視覚文化研究についてのアンケート
(『オクトーバー』誌77号1996年夏より)


〔紹介〕

 視覚文化研究〔visual culture〕という新たな研究パラダイムが喧伝されて久しい。
欧米ではすでに、視覚文化研究のための教科書やリーダー本も多数出版され、確実にこの「学問的方法」は制度化されつつある。カルチュラル・スタディーズからニュー・アートヒストリーへ、そしてそこから視覚文化研究へ。
 視覚文化研究は美術史という限定された領野を越えてその対象を拡張するというスローガンを掲げる。しかしそれとは裏腹に、ある種の硬直化がそこには生じていないのであろうか。例えば、視覚文化研究という新たなる意匠のもとで、従来はそれぞれの専門分野で行われていた実証的で限定的な研究、方法論や制度的枠組みに無意識であるような研究、そうしたものが大量にただ並置されて再生産されているのであれば、私は首を傾げざるを得ない。それはたんに無理やり多数の分野を統合してそれらしい名称を冠しただけのことにすぎない。「転回」を経るたびに先細りしているという非難や批判もたしかにある。
 しかし視覚文化研究とは元来そうしたものにすぎなかったのだろうか? 
 その問いに答えるには視覚文化研究の可能性をあらためて考えなおす必要がある。この意味でオクトーバー誌の特集(視覚文化についてのアンケート)は興味深い。例えば、しばしば視覚文化研究で主張される視覚的なものの特権化は事態を単純にしてはいないか、本来的な意味で「批判的な」視覚文化研究はどのようにしたら可能なのか、あるいは美術史と批判的な視覚文化研究はどのように接合できるのか/できないのか、視覚文化研究はどれほど制度化を被っているのか、という問題を考えるきっかけになる。
  ちなみに写真研究という視座から見れば、視覚史〔ヴィジュアル・ヒストリー〕のうちのヒストリーを捨て、視覚「文化」という名称を冠した研究動向にたいして、「写真」というアナクロニスティックな実践・理論はどのように切りこみを入れることができるのか/できないのかも合わせて考えることもできるのではないだろうか。


〔不定期に紹介していきます。〕


アンケート内容

 「視覚文化(研究)」という学際的プロジェクトは、もはや歴史モデルに基づいてではなく(美術史、建築史、映画史など)、人類学anthropologyにもとづいて組織化されるのだと言われている。視覚文化(研究)が、「コンテクスト」と「テクスト」という社会史的-記号学的な要請やモデルを帯びた「新しい美術史〔new art history〕」にたいして、脱中心的(時には対立的ですらある)位置にあると論じるものもいる。これについてどう考えるか。

 視覚文化(研究)は、――例えばリーグルやヴァールブルクのような――初期の美術史家世代の思考に力を与えていたのと同じだけの実践の広がりを含んでいるのだ、だから、この以前の知的可能性へと美術史、建築史、映画史というメディアに基礎を置くさまざまな歴史的諸学問を回帰させることが、こうした刷新には必要不可欠であるのだと、言われている。これについてどう考えるか。

 学際的な見出しとしての視覚文化(研究)の前提条件は、非実体化された〈イメージ〉、記号交換やファンタスマの投影からなる仮想的空間のなかで創りなおされた〈イメージ〉としての視覚的なものという、新たに作り上げられた考え方である、と言われている。これについてどう考えるか。さらにいえば、もしこの新たなイメージのパラダイムがもともとは、精神分析的言説とメディアについての言説との交差のなかで展開されていたのだとすれば、今ではこの新たなパラダイムは、特定のメディアからは独立した役割を受け取っているのだと言われている。当然の結果として、このような示唆が意味するのは、視覚文化研究が、控えめで学問的なやりかたで、グローバル化された資本の新しい段階のためのさまざまな主題を生みだす手助けをしていることになる。このことについてどう考えるか。

 視覚文化という学際性へ向かうシフトが学問内で――とくに人類学の次元において――、重圧になっているという事態は、美術、建築、映画の諸実践内部でのこれに類似したシフトと並行している、と言われている。このことについてどう考えるか。

