| 練習はオケのほうでがんばるしかないが、観客動員については途方にくれるしかなかった。コンサートを開く熊本県立劇場はコンサートホールの収容人数が1800人とでかい。今までここに1000人くらいしか入れることができなかった。それをどうやって増やそうか。せめて1500は入らないと、かっこうがつかない。今までと同じ1000人ではベルリン・フィルのソリストに申し訳ない。 でもどうしたらいいか全くアイデアはない。 私の高校の先輩がやっている喫茶店「末次」の佐野さんは、音楽も好きだし頼りになる人で、今回も時々相談に行っていた。その佐野さんが「今度、うちに高校の先輩たちが集まるからその時に話してみたら?」といってくれた。わらをもすがる気持ちで行ったのはいうまでもない。 その場に西さんという印刷屋の社長さんがいた。西さんは私の話を聞いて、「友達の佐藤という水道工事の会社の社長がいて、一緒に手伝ってあげようと思う。今度佐藤に会わせるからまた改めて出てこい」といわれた。 そして、約束の場所に行くと、西・佐藤両氏がすでにきて私を待っていた。 「手伝ってやろうと思うが、本当にベルリン・フィルからくるのか?知り合いで音楽に詳しい人に聞いたら、名も知られていないアマチュアオーケストラにベルリン・フィルから来るなんて信じられない。おまえたち騙されているんじゃないか、といわれたが、本当にその人達は来るのか?」 本当に来るのかと言われても、来ますとしかいいようがない。西・佐藤両氏も多少不安だったと思う。いくら同じ高校出身とはいえほんの数日前までは全然お互い知らなかったのだから。 疑っても始まらないということで、両先輩達が動き始めた。その動きは半端ではなかった。 まず、指揮者の山下って人物を見せろ、ということで練習をみにこられた。練習の後は熊本名物のお店に山下さん、オケのメンバー数人を連れていってくれておなか一杯食べて、焼酎をたらふく飲んで、2次会に行って、ラーメン食べてお開きとなった。ぜーんぶ西・佐藤両氏で払っていた。 「山下さんなら、本気で手伝うぞ。あの人は本物だ。俺たちは、音楽のことはよくわからないが、あの人は凄い」 両社長は山下氏の人物にひとめぼれしたようだった。そえからというもの、山下さんやプロの音楽家を呼んでの練習のたびに練習後に食事に連れていってくれた。 「いつもいつも、すみません」 といっても 「俺たちは音楽のことはよくわからない。俺たちはこれくらいしかできない。練習は自分達でがんばれよ」 といわれるだけだった。 本番の前日は月曜日で県立劇場など公立のホールなどは休館日で、練習場所が無くて困っていたときにふたりでなんと熊本県庁の地下大会議室を練習に使えるように手配してもくれた。それには、今の熊本市長で、当時県会議員だった三角氏の力添えもあったそうだ。 何よりも彼らふたりに感謝しなくていけないのは、チケット販売だ。コンサートの1か月前の12月、両社長はチケット販売に奔走してくれた・・・らしい。 私は全く知らないところで仕事もほったらかしでやっていたようだ。後日、佐藤さんの会社の人と話す機会があったが、「12月は毎日西さんが会社にきてうちの社長と仕事もしないでチケット売りにでかけていった。まったく困ったものでした。」 結果的にはどれくらいの観客が入ったかは第8章の「Probe・本番」にゆずる。 これを読む人のほとんどが理解出来ないと思う。ただ同じ高校出身というだけでここまでするなんて。 まったく常識をこえた馬鹿みたいにいい人たちだ。いい人というだけでなく、先に書いたように彼らが山下氏に人間的にほれ込んだというのがエネルギーの源だったのだろう。そして、これは熊本の文化にとって必ずプラスになるという確信もあったはずだ。 このコンサートで、このような人達に出会えたことは想像もしなかった私の宝物だ。 バーンスタインが「私にはふたつ好きなものがある。音楽と人間でどちらがより好きかなんて言えない」ということを言っているが、全く同じことをこのコンサートで私も感じた。 |