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1987年、The Sinfoniettaの第1回演奏会を開いていよいよThe
Sinfoniettaの活動を始めたわけだが、ちょうど日本に帰ってきているマロ君にトレーナーをお願いした。オーケストラのメンバーは彼の格好(黒づくめなおしゃれ)を見て驚いていたが、練習の楽しさでいっぺんでみんな彼のfanになってしまった。
マロ君の練習はとてもおもしろい。アマチュア相手ということであまり細かいことにはこだわらず、単なる記号に過ぎない楽譜からいかに豊かなイメージを膨らますかを、彼の巧みな言葉の魔力によって学生オケからも実に豊かな音楽を引き出してくれる。
あまりの楽しさにオケは漫才を聞いているかのような気がする。それでいて確実に音楽が熟成していくので、自分たちが急にうまくなったような錯覚をするのではないか。そして、もっと向上しようという気持ちを忘れがちになってしまうのが、唯一欠点と言えば言えるかもしれない。オケの側に学ぼうとする強い意志がないと、その場だけの楽しい練習ということで終わってしまう危険性がある。
マロ君のウィーンでの師、トーマス・クリスチャンは正反対に厳しい練習をする人だったそうだ。あまりの恐さに泣き出す女の子のいるし、発表会でも恐くて実力が発揮できない人もいたらしい。それでマロとしては、相手がアマチュアなら萎縮させるよりのびのびといい点だけを伸ばすような指導がいいと考えたらしい。マロ君もヴァイオリンの演奏家を目指してる生徒には当然厳しく接していると聞いた。
彼の師の一人、イヴリー・ギトリスのレッスンもおもしろい。ギトリスもおもしろい話ばっかりして生徒を楽しませるが、その話の中に深い意味が隠されている。レッスンを受けた次の日の演奏にギトリスの意図が反映されていないと「お前は何を聞いていたんだ?」と言われてしまう。マロ君の練習もギトリスと近いものがあるのだ。
ある練習の時、音がどうも堅くてなかなかうまくいかない。ギトリスが「おまえ、女をさわるときにどうやってさわる?」とマロに言い残して練習を終わったそうだ。その日の夜マロ君は必死に意味を考えてハッと気づいたそうだ。左手の指を立ててひいていたところを、指を倒して指の腹で弦を押さえるようにした。そうしたら音色がやわらかくなった。次の日のレッスンでそのように弾いたらギトリスは「フミノリ、俺の意図がわっかたらしいな」とでも言いたげににっこりしてくれたらしい。女をさわるときに指は立てないよね。
それからは、オーケストラ(The Sinfonietta、熊本大学フィルハーモニーオーケストラ)のトレーナーとして、当然ソリストとして、The
Sinfoniettaには何回も来てくれたし、彼を中心とした室内楽のコンサートはもう10回を超える回数開いてきた。
1990年、の演奏会では彼がソリスト、指揮に山下一史氏を迎えてメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」、ヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンの交響曲第7番を演奏したがでハプニングが起こった。1楽章の終わりで弦(E線、一番高い音の弦)が切れてしまったのだ。ところが彼は残り3本で難なく乗り切ってしまった。2楽章はコンマスの楽器で弾き、3楽章は2楽章の間に舞台裏で弦を張り替えてあった楽器に戻って名演を聴かせてくれた。とっさの時でも落ち着いて完璧な対処をしてしまうマロ君に感心したできごとだった。
マロ君は日本に帰ってすぐは群馬交響楽団、次に読売日本交響楽団,そして今はNHK交響楽団のコンサートマスターを歴任している。もう日本に帰って10年になろうとしているが日本の音楽会を代表する重要な存在である。そのマロ君が熊本とこれだけ密な関係を持ち続けているのは本当にありがたいことだと思う。
篠崎史紀室内楽シリーズ
3年ほど前、マロ君とひとつのプランをたてた。「熊本市の1%音楽fanをつくる。」
マロ君はクラシックが世の中で一番おもしろいもののひとつと思って、音楽家になったという。それにしては世の中はあまりにもクラシック愛好家が少ない。でも60万人の人が住む熊本市のたった1%の音楽fanができれば6000人もの数になるわけで、これだけのたくさんのfanがいればコンサートは必ず満員でそうなればコンサ−トの数も増えるだろうし、今より落ち着いたいい町になると思う。
そのためには、実際いい音楽をたくさん聴ける環境をつくる必要があるので、室内楽シリーズを始めることになった。彼は入門用ということで敢えてチゴイネル・ワイゼンとかの通俗的ともいえる名曲をたくさん弾いてくれた。10回ほどやってきて最近では確実に篠崎史紀ファンが熊本でも増えてきている。今までの努力が実を結び始めている。
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