〔このアンケートは1996年の冬に、広範な美術史家、建築史家、映画理論家、文芸批評家、芸術家たちに送付された。以下が答えである。〕

アンケートへの答え

 

 
スヴェトラナ・アルパース トム・ガニング Hellen Molesworth
Emily Apter マイケル・アン・ホーリー キース・モクシー
キャロル・アームストロング マーティン・ジェイ ・D.N.ロドウィック
スーザン・バック=モース Thomas Dacota Kaufmann ・Geoff Waite
・Tom Conley Silvia Kolbowski ・Christopher Wood
ジョナサン・クレーリー Sylvia Lavin  
・Thomas Crow ・Stephen Melville



スヴェトラナ・アルパース

  何年か前、私が、自分の研究しているのはオランダ絵画の歴史ではなく、オランダの視覚文化の一部としての絵画である、と述べた際に意図していたのは特定の限られた事柄であった。それは、視覚についての諸概念(目の機構)、イメージ制作のための装置(顕微鏡、カメラ・オブスクラ)、視覚的技術(地図制作、そしてまた実験)を、絵画実践と関係した文化的源泉とみなし、これに焦点を合わせるということであった。こうすることで、適切なしかたで視覚的性質をもつ真摯さseriousnessを画家に認める、という利点が付け加えられることになった――つまり、彼らを道徳的な説教家ではなく熟練した観察者や表現=代表者representerとして扱うという利点である。
 「視覚文化」という用語を私はバクサンドールに負うている。しかし、この概念の私の使い方は、事例の性質上、彼のものとは異なっている。イメージ/テクストという差異は、歴史的な観点においても、批判的観点においても、この企図にとっては基礎的なものであった。しかし私が扱っていたのは、テキストとは区別されたイメージが世界の再現=表象(認識の定義という意味での)にとって中心的なものとなる文化である。私は、オランダの文化に特有の視覚的技術に注意を向けるばかりでなく、その場所でその時代にこれらの技術が決定的なものであったということを主張している。
 こうした点で、視覚文化は、言語的文化、ないしはテキスト的文化とは区別される。それは、包括的な概念ではなく、区別的概念である。さまざまな芸術的媒体のあいだの差異と同じように、諸学問分野の境界は、否定すべき主題ではなく、研究の主題になるのだ。  



