カルカッタハイ![]()
私は、28歳から30歳までの2年間、オーストラリア、東南アジア、インドと旅をしていました。今は、テレビ番組で、若手タレントの貧乏旅行を放送していますが、当時は、沢木耕太郎の「深夜特急」が私たちのバイブルであり、 「地球の歩き方」はもっと貧乏旅行者向けの編集がされていました。(おざわテツヤ)
私は、30歳を目前にして、バンコックにいました。
タイからビルマ(現ミャンマー)の国境を越えてインドへ向かうつもりが、政情不安の為ビルマに入国できません。 陸路で移動を続けようと思っていましたが仕方ありません。
バンコックで飛行機の格安チケットを手に入れて、インドの東玄関、カルカッタへ飛ぶことにしました。
他のヒッピー旅行者と同じく、西へ西へと移動することが唯一、自分の生きている目的でした。
「世界で最も悲惨な街」 といわれているカルカッタを目前にしても、東南アジアで精神的に疲れきっていた私は、特に何の感慨もありませんでした。 期待をもって訪れる各地に裏切られ続けた私は、そこを去るときに恨みにも似た気持ちを抱くようになっていました。過度の思いこみが自分を傷つけていることに気づいた私は、希望をもつことを拒否するようになっていたのです。
バンコックで手に入れた格安チケットは、私を、もう既にバスの動いていない時間にカルカッタ空港に送り届けました。
空港が異常に暗いと感じました。荷物をかついで空港の外へ出ると、待ってましたとばかりにタクシーの客引きに取り巻かれました。
飛行機の中で隣り合わせていたオーストラリア人のやれやれとした表情と目が合いました。「おい、一緒に行こうか」タクシーをシェアーして安宿のある通りに行くことにしました。 客引きの男に、タクシー1台で40ルピーと交渉して乗り込みました。走りだ す直前、客引きの男が窓の外から「40ルピーEACH!」と叫んで、それを合図のようにタクシーは走りはじめました。
話が違う、と二人で口々に運転手にいいましたが、彼は車のスピードをゆるめることなく、「NO ENGLISH」と答えました。
あきらめて窓の外を眺めると、暗い街路灯で見え隠れしながらインドの町並が見えました。ものすごいスピードでクラクションを鳴ら し人を追い散らしながらタクシーはひた走ります。天井に頭をぶつけないように荷物と踊りながら「これはとんでもないところへきたようだ 」と久しぶりに血が騒ぐのを感じました。
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カルカッタでは、経験したことのない暑さと人々の圧倒する熱気に押され、呆然となってしまうこともしばしばでした。「バクシーシ」といいながら物ごいす る少女たち、道路をびっしりと埋める路上生活者たち。 インドには、厳しいカーストの戒律がありますが、そのわくにさえはいらない「アウトカースト」という人々がいます。 身分的な向上が全く望めない彼らは、明日のことより今日を、今をどう生きるかに懸命です。 旅行者とみると、売るものはないかと寄ってきます。
旅慣れたイスラエル人達はシンガポールで買った最新の日本製カメラを、ブラックマーケットで捌いて旅費のたしにします。徹底的な保護貿易のインドでは、旅行者によって運ばれる西側の製品は、高値で取引きされ、特権階級に流れていくのです。地べたで生まれて、ま た地べたで死んでいく人の横を、メルセデスが走り抜ける。そんなエクストリームな光景でさえ、綿々と続いているカーストの歴史の前では、 なんの問題提起にもならないのでしょうか。
気がつくと街を歩いていました。脳みその蒸発しそうな真昼間、汗をだらだらと流しながら、あてもなくカルカッタの街をトリップし ていました。突然、敷き詰められた石畳がゆがみ、サリーを着た物売 りの女性の顔が、ぐるぐると回り始めました。
牛が頭を振りながら親しげに寄ってきました。牛が、ここはカルカッタなんだ。今、カルカッタにいるんだと、呼びかけているように聞こえてきました。
喧噪が渦のようになって自分を取り包み、 自転車のベルが鳴り響きました。リクシャワラー(自転車のタクシー運転手)の怒鳴り声で、 歩道の隅へ追い立てられました。どちらへ向かっていたのかわからなくなりましたが、歩き続けました。こんな幻想も悪くない、一人にやっとしながらまた歩き続けました。