外部記憶

091105

 4コマの授業が終わり、共同研究室に差し入れパンと柿と蜜柑が揃う。果物を食べられない院生Mくんが果物を器用に剥きながら皆に振舞いつつ押尾報道についてお母さんのように喋る。なんか変。こういうところ、写真家森山がゲストを迎えて家で終始キッチンにたってタバコすいつつお給仕しているような雰囲気がある。まめだがオトコクサイ、だがオフクロ的な男。それも面白いことは面白い。

 蜜柑をたべつつ残業をする。

 中平の日曜美術館での特集を授業で見せる。僕はヨコハマでの展覧会が彼の写真実践への入口であり、プロヴォークのときからではない。つまり、ヨコハマの原点回帰を見て、関心をもったひとのひとり。そういう人間からすると、ロマン主義的な回復の物語や喪失の物語を言い連ねる言説は、退屈だ。言葉とイメージの境界における方法としての記憶喪失、ととらえれば全然問題はない。そういうまとめかたも考えてみる。没入で語るのも少々べた。イメージの方程式が二次方程式になっているのだ。

091104

午前ゼミ。ようやく二人発表体制が整う。終わって卒業アルバム写真撮影。

ガイダンスをまかされて昼から4時半まで待ちぼうけ。
たまたまパリから戻った唄くんとか4回生とかこれから海外プランをねる鈴木くんの面談が次々とあり、時間をつぶす。

ガイダンスはこんなに繰り返しやってどうすんねんという感じ。3順目は明らかに学生のテンションが低い。ま、いつもどおり自分の現時点でやりたいことどうやるかをぎりぎりまで考えて結論を出すこと、という文句を繰り返し伝える。うちは4人ぐらいくればいい。

どうでもいいけど、某専修で開口一番、うちとの比較から入って悪態ついたところがあったそうな。
…だけど、喧嘩はしない。それは相手方に余裕がないしるし。精神的な金持ちはそもそも喧嘩しない。どうでもいいものの悪口は言わない。むしろフォローをしてたりもする。一言、貧しい。

091103

評価書類をまとめて教務関係書類をまとめて科研書類書き直しを送る。
来週にはプレゼンの授業もせいということなので、パソコンに入っているパワポをはじめて使い、スライドを作る。今の、猫のように動くものに反応する子たちにはこういうのがいいのだろう。パワポのプレゼンはいいものも悪いものも見たことがあるが、いまひとつ面白くない。裏技を探す。

中平関係も調べる。カメラ誌の記事は結構調べられているが、美術関係雑誌は案外誰も押さえていない。これはクラインからの迂回。「社会的風景」手前までやって、12月くらいに私写真論の私の位相の差異を考えて、なおかつウィノグランドらも考えられたらよいと思う。クライン/フランクと、フリードランダーらとでは違うように、中平らとコンポラのひとびととでは私の問題構成が異なり、それを考えないと、80年代以降も考えられない。もちろん、それを斜めに切る方法も考えないと。

もうひとつ非常勤が来たので思案中。集中なら可能か。

本当に時間がない。

091031

 土曜日だがホームカミングデイなる催しで神戸。基本的に卒業生が集まる会なんだが、うちは専修たちあげて八年。訪れるひとびとは定年を迎えたひとが多いので、ま、僕はサクラのようなもの。今、大学で評価の波が押し寄せていて、こういう催しもそうした項目のひとつになる。教員の数名は雑用に借り出され、執行部も休日返上で式典に参加せざるをえない。学生たちにもあれこれ手伝いを頼まざるをえない。もちろん卒業生は尊重するし、協力はしたいが、こうもあれこれあると本業が本当に電車の中の作業になってしまう。ひとまず無償で働いてくれた学生には感謝。お疲れさん。

 終わって書類を片付けていると、院生のひとりが研究室のプリンタのインクの購入申請方法を聞いてきた。こういう庶務用事はすべて私担当なんだなと苦笑した。その後、あれこれ話していると、学会などの手伝いにバイト代が出ないのはなぜ云々という話になって考え込んでしまう。シフトをずらして手伝いに来ているのにバイト代が出ないと生活が切り詰められるのだそうだ。・・・もっともな言い分だ。

 私より15歳以上うえの世代はこんな要求を耳にしたら烈火のごとく怒った。その理由も分かる。働いて当たり前が昔の通例。学生は見習い修行中。それぐらい当然だと。そもそも学会の多い土曜日と全体発表のある水曜日はバイトは入れない、それは当たり前だ。バイトではなく大学が優先だ。分かる。

 僕は先の学生の意見とも、上記の上の世代とも違う意見である。
 学会や研究会はいわば知的な現場であるはずで、そこに参加をすることはそうした知的形成の現場の部分に少なからず関与することであるはずだ。研究で食っているひとりひとりのひとたちの雰囲気や話し方、たたずまいを学ぶだけでも、ずいぶんと自分にとっては有益だったと感じている。考えることへの敬意や知への尊重が少しでもあれば、まずはバイトができないとかバイト代がとか言うことはなかった。せいぜいご飯をおごってもらったり、先生を紹介してもらったり、質問したり、そういうのでペイできていた。

 今の学生の経済状況が悪いのは分かっている。だが、プライドをもう少しもってほしい。僕はつまらない研究発表の時には今でも席を立つし、しょうもない研究者は今でもシカトする。だって研究してないんだから。そういうプライド。

 僕は、昔は奨学金なぞほとんど貰えなかったから無茶苦茶バイトして無茶苦茶勉強していた。でも学会は手伝いにいったと思う。そして土曜日とか全体のゼミの日はバイトは入れなかった。至極当然のことだった。それは自分が属するディスクール空間に早く慣れたいし、どの程度のものなのかを見積もりにいくためだった。

 こういうことをここであらためて書かざるをえないのが、うちの大変さ。こういうのもそれぞれが学部のときにきちんと叩き込まれていないのが原因。でもいい。全部説明し全部納得してもらいつつ、バイト代捻出のために僕が走りまわる。ただし、そもそもの事の筋道はきちんと理解したうえで万が一捻出できたときのバイト代を受け取ってほしい。

非常勤がひとつ院生にふられてきて、学振がひとり当たる。
少しずつだけど、前進しているようだ。そう思わないとやってられないのである。

091028

 朝までに原稿を書いて送付し、早起き。

 午前ゼミ。割り当てた発表者が毎回事情があるにせよ毎回一人欠け、残る一人の発表開始もかなり遅れる。院生も数が少ない。・・・ここまでしてやる意味ってあるのかは定かではないが、ちゃんとしよう。また、質問や受け答えは要領を得てコンパクトに。

 終わって雑用しつつ会議へ。案の定、異論が次々と出て延びることこのうえなし。いや、、、専修それぞれに議論を先に回しておいてくれれば、こんなにも停滞しないと思うのだが。会議中に校正原稿をだいたい終わらせる。

 それも終わってさらにもうひとつ院プロ会議。そして同時刻に開催されている極秘会議の最後に間に合う。大学をでて 帰京すると9時。

 往復で日高さんの本を読む。もう少しコンパクトにまとめてしまえたところはある。

091027

この間猛烈に忙しくダウン。週末の東京強行軍はもとより―まあ楽しかった―、京大への評価関係調査―のばしのばしにしていたがいよいよ行けと命じられた―、科研書類―どうしてもこれは書かざるをえない大学の現状―など、そのほかのあれこれの案件も含めて時間なし。

で、伊豆の写真美術館にもいってきた。場所は別荘なんかも立ち並ぶし、高級そうなお店もちらほらあるし、いかにも企業がお金を使って所有している場所だった。参加者の方々もなんだかこじゃれている。たしかに杉本さんのトルボットの写真は見ておくべきものだし、庭なども工夫が凝らされていて見所はある。ショップの本も面白いものがある。が、、、駅から美術館まで、黒服の銀行系のひとが接待していて、どこか右っぽい集会の様相を呈していた。なんだかな、難しいところだな。

 写真家の古谷誠一さんに紹介してもらい、オーストリア在住ということもあって四方山話、あるいはセクーラ話で盛り上がる。徹夜明けのハイテンションで言いっぱなし投げっぱなしの会話は、たしかに同業のひとたちは辟易するだろうが、部外者の僕は、たんに、スギモトについて、あぁ、こう言い放てる余地をもっているひともまだまだいるのだ、と安心した。もちろん、もっと緻密に言説で詰めていかねばなかろう。それは年始に書く。

 唐ゼミについてはもう表に少し書いたけれど、あちこちの劇団のひとが混ざり合って奇妙な融合を果たしていた感じ。もちろんこれまでも幹になってきた各役者さんたちは、相変わらずうまい。水野さんという役者が前半をきっちりと引っ張って、お瓢のシイノさんにむすびつき、そこからが見る見る加速するのがやはり圧巻。ただ、年齢が異なる、体系も大きく異なる俳優さんと混ざり合うともっとせめぎあいがあって面白い。 この劇団を知らない人は学生演劇?というが、全然学生演劇らしからぬ凄まじさで、これを見てしまうと、私って誰、何系とか単なるお祭り系のそこいらの学生「的」演劇が見れなくなってしまうのが難。

というわけで科研書類をひとまず書いたのでメモ。明日締切の原稿は、今夜書くことにする。それが終われば対談校正を今度こそ。

091023

京大。ま、今回もメンバーが固定途上なので進まんけどこんなもんでしょう。帰りは御所サーキットコース。45分歩くと諸々すっきりするところはある。

戻って校正をひとつ終わらしたと思ったら、同じ雑誌でもう一本急ごしらえの短い原稿を書いてくれとのこと。ま、書くけど、これはカシだよね。

もうひとつの対談の校正は手付かず。

明日は三島に行ってから浅草によって新宿で倒れる予定。新宿界隈の方々、連絡してみないと。

科研の調書も考えはじめる。これが週明けの締切。

で、送ったら評価関係の仕事、ほんで週末にはホームカミングでーというわけの分からないイベントがある。いやもうオープンキャンパスと統合したらどうよ、と思う。本当に時間と体力ばかりが奪われる。

091022

いつものように忙しさ引き続き。6時起きで一日中働くと、帰りにゆたかで軽く食べないと動けないほど。大将にまかないを馳走してもらいあれこれ話をする。

ゼミや講義はいつもどおり。それにしても朝にキャラの話をして、昼過ぎにフォトジャーナリズムの話をして、夕方にポストヒューマン話をしている散り方はなんだかなとも思う。僕のなかでは結びついてはいるのだが。授業はひとがまだ減らないので、まあなんとなくこんな感じでよいのだろうと思う。

マンガ論を久々に読み直しているので、この機に教養的一般的授業用に吉田戦車論を組み立ててみようと思う。映画論ももうひとネタ構築しておこう。写真論、映画論、マンガ論、その他メディア論というように交代してやれば、たぶん二年周期であれこれできるサイクルが整う。

