◆太陽がいっぱい◆
(1960 仏・伊)

原作:『太陽がいっぱい』パトリシア・ハイスミス
監督:ルネ・クレマン
脚本:ポール・ジェゴフ、ルネ・クレマン
出演:アラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ

トムは、富豪グリーンリーフから、海外にいる息子フィリップを連れ戻してす
ことで5000ドルの報酬を受取ることになっていた。だが、一緒に遊び回り
ながら帰国を説得するトムをフィリップは軽んじ、傲慢な態度で傷つけている。
やがて、トムの心にフィリップへの殺意が大きくなっていった。

美しい空と海、太陽。美しい青年。心に残る音楽。
1つ1つのエピソードよりも、そういう印象がより深く心に刻まれている
気がします。夜のシーンも、室内のシーンもあるのに、思い浮かぶのは、
眩しい陽射しと青い海。そして、トムのまなざし・・・。

アラン・ドロン演じる貧しい青年トムの貧しさゆえに屈折した視線。
フィリップに対する羨望とコンプレックス。
フィリップの恋人マルジュへの想い。

この3人の関係、小説と映画ではかなり違います。

トムのマルジュへの気持ちは、映画と小説とではまるで正反対です。
小説での彼は、自分とフィリップの間に存在するマルジュの存在をうとましく
思っています。
まるで、フィリップの友情を自分で一人占めしたいと思っているみたいに。
フィリップが、トムを先に帰してマルジュと過しているときの、
トムのいたたまれないような姿には、強い独占欲が感じられました。
ところが、スクリーンの中のトムは、マルジュに、淡い想いを寄せています。

小説の中のマルジュにとって、トムは、自分と恋人の仲を邪魔する、たちの
悪いごろつき。大事な恋人にたかるクズのような人間にしか見えません。
そこには、映画でのマルジュ、フィリップにひどい扱いを受けるトムへの
思いやりにあふれたマルジュの面影はみじんもありません。

それからフィリップですが、小説では、マルジュにいろいろ言われるまでは、
(彼女は、トムがゲイなのではないかとまでフィリップに言うのです)
トムに対して、友情を感じていますし、ある時点までは、トムとばかり行動して
マルジュを軽んじ、マルジュのトムへの態度を硬化させてしまうほどでした。
ところが、映画では、フィリップは、トムをとことん軽んじ、ひどい扱いを
するので、見ていて、トムのフィリップへの殺意に、ものすごく簡単に感情移入
できてしまうのです。
「そうだ、そんな奴、やっちゃえ!」って。

印象的なのが、フィリップが、夜の街で、金にものを言わせて盲人から杖を
買い取り、自分が盲人のフリをして見せるエピソードです。
そうやって、一緒に楽しんでるかのようなときでも、彼はトムを、自分より
1段も2段も下に見ているのが容易に見てとれます。
そんなふうに相手を軽く見て、自分の代わりにサインをさせたりしていることが、
どんな意味を持つか考えもしない金持ちのどら息子、それがフィリップ。
だから、トムが戯れに彼の服をまとい、鏡の前で彼の真似をしているのを
見付けたとき、必要以上に怒りをぶつけるのです。

それでも、そんなフィリップを、マルジュは本気で好きで、それがトムの屈折
に輪をかけるのです。トムの暗い視線が、だんだんと強くなっていくみたいな
気がしていました。眩しいほどの海と空の下、その視線が強く心に焼き付いて
離れません。陽射しがまぶしければまぶしいほど、その視線の暗さが際立つも
のですね。トムが本当に羨んだのは、フィリップの金なのか、それとも美しい
マルジュだったのか・・・。

1つの罪は、その罪を糊塗するための新たな罪を生みます。そして、それは、
1つの悲劇はさらなる悲劇を生むということのようです。自ら求めたこととは
いえ、トムの人生は、どんどん動いていきます。
そして、ラストシーンも太陽の下。
トムは、いったいどこへ行ってしまうのでしょう・・・。


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