プロフィールなるもの・・



[-起-]
それは、小学5年生のころです。 教師を父に持つわたしは、好奇心旺盛ではあるが、一種自閉症気味でもあった。どうしても人前で発言することも拒み、人見知りするタイプである。
父はそんなわたしを活動的な子供に育てたく、父個人の趣味である釣りに連れ添ってくれるようになった。いや、むしろ強制的に連れて行かれた。
海に出ては、イワシや黒鯛、船に乗ってタイやメバルなど。>ほとんど船酔いのため、いい記憶はない。
一方、渓流釣りのシーズンともなると、近所の水系に朝早く出かけてはアマゴを釣っていた。 幸いなことに、自宅から小一時間も走ればいい渓流がある。 わたしは、渓流釣りにすっかりはまってしまった。>もちろん、ミミズや川虫、イクラを使った脈釣りなのだが、父よりも上手い、と自負していた。

[-承-]
学生時代を山口で過ごした。 世間一般の学生さんは、4年間と言う短い時間を学業に励み、ある人はマスタークラスへの進学を目指していた。 わたしは、在学意識が高すぎるのと、少々頭の足りなさのため、5年間も在籍してしまった。 そんな中、時は奇しくもルアーフィッシングの最盛期&バブリー時代でもあったこと、そして何と言っても山口にはバスフィールドが数は少ないものの、メジャーな湖があった。(トーナメントも開催されていたと記憶する)
釣竿もノベ竿から、ベイトロッド(かっこいい〜)へ。何が何でもカタカナ商品の世界=金利至上主義の策略にまんまとはまってしまった。 1個500円のルアーなら、根こそぎ買っていたのである。 挙句の果ては、ゴムボートも購入し、朝から晩までチャプチャプと湖面に浮いていたのである。 バスである。>ルアーはもちろん、ザラスプーク。トップウォーターの魔力に理性すら奪われたのであった。

[-転-]
学生生活も終わりに近づいた時、渓流釣りの記憶がふつふつと湧き立ち、フライフィッシングへの扉を叩いたのは、平成元年の冬であった。
友達と共有する名目で、代金(後で折半するといって今だ返金していない)を全て持ってもらった、セット品で初のトラウトを釣ったのが、明けての春であった。
10cmのアマゴ>思いっきりスレ掛かりであった。
渓流と言っても市内にある小河川であり、漁協の管理があるのかどうかも怪しい場所であった。 これからは、フライじゃ〜!本気出したとたん、河畔の木にぶつけてしまったロッドはその後1ヶ月も持たず、ご臨終となってしまった。
プロショップなるものは近所にも無く、雑誌を見てはタックルの高額さに驚愕せざるを得ない毎日を過ごす中、社会人となり、やがて結婚。 しばらく、釣りから離れてしまう。>もちろんFFで釣果が思うままにならなかったこともある。

[-さらに転・・・、結を追い求め!-]
「悠々として急げ」・・・・・開高 健
やっと金銭を自由に出来る身分になりながらも、結婚という3日で飽きてしまう日々を悶々とやり過ごしていた。
子供が生まれる前は、かみさんにもセット品(好きやね〜)を与え、仲良く買った色違いのウェーダーを履き、渓流の杭となっていた。
後にも今日にもそれがかみさんと釣行した唯一の日であった。>俵マチ風に言えばアマゴ記念日とでも言おうか。
もらい物のベストを羽織り、未熟な手先で巻いたエルクヘアーカディスで広島、島根の河川を渡り歩く日々が続く。 渓魚の名前も、居付き場所も、ある程度のの名前も覚えた。>カゲロウとかカディスとか、・・・ド素人です。(涙)
ルアー時代を間氷期とするならば、FF時代は氷河時代の真っ只中という感じである。 そして、現在。
FF歴こそ長けれど、釣れず、ノラーズの釣行が続く。 ルースニングもはじめました。2着目のベストもまたまた人から貰いました。 バンブウロッドも作ってしまった。管理釣場なる娯楽も味わってしまった。 相変わらず、釣れません。フライ=上手く巻けません。ウェーダーも浸水します。
これからも、転がり続けるでしょう。流石のごとく・・・