりきついものであった。
メルパルクでの仕事は楽なものだった。ピアノを運び、照明のセットと、
ミキサーの搬入で終わった。今思えば、これほど楽な仕事は無かったと思う。
僕が高校時代に行ったコンサートのアーティストは
- ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
- ブライアン・アダムス
- ピンク・フロイド
- ハート
- ドッケン
- マイケル・ジャクソン
- マドンナ
- INXS
- ヴァン・ヘイレン
- デヴィッド・リー・ロス
メルパルクの後の僕は、その年のゴールデンウィークに横浜アリーナでの
バイトを予定に入れた。そこからの仕事はこうだった。
搬入、客席整理、搬出
と、アーティストは特に興味のなかったジャニーズ系だったが、仕込みの時の
ステージの作り方は凝っていて、実に勉強になった。特に演出とはどういうものかが
よく分かった気がした。
その後にいろいろ仕事をこなしていった。学校にも通いながら、デパートのバイトも
両立していった。
そんなある夏休みの日。横浜の赤煉瓦で仕事があるから行ってくれと、バイトの事務所から
電話があった。お金も欲しかったので行くことにした。
現場では、搬入の仕事から、搬出までの、1日の仕事だった。誰のコンサートかは、本番まで
知らなかった。
搬入(仕込み)が終わったあと、本番中はステージハンドと呼ばれる仕事をする事になっていた。
ステージハンドは、ジョイントコンサートにつきものの、アーティストの入れ替えの時に、
セットを入れ替えると言う仕事。時間が決まっていて、素早くやらなければらなない。
仕込みが終わったあと、各アーティストが会場入りしてきた。誰なのか知らない人ばかりだった。
どうやら、ジャズのコンサートらいしと言うのが途中で分かった。3バンドあるらしい。しかし、
2バンドしか会場には来ていなかった。リハーサルがはじまり、バンドが交代するときに、ステージ
の入れ替えのリハーサルもした。場ミリといわれるビニールテープに合わせるだけの簡単なもの
だった。
コンサートが始まる直前、ヘッドライナー(取り)のバンドが入ったらしい。それは渡辺貞夫だった。
コンサートに来た客はほとんどが渡辺貞夫が目当てだったようだった。前座の人たちもコンサート
を終えると、ステージ横で渡辺貞夫のステージを見ていた。当然、僕も横で一緒になって見ていた。
こんなに近くで見れるのは生まれて初めてだった。照明に照らされた彼の背中が、めちゃくちゃ
かっこよかったのを覚えている。コンサートがいったん終わり、ステージ横に引き上げてきた。
丁度僕の目の前に来て、ドリンクを口にしていた。会場からは、アンコールの手拍子がなりやまなかった。「よかったね〜。もういっちょ行こうか!」渡辺貞夫がこの一言を言うと、バンドのメンバーは、ステージに戻っていき、アンコールに答えていた。この時の渡辺貞夫の顔を未だに覚えている。初めてオーラを感じた時だった。サックスが好きで好きで世界のサックスプレーヤーになった彼の事を思うと、男はこうやって生きて行きたいと思った瞬間だった。これが自分にとっての目標だったのかもしれない。
この後、自分も好きな事をしてみようと思い始めた。好きだったのはデザインだった。大学を止める
ことはしたくなかったので、通信でデザインの勉強をする事にした。お金はなかったので、大学の
育英会から奨学金を無利子で借りそれを学費に当てることにした。
それから、デパートのバイト、コンサートのバイト、絵の勉強、大学とこれらを掛け持ちしながら
の生活だった。
クリスマスが過ぎ、1991年の大晦日、年越しコンサートの仕事が入った。
電話で仕事の確認をしたとき、ステージハンドの仕事に回された。これも、ジョイントコンサート
のため、6人のステージハンド(以後ステハンと呼ぶ)が必要だったらしい。当日、搬入が終わった後、リハーサルに付き合うことになった。取りをとるバンドからのリハーサルで、本番とは逆に
行われる。用はその逆をすれば、セットはスムーズに行われると言うわけだ。その時、ステージ裏
から、なにかもめているようだった。どうやら、人が足りないらしいと言うのは分かった。
足りないのは、ケータリングと言われる仕事らしい。ステハンのメンバーどうしで、「ケータリングはきついからな〜」っと。その時、ケータリングのチーフから、「君、ケータリングやってみないか?」って肩を叩かれた。なんてことはない。俺が一番はじにいたからだろう。俺はすぐにOKをした。きついだろうが、なんでもやってみたかった。これが初めての楽屋裏の仕事だった。
後から聞いた話だが、一応、危なくなさそうな人を選んでくれたらしい。確かに、楽屋はすべてフリーパス。
裏話。
コンサートのアーティストは
- メタリカ(ヘッドライナー)
- ヨーロッパ
- テスラ
- サンダー
メタリカの取りで、カウントダウンと言う企画だった。また、メタリカとヨーロッパの客層がどうやらあまり合わなかったらしく、東京ドームでの客の入りは少なかった。企画はウドー音楽事務所だったが、これは失敗ではとささやかれていた。また、ヨーロッパの持ち歌である、「ファイナルカウントダウン」と言う歌があるように、本来取りをつとめたかった、ヨーロッパが前座に・・・。また、
メタリカと、ヨーロッパのプロダクションが違うため、当日のドームの会場で喧嘩・・・。日本人スタッフは大変だった。
また、メタリカのカウントダウンも、1992年0時0分になっても、頭を降って、演奏にふけって
いて、カウントダウンなんて、適当に始めたそうだった。その時の僕は、ケータリングルームで
メンバーや、外人スタッフの世話をしていた。
朝7時から会場入りし、当日はばらし(搬出)まで、やく20時間、たちっぱなしに食事なし。
もうふらふらだったのを覚えている。確かにきつかったが楽しい1日だった。
これで、終わりだと思っていたが、これはまだ始まりに過ぎなかった。
まさか、あのアーティストの仕事が出来るとは、当時の僕には知る由もなかった。