091016

 先日の学会に来た学生が、なんとなく発表の雰囲気を体感してくれていたのは嬉しかった。
 わかんないけど、勘とか体感が学会で学ぶ大部分のことであるのは確かだから。

 今日は京大で演習。なんとか人数は揃った。今のテキストを読みつつ次のものを考え る。留学生も参加しているので、K藤さんのようにものすごく明瞭に喋っている。授業終了後、余裕があったので東一条から荒神口を経て、御所をショートサーキットするコースで帰ってみる。40分 かかるし、御所の砂利がひたすら邪魔なのではあるが、体のためにはこれがよい。

 帰って猛烈に事務仕事。大量に仕事をする。

 K号学会の準備を考えはじめる。呼ぶひとから始めるのがよいので、先日のインドカレー屋の話を組み立てる。やはりA瀬川さんを呼び、フリーソフトで裁判を切り抜けた人を呼び、画像認証をかいくぐってしまう事例に長けた人を呼び、「偽造」から「偽装」を抜けてその先を問うような枠組みを設ける案が面白いと思う。その対談相手は関西に依頼すれば、予算は安くて済むし、それだけのスタッフもいるはず。ひとまずチームK号学@神戸を作ろうと思う。個人で悩むより、若いひとたちがやりたいこと、突き抜けたいことを考え抜くための設定を考えたほうがずいぶんよい。そのほうが後の影響や効果は大きいと思う。 

と考えつつ次の仕事の文献と翻訳の校正をぐずぐず考えはじめる。忙しいよね。

091015

雑用あれこれ。それはかけない。

今月はもう一度東京に行かねばならなさそうだ。ま、かつての組合の日帰り出張と比べれば1000倍くらいは楽しいのであるが、土日をつぶされると致命的。・・・本音を言うと早いとこジムに入って毒素とストレスを滝のように流してしまいたいのだが、それも適わず。

 授業はいつもどおり。マンガ映画ゼミは案外、参加者の多くの3年生がしゃべってくれるし、独特の競り合い感があるので期待している。講義はまだなんともいえへんな状態。早く数が減ってくれればいい。講読は淡々と読む。まだ速度は遅い。夏季読書会は三倍の速さ。とにかく多く繰り返し読むこと。

 また、院試の結果も発表されてそれぞれとおった学生が挨拶に来る。それなりにそこそこできたので採ったまで。もちろん、半年でもちっと目鼻がつくだろうという投資なので頑張ってほしいし、あれこれの研究会にも積極的に参加してほしい。また、うまくいかなかったひとも、競り合って化けて欲しい。こういうのは基本、個人商店を開く許可証の発行みたいなもんです。仕入れと売り方と店構えを準備してみて、あとは本人次第。

 さて対談の原稿直しにかかる。あと3日くらい。
 それが終われば2本論文の準備。楽しくトリッキーなものにしたい。

091010-12

 この間学会。ようやく帰京。・・・いやいや、毎日飲んでは早起きという3日間は疲れました。

 うちの大学の発表者のひとたちもお疲れ様。
たぶんどちらもまあぼつぼつ難なく切り抜けられたようです。僕も含め、反省点はそれぞれありますが、ま、ひとまず終了。お疲れ様。これをやるかやらないかでは研究のうえで大きな差がある。

 本発表の学生はアピールはできたのでそれは合格。総じて最後の議論の詰め方を再考するといい。また、声が床に落ちると先々の可能性の確率が減ってしまうので、それも再考するとよい。若手発表の学生は、コンテンポラリーを大胆にひねる最後の結論がもう少し必要。つまり、コンポラ的なものを憑依させてこれまでの磁場を書き換えるような部分。資料的説明は要領よくやれば質疑応答で話してしまえるのだから。でもまあ合格かな。ふたりともお疲れ様。またお疲れ会をしましょう。

 僕のところは、たぶんくるくると3つの車輪がそれぞれに回っている奇異な印象もうけたかもしれない。ま、かみあわないからかみあわせようとするのがシンポであり、短時間で問題を共有し、お互いの問題を発展させるというのは、なかなか難しい。そもそもシンポは水物だし、用意しすぎてはダメだし、その場でのしゃべりの技をつくしたうえで新たな着地点がでてくることも必要。ただ、それはなかなか修錬がいる。・・・という当たり前のことを反省。 でもよい機会になったことはたしか。

 アリバイのように時間ぎりぎりまで発表してずるずるいくようなシンポはもうふたつ上の世代に任せればいいのだし。僕はあれは嫌い。

 で、三日目の昼には、もうすでに次の年に決まっているあれこれの学会や講演会に向けて若手の研究者などとインドカレーを食べつつ相談。この仕事も、面白くなっていけば嬉しいかもしれない。

ということで終了。。。明日から雑用再開。ちとつらい。

ま、ひとつ言えば、雑多な学会の場の空気や流れを呼んで夜にきちんとアピールできるような院生がもっといないといけない。それが不安であり不満。

091007

朝からゼミ。同僚が風邪なのでてきぱきさばく。その後は鬼のような、折しも窓の外の嵐のような会議が5時間みっちり。そしてもうひとつ会議もあって結局9時前に帰京。

 嵐のひとつ。留学生を増やしてってことで、どこの大学もしゃかりきになっている。英米圏の質のいい学生をどれだけ誘致できるのかで上層部も動く。いやまあ分かるけど、無理はある。偏った負担は明らかに増大するだろうし、その予算は不十分だし、そもそもそれでいったい何になるのかは些か疑問。そういう話で延々ともめたわけ。留学って、きちんと余裕のある資本や商品があって、つまりうりにだせるものが確保されてはじめて成り立つ。それが成り立たないままなし崩しにいけば、たぶん何もかもなし崩しに崩れていくのは間違いない。そういうなし崩しに斜めから別のものを作ってしまえるように、何か動かないとならないなと思う。僕としては海外のオタク研究志望者が来るときのために、そういう準備をするしかない。ま、いいけど。

 嵐の要因の他ふたつはもういい。ひとつはどう見ても不毛な議論であり、ある程度の大人が恥じること慎むことを知っていれば結論は目に見えていること。

 合間にリメディエーションの批判を読み終える。ハンセンにしても、キットラーにしても、イコノミーというなし崩しの資本にまみれたイコンへの備給をあまりにも軽視している。それは身体の欠如か否かの問題ではないということ。

 原稿は15枚ほど書く。残りはあと二日で。
ま、僕は山本小鉄的役割というか、女子プロのレフリーみたいな感じになろうか。若い人ふたりが戦うことが盛り上がりの核になるだろう。ちゃんと戦わないと小鉄みたいに参加してしまう役割。

 

091003

ようやく懸案の今回読まねばならない本3冊を読みにかかる。
来週末のシンポの準備。聞くと裏というか表はおしもおされぬメンバーが多く、また別の場所では別学会でYさんも絡んでメディアのシンポをやっているという。…これは、以前は紅白裏番組を狙っていたが、こうなるとTV東京的な構成でいくしかないのかもしれない。

ということでメモを膨らませ始める。まだ〇枚。

091002

京大初日。毎度のこと人数は少ないが、少ないなりに機動力を生かしてもいいかもしれないなと思いながらイントロをする。しかし、基礎知識をあんまりしらんな。。。

今日まで授業。明日からぼつぼつ話を組み立てていく。

091001

授業。3日連続で朝いちはさすがにこたえる。

それはさておき、木曜は4コマあるのでてきぱき交通整理。午前は作品分析の実習だが、ともかく映画研究の基礎とその分析ツール、マンガ研究の同様のツールとその来歴を習得してもらうことにした。午後の講義はこれまで書いた写真論+アルファで構成する。どうしても美術史的関心が高い受講者が多いのでそれを崩しながら進めることにする。モダニズム的議論を再検討してもよい。講読はマーク・ハンセンから始めることにした。マノヴィッチに逸れてもいいし、あとは受講者とメディアアート的文章を探しつつ進める予定。

ま、学期はじめの妙なにぎやかさが落ち着いてから二回目の授業になろう。

090930

今日も朝から神戸で仕事。朝8時に出て夜10時に戻る。労働時間はぎっちり9時間。
というわけで総勢9名になんだかんだコメントした一日なのであった。

昼までの面接仕事は喜怒哀楽いろいろあった。無事終わる。

これとは関係ない話だけれども・・・とあえて断っておくが、断っておかざるをえないが、
大学院の試験はお年頃の人生岐路に立つ若者の数年を預かる仕事である。
だからたんに好き嫌いでコメントはしない。それでも漫然と当人を見ているとその3年後が見えてきたり、化けそうな予感が見えたり、ダメになりそうな予感が見えたり、そもそもまったくダメだったり、そういうのを今本人が分かっていないのにこちらは慌てて、今言ってもしかたがないと思いながら、全部言う。だからしばしば試験を受けた子は呆然としている。そらそうだろう。良いことかは分からない。

他の大学からの希望者もちらほら。…毎度思うのは、そういう子たちが学部の時に本気で何も親身に意見を教員に言ってもらっていないこと。どことは言わないが、そういうところの先生は、失礼ながら、教えてはいないことになるのだから、教員じゃなく員だと思う。

その後、昼間に授業準備をしてから博士課程の発表会2つと学会プレ発表コメントを経て、会議。また例の検案が加わって1時間半会議がのびのびになり、明日も朝いちなので「もう無理、ごめんなさい」と帰る。本末が転倒されている議論の流れが元にもどったのは見届けたのでいいでしょう。

原稿は〇行。書く暇ないって。明日も朝いち。

090929

朝から待機業務で大学。後期は朝早くからの出勤が重なるので、ま、その練習がてら。
何の待機かは当然書けない業務。

夕方、その業務の残りを片付ける合間に読書会。デジタル・アートのさまざまな画像をI君経由であれこれと蓄積していくことになった。これは系統立てて、本格的にアーカイヴ化していきたい。

実は、私はメディアアート論という授業も持っているので。これはゆっくり進めていて案外愉しい作業。

今週半ばから授業が始まるのでそのことも漠然と考える。

木曜午前の実習は初回は10時半すぎからガイダンスをすることにした。受講希望者の志向と質次第でやる内容は決めよう。
木曜午後の講義は、いちおう写真学概論的なものなので、前期の非常勤先のものをもう少し固めて深化させていく。これは毎年繰り返すことにした。8年目でもうこれは許されるだろう。新ネタは時々にする。
同じく木曜午後の演習はひとまずハンセンの夏季読書会(2)のテクストをきりのいいところまで読むことにした。論理はいたって単純で文句がないわけではないが、メディアアート作品が典型的に議論されているので、案外学生には読みうるテクストかもしれない。

金曜の非常勤はひとまずメンバーを見て、世間話をしてから内容を考えようと思う。当座は何か面白そうなテクストを読ませてみて、反応を見て、時間の余裕を考慮に入れつつ方針を決めていく。

ということを合間に考える。
 

 

090927

ジェイムソンのヴィデオ論も読みはじめる。そろそろ話を組み立てないとならない時期。

090925

別雑誌のゲラもとどく。

読書会を夕方から、いつものようにハンセンをざっと読む。

10月上旬までに訳出したりまとめたりすべき論文、読み通す書物をあげつらう。10本程度か。

テレビをようやく見ることができるようになってきた。
マヤミキのぬいぐるみ化が進んでいる。
キムタクも同様の症状が進行している。でも上記の例と比較すると、キムタク勝っている感ていうのはなんなのか。なんか変。

