安永徹


  

安永徹

 熊本のコンサートの2日後、福岡郵便貯金会館で同じく山下一史氏の指揮、九州交響楽団の演奏で、安永徹、オットマール・ボルヴィツキーのソロでブラームスのドッペル協奏曲のコンサートがあり、当然聴きに行った。演奏会そのものは何しろ思い入れが違うので熊本のように感激はできなかった。

 コンサート終了後楽屋にあいさつに行った。安永さんが開口一番「坂本さんこれから時間ありますか?一緒に御飯食べに行きましょう。場所は疋田光太郎が知っていますから彼に聞いて下さい」
 安永さんと共演できただけでも名誉なことと思っていたが、その上安永さんのお膝元の福岡で一緒に御飯を食べにいけるなんてまたまた大感激だ。「ひょうたん」という郵便貯金会館から歩いて10分ほどにある和食のお店に行った。この後1年に1〜2回安永さんと演奏会終了後ここで御飯を食べることになる。

 「ひょうたん」には安永さんの昔からのお友達を含めて20人ほどいただろうか。疋田さん以外は初対面の人ばかりだったが、皆さんいい人ばかりでとても楽しく話ができて、したたか飲んでしまった。私は熊本の演奏会が無事に終わった開放感もあって、かなりなハイ状態だったと思う。
今でも福岡で安永さんの室内楽、リサイタル、ベルリン弦楽ゾリステンなどのコンサートの後に時々「ひょうたん」にご一緒させてもらっている。音楽の深い話を聞ける貴重なチャンスでいつもとても楽しみにしている。

 1989年、冬のベルリンに旅行した。12月の終わり、つまりジルヴェスターコンサートのシーズンだ。最初は安永さんが安いいいホテルを予約してくれるということになっていた。だが何しろ1989年といったらベルリンの壁が崩壊した直後で世界中からの観光客がベルリンに殺到していた。テレビでそのころよく見た壁を金槌でたたき壊している風景そのものがちょうど見られていたころだ。ホテルがほとんど全部ふさがっている。空いているホテルもあるが、シングル一泊3万円くらいもする所しか空いていないという状況だった。 
 それでその年の秋に安永さんと例によって福岡の「ひょうたん」で会ったときになんと「うちに泊まりませんか?」と言ってもらった。安永さんも本当に優しい人だと思ったのは、安永さんからの提案を私が遠慮していると思ったのか、私が一人先にお店を出た後安永さんもわざわざ外まで出てきて「坂本さん遠慮したらだめですよ。とにかく西ベルリンに入ったら電話して下さい。」とまで言ってくれたのだ。
 本当に夢のようなことですぐには信じられないようなできごとだった。

 実際、その時はプラハからベルリンに入ったが、電話をして奥さんの市野あゆみさんがいる安永さんの自宅にタクシーで行った。その日は12月30日でジルヴェスターの前日。同じプログラムで演奏会をやっていた。ビールをごちそうになり、パソコンでゲームをして遊んでいると安永さんが仕事から帰ってきた。その時指揮者の本名徹次さん夫婦も一緒だった。本名さんも勉強しにベルリンにいらしたのだ。そこで、安永夫婦、本名夫婦、そして私の5人で御飯を食べに行った。ドイツ料理のお店で私は鹿をご馳走になった。

 次の日つまり12月31日はジルヴェスター当日で安永さんが取ってくれたチケットを持ってフィルハーモニーに聴きに行った。(ジルヴェスターのチケットはコンマスでも簡単には取れないらしい)安永さんのアウディに乗って、しかも途中で首席チェロ奏者のファウストを拾っていった。楽員専用駐車場に入ると駐車場係が安永さんににこりとほほえむ。隣を見るとクラリネットのライスターが車から降りていた。
 コートは安永さんが自分専用の部屋に預かってくれた。


