The Sinfoniettaと安永さんの3回目の共演では、なんと安永さんが1週間(!!)もの練習につき合って下さった。練習でたくさん学ぶことも多かったが、ここにプログラムに載せるためのインタビューを再録する。これもまた内容の深いもので、当時いかに我々がアマチュアオケとして恵まれていたか、改めて思われる。
メンデルスゾーンの「ヴァイオリンとピアノのための協奏曲」は日本初演かもしれないというくらいめずらしい曲ですよね。
安永:こういう形態の作品というのは、とてもめずらしいですね。オーケストラは弦楽器だけ、独奏がヴァイオリンとピアノに弦楽オーケストラが加わっての三者によるソナタということもできるかもしれませんね。同じテーマをヴァイオリン、ピアノ、オーケストラとそれぞれ独自の音色や表現をするわけですから、その違いなど楽しんでいただけるでしょうね。第一楽章が比較的きちっとした古典的なソナタ形式で、第二楽章はきれいな歌、第三楽章で一転して情熱的なハンガリー風の音楽になりますね。
市野:そうですね。この曲はメンデルスゾーンが14才の時に作った曲なんですが、メンデルスゾーンの初期の頃の作品というのはなぜかあまり知られていなくて、例えばヴァイオリン協奏曲にしても、ホ短調は有名ですが、13才の時に作曲したニ短調はほとんど演奏されませんね。この「ヴァイオリンとピアノのための協奏曲」は、ニ短調のヴァイオリン協奏曲と同じように、メンデルスゾーン家のサロンコンサートのために作曲されたらしいのです。
いわゆる深刻な表現ではないんですが、若々しい天真爛漫な感じにあふれていて、早熟型の天才メンデルスゾーンのひらめきがあちこちに聞こえるとても魅力的な作品だと思います。
今回、ハフナー・セレナーデを演奏する事になって、たくさんのCDを聴きましたが、それぞれ少しずつ違っていておもしろかったです。中には、表情に乏しく、退屈なものもありましたけれど・・・
安永:このハフナー・セレナーデという曲は、当時のお金持ちで一時はザルツブルグの市長にも選ばれた事もあるハフナー家の結婚式のために書かれた〈婚礼音楽〉ですが、作曲されたのが1776年、当時の当主のお姉さんが結婚するにあたっての曲なんですね。8つの楽章がありますが、それぞれ独立した性格を持っていますし、又、一つの楽章の中でもいろいろあって・・・・。例えば、第一楽章は、その婚礼に集まった人々が屋敷の中に入ってくる雰囲気を出していて、いかに大勢が参加したか、という感じが伝わってきますし、第二楽章では急に小夜曲の感じになり、第三楽章では決然としたリズムを持っていながら何となく迷いがある雰囲気を持ったメヌエット、第四楽章ではヴァイオリン独奏がまるで喜びと楽しみの天使の役割を演じているかのように、人々の間を飛び交う様子が表現されていたり・・・と、いろいろ舞台が変わるわけです。
実際にステージで演奏している音楽は、言ってみればバックグラウンドミュージックというか、きっかけを持っているだけで、本当のステージは聴いている人、一人ひとりの心の中にあると思うんです。
安永さんが練習の中で、「音楽を聴いたり、演奏するのに何かの情景に結びつけることは邪道という人もいるけれど、はたしてどうだろうか。」という内容の事をおっしゃいましたよね。
市野:そのことに関しては、私達もよく話しているんです。演奏する側の者にとっては、その作品を理解するためにいろいろな面から勉強して、研究しますよね。練習はもちろんですけれど。ただ、その場合ですが、作品の形式とかその表面的な事を理解しただけの演奏ではまだ充分ではないんですよね。作曲者がその曲を作るきっかけになったファンタジーに共感を得て、それをその人なりの感覚で表現することが、演奏する者の仕事だと思っています。そのようなことを考えると、音楽に情景を結びつけるというのは邪道ではないと思いますけれど・・・・
音楽に結びつけるものは、もちろん必ずしも情景である必要はなくて、例えば感情や感覚的な、もっと抽象的なものでも良いと思います。そのとらえ方は、人それぞれ違うだろうし、それを言葉で表現するのはとても難しいでしょうね。
音楽というのは、言葉や文章とは別の分野の言語を持ったものですよね。言い換えれば、言葉で表現できない部分を表現するのが音楽だと思っているんですけれど・・・・。