シンスケはEXテレビ以来の遺産はもうそろそろ使い果たしそうな気がする。

090924

この間、名古屋行ったり高の原行ったりとあれこれ忙しい。ケントリッジ展も見に行く。河本さんが資料集成のようなカタログを出してはるのがありがたい。…にしてもDVD販売があればよかったのだが。

雑誌の対談のゲラも届く。案外面白くまとめてもらっていて感謝。これは10月半ばに返送予定。11月には出版されるのか。

090919

読書会。後、飲みに行く。肩こりと喉の調子が思わしくない。一晩寝てまあぼつぼつ治る。体調は完全に整えてしまおう。こういうのも、仕事のうち。

で、またあるプロジェクトに入れというので業績を送る。その中心にいるひとには本当に頭が下がる。私みたいな不精な締切ブレーカーのことも静かに待っていてくれるのである。

090918

酒井会見を見る。
「はかりしれない」という言いよどんだ語。たぶんそこでもう何か分かって見る気はなくなった。
それにしてもなんかマスメディアの波の向きが右往左往していて変。ま、あれだけ集まることはなかろうし、無視したらよかろうに。そもそも、芸能界の不祥事を報道する立ち居地が構造的に壊れているということ。

090917

会議会議雑用の後、歓送会。
文学部のリチャードギアことN先生や、日本史の良心I先生、その他多くの先生と事務のひとたちとで、事務の姉御Mさんのこの6年を労うべく飲む。文学部の事務の実質的元締めってどこかヤンキー色が入っていて面白い。これに対して男性事務ってまずカラーが違う。

僕は組織嫌いとよく言われるし、実際そうだが、こういう個別の集まりはOK。

ユウシュウ館の話題で少しだけ盛り上がる。うんまあ分かるけど。

090914

雑用しつつ論文を読む。テレビ、ヴィデオ、身体関連の文献をざざっとこなしていく。

学期開始前なので、体力回復の自主トレを始める。…というと聞こえはいいが、なんのことはない、研究ばかりして肥満気味になるので散歩を1時間するのである。

それにしても、ようつべの吉幾三シリーズは多い。ポニョ版から、パフューム版地上の星版、ウタダ版まで。ある意味で面白いのだが、リミックスやカットアップのなれのはてである。もちろんネットと新体性の問題としてうけだすべき部分はある。

090913

大阪へ。美術館で雑誌最新号を見かける
あ、、あのひとも書いている。それはこの時期まずいだろうに。

まだ読む気にはならないが、ヤンキー文化論以降、その二番三番煎じが出てくれば、当初の理論的先鋭さは保つのは難しいのかもしれない。だって、落ち着く先は閉じた消費の肯定か、偏った生き方の肯定しかないから。ま、本屋で読んでみよう。

090910

夜半今年4本目の論文を送付。あと2本書けば今年も年末。毎年10本が限界かも。

その前に、かねてより気になっていたニューメディア関連の文献を山積みにして、一月のあいだ消化していく。その手始めにハンセンの読書会を始める。

夜、昨日お誘いもあったので佐藤邸でご飯。
CMの自己検閲の話が面白かった。小さい免疫化の反復。

090909

セクハラコウエンを聞いてから会議5時間。
先日も書いたように、議題の時間のかかるものはほぼあるひとがらみなのに、当のひとはいない。皆、普通は責任を持って対処できるひとたちである、そのひとたちだけだったら必要のない議題。それが長引く。奥歯にいろんなものが詰まってしまうから、そして詰まったことを忘れて話が逸れてしまう能天気なひとがいるから。

7時前に会議は終わり事務仕事をして、いつものゆたかで晩飯と晩酌。学生と合流してそこそこ飲む。

11月から12月にかけていくつか研究会をうちで開催するのでその件も話し合う。神戸は外に開いていても仲間うちになってしまう。京都や東京や大阪は内に閉じようとして閉じてもそれで再生産されるが、うちはあえて自身が驚くほど開いてみて、こういうところに張り合うだけのアピールができる。

そういうことを考えつつ、人選を考えてくれれば文句はない。

090908

論文は寝かせておいて次の仕事に着手。ヴィデオ・カルチャーという古典的論集の冒頭を読み、ハンセン本の序文、序章をざっと読む。

090906

一通り書き終える。図版のページを1ページ分とるらしいので、20枚というところ。せっかくベルティングの写真論も読んだので、これと対比する部分が新しいといえば新しいところか。読みやすくし、註も5つ以内に収めよう。ともあれ明日仕上げ。

念のためもう一本だけ論文を読んでおく。

090905

 昨日は会議を4時間弱ほど。いつもここに書くのだけれど、案件の多くが、とあるひとが原因で皆が時間拘束されているのに、そのあるひとのところは会議には出てこない。うんざりである。

新しいモバイルが来て、パソコン周りを整える。日常に必要なものも、少しずつ買い揃える。

で、論文を8割がたまで書く。ま、前回の簡易版というぐらいでおいておこう。

そうこうするうち夜半に、留学希望の院生のメールがきて、しばらく考えて返事をする。
まあ、難しい。

 あれこれ考えつつ、原稿を書き、増えすぎた原稿を削る作業に入る。あと3日で脱稿する予定。

090902

引っ越しして、ごみ分別が細かくなり、結果、週2回の収集が、4回になる。これは辛い。
それにしても齢42にして商品包装がここまで分割可能なことに驚く。とくにプラ印には過敏になった。この印を見ると、とっさにはがす衝動にとらわれる。

引き続き論文執筆。ま、前回のもののバージョンを変えた読みやすいかたちのものでいこう。

090901

区役所と銀行めぐってコーナンにいき買いそびれた細かなものを買い足しなどで一日が終わる。
近所には西へ行けばフレスコからユニクロ、足をのばせばコーナンまである。東へ行けば御所をはさんで散歩にうってつけの道がたくさんある。喫茶室にはホテルがたくさんある。たぶん住環境は最適だろう。

机周りも片付いてきたので次の論文のプランを練る。締切はとっくにすぎているのだが。

選挙については、特に何も言うべきことはなし。あの、細川政権を覚えていたらなんら驚くことはない。とりあえず誰も彼も落ち着いてほしい。

あと、やぎの目のコメントにあった、中川ショウイチは今こそワインを飲んで会見したらいいのに には笑った。原因と結果が直結だ。ただし、もう選挙には比例区でしか通らないだろうが。

090829

 今日は研究会。一時から六時まで延々と発表を聞く。感想などを書くのは、最近、気を遣う。秋吉君の発表は作品に戻ってきてもうちょい展開してほしかったですね。ま、ぼつぼつ面白かった。

 いつものように、はじめて会ったり二度目に会ったりする研究者のひとたちもいて、飲みつつ楽しむ。とはいえ、3日連続だとさすがに内臓がパンパンに腫れている感覚があるのでお暇する。それ以上に、最近はあまり若い学生さんが飲んでいる様子を見ると、おじさんには、そもそもの若者の蒼さにむずがゆくなって逃げてしまうのである。ま、そういう年代なのである。

090828

引越しの片付けを早朝にやっておっつけ読書会にいく3日間。
引越しをして変わったのは、空間が広い分、書斎とそれ以外のめりはりが出て集中できる環境になった点、ごみの分別がすこぶる気になってきた点、書斎以外では吸わないのでタバコの本数が減った点などだろう。もちろん締切を破っている原稿を書きはじめたらどうなるかは分からない。
 また42型のテレビの導入も、かえってこれまでのようにTVをみなくなりそうな気配である。あまりに鮮明で細部が気になってかえって疲れてしまうのである。

そんなわけで、読書会終了。

皆で雁首揃えて同じテクストを3日間100ページ読むことに何の意味があるのかといえば、やはり意味はある。読み考える耐久力が必要だし、長い時間で筋をとりつつそこからいろいろな着想を取り出してくるような、実は研究に必要なものが多い。

ま、僕には読み直したり、この期に新たに読んで面白かったりしたテクストもあった。これは後期にどこかで展開していくつもり。フリードの言説はたぶん誰かがあれこれもちいだすので、それを批判するためにも読んでいく。ま、優れた研究者なのだが、批判の対象の準拠枠になるという意味で優れているのである。

090826

 引越しをようやく終える。 この間、僕の引越しプロジェクトには15人弱のひとびとが関わった。ひとり4つのアポイントであってさえも、合計50ー60のアポイントをこの2ヵ月半でこなしたことになる。ハリウッド映画のエンディングみたいである。とはいえ本当に仕事をこなせないひとが多いことにも驚いた。僕が目を三角にして滔々と起こった回数は数限りない。リフォーム屋に家具屋に電器屋に不動産屋に保険屋に接続業者。。。あ、全業種なのかもしれない。

後もう少しですべてコンプリートの予定。

 で、夏季読書会に突入。毎年、なぜかこれにつきあってしまうが、たとえ訳分からなくとも最後までレジメを切ってウニのようになりながら、フリーズしながら、論文一本あたり数時間で報告し終えるような、そういう担当者の悩み続ける3日間があってもいい。一年目には泊り込みだったが、深夜までの読み合わせの疲労ゆえにお風呂で溺れかねない学生が出てきて、翌年からは今のスタイルになったのであった。

090822

採点を懇々とほぼ終え、点数をつける。

最近、高校までの何かの教科書に出ている写真らしいが、はげたかと少女の写真をしたり顔で解説するレポートがよくある。 いや倫理的問題と映像の問題をしっかりと議論すればいいのではあるが。

とはいえ、高校までの経験をそいでいくところに大学生活の面白さはあるのに、、、と毎度困惑する。また、ベンヤミン解説書の引き写しのレポートも多い。以前は自由な課題レポートというのは面白かったのだが、最近は見るべきものが少なくなってきている。やり方をそろそろ変えるべきかもしれない。

さて、次の論文に少しでも手をつける。まずは物質性論のいくつかを読んでみる。

同時に夏季読書会のテクストもめくりはじめる。

090821

クスリについて分かったような分からないような報道が続いている。汚染感染に関する限りない閉ざされの言説が当然のように反復されていく。事件は事件だけれど、素材とその連鎖のさせ方があまりにも自閉的である。

 で、京大で対談をしてくる。事前打ち合わせがほぼなかったので、途中どうやったらまとまるのだろうかと難儀したけれど、いくつか素材は出た。あとは編集のひとがまとめてくれるだろう。

 僕の、イメージの人類学への不満は、結局、イコノロジーのロゴス以外の部分で情動や感情を誘発する要素を読み出す際に、そのイコノミーが単一すぎるということ、そしてその歴史のアナクロニズムの用法の微妙さにあるということ。またヴァナキュラーという用語自体の曖昧さを、それは曖昧でいいから、アメリカ的な身も蓋もない非歴史的な雑多さとヨーロッパ的な自生的雑多さとをテクノロジーを介して、アナクロニックにつなぎつつ、歴史化も忘れないような方法を練ること、そういうことがよく分かった。
終わって二件はしごで飲む。さすがに3日連続で飲むと、心なしか肝臓にはりが感じられるので困る。