ジョナサン・クレーリー
  いわゆる「視覚vision」や「視覚的visual」という語は、私が著したいくつかのテキストのタイトルや私が教えている講義の題目に出てくる言葉である。しかし、これらの語が学術会議や出版物、学問的な提供品から成るヴィジュアリティ産業の拡大にともなって使用されるのを耳にする時、それはしばしば私を困惑させる用語となってきている。私が自分の仕事で試みたことのひとつは、視覚にかんする歴史的諸問題は、表象的制作物の歴史とはまったく別のものだと主張することであった。両者がどれほど重なり合うことが多くても、それは根本では似て非なる二つの企図なのである。それゆえ私は、ヴィジュアル・スタディーズにはそんなに関心がない――もしこれがただ、イメージという伝統的カテゴリーを拡張し、刷新したものに過ぎないのであるなら、もしそれが現代のメディア製品やマス・カルチャーの事物を研究領域とする新たなカフェテリアを領土確定することであるのなら――。こんなことが実際にどこかで行われているのかどうかも私は知らない。ただし、たしかにそういうものが生じつつあると思い描いてみることは容易にできる。すべてのイメージが何らかの一次的な視覚的価値をもつと想定されるような、連続的な歴史的空間というフィクションを主張するという誘惑はたえずある。そうなると今度はここから、無関心で瞑想的な観者が保存され(時としてそのことは目に付かない)、いつものごとくのお決まりの仕事が行われることになってしまうのである。
 おそらくもっと重要なことは、自律的な、あるいは自らを正当化する問題となるようなしかたで視覚を置きすえるようないかなる企てにたいしても、私が疑念的であるということである。こうしたアンケートの問いに答える他の人たちと同じく、私が示そうとしたのは、いかに視覚が、主観性の構築をめぐるもっと広範な歴史的問題とけっして切り離すことができないものなのかということである。とくに20世紀のモダニティの内部では、視覚は、広範な外的諸制度や技術によって形成され、統御される身体のひとつの層でしかない。また視覚は、生の新たな形態、強度、戦略を創出することのできる身体の一部分に過ぎない。だから、視覚性(ヴィジュアリティ)というカテゴリーを特権化する批判的企てや新たな学問的管轄区(名前は何でもいい)はいずれも、それが視覚性という概念を今日のように知的に利用可能な概念にしてしまうような、専門化や切り離しや抽象化を行う過程を徹底的に批判するものでないのならば、誤ったものになる。視覚的なものという領野を構成するように思われる事柄の大部分は、これとは別個の、権力の諸力や諸関係のおよぼす「効果」なのである。
 もし、ヴィジュアル・スタディーズなるものが昨今出現してきたのならば、それは部分的には、観者spectatorの位置についての、これまで存続していたいくつかの前提が崩壊したためである。数多くの人文科学の下位領域と同様に、眼差しgazeという考えを中心にして築かれた学問分野は、それが意図していた対象が拡散して崩壊する時に、実践的なあり方を帯びることになるのだ。この転換は、悲嘆すべきことでもないし、称賛すべきことでもない。むしろ、それにもかかわらず、このようなシフトを生じさせた諸条件を理解することが重要なのである。何人の人々が失望するだろうが(そしてタイポグラフィーの文化に退屈していた人々は唖然とすることだが)、そのような諸条件についての分析には、CG、仮想現実、あるいは他の最新テクノロジーの所産を研究することは含まれないであろう。むしろそれは大部分は、白黒で、非視覚である言説的、体系的な形成物やその歴史的変化の研究となるのである。  


