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ドニーブルック・1

(作成日99.6.07)
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《一九八八年 三月 ドニーブルック》

英語学校のカリキュラムも終わりに近づいてきたので、次は仕事に就くことを考えた。お金に困っていたというわけではなかったが、持ち金が少ないとビザの延長がやっかいだと聞いていた。私は、最初に6ヶ月のビザを最大限延長して、1年間オーストラリアにいるつもりだった。

それに旅の目的の一つでもあった、自分のライフワークを見つけるためにも、オーストラリア社会をのぞかなくてはいけない。それには、どんと入り込むのが一番の方法である。

日本人の多くは、日本食のレストランや免税店で働く人が多かったが、せっかく日本人社会を飛び出してきたのに、また日本人相手に仕事をするのはどうかと思った。もっとオーストラリアでする仕事としてふさわしいことはないかと探した。

ガイドブックによると、西オーストラリアは果物の産地で、地方に行けば農場が広がっていて、収穫の時期になるとたくさんのアルバイトを雇うという。しかし、なかなか確実な情報は入ってこない。頼みの綱のCES(職安のような所)でも要領を得た返事が返ってこず、さてどうしたものかと思っていた。

フリオホテルの中にいつも食事はパンとチーズだけの、恐ろしく食生活の貧しいオランダ人がいた。
「やあ、今日のディナーはどうだい」
「ここのパンはおいしいよ。チーズもね」

彼の名前はベルツといい、働きながら、旅を続けている無口な男だった。
「仕事はうまくいってるかい。確か溶接の仕事だったよね」
「結構、大変だよ。くたくたになっちゃうけど、今週で契約も終わりさ。ここも出ていくつもりなんだ」

私は、彼のひどいドイツ訛の英語がやっと理解できるようになりかけていたので少し残念に思った。
「次はどうするんだい」
「南のほうへ行って、フルーツピッキングの仕事をするつもりなんだ」

無理して会話を続けていて良かった。ベルツの方が無理をしていたのかもしれなかったけど。
この時とばかり情報を仕入れた。そして、彼の持っていたフルーツピッキングの時期と場所を示した一覧表を写させてもらった。

彼は、ドニーブルックへ行くというので、どれどれと調べてみると確かにここのフリーマントルからドニーブルックは南へ200Kmと手ごろな距離で何かと都合が良さそうであった。

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