090819

新居に家具の受け取りに走り、学生の推薦状を送り、大学に本四箱を郵送し、夕方よりベルティング読書会を7時まで。間メディア性のところまでいちおう読み終える。こういう機会でもないと決して読まなかったのかもしれないが、ポストメディア論に対置することのできるような、議論であった。同著者の『イメージと礼拝』とか、独芸術学関係のひとたちってなんで早く訳してしまわないのだろうと不思議に思う。

さて、今夜中に対談用メモをざっと書いてしまう。

090818

対談や論文のために資料を積み上げながら、その傍らでかつての資料を整理しては捨てる。なんかものすごい自己言及的な行為のように見える。

ベルティングも序章にあたる第二章をだいたい訳してしまう。写真についての考察やデジタル・イメージの考察のいくつかはこれでだいたい手は分かった。ただ、その歴史的切断軸があるといえばある、ないといえばないところがいつも少々不満に思ってしまう部分。

090817

大型ごみ7点を出し、ゴミ袋4袋を出し、はてる。

電気ガス水道インターネットNHKドコモへ次々と電話し、変更をする。

ついでに学会の要旨も出す。絵に描いた餅。残る二人の発表者は真面目な報告をしてくれそうなので、僕は茶化す役割になるのだろう。
 

090814

半日かけて紙類書類コピー論文の整理。
ここ7年間実にいろいろあったものだと思いつつも、潔くすべてを捨てていく。
採点も一年生の分は終わらせてしまう。

さて発表要旨だ。

090813

パソコンがこのタイミングで壊れる。。。ま、盆明け に何とかする。

整理したメーラーがふっとんだのと、HPのいくつかの情報変更が失われたのが損害。ま、そのしばらく前にふっとんだPCを補強しておいたので、作業中のものは大体残った。 二台併用でそのうちハードディスク一枚のほうにはたいしたものを入れないというのがよかった。
 

090812

延々と引越しの準備。エアコン3台を取り付ける電器屋さんの横でクラウスを読み、合間に採点。朝方にはゴミをごっそり捨てる。引っ越すとは身についてこれる分量まで荷物を減らすことにある。マンガは大学行き以外は全部捨てた。それはいつでも買えるから。終わって奈良へ行き、久方ぶりに両親と飯を食らう。

さて、ようやくクラウスのメディア論再開。要旨を今週中に出さないととにかく何も動かない。

090810

 オープンキャンパス。学生にも手伝ってもらい3ラウンドこなす。

 予約制にしているのに参加希望が千名弱に達し、そのため会場のキャパを優に超えるので2会場にして3回回転させて――全体説明に加えて各専修訪問もある――ようやくおさまるのである。

 大会場のほうでは立ち見やむをえない状態になるほどだったと聞く。高校一年生も参加していたとも聞く。。。こういうのも大学業務のひとつ。お疲れ様でした。もちろん、猫も杓子も学生をあの手この手で募集しているこのご時世、この参加数は贅沢な話ではある。

・・・自分の高校時分を思い起こすと、こうした企画ってどこまでどうなのか分からないのが正直な意見。考古学から歴史学に関心を移し、大学にはいった後は哲学から言語学へ、さらに社会学から芸術学へと次々と関心を移したので、こういう企画は僕にはあんまり意味はなかったと思う。もちろん大学という空間に来てみることは意味があろうし、そもそも学生の理想の抱き方がいまは違うのだろう。また、父兄が大学についてくるのもご時世である。大学なんて親から解放されるための解放区なのに、連れてきてどうするとは思う、でもご時世は違うのだろう。

 でも最近は、年もトッテキタせいか、若い子に話をしていて、漠然とした得体の知れないおっさんの妄言を目を丸くして聞いている若い子を見るのは、苦痛ではなくなった。世にはこういう速度も回転も方向も違うひともたくさんいることを示せばいい。

090809

 リフォームにクレームを入れてやりなおしをしてもらう。
 カーテンの採寸もしてもらう。こういう細かな仕事がなんだか忙しい。

 終わってベルティング読書会二回目。写真に関する議論をひとしきり読む。間メディアに照準している部分は面白い。ただ、普遍的なイメージ概念がいまひとつ詳細に議論されないのが不満。とはいえ本邦ではほとんど読まれていない議論なので情報として価値はある。

 終わって東京の出版社のひととバッチェン組と神戸の連中で飲む。
 仕事の依頼がもうひとつ来て、これで年内はあと3本は最低書かねばならなくなった。ま、8月の引越しが済めば何とかなるだろう。

 飲んでいる最中に学生への執筆や非常勤依頼がわいてきたので、なるべく院生に振る方向でお願いする。本当にこういうのはひとつひとつの機会がいつあるか分からない。これまでの仕事の何が評価され評価されないかも難しい。ともかく早めに原稿をしあげ、小気味よい発表という運に賭けるための賭け金をなるべく積んどくことなのだろう。

090805

電器屋で一日値切り倒す。不動産屋の知り合いに値切りの極意を聞いていたのでその通りに次々と値切り、結果17万円ほど割引してもらい、おまけもいくつかもらう。この方法は、いたって簡単。予想される金額の最安値の総計を札束でもっていき、それ以上出せないといいつつも切符よく話してとんとんと買う。これに自家用車で持ち帰るからという理由が加われば、さらに3万ぐらいは下がる。そういう極意。輩〔やから〕である。

某雑誌の編集を引き受けてくれとの打診が来る。今現在、10月中旬までは身動きができないのだが、これは続けるべき雑誌なので思案中。

 

090803

 古本と大型ごみを次々と出す作業を半日。10台もの電化製品を山のようにマンション前に積み上げ汗ダルマになる。

 昼間、ベルティング読書会をこなす。概念規定のはっきりしない文章なので、こういう小読書会は助かる。次回は写真の部分を読む。これは今月中旬の仕事用。

 深夜、査読を片付け、どっと疲れる。その中身については書けないし言えないのだが、結構同じ時期にどどっと各学会からやって来る。今回は都合8本くらい読んだのであった。

 さて、次はメディア関連を一本読み、そろそろ絵に書いた餅のような要旨を考えはじめる。

090802

 ここ二週間、研究らしい研究もできなかったのでようやく再開。
 先日は大学の映画上映会に行ってあまりにもそれだけでは虚しいのでゆたかで飯を食い、帰りには国際の学部の知り合いの人たちに会う。同じ年代のひとたちで話が分かるひともいるので、個人的な連携はいくつもできることを確認し、でもそういうことを表立って言い出すと、ますます忙しくなることも確認する。一日が36時間あれば、たぶんできることなのだろうが。

 読み合わせも順調にこなす。毎回Sくんの自宅でへとへとに疲れて美味いものを食べているのだが、彼のお子さんと猫の娘さんがまとわりついてきて、結果的にあたかも小鳥が肩にとまる心優しいフランケン的体裁になるのが、どうにも不本意である。

 夏の小読書会も始める。毎回一本ずつ読んでしまう。これを十回ぐらいやれば、後期もまた何か面白いことができるだろう。

 論文は今月半ば締め切り一本。査読ABCが上旬。シンポ要旨も上旬。翻訳は月末にががっととりかかる。同時に夏季集中読書会も26,27,28日。今年は写真論にした。

090728

 たまには書いておかないと思い、ここも書く。

 

 表に書いたように3回生の発表を延々と聞く。ま、ぼつぼつのものも一、二本はあったとフォローしたうえで書くと。。。自分がマンヲジシテ発表するものを他人に聞かせることで齟齬が生まれ議論も生まれる。この程度だろうという思いなしに基づく自己弁護的な発表では議論も討論も何も生じない。ここ数年こんな感じだけれど、これはやはりある時の上回生から受け継がれてしまったものだ。院生は、もう少し青筋立てて怒っていい。

 いかにも体裁を整え自己弁護して話の核がまったくない何も考えていない発表よりも、けっして体裁がよくなくともぶっきらぼうでも核たる事柄にこだわって考え抜いた不器用な発表のほうがいいにきまっている。 

090719

読み合わせの日。あと半分ほどで註の大体は終わる予定。
問題部分もあるが、それ以外は早めに片付けてしまおうということ。

で、その後、牡蠣と馬刺しを食し、深夜までうだうだ話をする。こういう食材を注文するにはオイシックスというネゴシックスみたいなところが重宝なそうだ。

学生の職探しは本当に悩みの種。学生がこう動けば、こうやればという正解はないし、おまけに僕にはコネもない。ま、コンスタントに見た目にも勢いのあり、スマッシュヒットな文章を学生が書くということと、僕が仕事をなるべく断らずに、次々と目に見えた仕事をこなしていくしかないのだろう、といつもの結論に達する。だから忙しいのである。

090718

昼京都で補講。4日連続で授業をするとさすがに擦り切れる。
来年はここはもうひとこま別枠があるのでもう少しゆっくり図書館を利用したりもできそうである。ただ、非常勤はそれで限界なので、どれかを減らすなりしないともはや無理。

090717

水曜はゼミ発表を5つさばく。深瀬昌久、オペラ、エヴァ・ヘッセ、ジェイムソン、ヴァレリィの研究。そこそこ粒の揃った発表会だった。ただ、賭け金が分からない発表が多いことも確か。

木曜は衣笠。総じてここの生徒はよいこもいるのだが、自動的に午後いちで眠る子も多々いてそれは最後まで変わらなかった。

金曜は神戸。コング話をしてしめる。ターザン論とかテディ論とかも分岐していかせそうだったが、それはしまらないのでやめておく。終わって京都に戻ってこのあいだ知り合ったイタリアの研究者の講演を聞く。同世代の各国の研究者って、地道に知り合い、その研究内容を交換しながらつながりを保持していくしかない。発表内容自体はそこそこ面白かった。もちろん、大半の聴講者はチンプンカンプンだったかもしれないけれど。

090714

この間、ローンや共済関係でテンテコマイ。今日はようやくローン契約を交わし、2050年ローンの旅の船出を確認し、リフォーム会社二社に見積もりを来てもらい、ひたすら急かして競合させてみる。また一段階要件が完了したのではあるが、祇園祭の只中を動き回るのに疲れる。

査読仕事がごろごろと舞い込んでくる。集中しすぎだよね。

090711

仕事再開。

090710

講義演習講読。前期は結局講義も演習もそれほど進まなかった。原因はこのあれこれの忙しさ。とはいえ補講もいくらかする。

終わって関学のI君も含めて飲み。終電まで痛飲する。

で、来年度もうひとつ非常勤の打診がある。条件調整しだいだけれど、院生にもこういう仕事を開いていくためにたぶん受けざるをえないだろう。

090708

会議2つとオープンキャンパス挟んで学生の発表4本。質はまちまちだったが、総じて先週末の高速なやりとりと比べると、やはりチルディッシュだし、何より間延びしているし、声が張れてない学生も多い。これは改良すべき。

090705

 神々シンポも終わり、リラックスして各パネルに参加。

  うちの研究室の参加者、そして司会兼コメンテイターの方もお疲れ様。大火事にも大洪水にもならず、質問をもらうべきひとたちから質問をもらえたので、ひとまず及第点だと思いますし、面倒を看てもらった佐藤くんにも感謝。