マーティン・ジェイ
 レイモンド・ウィリアムズが『キーワード集』のなかで指摘したように、文化とは、「英語のなかでもっとも複雑な二,三の単語のうちのひとつ」である。文化は、ここ一〇年の間、「カルチュラル・スタディーズ」が急激に拡大していくにつれて、もっとも頻繁に議論されてきた概念のひとつであるし、あるいは、人文諸科学や社会学などの領野を次々と制圧してきた概念である。もちろん、この語がかつて帯びていたエリート主義的な――慣習的には「アーノルド的」と言われる(ただし、一八世紀にフランスやイギリスの文明Zivilisationにたいしてドイツが文化Kulturを擁護していた際にすでにそうなのであるが)――意味合いがいまだ残存している場合もたまたま目にすることがあるが、新たな熱狂を満たしているのは、「生活様式全体」としての「文化」という、これらよりももっと人類学的な用法なのである。「サブカルチャー」や「マルチカルチャー多元的文化」に並んで、「文化」は、今日の最も護符的な用語になり、そして、「理論」が一九八〇年代にしだいに人気がなくなっていった際に残された裂け目を満たしているのである。
 視覚経験に関係する諸学問分野が興奮にとらえられるのは時間の問題でしかなかった。美術史、映画研究、建築史、写真史、そして始まったばかりの仮想現実についての研究さえもが、「視覚文化」という包括的な見出しのもとに包摂されるようになった。視覚文化の擁護者たちは、W.J.T.ミッチェルがほんの二,三年前に「イコノロジー」と呼んだ「イメージの修辞学」を超え、視覚文化の範囲を拡大し、視覚的経験のあらゆる現象、視覚実践のすべての変異体を包含するようになった。
  ある視点、つまりヴィジュアル・リテラシー〔visual literacy〕という伝統的概念や美的なものの純粋性を護る番人の視点から見れば、この変化は危険に満ちている。イメージの分析や解釈方法の継続的訓練も受けていない無免許の者が、力を増し、「凝視」「スペクタクル」、「監視」、「視覚体制」などといったものについて断定的な意見を述べているのである。彼らは、文化的な意味はどこにでも残っているという人類学的な前提に大喜びで帰依しつつ、階層的な区別を崩壊させ、雑多なものからなる間テクスト性の視覚版とでもいうものを促進し、「文化」という語を――それがエリート主義的な用語であった際に――満たしていた価値の主張を嘲笑する。フーコー、ブルデュー、ネオヒストリシストに従い、彼らは権力とイメージの共犯性を暴露し、あるいは逆に、視覚経験が現状に抵抗したり抵触したり、異論を唱えるようないくつかの方法を検証するのである。
 網膜に書きこまれるものは何でも、新たなパラダイムのための格好の標的であるように思える。このパラダイムはそのような民主主義的な包括性を誇りにしているのである。非網膜的な「視覚的無意識」でさえも、今では研究に用いられる。イメージ生産や分配、消費についての研究を正当化するために「文化的唯物論」と名づけられたものがしだいに利用可能性を増すにつれて、イメージの或る特権的規範による解釈や評価に与えられたどんな正式認可の印も、ほぼ完全に使い果たされてしまっている。あるいは、かりにそういうものが保持されていても、それは、「高級」と「低級」といった伝統的な考えを嘲るためのパロディー的な再文脈化というつながりのなかで用いられることが頻繁になっている。映画研究では、同じような動きがあり、それによれば――ギルバート・コーエン―シートの、スクリーン上で生起する事柄を示す用語を借りてくれば――「映画的事実filmic fact」は、それを取り囲むイデオロギー「装置」全体を包括する「映画装置的事実cinematic fact」に包括されるのである。
 これほど迅速な猛攻が、すくなくとも、今では以前ほどには価値のないことがはっきりしている信任状を持った人々の側からの、抵抗にあったとしても驚きではない。これに類する反応は、カルチュラル・スタディーズが大声で主張を行って目立つものになった際、テキストに基づいた学問分野で生じた。様々な文学のもつ言語学的な特殊性が、――例えば構造主義、記号学、ラカン派精神分析学、あるいは脱構築といった――文化分析という逆説的にも普遍的な方法がどんな文脈や時代にも用いられるようになるにつれて、失われてしまう、というのがその際の反論であった。……同様に、音楽学では、自律的芸術としての音楽のもつ内在的な作用を構造分析するというやりかたに恩恵を受けている人々は、――民族音楽や大衆音楽という用語で規定され、音楽の訓練をほとんど必要としない――もっと広範な文脈に統合される動きを排除しようとした。……
