◆鳩の翼◆
(THE WINGS OF THE DOVE 1997 英)
原作:『鳩の翼』ヘンリー・ジェイムズ
監督:イアン・ソフトリー
出演:ヘレナ・ボナム・カーター、ライナス・ローチ、アリソン・エリオット、シャーロット・ランプリング
ケイトは、新聞記者のマートンと恋人関係にあるが、後見人である叔母は、
ケイトの彼の交際を認めていない。叔母に逆らってマートンを選べば、
叔母からはなんの援助も受けられなくなり、マートンの乏しい収入では、
2人が生活して行くことはできないだろう。
そんな時、2人は、アメリカからやってきた天涯孤独な富豪の女性ミリーと
出会い、ケイトは、ミリーがマートンに好意を寄せていることに気づきある
計画が心から消せなくなっていくのだった。
この映画のあらすじを聞いたときに、すぐ、とっても興味を覚えました。それで、
映画の前に原作の小説を読んでみようとさっそく本屋に向ったのですが、お目当ての
その本、あるにはあったのですが、その場で買うのをためらわせる問題がありました。
それは、値段です。何と、文庫の上下巻で、あわせて3000円もするのです。
それほど極端に厚いわけでもなく、素材に特別なものが使われているわけでも
なさそうなのに、私がふだん買っている文庫本の倍の値段なのです。
それで、まずは映画を観て気に入ってから買うか、図書館で読んで、どうしても
ほしくなったら買おうと言うことで、その場は買わないで済ませてしまいました。
でも、これは、やっぱり、ちょっと失敗だったかもしれません。
実際に映画を観てみると、思った以上に私の好みの作品で、すぐにも原作を
読みたくなったのです。それに、おそらくは、小説を読んでから映画を観た方
が、もっと映画の世界を楽しめたのではないかな、という気がしたのです。
そして、小説の方を読み終えて、ものすごく、もう1度映画の方を観直したいという
気持ちになりましたから。
この映画、すべてが小説のとおりではありません。何しろ、文庫とはいえ、
2冊にわたる長編小説を、2時間の枠にすべて納めるのは至難のわざでしょう。
かといって、映画が小説のダイジェストになってしまっては、それはそれで、
味気のないものになることでしょうし。
その点、この作品は、うまく扱っていると思います。
映像ならではの表現で、うまく原作の世界を再現しています。
たとえば、冒頭の電車からエレベーターのシーンに見られる情緒。
少し暗い列車の中の若く美しい貴婦人。彼女と青年の見交わす目と目。
これで、一気に、この「鳩の翼」の世界に引き込まれてしまいました。
そして、続いての彼女と叔母さんとのやり取りで、ケイトの置かれた立場が、
しっかり観客に見えるようになっているのです。
この2つのシーンでのケイトの表情の落差が、切なかった。家柄や社会的地位が
重要なものとみなされる社会では、彼女の恋人が叔母の目にかなうわけが
なかったから。
これは、小説にはなかったシーンで、映像だからこそうまく表現されるもの
という気がします。小説と違って、言葉で情景を積み重ねるのでないからこそ、
こういうシーンの積み重ねが、生きてくるのでしょうね。
そして、宿命ともいえるミリーとの出会い。2人の仲を何も知らないミリーは、
ケイトに、マートンを指して「あの人素敵ね」と言います。
その言葉が、ケイトの心に注ぎ込む毒を含むことなど思いもしないで。
そして、そんな策略を心に秘めて、ケイト、マートン、ミリーの3人の旅が
始まって行くのです。
彼らが、ヴェニスでゴンドラに乗っている楽しそうな姿は、とても印象的です。
水の都ヴェニスで、その象徴ともいえるゴンドラに乗って戯れる3人には、
暗い影など何一つないように見えます。それが事実であればいいのにと、つい、
祈るような気持ちになっていました。
でも、カーニバルの夜、全てが動き出してしまったのです。
止められない運命の車輪が。
この作品に触れて、何度となく自分に問い掛けてみた質問があります。
「愛があれば、お金がなくても大丈夫?」
イエスと答えたい設問です。でも????
実際問題として、食べて行くのにも困るような状態では、心もすさんで行く
可能性が大きいのではないでしょうか。こう思うのは、私が弱いのか、それとも、
そこまでの深い思いを知らないからなのか・・・。
ケイトは、知っています。お金を度外視して、好きな人との暮らしを選んだ
母と姉の苦しさを。そして、落ちぶれた父の姿を。だから、余計に、
「叔母さんのお金なんか要らない。私は自分が選んだ人と一緒に暮らす」とは
言えないのです。お金がないことで、何よりも悲しいのは、それによって、
他の人を思いやる心を失って行くことにあるのかも知れません。
ましてや、「この人を選ばなければ、もっと裕福な暮らしができたのに」
「自分1人ならば、今と同じ給料でも、もっと楽な生活ができるのに」
こんな思いが胸に忍び込んできたら、打ち消すのは容易なことではないのでは
ないでしょうか。
好きな人に対して、そんな思いを抱いてしまうなんて、それほど悲しいことは
ないと思います。そうなることを思っただけで、臆病になってしまう気がします。
ケイトの自分への言い訳は、「そうしても、ミリーが何かを失うわけではない」
というところにありました。
そう、うまくやってのける自信があったのでしょう。それとも、いずれにしても
試してみる価値はあると考えたのか。
ただ言えるのは、ケイトは、決してそれを喜んではいなかったということです。
彼女にとって、それは、やむにやまれずとった行動なのです。
彼女がとった行動は、責められてしかるべきものかもしれません。
たとえ、それが、お金だけのためにやったことではないとしても。
でも、他人に責められる以上に、自分で自分を責めているように思えてなりません。
今はそうでなくても、きっといつかは、彼女の中にそういう気持ちが芽生えてきて、
決して消えることはないように思えるのです。それが、彼女への何よりの罰、きっと。
彼女の恋人が、そんな彼女を受け止めうる男性であってほしいと願わずにはいられません。
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