 それぞれの論については、またいずれ意見を言うとして、発表の身振りや喋り方や受け応えは、まだまだ改良の余地はある。いつもの研究室でのゼミや研究会でのやりとりから鍛えないとならないし、原稿の書き上げのタイミングをもう少し早くして冷まして考える癖もつけないとならない。こういうことだけで主張が三割り増しの強さをもつ。これはもうあまり言わないつもりなのでよろしく。鍛錬ができるのも若いうち。

090704

 今日はシンポのパネリスト。たぶん振られたであろう役割を想定してこなす。大方の後の感想に反して、実は、緊張してないかに見えて身体が妙に緊張しているので、水をコップに注ぎつつ緊張を測定しながらそのつどインスタントに準備してそのつど喋る。傍目にはしゃあしゃあとして映ったかもしれないけど、僕が水を注いでいるのは自己測定の身振り。

 諸々、収穫は大きかった。神々の打ち合わせやアドリブぶりのすごさ。準備は無しでそれでもつ。そういうのを目の前で見るとスキルは何となくつく。参考になったこととして、いくつかのアプリケーションの走らせ方をもう少し過剰にしてみようかな、と思う。

 ま、いずれいろいろ書くけれど、勉強になった。たぶん誘ってくれたOさんに感謝。また、見に来てくれたひとたち、挨拶できなかったけどありがとうございます。

 明日はうちの学生の番。がちがちなようだけれど何とか切り抜けてほしい。というかそれだけのネタあれば基本大丈夫なのである。

090701

 大学。アポイント4つこなし、それ以外の用事をケータイでさばきつつ――なにせ銀行、不動産屋、リフォーム、保険会社と次々と電話がかかってくる――、学生の発表を5本聞く。総時間5時間半。果てる。

 うち、日曜の予行演習3本は8合目というところか。相互に触れ合いつつずれるポイントがあるので、そこを生かしつつ、それぞれのメインの力点の置き所をざっと喋る。ま、素材はあるので何とかなるでしょう。

 あまりに忙しいし、僕も土曜日のエンジンをかけているので、自然とこちらからマシンガントークになる。なるべくたくさんこちらに打ってきてもらうとこちらもその分打ち返せるので効率がよい。

 それにしても今日は出席者が少なかった。今日のラインナップを学部生はとくに見ておけば役立つのに。。。とひとり思う。

090628

バッチェン翻訳の本文完成バージョンを送付。ま、監訳者的立場なので一歩だけ進めておく。これ以後は一週間、シンポ関係の準備をする。。。とはいっても3つのキーワードしかきていない…。どうしろっちゅうねん、と思いつつも、エンジンをかける。それが終われば10月のシンポのレジメを書く。

090627

 この間ふたたび忙殺。
来期のシラバスを出す。8年ここに来て初の写真論のみの講義を立てる。ま、今期にやったものをバージョンをあげ、追加固有名をいれていけば何とか立つだろう。ジャンルやメディアに閉じるつもりはさらさらないが、学生を見ていると一度そういう絞ったものもやっておく必要がある。

懸案の住居契約も交わす。目の前で札束がばっさばっさやり取りされ、それが迅速に勘定される様子を見て疲れる。ともあれ、あとはあれとこれとそれをこなせば、8月末には引越しができるようになる。

090625

衣笠。ステレオ写真を、感想を後から読むとぼつぼつ関心をもってもらったことが分かる。でもどこの大学のどこの学生も、前のめりになり距離を採るステレオ視的姿勢があまりぴんときていない子が多い。これはステレオだけの話ではないのだが。

むしろ事務のひとがステレオ装置を喜んでいた。

社会的年齢的などのさまざまな強張りをスムーズにゼロにできるようになること、案外年配のひとのほうがこういうのはできたりする。

090624

一つ前の日記を虫食いにする。ま、そこまで気を遣う必要はないんだろうけど、つくづく迷惑千万な話。

相当ひどい話なのだ。

090619-22

怒涛の4日間。授業をこなし読みあわせをこなし、住居契約の前段階をすます。

で、この間、職場での問題児が処分されて会議召集。先約があったので行かなかったけれど、正直呆れてものが言えない。問題を起こした当のひとは、減給程度で済めば時間は無尽蔵につかえるのだという点にある。処分に納得いくひとはたぶん少ないだろう。

090618

非常勤。たぶん次回はステレオ話。こういう写真論って本務校でもそろそろやってもいいかもしれない。それにしても呪怨は鉄板だ。

戻って翻訳。第一章ブラッシュアップ終了、墓碑銘仕上げ途中。

090617

4本発表をこなすというタイトな一日なので、事前にしっかり予定を立てて全員に周知したが、ずるずるとすべてがずれこんでしまった一日。ま、しかたなし。しまいには僕が直前にMLをまわすべしという理不尽なアドバイスされてしまうのであった。私ゃ研究室のしつじじゃない。。。っていうか、こんな連絡は、院生担当。任せます。

発表は学部生は時間不足。院生も話は分かるけど、もうちっとできたはず。ま、いずれも事情は分かるので、深くは攻めずにおく。でも詰まった発表をすると他のひとの発表の質もあがるので、それは頑張ってほしい。ハクロン準備の公開審査会もこなす。聞いた感じ、学会誌に2本すでに書いていて新たに3本目を書きかけているぐらいでちょうど全体の内容が明瞭になるという感じだろう。ま、これはもうすでに充分走り出している研究なので、そつなく着地してほしい。

その後、8時まで大学居残りで翻訳調べ。五章はもう少し。これは朝まで。

090616

 とにかく週末週明けが忙しい。気がつくと4日間無意識にすぎてしまう。鬼のように翻訳の読みあわせをして、鬼のように私事をこなして、鬼のように寝入る。と4日すぎている。

 家探しは結局、急転直下で決まりそうな勢い。ま、御所近くだから無難といえば無難。京都にマンションこうて住むということは、京都らしく無理のない田の字(御池から五条、堀川から河原町の区画)を外して物件を狙うしかないという結論。しかもいくつかさらに外さなければならない地域もいくつかあり、なおかつ烏丸線にチャリ5分となれば、必然的に絞られてくるのである。

 ということでたぶんもうそろそろ落ち着いて研究を再開できそうな気がする。

 心身ともに疲れる4日間であった。

090612

ともかく忙しいので、諸々いらだつことは多々ある。が、それにいらだつことすら時間がもったいない。くだらないことは見ないし見えないようになる。

神戸で授業三連荘。講義は入れ子写真論ざざっと。講読はショーを終了。次回はバザン。一年生ゼミは次から次へと喋る子が多いのでのせられて喋る。

気づくと7時半。コピーその他で8時まで働くのであった。

 それとブログにあげていたマーク・ハンセンの本、二冊届いてしまったのでどなたかに千円(定価は1600円ぐらいか)で差し上げます。遠隔地の場合には送料は自己負担。早い者勝ちです。

090611

衣笠に行ってひとしきり喋る。表に書いた通りなのだが、最近の学生の傾向を考えて断りのようなものをいくつかして――これで20分はかかる――から話を始める。こういうのも時代の趨勢。ただ、立命は渋く授業したにもかかわらずよい印象。

戻って事務関係の雑用をひとしきり。

で、ようやく剥製についてあれこれ調べる。
ま、今回はほどほどにはしておこう。きりがない。

合間に新物件マンション関係の連絡あれこれ。今回これはしんどいが勉強にはなる。

090608‐09

不動産デー。結局トータルでマンション13件ほどまわる。都合、業者は4社に散らせて依頼し、分刻みのスケジュールで強行軍でひたすらまわる。…こういうことって仕事の未来ではなく、稼ぎの未来を逆算する作業であり、そのときのタイミングやひとやものとの出会いのタイミングが大きいものなのだと感じる。誰もそれぞれ、稼ぎが無際限にあり、仕事の定年が無際限にあるわけではない。そういうことをいちいち確認するのは、案外疲れることであった。

090607

久しぶりの半日休みの日なので寝だめ。
目覚まし代わりにエイクリー関連本が長谷さんから届く。感謝。

090606

翻訳読み合わせを夕方まで。その後タクシーで学会委員会会場へ。
とはいえ幹事なのでただ議論の長引くのを見守るのみ。決定の方法についての合意のされていない方法で決定を進め、厄介な別の懸案を掘り返してごりおしで混乱したままで議論しようとし、それを賛成とも反対ともどっちつかずで既成事実として進めようとするへんてこな会議を8時まで見守る。

ま、ここにしか書けないけど、はっきり言ってスーパー忙しい身にとっては不毛この上なく、果てしない時間の無駄だった。

終わってやりきれずに先輩のK先生と幹事のY君とバーで飲むのであった。

090605

神戸。表に書いたように3コマ喋り続ける。黙っておけばいいところも、ついついサービスして喋ってしまう。今年は一年生は案外面白い。30名ゼミという無茶がかえって面白さと喋りやすさをましているのかもしれない。

残る時間は研究室で文献収集。で、帰京して明日の準備+α。

090604

衣笠。昨日の今日だったのでバテバテ。表にも書いたように、映画を見せてぽつりぽつり喋る。昨年のうちの学生たちの感想も使わせてもらう。案外こういうのが彼らにはピンとくるのかもしれないので。

アマチュア写真に関して、写真をやっている学部院の学生がある程度の数今年はいるので、勉強会とか、それと連動した研究会とかやってもいいかもしれない。とはいえ八月半ば以降にはなるが。ミニ写研でもいいか。

忘れないようにメモ。今後の仕事。
6月中翻訳第一稿のしめ。7月上旬のコメンテイター準備。8月中旬の対談準備。同じ時期にヴァナキュラー論一本。そして今年後半に翻訳もうひとつ。1月にたぶん論文一本。もしかするともう一本雑誌が来るかもしれない。これは12月か1月だろう。

書きかけ

090603

ゼミ。発表を二本ほど聞く。一方はつい先日の学会のものだったので今度は違うポジションから意見を述べる。古典的映画の構造をしっかりおさえて流れないようにポスト古典映画の枠組みを導入するというやりかたをもう少しベタにやってもいいかもしれない。もう一方は、まだまだ。教科書流し込み型の卒論はいずれ破綻する。それに数年後に当人が見直すにたえないだろう。

会議して本を一冊コピーしてコンパ会場へ。新二年生の歓迎会。新三年生がよくきりもりしてくれた。4回生も参加が多くひと安心。…でも院生が少なすぎるね。こういうのも業務のひとつ。男の子はもう少し声を張ること。

終電に向かって全力疾走し間に合う。

090601

この間名古屋で学会に出る。

うちの学生、お疲れ様。

初日二日目の講演や発表はそこそこ聞きに行く。ま、無理は言わないけど初日から来たほうがいいです。知り合うひとの範囲が違う。うちの学生の発表はまあボツボツといったところ。よく間に合ったもんだと思う。また、できれば質問や司会をしてくれたひとにもっとあとでコンタクトをとるといい場合もあるので、余裕ができればそういうのもやってみるべし。