 美術史では、ゴンブリッチのような学者が、イメージによって忠実に反映された一貫した「時代精神」へのいわゆる「ヘーゲル主義的」な信仰にたいして以前から警告を発していたが、この警告は、美術史がカルチュラル・スタディーズに解消されていく動きにうんざりしている人々がふたたび口にしている。彼らが言うには、イメージ、とくに美的理想に仕えるべく慎重に形成されたイメージが意味を伝達する方法は、テキストやその他の文化実践が意味作用を行う方法へと、それほど容易には還元することはできないのである。視覚文化の、他のものには還元できない「視覚的」な部分、「視覚的なもの」の、文化的であるのと同じぐらい肉体的で知覚的なものであるかもしれない究極の源泉が、――美的なものの特殊性そのものがそうなるのと同様――消去されかねないのである。また人類学的な文化概念は、歴史的変化にたいする無関心さをもたらすものであるし、構造主義がその最盛期に多数の様々な区別を超えて普遍的なパターンを探し求めていたのと同じ方法で、どんな文脈であっても同一の意味作用のメカニズムのかたまりを判別することを優先するのではないか、と懸念されている。例えば歴史の場合のように、他の分野で「状況をもとへ戻そう」という新たな掛け声が、文化よりも政治の前景化への回帰を促しているのと同様に、文化概念の帝国主義への抵抗が今や視覚文化研究では広まっている。
 この新たな領域に迷い込み、控えめに語らないままにしておいた視覚現象について意見を言うように請われるという予期せぬ立場にある、いわゆる介入者の一人として、私は二つの立場がもつ力というものを認識している。もちろん、視覚文化研究が拡大したからといって視覚性の言説に関心をもつ思想史家がそこに包含されはしないということなら、私には、このシンポジウムに貢献するよう請われることはなかっただろうが、私は長い間、あらゆる文化的価値の偽りの人民主義的な平板化には抵抗してきた。この平板化は、私自身の分野では、諸観念の歴史を、広く解された意味の歴史に置き換えてしまうおそれがあるのだ。文化的差異を尊重すると自ら言い、しかもあらゆる文化的差異を、それらが価値の階層を伴っているにもかかわらず、特定の文化の内部で脱差異=区分化するといった作用を及ぼす運動には、いくぶん問題がある。また、あたかも文化が、他の文化と重なり合うことも、自らの内的矛盾も持たずに完全に内在的な、密閉された実在であるかのように、遊離したり研究したりすることができるという想定には、説得力が欠けている。文化のシステムが、他のシステムと同様に、それ自身の死角の契機や、内的な超越点をもち、それが自身の境界を突破したり自己充足性を妨げるものになる、ということを認識するためには、べつに正式に認可されたシステム理論家である必要はない。私たちがそれ〔死角の契機、内的な超越点〕を「社会」、「自然」、「身体」、「精神」、あるいは何か他の対立語で呼ぼうが、いかなる文化概念も、それを有意義なものにするにはその概念の否定を必要とするのだ。この必然性を認めることによって、私たちは、それがこれまで「ずっと文化」でありつづけているといった前提を立てることを回避できるのである。
 しかし、視覚文化研究が生起する以前の状況に立ち戻ることを不可能にしている、決定的な理由がある。美術史が伝統的にもっと広範な文脈から切り離して研究していた視覚芸術の還元不可能な特殊性、これを信頼し、それを擁護しつつ固守することは、もはや不可能なのである。というのも、二〇世紀の美術と呼ばれているもののうちには、美術というものの本質性やその推定上の境界を抹消するような不可避の動きが生じているからである。芸術対象から美術館、そして美術市場の政治学にいたるまで、すべてのものに影響を及ぼす、今では広範に注目されている美術制度の危機、これが意味しているのは、次のことである。つまり、美術史を視覚文化に解消するという前提は、外部からのものであると同様に内部からのものである、つまりそれは美術そのものの内部から生じてもいるのであって、たんに他の分野の文化的モデルを輸入した帰結であるだけではない、ということである。単純に言えば、視覚対象と文脈との間の、以前はあった区別に立ち戻ることはできない。なぜならその区別が芸術の歴史そのものの中で研究対象を定義したり境界確定するのを止めているからである。「視覚文化」という語を耳にすると銃に手をのばしたくなる人は、結果的には、それが虚空を撃つだけだということに気づくだろう。視覚文化という人類学的概念がどんなに不正確で不十分であっても、それがとどまるべき場所は明らかにここなのである。


