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コンサートの会場は当然、熊本県立劇場(県劇)ということになる。全国的にも音のいいホールとして有名だ。この演奏会でももちろんここ以外は考えられないのですぐに予約をした。山下さんと相談して第一希望は1989年1月8日(日)ということにした。我々アマチュアはどうしても仕事の都合があるので、日曜日の本番でないと困るのだ。
県劇は1年前から予約ができる。そして、もし予約が重なった場合は、厳正な抽選でどこが使うか決定されるのだ。このコンサートのときは、「エホバの証人」の大会と重なってしまった。
抽選は指定された時間に県劇に行き(1分でも遅れると、抽選に参加する資格もなくなる)くじを引くことになる。日曜日にできないとなると、いろんな面で大変なことになる。なんとしても当たりくじを引かなければならない。
抽選当日、かなり時間的な余裕を持って県劇に行った。当然「エホバの証人」からも時間前に来ておられた。最初は話し合いで解決できるならということで、お互いに事情を説明したが、双方ともここはどうしても譲れないということで、抽選しかない。県劇の担当の方の指示でくじを引いた。
みごとに外れ。
結局第2候補の1月10日(火)になった。
平日開催ということになり少々焦ったが、仕方ない。オケのみんなには早くから仕事の調整をしてもらうように頼むしかない。
ところがこれがとんでもなくラッキーなことになろうとは・・・・・
1989年1月7日(土)。昭和天皇崩御。
世の中は歌舞音曲禁止、ということでたくさんのイベントが中止された。1月7日に安永さんたちは読売日本交響楽団で、やはりブラームスのドッペル・コンツェルトをライブ収録することになっていた。ところがこの事態なので、急遽お客を入れないでの収録になったらしい。
喪に服すのは3日間。The Sinfoniettaの本番の1月10日というのは、喪が明けたまさに最初の日だったのだ。
こういう、状況も手伝って、第7章「本番」にも書いたように、400人が立ち見というとんでもないことにつながった。
もしあの1年前のくじ引きで、私が外れくじを引かなかったら、演奏会そのものが流れていたかもしれない。
このコンサートは、数々の奇跡に助けられて実現したのだ。
話は、がらりと変わって、1984年の私の初めてのヨーロッパ旅行。旅行に出て2週間ほどたったころ。旅にも慣れはじめ、そして少し日本が恋しくなってきたころ、鉄道でミスをした。スイス国内で鉄道に乗り間違えてしまったのだ。
本来はどこに行くつもりだったかもう忘れたが、とにかく、どうやら乗り間違えたことに気付いた。夜の7時くらいで外は真っ暗。そしてその時はコンパートメントには私一人しかいなかった。さすがにその時は心細くなってしまった。時々停まる駅の名前を見てもまったく知らない地名ばかり。
しばらく暗くなっていたが、「これのたびの楽しみのひとつだ。」と思い直して、次に停まった駅で降りてそこでホテルを探そうと決めた。
そしてThunという駅で降りた。そこはとても小さい町で、駅のインフォメーションはとっくにしまっている。これは歩いて探すしかないと思っていると、なぜか駅付属の郵便局は開いていた。そして、その郵便局でホテルのことを聞いた。しかし、「ホテルはその辺にあるよ」くらいにしか教えてくれなかった。本当に歩いて探すしかないと思ったとき、電話ボックスが目に付いた。
心細くなっているときだったので、親の声が聞きたくなった。それでコレクトコールで電話してしまった。
その時はスイスの時間で夜の8時ごろ、日本では夜中の4時だ。そしてコレクトコールなので親にこの電話をつないでいいか確認をとらなくてはいけない。英語がほとんどできない親に、いきなり夜中の4時に訳の分からない英語の電話がかかったわけだ。親としては、私が事故にでも遭って、病院からでもかかったのでは、と思ったらしい。つい心細かったのでミスしてしまった。
電話に出た父がびっくりしていたので事情を話し、自分は無事で問題ないことを伝えたが、親はその夜は心配でその後も寝付けなかったという。
私の方は、親の声も聞き、歩いて探すしかないとわかったので、晴れ晴れとした気分で暗い町に歩き出した。ホテルはすぐに見つかった。
最初に見つけたホテルはいささか高かったので、もっと安いホテルを紹介してもらいそこにチェックインした。
そのホテルは1階がレストランになっているヨーロッパによくある安ホテルで、地元の人でにぎわっていた。部屋に荷物を置いてすぐにレストランに直行した。
たぶん日本人が珍しいのだろう。何人もの人が話しかけてきてついさっきまでは心細い思いをしていたことなど忘れて、大いに楽しんだ。
次の日の朝、散歩してみてわかったが、このThunという町は湖に面したとてもきれいなところだった。その日は湖にうっすらと霧がかかり幻想的な風景で、昨日乗り間違えたことに感謝したくなった。町の公園にはうっすらと雪が積もっていてその雪の中から小さい小さい花が咲き出していて、何とも言えず幸せな気分になった。
The Sinfoniettaの本番も近くなり、ブラームスのドッペル・コンツェルトの練習も進んでいる中、この曲について調べていた。そうしたら、意外なことがわかり驚いてしまった。
「ブラームスはスイスのThunが好きでよく訪れていた。そこではドッペル・コンツェルトなどの名作が生まれた・・・」
私にとって運命的な曲であるドッペル・コンツェルトとは5年も前にこんな形での出会っていたのだ。
あの時心細かった列車乗り間違えたことは、ブラームスの霊に導かれていたのかもしれない。
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