他はまあ相変わらずの厄介な御大たちとトンチンカンなひとたちもいたけれど、それを見えなくしてしまうほどの今バリバリの研究者のひとたちとふたたびあえてよかった。気はひきしまる。

で、また仕事がちらほら生じてくる。これは11月か12月か。。。

090529

一日中喋っていた日。合間にあれこれ参照文献をかき集める。

久々の神戸の授業。キャンパス内での低学年生のさえずりトークもそろそろおさまってきたと思いきや、インフル効果で久しぶりトークがちらほら。

授業内容は表に書いたとおり。講義をどこまで内容を膨らませられるかは6月半ばまでの準備次第か。なるべくやる。

さて夜鍋で翻訳校正。

090527

ベルティングをざっと訳していたのだが、すでに…人類学は訳済みで刊行待ちの状態だと昨日聞き、脱力する。でもしかたない。部分的に訳してしまう。とくに写真映像にかかわるところは訳す。

会議の日。いくつかの懸案事項で滞り、6時頃まで。途中で抜け出し予行演習につきあう。学会までまだ数十時間あるから全然大丈夫だと思う。

ハンセン論文も未見のものを集めていく。もっとも読みたい彼女の論文が8月末刊行とはなんとも口惜しい。ヴァナキュラー関連で、事物という概念をめぐるあれこれ面白い考察も集めていく。これは8月半ばまでの原稿の一部にするし、同時期の対談の要にもしていく。また、懸案の翻訳も来月にあらかたあげろと指示されたので根をつめることにする。共訳のひとたち、協力よろしく。

090525

マンションを見にいく。方角、広さ、ロケーション、それと値段の兼ね合いと今後の転売の可能性を考えつつ、2件見てみる。丹波口と四条大宮、どちらも微妙であった。居住人がいる場合は本当に難儀。

ベルティングを訳しはじめる。

090524

名古屋から京都。マスク姿が少ないところにいくとほっとする。とともに関西弁をひかえたりもする。。。嘘だけど。

いくつか今後考えていかないとならない概念や主題について考える。写真というメディウムは放棄しないしもはやそれはできないが、写真から写真的にずれていくような志向もあると思う。そういう次の段階を考える。というかそういう要請が多くて応えざるをえないのである。

090523

読みあわせを日程打ち合わせに切り替え、夕方からは学会予行演習、1時間半飲んで名古屋。

発表についてはコメントしたとおり。もう一つの発表予行演習は水曜日に集まれるひとでやりましょう。こちらも少々心配はしている。

090522

衣笠も休校措置だそうだ。しかも金から水まで。。。木曜日に仕事にいくものはぬか喜びをしてしまうのであった。

自然史博物館の文献を読む。これは次次々回ぐらいの金曜の素材。

ヴァナキュラーの語彙を調べる。これは対談の準備。自分のブログを検索していたら昔ざっと書いていたことを思い出す。今回はさらにこれを広げていく方法で考えよう。しかしあまりにも理論化している論者がいない。

朝方ようやくベルティング文献を手にするが、もはや体力はなし。

明日は来週の学会の予行演習のために精華大。

090520

会議で神戸。マスクの群れ。たぶん生涯でこんな光景を見たのは初めてだと思う。会議も暴走族の集会のごとし。

知り合いが週末に京都におり、名古屋へ戻ったところ、ほぼばいきん扱いでマスク着用を義務化され、食事も別室でとれとのこと。予防の手段はとっているのだろうに。なんかおかしい。それで万が一感染したときは仕方なかろう。弱毒性という話もあるのだから。

学会に関しても主催者が「来るな」といえば行けないらしい。
集団的活動も禁止。関西人は保菌者扱い。関西弁はいま東京で喋らないほうがよいらしい。

一昨日も書いたように、この感染感は変。

090518

職場近辺が感染で休講。でも関西の交通事情を見れば、京都や奈良に拡がるのも時間の問題だと思う。早期発見して処置すればいいのだからナーバスになりすぎないことだとは思う。が、駅近くはものものしくなっている。

医療に関する学会から戻ってきて、気づくのは、こうした問題がメディアに深く関係していること、身体的な個体性と感染の感覚が字義的な経路を通じて、旧き主体や主体間の関係についての感覚以上に過剰に肥大していきつつあることである。

でも僕はいつものように会議はある。唐突な休みができてよろこべるのは、若いひとびとでしかないのであった。

090515-17

金曜日に東近美。夜はPG。久々にキタジマさんたちと飲む。
翌日からは伊勢原での学会に2日間参加。今回は発表コーナーの仕切りがあたったというのもあるし、来年はうちで開催せねばならないということもある。とはいえ、やはり最後はあまりもの長時間の一定姿勢に腰をいわしそうになったので先にお暇する。

 司会したそれぞれの発表は勉強はよくしている、けれど、もっと思い切って外部にふりきれたらいいのにと思うものが多かった。ということを率直に最初に司会で言う。別に否定したいわけでもいじめたいわけでもない。あちこちで見かける学会ごっこみたいな研究会での発言のなあなあのまわしのやり取りを見て最近、これはだめだなあと思いはじめている。本気で互いにつぶしにいくような強さがないと、力を抜いたやりとりもいきてこないと思う。だから時にはごりごりやったほうがいい。そういうことを思い出す。

連日の飲みで少々バテ気味。
どうやら職場は休講措置になったと噂が入る。

090514

猛烈に忙しい日。非常勤先はいつもどおりゆっくりとやる。数人面白くなりそうな子がいるのでまあ基本を入れていかないとしかたなし。でも基本的話をあと1,2回やったら全部壊していく。カルティエ=ブレッソン見ていい気持ちになっている若者って不健全だと思う。

で、その足で奈良へ。表に書いたごとく、半年に二回目の引越しを決行した両親の慰労に。入院したときに駅から近くなったのは良いけれど、さすがに少々目をむいた。

さて研究。動きながら読めるものを見繕う。

090513

ま、忙しさはいつまでも変わらないわけで、この忙しさにもうひとつ雑用の増えそうなプロジェクトに名前を入れるからと言われるわけで、そんなこんなで満腹の忙しさ。私事でもあれこれあり、落ち着かない。

今日はゼミ一回目。もうそろそろ表に書くことでもないのでここで。
それぞれ準備不足で残念。もちろんそれぞれの事情はあるのだろうが。また、学部生がもうちっと喋ればいいし、学部生同士が噛み合えばいいのにと毎度思う。サークルの談話会ではないのだから。質問ももうちっとリズムとスピードとキレを望む。ちょっと間合いが悪いかも。

ということで内容はまた次の発表の時に。

090509

昨日は見学会。

今日は学会の合同委員会。

みっちり5時間話し合いというか言い合いを見守る。

終わって祇園に行き、舞妓さんの来る店へ連れて行かれる。こういう遊び方とか、人の掌握の仕方って独特。ま、めったにない機会。男前の阪大のひとがええ声でデュエットし、紫のひとが執拗に舞妓さんにアプローチし、カイチョーがロボットのようにギクシャク動いて声を張り、それをみつつ水割りをざざっと飲む。30代の若手がほとんどここにはおらず、40代前半も私だけ。こういう負荷はもうそろそろ何とかしてほしい。

来週末は小田原近くで学会。あまりに交通が不便なので、先に東京でヴィデオアート展を見てから行く計画を立てる。いずれ関西にも来るのだろうが、早めに見ておいてしまい、10月の素材にもしたいので。

090503

翻訳の校正ひとしきり。丁寧な訳文を鉈を振るって切断する作業。

キヨシロウが逝き、驚く。転移がひどかったのだろう。
僕は大学に入ってようやくキヨシロウを聞くようになった程度。
ただ、突き抜けた余白の突端で活動しようとしていたことは良く分かった。
そういうひとがいなくなることは、そういうひとがやっていたことを違う形で自分の課題にすることになるのだろう、そう思うひとが多ければうれしい。

ちまちましたミーイスティックなものを聞くぐらいなら
キヨシロウぐらい聞いとけと思う。

090501

講義ゼミゼミ。
 講義は複製芸術論をざっと説明。次回は応用編。けっこうあちこちの学部から来ているので気を遣って全般的な話をざっとしておく。
 一年ゼミは結局30名になる。けっこう喋る子もいて、首がすわった露光十分の子がちらほらいる―― 一年生は顔が概ねぼやけており、雰囲気をまとえず僕は 「首が座っていない」とか「露光不足」とかと呼ぶ、それはそれでアンファンスでいいのだけど――。
 未来映画ゼミの5限は、学部生が数名生き残っているので安堵する。今年から、やってこない学生を中心にした授業はいっさいしない。ついて来れる際までとばすことにした。

終わって院生二人と飯と飲み。

さてクラウスの残りをざっと読む。

090430

非常勤、さっくり喋って終了。

この授業1年生から4年生、学部も4学部ぐらいに広がっているので受容者の様子がわからない。なので毎回アンケートをとっている。大体七割方が理解できたようなことを書いていたらそれでよしとすることにした。きりがないしね。授業というのは学生に付き合いすぎると駄目だし付き合わなさすぎても駄目という匙加減がいつも厄介な仕事。

さてオーウェンスをできるところまで夜鍋。再来週にちょいと扱う。終わればエイクリーからコーネル、リメディエーションまで。ごった煮鍋である。

ヴァナキュラー関係の議論も少しずつ文献を消化していかねば。これはS君とも相談してみよう。同時にベルティングあたりの議論もさらっていこう。これは7月にはいってから。

090429

世間は休み。こちらは仕事。翻訳校正をこんこんと。あとは土日でこなす。
10月のミニシンポの面子が揃う。ワダ氏とカドバヤシ氏。ただし、タイトルのみで中身を考える時間はいまはなし。何とかなるでしょう。

 シャーマンの画像をスキャンする。良かれ悪しかれポストモダンの解釈ゲームの波を自身を収斂点にしてまんまと90年代を生き残ったかに思える彼女の最近の活動についても、少しは学習しておく。個人的にはフィルムスチルが面白い。これは、再来週の神戸ネタ。クラウスとダントーの論は間に合えば大まかに紹介する予定。4つぐらい仕事が同時に動いているので、授業は感想を聞きつつ、掘り下げる部分を掘り下げ、切り替える部分は切り替えていく予定。

090428

体がどうにも動かないので夕方まで安静。
起き上がりあれこれ連絡仕事。

10月の小シンポの依頼あれこれ。仕事を依頼したら、お返しに雑誌の対談依頼がきた。テーマとして面白いので、時間を作れたら引き受けよう。この関係の話題も一度きちんと文献をまとめておきたかったのは確か。

翻訳の校正を少しだけ進める。
GWはこの本のかさばった部分を片付けてしまう。

7月末の今年5本目原稿の準備は6月中旬以降になる。
その後にもう一本。

090427

 スラムドッグ$ミリオネアを見る。よくできた映画であることは確か。
 傾いたクロースアップの、切り替えや手ブレの多い画面が迅速にスラムの様子を捉え、それと並行して現在時で進行しているクイズ番組全体が映画全体を貫く。回想のシークエンスと現在のシークエンスが一致しはじめてから大団円へ向けて映画は収斂していくというつくり。前半、巧いなと思うところが多い。