トム・ガニング

 この一連の質問の基礎にある主要な関心は、ヴィジュアル・スタディーズという新たな領野が学問領域の内部で占めるであろう位置を焦点にしている。こうした焦点が教育や学問的キャリアの可能性についての関心に由来しているのか、それとも、一見すると自発的な知的潮流の背後に潜む制度的な動機づけへの批判に由来しているのかは、はっきりとしていない。歴史家として、私にはこの最後の関心が重要であり、大学教員としては私は、最初の二つの関心が不可避のものであり、それらが相互に区別しがたいものであることを認めている。しかし私はまた、そうした関心が限定された興味しかひくことがないと感じている。明らかに、学問的な諸政策はさまざまな動機――フーコー的な意味での学問=規律的なものから学問諸分野として知られる縄張りの境界づけに至るまでの動機――に由来しているのである。私に言うことができるのは、次のようなことである。つまり、学問領域で生活の糧を得ている者として私は、体系の中には、再生産される既存の権力関係の明白な目的を回避したり、学問的提供品にちょっとした新奇さの外見をを与えていたりするようなギャップを見いだすことができるのではないかという疑念と(おそらく自己欺瞞的な)信頼をもちつつ私はアプローチを行っているということである。

 研究領域の何らかのパラダイムが「グローバル化された資本の次なる段階」の要請に仕えるということについては明らかである。しかし、ヴィジュアル・スタディーズのようなパラダイムがたんに従順な主体を生み出すのだという考えは、私たちを全能なるイデオロギー的装置というもっとも疑わしいモデルへ立ち戻らせてしまう。そのモデルにおいては主体のもちいることのできる唯一の可能性は、充分に意識的で陰謀的な従属の体系に無力に従うことなのである。とくに映画研究において、1970年代に映画理論家たちが映画メディアの視覚的魅力に関して示した当惑や不快が結果的に生じさせたモデルは、さまざまな視覚的手段が欺瞞や幻影やファンタスム的満足という目的に仕えることができるだけであるようなモデルであった。このモデルはひとつの可能性としての観客のメタ心理学への多くの洞察を与えたのではあるが、それはまた、ヴィジュアル・カルチャーとの遭遇から、歴史、ジェンダー、人種、そしてまた(とりこにするための罠としてではない)視覚的快楽の純粋に遊びとしての作用を除去してしまったのである。ヴィジュアル・カルチャーにおける映画の位置への歴史的アプローチが、新たな世代の学者たちに見出すことを可能にしたものとは、必ずしも視覚的悦びという領野ではなく、むしろ権力を求めての競争がさまざまな関心を含んでいるような多様な競技場なのである――この競技場では危険性、暴政、脅威が解放、ユートピア的可能性、知覚の冒険と相互に作用を及ぼしあっている。別の言葉で言えば、(少なくとも映画研究の視座から見た)ヴィジュアル・スタディーズへの歴史的、政治的アプローチは、特定のメディアや広範な諸実践(例えば映画、テレビ、写真における視覚的語り)における抑圧を同定することから出発し、こうしたメディアや実践が用いられている現実の実践や状況――能動的な観客の受容という変容の潜勢力も含む――のなかでの抑圧と解放を追究するのである。

 したがって私は、ヴィジュアル・スタディーズ/カルチャーが、歴史的なアプローチによって可能になるような競合する諸権力や変容についての特定の語りを出発点にすることはできないと感じている。あるいは、私は、テクストやコンテクストという概念がクリシェとなった実践や方法を意味する硬化した概念になってしまっている場合以外は、ヴィジュアル・スタディーズがテクストとコンテクストという概念を放棄しうるとも感じていない。もしテクストが競合の場所として理解され、つまりテクストを生み出したり、包含したりする諸制度機関の観点から理解されるのならば、それ〔テクスト概念〕はヴィジュアル・カルチャーの複合性の最も豊かな転回が生じうるような領野でありつづけるのである。もちろん、日常的な経験の構造と美的な領野との間の障壁を侵食するような、文化についての人類学的な方法や概念は、テクストをこうして開く〔opening〕できわめて有益であるかもしれないが、私は伝統的な歴史的方法に具わる主の語り〔master narratives〕の場合に感じるのと同様の疑念を、民族誌的な研究概念において可能になっている権力関係や物象化にたいして抱いている。もちろんこうした疑念は、人類学についての数多くの現在の再考にとっては必要不可欠であり、だからヴィジュアル・スタディーズと人類学との関係は、どのような人類学的モデルが喚起されているのかという観点から明瞭にしておく必要があるだろう。しかし私は、ヴィジュアル・スタディーズが歴史的研究およびテクストに基礎を置いた研究との関係を否認する必要があるとは感じていない。

 学問領野内での何らかの革新への疑念はつねに必要ではあるが(既存の権力構造の内部でそうした革新によって利益を得るのは誰か?)、こうした新たなパラダイムは刷新や変容の可能性をともなっていると私は思う。その重要な可能性は主に、以前は学問分野間の裂け目に落ち込んでいた広範な研究対象を開拓するということにある。分野としてのヴィジュアル・スタディーズはおそらく広範な歴史的時期にかかわると思う一方で、私は、19世紀末から20世紀初頭にいたるまでの自分の仕事から、ここ二世紀にわたる政治、美学、日常生活での変容を理解するうえで、ヴィジュアル・スタディーズが重要な役割を果たすということが明らかになったと考えている。この時期には、近代という時代に際立つことになった非言語的な(あるいはむしろ「主に」言語的ではない)レトリックと――とくに機械的複製、技術的な知覚およびコミュニケーション――、大衆文化を特徴づける消費者という基盤の拡張との間の相互作用が含まれているのである。

