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PRECIOUS EXPERIENCE

言葉のこと


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ドイツのおばあさん   ドイツのカフェで
                       
 ドイツは美しいお城で有名なフュッセンという街のカフェで、ドイツのニュールンベルグからバスツアーで来たというおばあさん二人と同席した。

最初のニコっという笑顔でなんとなく会話が始まる。おばあさん達はドイツ語でいろいろ質問してくるのに対し、私は英語で答える。それでも繰り返すうちになんとなく伝わっている。

カフェの蔦が紅葉していた時で、赤いセーターを着ていたわたしに、蔦とセーターの色がマッチしてステキだといってくれた(のだと思う。)ベトナム人か、カンボジア人かと聞かれ、「ジャパニーズ」を繰り返してもわかってくれない。

あんちょこで日本人という単語を探したら、ドイツ語は「ヤーパン」だった。やっと日本人だとわかってくれた。1時間余りのおしゃべり(?)だったが、別れ際おばあさんの一人がかぶっていた帽子をプレゼントしてくれた。

写真を取り合い住所を教え合って分かれた。帰国したら、すでに写真が届いていた。やはり、さっぱりわからないドイツ語の文と一緒に。


ジプシーの宴会        

 トルコからギリシャに向かう列車でのこと。
あちらの列車はまったくのんびりしている。長距離だと2〜3時間遅れるのはざらで、その上汚い。禁煙席でも全く関係なくタバコを吸う。その時も長時間列車に乗らねばならなかったので、なんとか清潔なコンパートメントに座りたいと思った。

運良く落ち着いたのも束の間、ジプシーっぽい人達がドヤドヤ大きな荷物をかかえて乗り込んできた。とっさ「いやだなあ…」と思った。案の定、禁煙席でタバコをスパスパ吸い、吸殻はポンポン床に捨てるわ、歌は歌いだすわで私はイライラしてきた。でもちょっと怖そうな人達だったので、私は目を合わせずおとなしくしていた。

 彼らはトルコの品物をギリシャに持っていきヤミで売る人達らしかった。国境駅で荷物を取り上げられそうになり、すったもんだあり、再び荷物が自分達のところに戻ってきたとき、それはうれしそうで、ついでに宴会が始まった。

ビールの栓をスパスパ抜いて、私にも飲め飲めと勧めてくる。チーズやサラミなど豪快に手でちぎり食べきれないほどくれた。
 こうやっていつも修羅場をくぐりぬけて生きているのだろうか?

最初怖そうに見えた人達がだんだん人なつこく思えてきた。力強い握手をして彼らは先に下りた。彼らとは全く言葉が通じなかった。


ヒトミさんとメグミさん  

 スイスのグリンデルワルドのユースホステルで出会った新潟出身のヒトミさん。
地元の会社で長い間働き続け、会社や仕事への不満は何もなかったそうだが、生活に節目がつけたかったのか、海外を旅しようと一大決心をして会社をやめたそうである。

「私、英語は全くダメなんス」と新潟訛りでけっして旅なれた感じでなかったが、単身でアメリカにまず渡り、NYでヨーロッパ行きの切符を買い、重たいトランクを引きずってスイスにやってきたのだ。"地球の歩き方"がぼろぼろになっていた。

 イタリアのベニスで出会いウィーンで再会し、その1ヶ月後モロッコで偶然会った奈良出身のメグミさんも英語はほとんど話せない人だった。友達と二人シベリア鉄道でヨーロッパ入りし、その後友達と別れ一人で旅を続けていた。

何でも食べたい、見たいということでウマが合い、ベニスでは生ハムをたらふく食べ、ウィーンのコンサートに一緒に出かけた。彼女もまた、"地球の歩きかた6ヶ国語講座"がかなり使い込まれていた。


また旅にでても…   

 この旅を通してつくづく感じたことは、語学ができなくても充実した旅は必ずできるということである。もちろん訪れる先々の言葉がわかればもっと有意義な旅になるかもしれない。

でも何ヶ国も旅するのに全て勉強してからというのは無理である。単純な私は、ドイツを訪れるとドイツ語が勉強したい!と思い、イタリア語もアラビア語も、すべてその国を訪れ、その国を後にする頃には同じことを思った。

 しかし、いつか再びそれらの国を訪れるチャンスが巡ってきても、恐らくまたわからないまま出かけるだろう。それでもなんとかなるな…という自信は、ヒトミさんやメグミさんたちのようにマイペースで勇敢に旅をしている人との出会いでますます深まった。



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