 社会階層の問題もその言葉遣いによく現われているのだろうし、資本主義化されつつあるなかで多くの矛盾をそのまま残したインドの社会を鋭くえぐっているのだろう。さらに、インド的テイストがきちんと散らされているし、エンディングのダンスもこれを遵守している。インド雑貨がパンフとともに売っていもする。

 ただ、もっと大きな捻りがあるか、もっと後半にドライヴ感があるかと思っていた。そこが少し食い足りなかった。もちろん最後の回答シーンの主人公の気の逸れ方はそれでいいのだが。

 次はグラントリノを考える。

090426

写真空間の原稿校正を送る。これで3本目が終了。写真論特集。

これに限らず、いま作業中のバッチェンや次に予定しているセクーラにも限らず、写真論を消化し、きちんと紹介していく作業はまだまだやらなければならないだろう。毎月一冊や数本でもこういう写真論の研究会って開くべきだなと最近感じる。やはりばらばらに、ときに趣味的な色合い濃く、院生たちが研究しているっていう状況がもったいない。

論集の注文も沖縄から来る。演歌のように浸透してほしい。

090425

翻訳読み合わせの日。今回は事前に直しを送っておいたので、比較的スムーズに進む。ただ、このやり方は自分に負担がかかることこのうえない。ま、後もう少しなのでこの方式でいく。

終わってサトウ邸で飲み。結局12時過ぎまでなんだかんだ話しているのであった。

クラウスのシャーマン論はやはり回避していられないので読みはじめる。
日本語の論文も2,3本よくできたものをそろえる。これも写真論のひとつ。

090424

自転車操業の日々。結局授業は農学部になり、お手伝いの学生に負担をかけることになった。ま、環境はよいのでかえってよかったかもしれない。

講読はとばしていこうと思ったが、ま、そういうわけにも行かず中途で終了。次回は1節終了して2節も終了させよう。やっぱり経験上、もたもた翻訳をやっているともたもたとしか読めなくなってしまうと思う。

さて校正と明日の翻訳読み合わせの準備。
それとスマップの件、騒ぐこたなかろうに。かつての芸能人列伝を知っている人間にとってははなはだ疑問。こういうのもメタなきベタの時代の圧力なのだろう。芸能人って聖人君子じゃなかろうに。一言書いておく。

090423

やはり逃れられないので7月の神々の集うシンポを引き受ける。
ま、僕の中ではモンスターエンジンの黒タイツ姿が思い浮んでいるのだった。

衣笠の大学の日。学生は基本的に素直で、質問をしにきたりする動きの初動がいい。ここらへんここの先生たちの教育の賜物だろう。キタノさんが同じ教室の次の使用者らしく、おめもじする。覚えていてくれてはったのは幸い。

 で夕方から卒業生と飯。転職に迷っているという話。というか相談しに来るときは大体結論が決まっているものなので、ガス抜きがてら駅前で飲む。
 どこにでもそれぞれの職場環境がある、問題があるばあいは、業種ゆえなのか社風ゆえなのか個人の問題なのか、さまざまな原因がある。もし同じ業種で違う会社に移るときは、やはりきちんと仕事をし、すでに仕事を覚えているんだったら、それなりの理由があれば変わればいいと思う。また年齢や負っているものも年が経つにつれて縛りになる。もちろんこれも業種によりけりだが。その目安は、だいたい3月、半年、1年、3年という3つの月や年を倍数して考えるようにしている。3の倍数でアホになるということに近い。

090422

会議たてつづけ。同僚とその合間にこのあいだの学会の件とか諸々指導学生の面倒の話とかをして終了。変更する教室の下見とかとにかく春先は忙しい。で懇親会に顔を出して帰京。

翻訳校正をもう少し進め、校正も朝いち到着便で送る。

090420

大学へのレジメ送付の期限なのでばばっとつくり送付。前回のコピー談義のさらなる補足資料と、カルティエ=ブレッソンからバーク=ホワイトへ流し、神話作用の手前まで。クルーガーに関連させてオーウェンスのメドゥーサ効果もどこかで紹介できればよい。ただしラカン話は混乱させかねないのだが。
雑誌原稿の校正は明日朝に出せばよかろう。

090419

 一昨日の疲れもとれ、翻訳の校正をしつつ、講読の翻訳打ち込みもやり、バルトをボツボツ読む。前期の写真論は読んだので『明るい部屋』へ。

090417

 神戸。講義は狭い教室にぎゅうぎゅうづめでどうやら教室変更もできないようなので、他学部に交渉してもらうことにした。それにしても、聴覚機器や視覚機器も使用しない授業でうめられ、こちらが視聴覚教室が使えないのはなぜ、と思うことしきり。

 導入授業は、予想外の人数が集まりプチパニック。この授業は裏で講座入門の授業があるらしいのだが、なんときちんと一週目にイントロをしておらず、3週目から開講らしいので、学生がしきりに悩んでいた。頼むから、入門授業の重要性をもう少し考えてくれいと思うことしきり。

 夜、美学会全国大会開催の打診メールが来て驚く。あのね、、、教員二名で院生8名の研究室で全国大会は無理でしょう。同じ人員構成で開催したことのある学校は手をあげてほしい。いない。西部会は開催可能だが、これは、無理というか無茶苦茶である。

 終わって学生とコーヒー飲んで、名古屋へ向かう。暫し休憩。

090416

立命二回目。非常勤の事務のひとが実は以前僕を含めたレクチャーにも参加していたことを本人から聞く。案外世間は狭い。

授業は複製の問題を文化全体の問題につなぎつつ、ベンヤミンの議論を紹介し、あとは写真史的なあれこれをつまんでくる。来週はざっくりとポップにおける写真とポストモダニズムにおける写真を話して、30年代ドイツの話も少しして、大道話少々でひとまとまりが終わり。

次はバルト前期後期の話へ進む。

神戸も5月までは写真におけるフレーム内フレームの話をしていく予定。

オーウェンスのブラッサイ論もやりかけたままだったのでこの機に進めてしまう。オクトーバー系写真論で消化できるものも手をつけていく。

これだけ忙しいと、ブログは無理。しばらくお休みにします。

090415

水ゼミのガイダンス。発表順を決めている間に会議ひとつ出る。この日は会議が全部で6つほど開催されていて先生たちが次から次へと部屋を移動して交差する日。僕も3つ、合間合間に出て最後は6時までの会議に出て終了。

終わって研究生と新院生の歓迎会。ほどほどに飲み終了。

090413

国際美術館へ行く。中ノ島線は近くなったといえるかどうか微妙。駅は綺麗。
レセプションに一時間半遅れたらワインも食べ物もほぼなくなっていた。。。
放電写真のレイアウトがそこそここっていた。それ以外も微妙に作品が入れ替わっていた。生スギも見かける。生ワッシーも。

090411

翻訳読み合わせ。ようやく第三章が終わる。4章は先に問題点を挙げておくなり、スピードアップする方法を採ることにした。もちろんそれは仕事が増えることなのではあるが。しかたなし。

090410

入門授業でひとしきり。もう入門とか導入とかしゃらくさいので半分世間話をして終了。

090409

非常勤初日。映画館のような豪華な地下教室でイントロする。まだ学生の色は読めない感じ。ま、ぼつぼつ笑いあり恐怖ありで終える。
そのでがけに、京大のOさんから仕事依頼の電話。7月の表象関連らしい。どう考えてもビッグすぎるひとびとばかりのなかにはいるので、ちょっと抵抗する。自分が子どもの頃にしきりに読んでいた表象文化の神々ならぬ天使たちにコメントせいって、まるで交霊会の霊媒師の仕事みたいだ。あ、だからなのか。。。

090408

 夕方に神戸。新院生ガイダンス少々。あとは写真史写真論の基本文献をざざっとかき集めて持ち帰る。案外ある。これはうちの授業でもイントロで紹介しよう。

 さてノート作り。

090407

早朝ようやく原稿を仕上げ送付。ま、教科書的なまとめ。文章の短さゆえにきちんとした批判的な部分はもっと長い依頼があった時に書くしかない。強烈な批判はブログに挙げた号の展評を参照のこと。
で、仮眠して神戸の会議へ。新入生がわらわらと来る前に退散する。京都に戻り、たまった書類を次々と作成、送付を終える。つかのまの一息。

それと、金曜日は諸事情ゆえに午後は休講です。新入生関係で休講依頼があり、足並みが揃わないので休講。ま、午後早くまで研究室にはいます。

写真学授業用に文献目録を作りはじめる。

090404

原稿ようやく半分ほど。写真論のおさらいの部分。後半のトルボット部分にかかる。

090403

昨日はほぼ睡眠をとっていなかったので、丸一日眠る。というか情報量を入力したら眠ってみると案外取捨選択されることもある。

ということを身をもって教えてくれた先輩が名古屋のアキバさん。

ただこの方法はあんまり寝すぎると入力情報を忘れてしまうということにある。そこそこ眠る。

090402

翻訳読み合わせ。濃密な一日。終了してアルゼンチンの旦那さんと日本人の奥さんのペアと佐藤くんたちと飯。

さ、そろそろ締め切り前なので考えよう。これは8枚

というか、この2ヶ月こんな締め切り地獄の連続。4月は何とか見学などで切り抜けることにする。喋る素材はある。ただ、いったんオフにして頭の中をゼロにしたいものである。

090331

 公務はないけれど大学。昨日引き受けた今年4本目の仕事の関連資料をコピーしてファイルする。明日になると、入学入社の浮ついた気がうっとおしいので。ま、いいんだけど、考え事にはむかない環境だ。

 この仕事の関連で、フレーム論授業の一回分も作ってしまおうと思う。杉本DVDはなかなかの出来。また、表にこれまでに日本人の書いた杉本論を挙げておく。ところで『現な像』ってどこにいったんだろう。最近、本の所蔵冊数が記憶の限度を超えてしまい、買ったはずだが行方不明本というのがままある。ま、いい明日買おう。

 前にもどこかで書いたが、ある批評家の書いた新書をかなり克明に2−3年かけて夢にみた覚えがある。で、その本はまだ出版すらされておらず、やがて3年後にはたして刊行された。本の記憶が昔から壊れているのだ、と自分に言い聞かせてみる。

090330

夕方まで締め切りをとうにすぎた原稿を送り、ひと息つく。今年3本目。

その後、関西音楽系研究者歓迎会に顔を出す。音楽研究というのは音楽というだけで大リーグ養成ギブスをつけているような研究領野なのだと思いつつ、毎度、その領野からはみだした面白そうな研究者とのんでいる。こうした会合の楽しさは増田くんの(非)人徳ゆえであろう。うちの学生の宣伝も少しだけしておく。

で、飲んでいると、佐藤氏の電話に緊急連絡が入り、なぜか僕に電話が渡されその場で仕事が飛び込んでくる。スギモト展関連のようだ。ひとまず受ける。一日一枚書けばよい仕事と自分に言い聞かせる。