 コンサートのことも書いておこう。小沢さんの指揮で「カルミナ・ブラーナ」。晋友会合唱団が参加するということが話題のコンサートだった。確かにすばらしい合唱だったし、ベルリン・フィルの威力も充分に発揮されて興奮する音楽が展開されていった。だけど一番印象的だったのはソプラノのキャスリーン・バトル。
 「カルミナ・ブラーナ」のソプラノは出番が少なくてしかも最後の方にしか出てこない。その少ない出番が最高だった。ソプラノの出番が来てバトルが椅子から立ち上がると。会場全体のお客さんもここが聴き所とばかりに少し身体をのりだす。それによる衣擦れが会場中にざわざわと広がっていく。そしてバトルの大きくはないが実によく通る美声で、しかもゆったりとしたダンスのような歌いぶり。私ももちろんみんなか心から堪能してバトルの歌が終わると小さい小さいため息みたいなものがこれまたフィルハーモニーに広がっていく。
 バトルの歌もすばらしい。しかもベルリンのお客さんも音楽を楽しむすべをよく知っている、と感じさせる一幕だった。

 コンサ−ト終了後、楽屋でボルヴィツキーに会った。彼もニコニコ顔で、よくベルリンにやってきたなということ、よい新年を迎えるようにということを早口の英語で言って去っていった。


 その日はベルリン・フィル1stバイオリンのペーター・ヘルマン氏の家での大晦日のパーティにご一緒させてもらった。同じバイオリンのアレッサンドロ・カッポーネ夫婦も来ていた。(当時は奥さんはベルリン・フィルのメンバーではなかったが、今はベルリン・フィルで夫婦仲良くひいている)。
言葉が不自由でもどかしいこともあったが、貴重な体験でおもしろかった。その時来ていた人たちはベルリン・フィルをいやというほど聴いている人たちばかりなので、今までのベルリン・フィルの思い出などいろんな話をゆっくりとした英語で私に話してくれた。
 パーティから帰って、安永さんのリビングでレコードを聴きながらたくさん音楽の話をしてもらって、最高に幸せな新年を迎えた。元日は市野あゆみさんの手作りのお雑煮をご馳走になった。

1996年、大阪
 ベルリン・フィル来日公演、この年は大阪に聴きに行った。日本の前はアメリカ公演をやっていたので、疋田さんから安永さんのニューヨークのホテルのファックス番号を聞いてそこに大阪に行くということを連絡した。数日後電話があって「大阪で会いましょう。リハーサルも入れますよ。」ということを聞いた。これまた何という幸せ。

 大阪でマーラーの「復活」のリハーサルを見ることになった。リハ−サルの15分前に楽屋口で安永さんと待ち合わせた。続々とベルリン・フィルのスター達が入っていく。アバドもふつうの格好で私の1メートルほど前を歩いていった。私の妻はこのときアバドが自分を見てほほえんでくれたといって喜んでいる。

 安永さんに案内されて一階ほぼ中央の席に座る。リハーサルの内容は全曲を通してごく一部を摘んでいくというやり方。私はベルリン・フィルの練習を目の前で見られるということで興奮したが、メンバー達はリラックスしているようだ。3楽章の冒頭ではティンパニのゼーガースがわざとでっかい音でみんなを驚かしたり、2楽章の弦楽器だけのピチカートの部分では、ベルリン・フィルの弦楽器奏者達がものすごい自発性を発揮してアバドが苦笑するほどアンサンブルをしていた。(このときの様子は現場を見ていないとわからないと思う。表現は難しい)

 この時の舞台裏の指揮者は岩村力さんで、彼はその直前のThe Sinfoniettaの指揮をしていた。岩村さんが、「ほとんどザイフェルトがひとりでやってしまうから僕は何もやることないよ」と言っていた。そして「舞台裏のホルン、聞こえる?」と聞かれた。実はリハーサルの時にほとんど聞こえなくてこれでは小さすぎるかなと思っていたので、そう伝えた。岩村さんは分かった分かった、と言ってにっこりした。本番では少し大きくなっていてちょうどよい大きさで遠くから聞こえる感じがよく出ていた。これは私のひとことがアバドの「復活」に影響を与えたということで、一生の自慢だ。

 リハーサル終了後、安永さんと「サバの味噌煮とうどん定食」を食べた。この時も最近のベルリン・フィルのことをたくさん聞いてとてもおもしろかった。

序章 オケをつくろう!  第1章 音楽の旅・・・出会い
第2章 奇跡!!  第3章 T氏  第4章 西、佐藤両氏
第5章 練習  第6章 Probe  第7章本番
第8章 安永徹  第9章 山下一史  第10章 奇跡 2

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