 したがって、ヴィジュアル・スタディーズは学際的な交差以上のものになるべきなのである。美学と社会的・政治的分析の諸方法の分離、高級文化と大衆文化、メディア間の境界線についての諸前提は、ここ二世紀の間に私たちが見いだすことのできる広範な視覚的呼びかけの技術やモードの諸方法によって、はげしい非難をうけている。私は、見いだされる一連の統一されたエピステーメが広範なメディアやコンテクストの基礎にあると主張してはいないが、私がまさに考えているのは、ヴィジュアル・スタディーズが私たちに以前は曖昧で無視されていた諸関係を跡付けることを可能にしてくれるということである。例えば、広告、初期映画、書物の挿絵、写真の手彩色、消費者用の包装、ファッション、照明のスタイルやテクノロジー、そしてまた建築、デザイン、絵画という伝統的芸術による広範な消費文化の一部になっていた世紀転換期頃の色彩の使用を跡付けることは、そうした時期における様々な目的のための感性的経験の整序をかなり明らかにしてくれるだろう。

 最後に、私が不安に思っているのは、ヴィジュアル・スタディーズが引き起こすかもしれない最大の制約は、諸感覚の分割を物象化してしまうことである。もちろん、近代という時代は視覚的なもののヘゲモニーの下にあるという主張はしばしばなされているが、このことが歴史的に討究されることはめったにないと感じている。近代という時期の末には、テクノロジーによる録音や音の増幅が経験を変容させるうえで計り知れない役割を果たしただけでなく、しばしば視覚的な経験に先んじ、その雛形をつくっているのである(例えば、エディスンによるモーション・ピクチュアのための最初の記載には、彼が自身の以前の発明品である蓄音機が耳に対して行うことを目に対して行うであろう発明品に携わっているということが告げられている)。もしヴィジュアル・スタディーズによる刷新が人為的な学問的障壁の解体の可能性に由来しているのであれば、新たな障壁を築くことに対しては警戒をしなければならない。経験の変容についての広範な文化的、歴史的記述にもとづいた領野であれば、――学問的な諸機関の人員や名称のたんなる組み換えではなく――美学、政治学、理論についての議論を刷新することができるのである。


スーザン・バック=モース

 ヴィジュアル・カルチャーという言説の生産は、私たちには既知であった芸術の清算をともなっている。そうした言説の内部では、芸術が、独立した存在を保つことができるような方法は存在しないのである――実践としても、現象としても、経験としても、学問分野としても。その場合、美術館は芸術的対象を保存し、芸術という観念を保存するという二重の容器〔encasing〕になる必要があるだろう。美術史学科は人類学とともに引っ越してくるであろう。それでは「芸術家」はどうなるのだろうか? 最近息絶えた社会主義社会においては、芸術家は自分の名前と電話番号の後に自信に満ちて揚げられた自身の職業のいれられた名刺を印刷している。最近再構造化された資本主義社会では、芸術家は弁証法的な袋小路にとらわれてしまい、美術館、つまり芸術が存在するという幻影を維持させるまさに制度機関に批判を加えることで、反省的、批判的な実践としての芸術の自立性を救い出そうと試みている。社会的階級としての芸術家はスポンサーを必要とする――例えば国家、私的なパトロン、企業など――。彼らの生産物は、価値を操作し、画廊、美術館、私的コレクションによって媒介される画商-批評家システムをつうじて市場へ入っていくのである。未来の芸術家たちは、18世紀の秘密結社のメンバーのように、地下へ潜る事を選ぶかもしれない。彼らは秘教的に仕事を行うことを選択したのだが、他方で彼らはヴィジュアル・カルチャーの生産者として雇われているのである。

