◆願い−−布由子の場合◆

 

「どうして、どうしてこんなことになったのだろう・・・・」
 薄れていく意識の中で布由子は考えていた。
「どうして・・・・」

布由子は、ずっと、雅樹だけを見つめていた。もう、6年にもなる。
「友達として」を装いながら側にいるが、雅樹も布由子の気持ちに薄々気付いている
のではないだろうか。
雅樹が、ここ数年、恋人を作らないのも、それを示しているようにも思える。
だが、もし、彼の友情さえ失ったらと思うと、どうしても、思い切った行動に出る
ことができずにいるのだ。

そんなある日、布由子は、雅樹に恋人ができたことを知った。
 それも、雅樹自身から聞いたならともかく、他の人から聞かされたということが、
よりいっそう布由子の心を傷付けた。
 彼女は、前から、布由子が、雅樹と仲がいいことを妬んでいたのではないだろうか。
 だから、自分が雅樹の恋人の座についたことを、真っ先に布由子に宣言しに来たに
違いない。それまで、雅樹のことを遠くから見ているだけだったくせに。
布由子のショックを楽しんでいるのがその目の奥に見て取れたと思うのは、
決して彼女の妄想なんかではないはずだ。
(なんであんな女に・・・・。)
(やっぱり、男と女で、友達でいるなんて無理なのかもしれない・・・・)
 その夜、布由子はしたたかに酔った。
顔見知りのマスターが心配して声をかけてくれるのに耳も貸さず。

そんな布由子の隣りに、1人の女性が座った。
「こんばんは、荒れてるわね」
 怪訝そうな顔の布由子に彼女は笑って言った。
「大学で一緒だった薫よ、覚えてない?」
 そう言われればかすかに記憶にあるような気がして、布由子はあいまいに笑った。
「やっぱり、覚えてないんだ、まぁ、ほとんど話もしたことないから無理ないか」
「ごめん・・・・」
「いいって、気にしないで。ねぇ、コーヒーでも飲みながら昔話、しない?」
 正直に言って、あんまり気乗りはしなかったが、相手を覚えていなかったという
後ろめたさから、すげなく断るのも気がひけた。
 それを見てとったのか、薫は、ほとんど布由子の腕を引っ張るようにして表に連れ
出した。

コーヒーでも、と言った薫が布由子を案内したのは、深夜営業の喫茶店だった。
 店内に流れる穏やかな曲とちょっと落した照明は、ここで夜明かしをする客のため
かもしれない。

「あんなに荒れてたのって、やっぱり雅樹さんのことが原因なの?」
 唐突に訊ねられて布由子は面食らった。
 その様子を見て、薫は少し微笑んだ。
「じゃぁ、やっぱり、まだ彼のことが好きなんだ」
 見詰められて、布由子は、つい素直に肯いてしまった。
「うまく行ってるの?」
 布由子は静かに首を横に振った。
 薫は、はっとしたように、俯いて小声で謝った。
「ごめんなさい・・・」
 布由子は、再び首を振った。
「雅樹とは、別に、付き合ってるわけじゃないから・・・」
「でも、あなた・・・?」
 薫は、小さく首を傾げて布由子を見た。
「ずっとね、片想いなのよ、私の」
「信じられない。だって、あんなに仲がよかったじゃない」
 そう、周囲には、そう見えていたのだ。そして、彼女は、周囲が2人を見てくれているような
そんな付き合いを雅樹としたかったのだ。
 薫の静かな瞳に見詰められて、布由子は、いつしか、思いのたけを語り始めていた。
 雅樹への想い。
彼に恋人ができたこと。そして、・・・・。
おそらく、彼女は酔っていたのだ。
お酒と、そして静かに流れる不思議な曲に。
そして、もしかしたら、薫の瞳にも。
 ようやく布由子の話が終わると薫は、小さく溜息をついてこう言った。
「ひどいわね。あなたの気持ちを知っていて、そんなことをするなんて・・・・」
 布由子は、何も言えなくて、ただ首を横に振るだけだった。
「ねぇ、彼に、仕返し、したくない?」
 唐突な薫の言葉に布由子は目を見張った。
 薫は、布由子を勇気づけるように小さく頷いて言葉を続けた。
「だって、このままじゃあんまりでしょう。彼に、思い知らせてやりたいと思わない?」
「どういうこと?」
「彼の大事な人を奪ってやるのよ」
「奪う?」
「そう、それで、悲しんでいる彼をあなたが慰めるの。そうしたら、彼も、きっとあなたを好
きになるわよ」
「でも、奪うって、どうやるの?」
 いつしか、布由子は、薫の話に引き込まれていった。
 薫は、大事な秘密を打ち明けるように声をひそめた。
「私が、消してあげる」
「消す?どうやって?」
「それは内緒よ、企業秘密」
 唇に人差し指をあてて薫はいたずらっぽく答えた。
 布由子は、思わず、ゴクリとつばを飲み込んで言った。
「やってくれるの?私のために?」
 薫は、大きく頷いた。
「でも、どうして?」
「友達だから」
「それだけ?」
「他に、何か理由がいるの?」
薫は、微笑んだ。とても穏やかに。

「それじゃ、具体的な話に入りましょうか」
薫のことばに布由子は思わず頷いてしまった。
「彼女の名前は知ってる?」
布由子は首を横に振った。
(そうだ、あの子は、名前を名乗りさえしなかったのだ・・・)
「それじゃぁ、・・・・」
 薫は、少し思案して、こう言った。
「『彼の一番大切な女性』と、こういうことにするしかないわね」
『彼の一番大切な女性』・・・・この言葉は、改めて布由子の心を深く傷付けていた。
薫は、それに気付いたのか、かすかに、どこか満足げな微笑みを一瞬浮べた。
 だが、心の余裕を失った布由子は、そんなことに気づかない。
そこへ、追い討ちをかけるように薫が要求する。
「じゃぁ、あなたの口から言ってちょうだい。『彼の一番大切な女性』を消してくださいって」
 一瞬、布由子の顔に怯えが走る。
 それを見て、薫がかすかに微笑んだ。
「いやならやめてもいいのよ」
「いいえ、やるわ。ちょっと驚いただけ。」
 目を閉じて息を整え、一息に口に出す。
「『彼の一番大切な女性を消してください。』これでいいの?」
「ええ、それでいいわ。今夜12時にあなたの願いは叶うわ。それじゃぁ、またね」
 布由子がまだ目を閉じているうちに、そう言って薫が立ち去る気配がした。
 彼女は、きっと、満足げに微笑んでいる。なぜか布由子にはそれが分かった。
 目を開けると、そこには誰もいない。
布由子は、なんだか、今起こったことが現実ではないような、妙な気分にとりつかれて、
しばらく身じろぎもせず、目の前のコーヒーが冷めていくのをただ見ていた。
いつの間に、コーヒーが運ばれてきたのかも覚えていない。
 結局、何も口にする気になれず布由子が立ち去った後、残されたのはただ1つのカップだけ。

(?!)
 顔を洗おうと鏡を見て、布由子は声にならない悲鳴をあげた。
 自分の姿の向こうに、部屋の様子が透けて見えている。
 そして、布由子が愕然としている間にもゆっくりと彼女の影は薄くなっていく。

「どうして、どうしてこんなことに・・・・」
 薄れていく意識の中で彼女は必死に考えた。
 そして、気付いた。
 彼女が「消してほしい」と願ったのは、「彼の恋人」ではなくて、
「彼の一番大切な女性」であったことに。
 それを最後に、彼女の意識は夜の闇の中に溶けていった。

 どこかで、深夜の時報がなっている。

Fin.

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