|
1984年2月から4月にかけて、1986年11月から12月にかけての2回、音楽を聴くためにヨーロッパ旅行をした。全くの一人旅で40日間。このときの旅は私に実にたくさんのものをもたらしたが、そのひとつがすばらしい音楽家との出会いだ。ウィーンの篠崎史紀(NHK交響楽団コンマス)ベルリンの山下一史。
彼らとの出会いは未だに私のに影響を及ぼしている。
山下氏との出会いは今でもはっきりと覚えている。フィルハーモニーでのポゴレリッチのリサイタル。私が当日券を買おうと並んでいるところに日本人留学生らしき人達が5〜6人やってきた。中でもリーダーっぽいひとがいて、みんな「山下、山下」とよんでいる。
山下氏はその数か月前、カラヤンの代役でベートーヴェンの第九を指揮して、世界中の音楽界のニュースになったものだ。私も音楽雑誌で見てもちろんしっていた。だけどベルリンにいったからといってまさか会えるとは思っていなかった。
ひょんなことから山下氏と言葉を交わし、コンサートの後で餃子を食べに行こうということになった。私としてはベルリン・フィルはすばらしいが、ベルリンという都会は大きすぎて少し心細かったので、この展開はとってもありがたかった。あとではこのことがとんでもないことにつながるなんてことはもちろん知るよしも無い。
結果的には4〜5回一緒にコンサート終了後、ご飯を食べることになるのだが、カラヤンのアシスタントと直接話が出来るなんて夢のようだった。山下氏の音楽的な話はもちろんとてもおもしろかったが、音楽以外の話も全てとても興味深いものだった。あまりに楽しくてベルリン滞在中はほとんど昼の観光はしないで夜のコンサートと、その後の山下氏との食事に集中した。
ちょうどアマチュアオーケストラ、The Sinfoniettaをつくったばっかりだったので山下氏に指揮の依頼もしたが、「それは喜んで!」という社交辞令を越えない返事しか得られなかった。
日本に帰ってから山下氏と、大塚氏(ドイツでバイオリン教師をしている)。このお世話になったふたりに熊本ラーメンを送った。日持ちのしない生ラーメンだったので、エアメールで送った。ラーメン代が3000円、切手代が7000円くらいだった。
山下氏ともう一度会えたらいいな、と思っていたが、彼が私のことを覚えていてくれているか自信は無かった。
|