◆真実の行方◆
(PRIMAL FEAR 1996米)

原作:『真実の行方』ウィリアム・ディール
監督:グレゴリー・ホブリット
脚本:スティーブ・シェイガン
出演:リチャード・ギア、エドワード・ノートン他

街の聖者として人望を集めるラシュマン大司教が殺害された。それも、極めて
惨忍なやり方で。容疑者として逮捕されたのは、まるで天使のような外見の
アーロンという青年。誰が見ても、彼がやったに違いないという状況だったが、
彼はあくまでも容疑を否認していた。彼の弁護を担当することになったのは、
訴訟に勝つためには手段を選ばないと言われているマーティン・ヴェイル。
彼が調査を進めるうちに、意外な事実が次々に明らかになっていく。

法廷シーンでの、丁々発止のやりとりが好きなので、法廷ものというと、つい、
観に行ってしまいます。昔、裁判を実際に傍聴したとき、ドラマとのあまりの
違いに、驚いてしまいました。法廷そのものの様子が、まず、だいぶ、TVなどで
見て想像していたのと雰囲気が違ったので。他の裁判所を見ていないので、
全てがそうなのかは分かりませんが、法廷に、大きな窓があったのが、まるで
様子を違って見せていました。まず、そこからして、フィクションの世界よりも
ずっと開放的に見えたのです。そして、弁護士さん。必ずしも、自分の依頼人に
好意的な方ばかりではないのだなぁ、とびっくりでした。なにしろ、その方、
まるで、依頼人を攻撃するかのような質問を繰り広げていましたから。
まぁ、罪状を聞いていると、それもある程度は納得というところではありましたけど。

ただ、アメリカのような陪審員制を取り入れている裁判は、また、当然ながら、
日本とは全然雰囲気が違うのでしょうね。陪審員制は、日本でも、一時期、
やってみたものの、すぐになくなったという話ですから、国民性が大きくものを
いうのでしょうね。私だと、自分が実際にその席に座ることを考えると、その
責任の重さにしり込みしてしまいそうです。

それまで、ヴェイルは、依頼人の利益になるためなら、手段を選ばないことで
有名な弁護士でした。そして、無敗の弁護士としても。名うての殺し屋ですら、
逮捕の手続に不備が少しでもあれば、それを盾にとって釈放させてしまうのです。
もちろん、逮捕というのは、正式に、法にのっとってされなければならないもの
ではありますが、心情的には、そんな奴、野放しにするなよ、という感じです。

そんな彼が担当することになったのが、
どう見ても勝ち目のなさそうなアーロンの弁護。
原作と映画とでは、この事件を引き受ける動機は違いますが、
ヴェイルは、とにかく、アーロンの弁護の材料を探して
必死の調査を開始するわけです。
この段階で、小説では、彼や、彼のチームの面々のバックグラウンドが語られて、
一人一人に感情移入がしやすいです。映画では、ふとした表情やしぐさ、音楽などで
語られるところですね。その誰もが、いろんなものを抱えていて、
異端児ヴェイルのチームにぴったりという感じ。
もちろん、リチャード・ギアのマーティン・ヴェイルが、見事にはまっている
からこそ、その印象も強まっているという面もあるのだと思います。

とてつもなく優秀で訴訟技術にも長けているのに、その力を、依頼人を勝訴に
導いてお金を儲けるためにのみ使っている、ちょっと皮肉屋の弁護士。
(そういえば、以前やっていた「正義は勝つ!」というドラマの織田裕二の役柄も、
そういう感じでしたっけ)味方についてもらえれば、これほど力強い味方はいない
代りに、敵方の検察側は煮え湯を飲まされてばかりで、たまったものではないでしょうね。
まあ、味方とは言っても、自分のところに弁護の依頼にくる人間に対してすら、
皮肉な考えを持っているわけですけど。
でも、そんな彼が、ふっと自分の心情を語る酒場での場面が、ものすごく好きです。

マーティンと、対するのが、美人検事のジェーン。この2人、なんだか、過去
にいわくありげで、それがまたこの作品の緊張感を高めているます。

この作品、何が印象的っていうと、やはりラストシーンです。
アーロンのあの一言。
そして、ヴェイルの姿。
真実って、いったい、なんなのでしょう・・・。


indexに戻る
Topに戻る