◆明日の記憶◆荻原浩◆
(光文社)



自分が自分であるということの基盤の、
大きな位置を占める記憶。
それを失ってしまうというのは、
とても怖い。
いっさいの記憶を、いっぺんに失ってしまうなら、
自分自身で、その辛さを感じることもないかもしれない。
でも、その失い方が、徐々にであったら、
自分が自分を失っていくことを、実感しながら
生きていくことになったら、どれほど辛いだろう。
恐ろしいだろう。

思い出したのは、『山月記』
国語の教科書に載っていた。
虎になった男の話。
虎の意識である時は、生き物を食い殺すなんて当たり前で、
でも、体が虎のまま、人間の心が戻ってくる。
虎である自分、人間である自分。
虎である自分が行った行為を恐ろしく感じることのできる
人間である自分の意識。
なのに、徐々にそんな時間が減っていき、
心身ともに完全な虎に変わって生きつつあることを
なすすべもなく過ごす日々。
ただ1人、そんな恐怖と向かい合わなければいけないとしたら
なんて辛い。なんて悲しい。


広告会社の営業部長である佐伯。
仕事も家庭も順調だったのに、
ある日告知された若年性アルツハイマー。
娘の結婚まではと必死にがんばる姿。
娘夫婦に夫婦湯のみを贈ろうとする想い。
陶芸教室の木崎先生は、私も好きなだけに、
あれは、とても悲しかった。。。


必死に会社では隠そうとしても、
病気が病気だけに、隠しきれなくなっていく。
必死にあがく姿が痛々しい。
でも、決して孤軍奮闘なんかじゃない。
彼をささえる味方がいる、それが嬉しい。


1番の味方は、もちろん、妻の枝実子。
若い二人の恋の様子も微笑ましくて素敵。
それが、あの美しいラストにつながっている。
悲しい。悲しいのだけれど、美しい。



BookTopへ
Topへ