安永:何人かが集まって一つの音楽を演奏する場合、当然、一人ひとりの感じ方はそれぞれ違うわけで、そのままではバラバラになってしまうわけです。だから、演奏者の中の誰かのイメージや想像に他の人が近づく事が望ましいですね。指揮者とかリーダーなどまとめる立場にある人は、一緒に演奏する人達に理解することができて、そして賛同してもらえるだけの内容を持っている必要がありますね。それが、その曲の解釈というか、準備というのかなあ。
安永さんは第8楽章の序奏の中に、モーツァルトが、結婚のために作曲された事とは関係なく、何か一番表現したい内容があるのではないか、とおっしゃっていましたね。
安永:ええ。でも、悲しいという感じではないんです。実際、この部分は短調ではなく長調ですからね。明るくてさわやかな感じなのに、いつもその裏側と言うか、襞の間に何か運命を背負っているようなそういうふうに感じるんですよ。それでいて、そのわずか2分足らずの導入部を過ぎて主部に入ると、とたんに軽快なテンポ。まるで、それまでの導入部が夢なのかこの軽快さの方が無理やり作り上げられたものなのか、とても同一人物が作曲したとは思えないほどの転換ぶりで、一緒の気分になるのが大変なくらいですよ。でも、その変化の多様さがモーツァルトの特徴のひとつでしょうね。今日の練習の後、「ああ、生きていて良かった。」と言っていたメンバーもいましたし、「まだ安永さんとのリハーサルが1週間もあるなんて、本当に熊本にいて幸せだ。」という声も聞きました。本当にこんなに長くつき合っていただいてありがたいと思っています。
安永:でも、時間をかけようと言ったのは僕たちのほうでしょう?ちょっとここで皆さんに理解して頂きたいことがあるんですが、よろしいですか?プロのオーケストラ、アマチュアのオーケストラ、というような区別がありますね。プロのオーケストラは、基本的には演奏会だけで運営されているわけですから、とにかく回数をこなさなくては経営として成り立たないわけです。そうすると、今日はハフナー・セレナーデを演奏して明日からはブルックナーのリハーサル、来週はオペラ、その次はベートーヴェン、そしてマーラー、という具合にプログラムもめまぐるしく変化するので、一つ一つのプログラムに十二分な時間をかける事ができないのが実情です。単純に言えば、表面的に複雑な音符が並んでいないプログラムのために時間をかける余裕がない、という事です。
これは簡単な問題ではないので、ここでお話しても仕方のない事ですが、そういう実情を知らない人達が、「プロ、というのはできるだけ時間をかけずにたくさんの事をこなしていく、そういう人達のことだ」というような誤解をしているのも、悲しい事ですね。時間に追われているプロのオーケストラの人達も、本当は時間をかけてじっくり音楽を味わいたい、と思っている人達ばかりなんですから。経済的な基盤がしっかりしていれば時間をかける事ができるわけですから、本来、プロ、という言葉の意味は、「自分が表現したいものに近づくためには、どんなに時間をかけても惜しまずに努力する」というものではないでしょうか。
シンフォニエッタの皆さんは、音楽を自分達の楽しみとして活動していらっしゃるので、演奏会に追われて時間がない、という事がないわけですね。年間の演奏会の数を少なくして、その代わりにそのプログラムに集中して当たる、という事ができるわけですから、先程言った意味では、大変理想的なわけです。リハーサルの時に、ここは少し間をあけよう、とか、ゆっくりして、という具合に表面的な指示をする事で早くスマートに仕上げる事は可能でしょうが、それでは音楽の内容の味わいって出てこないと思いませんか?なぜ間をあけるのか、ゆっくりするのか、そこのところを、本来不可能なはずの「言葉」で説明していかなくてはならないわけで、そのためにとても時間がかかるんです。今回の演奏会ではタテの線、というか、時間的な線をきちんと合わせる事にはほとんど重点を置いていません。そういう表面的な事よりも、何を表現できるか、どんな感情、情景を音にして伝える事ができるか、という内面的なところに大きな目的を置いているんです。
シンフォニエッタの皆さんが感じているものを、よりたくさん表現する事ができればうれしいですね。
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