 芸術家たちの仕事は、美的経験の批判的契機を維持することである。批評という私たちの仕事は、それを認識することである。ヴィジュアル・スタディーズという新たな学際的領野のなかではこうしたことが上手く行われうるのか、あるいはそもそも行われうるのか? そうした領野の「エピステーメ」ないしは理論的枠組みはどのようなものになるのだろうか? 過去10年の間にコーネル大学で二度ほど、私はヴィジュアル・スタディーズの課程の創設に関して議論する会議を開いたことがある。どちらの場合も、制度かそれ自身がそのような枠組みを生み出すことはできないということは痛いほど明らかであり、――美術史家、人類学者、コンピュータ・デザイン、社会史家、映画、文学、建築の研究者のあいだでの――議論が、ひとつの課程に合同することはなかった。それにもかかわらず、ヴィジュアル・カルチャーはキャンパスに存在するようになっている。ヴィジュアル・カルチャーは、ようやく伝統的な学問分野やそこでの生活のなかに入り込み、宙づりされた孤立状態にある、つまり理論的な泡〔=妄想bubble〕の内部に保護されているのである。精神分析という泡が最も大きなものであるが、他の泡も存在する。共通した一連の選集読本、バルト、ベンヤミン、フーコー、ラカンといった聖典、そして長々とリストアップされた同時代の作者たちによるテクストというこれからの聖典を挙げることができるだろう。いくつかのテーマが基準になっている。たとえば、イメージの複製、スペクタクルの社会、他者のイメージ化、視覚体制、シミュラークル、フェティッシュ、(男性的)眼差し、機械の眼などである。今日「ヴィジュアル・スタディーズ」という語句で、コーネル大学図書館のキーワード検索では202の項目が呼び出される。メディア図書館、映画プログラム、美術館、演劇芸術センター、二つのスライドライブラリー、そして5つか6つの学科所有のヴィデオカセットプレイヤーも存在する。もし理論的な泡〔bubble〕がはじけるのなら、テクノロジー的複製というこうした上部構造のみが残ることになる。ヴィジュアル・カルチャーは、かつてはアカデミーにたいする余所者であったが、今では永住権を得て、ここにとどまることになったのである。

 20世紀初頭の無声映画は、イメージの普遍言語というユートピア的考えを、提起した。それは、政治的境界や民族的境界のうえを滑り動き、バベルの塔を立て直させることができるというのである。20世紀末のアクション映画やMTVはこの考えを世俗化され、道具かされた形で実現し、グローバル資本主義という次の段階のための主題を生み出している。このような点で、ヴィジュアル・カルチャーは、社会諸科学の関心事になっているのである。「心の中のイメージが意志を動機付ける」とベンヤミンは書き、シュルレアリスムの主張したイメージの政治的力をほのめかしていた。しかし彼の言葉は同様に、広告産業、製品のスポンサー探し、政治キャンペーンにとってのモットーを提供することもできるのである。他方で芸術家たちの表現の自由は、再現表象のヴァーチャリティを強調する形式的な根拠にもとづいて擁護されている。芸術のイメージは、行為の諸領野には何の効果も引き起こさない、と議論されているのである。

 社会的対象としてのイメージの分析が、イメージの「文化」を正当化するプログラムよりも差し迫ったかたちで必要とされている。私たちは、社会的生活の最も根本的な問題からイメージを象徴的、症候的に読むことができなければならない。このことはつまり、批判理論、それ自身視覚的であり、論じるよりも見せる〔show〕理論が必要とされているということである。そうした概念的布置は、それ自身の力によって、世界を照明するように説得し、以前はぼんやりとしか知覚されていなかったものを意識へともたらし、その結果、それを批判的反省に用いることができるようにするのである。私は「人類学的」モデルや「社会史的」モデルの記述がこうした理論的企図の対立的な両極であると理解してはいない。有益な解釈はどんなものであれ、両方を必要とするのである。

 


キース・モクシー


キャロル・アームストロング


 

 

 



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