でも、ま、これで春休みがなくなってしまったことは言うまでもない。

090328-29

 復活し、新幹線で翻訳の校正しつつ名古屋。
 ついでに岡崎まで足を伸ばして大正昭和の商業美術の展覧会にも行く。考現学の資料とかバラック装飾社とかこどものための雑誌だとかあれこれ見る。デザインが未来派とアールヌーヴォーとロトチェンコがぶつかったような奇怪なイメージの群れだった。ショーウィンドウのディスプレイの資料もあれこれ見る。
 大正のイメージ関連の科研にも入っているのだが、実はこの時代と地域と対象に関してはどうも普通の既存のやりかたと同じようなやりかたで組んではだめだろうと考えている。関心がわかない。自身のやっている写真についても、ただ新興写真が出てきて終わりのような話ではあまりにもつまらない。これは課題。

 ちくわが名産らしいのであれこれちくわを買って帰る。

090325-27

25日は謝恩会。あいにくの天気ではあったけれど、無事卒業したひとたちを見送る。ま、よかった。これからは、ひとりずつできちんと社会に立ち向かってほしい。卒業生が若干名来てくれたのもうれしかった。

26日は翻訳読み合わせ。体が冷えたため朝動けず解凍に時間がかかり遅刻。とはいえ東京の小原くんとも知り合うことができて収穫あり。その後鬼のように飲んでしまい結局翌日までダウン。

27日はもはや身動きできず、療養。講演会は残念ながらうかがえず。でも最近、学生に任せられる分は任せようと思う。体が時折ダウンしてどうしようもなくなるので。
で、深夜校正原稿をざっと読み通す。

090324

原稿書き再開。ほぼ枚数は達したがひねりがないので数日考えよう。
同時に科研報告の2つの短文を書き、辞書項目4つもざざっと書いてしまう。

作業しながら横目で野球も見ていた。ここしばらく見たなかで、あまりにもよくできた試合。

090321−23

久々にのんびり過ごす。ついでにようやくインディジョーンズの最新作を見にいく。やはり問題作であった。祇園会館、老若男女が集う久々に面白い映画館だった。

090320
昨日の感想をつけたしておけば、最初の発表は論点の弱さや空白部は多々あるが、ある意味ですがすがしかった。それは、発表者について知っているいろんな事情とはまったく無関係なことである。つまり、ただ研究して面白い時、ただ考え論じるひとになってしまって、それ以外の周囲のことや諸事情なんてま、あんまり関係ないと、猛スピードでギア入れることのできる若い学生時代というものがある。

 自分の迷いや弱さからくる逡巡の言葉を繰り返さない、自己の位置とか、他者の位置とか、誰の幸せとか、趣味とか仕事とか本当に関係ない、そういうのをすべてひっくるめておいてってしまうのが楽しい、おいていっているのも気づいていない、そういう感覚を久々に思い出した。皆、最初はそうだったはず。

 なぜそういうことを書くかというと、最近の若い子は、すぐに小さく自分の領域を囲い、その領域に小さく自身との距離をつけ、そのうえ弱い自分を自己肯定するためのあれこれの理由をつけてしまうから。そういうことを「しない」ことは、別にマッチョな大げさな行為でもなんでもない、それはごく当たり前の、ものを考え伝えるための基礎だと思う。そういうことが磨耗している。それが問題。

090319

論文発表会。ま、表に書いたので良かろう。

その後新ダイヤを見越して乗り込んだにもかかわらず、列車の遅れのため高槻にたたずむ。無事タクシーにのって夢のような京都タクシー帰還。いやまいった。

090318

ひょんなことからまたひとつ協力要請された仕事が生じてきて、これはたぶん面白い展開もありそうな仕事の気がする。ともかく日程調整が必要。
返信よろしく。

ようやくここ数日たまった疲労がとれ、原稿を書きはじめる。
ま、もう済んだ話なのでさっさと書いてしまおう。ひとひねり半ぐらいいれて。

090317

大学。上映会に行き、少しだけ喋り、あとは校正しつつゆたかで飲む。

ま、ディープで話題に幅のあるトークができるようにはなってきている。参加している院生の相互の間接的なつながりも良く分かって面白い。けれど、バトンを渡し合うような話し方、尻切れトンボにならない語り方、声を張る話し方はやっぱりもうちと頑張ろう。世には声も態度もでかく、こちらをたいらげてしまうような怪獣みたいな研究者がごろごろいる。これは老婆心ながらメモ。

ともかく3月シリーズを次々とこなしてくれている学生たちには感謝。

090316

でその後名古屋。いろいろすませて昏睡。
いやいやハードだ。ハードすぎてここを書くのも忘れていた。

090313-15

翻訳読み合わせ。たぶん18時間くらい延々とやる。

いつまでもおっとりやっていては先の仕事の芽もなくなっていくのでこの機に懇々と読み合わせをし、ざっと片付けていくことにした。

2日目の飲み会の後遺症をひきずったものの、順調とは言いがたいものの、ぼつぼつ進む。残りは3月末と4月上旬に片付ける。

こういう読み合わせ、やはり貴重でこういうトーンの機会を学生が学んでくれるとよいと思う。

090312

 採点がようやく終わる。やっぱり今日移動するのは無理。ごめんなさい。
 当日ないし前日のお誘いは、これだけタイトスケジュールだと無理。

 で、ようやく採点が終わり、今年度後期の感想。
 毎年あまりかわりはないのだけれど、今回少々驚いたのは、教養レベルの授業にたいする少数の質問や要求だった。それは、カリキュラムをかっちりくんだ語学の文法のような授業をのぞむ質問。それは通信教育や語学の授業みたいなものだ。でも通信でもやっていたのではあるが。

 個人的な経験を言えば、高校までのあくせくしたカリキュラムをご破算にするのが、大学の教養授業であり、その1,2年は不思議な話をするひとたちが大学には存在することを認識する1年だった。いや、語学も、実はそういう想像力こそが必要だと思う。でも先にあったような要請がそこかしこで常識となりつつあるのが現状。それはつまらない。

 レポートに関しては、就職活動をしている忙しい学年はやはり厳しかった。
 他専修の院生のレポート、学部3回生のレポートの出来が案外良かった。
 でも採点枠組みを10段階くらいにしてほしい。Bの幅が広すぎる。

 さて次の仕事。翻訳チェックから。

090311

原稿を書き終え送付。二本目終了。
で、2月末に出した論文の英文要旨をひとまず書き校正に送る。

次は0,4本ぐらいの分量だけど、去年のシンポのお相手へのラブレターのような原稿のためにあれこれ読みはじめる。ま、あまり時間をかけてはいられないので、来週末には書ききってしまおう。これと合わせて去年書いたもので1,5本になる。これで3、5本。

同時にそろそろ辞典の項目を書かなければと自分に言い聞かせる。
ほんで、採点の残りもあった。明日には終了させてしまう。

現時点で、明日卒業修了生に誘われている飲みにいけるかは分からない。なるたけ行くようにします。

090310

いまタバコのこと書くと燃えあがりそうなので少しだけ沈黙。

原稿書き終え、ばっさばっさと削っている。どうやら今回は制限枚数が少ないことに朝気づいたのであった。もう一日根をつめる。

090309

で、酒でぼやけた頭を風呂ですっきりさせて原稿書き。
20枚書き足して35枚。もう5枚ほど書き足そう。
あと1、2本ほどの論文の内容もこの機に紹介しておかねばならない。

上映会の告知はあげておきました。
ま、次から次へとよくやるわと言われそうだが、、、これはスタッフの基礎力がついてきたことの証だと思う。この予算プログラムが掲げるあれこれの題目を私たちは低予算で、横や斜めの緩やかなひとの結びつきのなかで組織してこういうふうに普通にこなせばよい。ま、とはいえ論文執筆の妨げになるような仕事の負担になりそうなときは、言ってもらったら考えます。それが第一だし。

090308

 神戸で研究会。準備に当たったひとや駆けつけてくれたひとたち、そして発表者のひとたち、お疲れ様。予想外に少し盛り上がった会になったのは彼らのおかげであろう。正直、楽といえば楽だった。

 ただ、一言だけいえば、早々にケツヲワルのはよくない。また、返しがちゃんとできていない、そもそも返しが弱いのは印象が悪い。…自分のためだけに自分が発表できるっていう状況は案外恵まれた立場だと思う。そういうときになるたけ全力をだしたほうがよい。いろんな制度機関に所属するとそれだけではすまないもっと多くの緊張がくわわってくるのだからある意味でこれはユートピア的状況。

 また、対話力を銘打った会なのに対話力はないなあと思わせる質問も質疑の最後近くにあった。性格が良かろうが悪かろうが頭のよしあしと対話力のよしあしは決して反比例することはない。それはちょっとどうにか周囲が対話してほぐしてほしい。対話力の催しなのだから。

盛り上がったし、よい会だけれど、周囲の巻き込み方をもう半歩進めてみるというのが次の課題。せっかく公的な枠組みでやっているのだから、これを利用して自分たちの基礎体力をつけてしまう、そうなればよい。

それと、、、不惑の云々というのは惑うことに惑わなくなったと言ってもそれはいいのだけれど。僕が思うのは、不惑っていうのは、自分が持てる身体的精神的資本に曖昧な余力を残っているように見せかけず、いさぎよく今ある力を一切合財出していかざるを得ない、それが分かるのが40歳だということだと思う。同時に、周囲のひとの力が明瞭に見えてしまい、それをわかったうえで柔らかくその他者の可能性を何かを契機に見出し相互に結びつけていく役割をになわざるを得ないということ、これが不惑の意味することだと個人的には思う。ま、そういう意味で言ってたと理解しておこう。

ということでいつもの後評メモ。

090306

エグザイル増員について、あちこちで書かれているのでもういいかもしれない。・・・いや、エグザイルの語義を考えてみると、変だ。レコ大とか歌番組出演とか今回の増員とか、ほぼ首を傾げたくなるが、それは実はヤンキー的論理の正面からの肯定であるのだろう。でも今回の増員を見て、誰もがもっとつっこむと思ったのだが――どんだけエグザイル=逃亡すんねんとか。元エグザイルとかって捕まった脱獄囚みたいだとか。

もう何年か前にヤンキー的論理というそこはかとない公約不可能な公約数は頭の端にいれておかないと、とふと思った。ま、オタク論が当たり前のように自家中毒的に大学人によって議論されているのなら、その対極であるヤンキー論も視野に入れねばならないだろう、ということでもあったのだが。

090305

原稿を書きはじめる。セクーラ初期の2論文と1序文をまとめた15枚ほどをざっと書く。「写真の交通」をへて、「身体とアーカイヴ」をさっくり呈示し、アーカイヴ論まで行き着けば、あとは最近の動向の部分。

090304

先日、アクセス数があがったことが数回あった。
ひとつが都市伝説をメモしていたことが原因、もうひとつがたぶん学会があったことが原因。後者については、僕は行っていないし、別にこの所属学会について毎度几帳面に何か書くことはない(というか行ったときは書くように心がけているが、最近、やはり気を遣わざるを得ない立場になったことは自覚している。そういう意味で若くて何もあとくされないひとが書きゃいいって思う)。もちろん、発表のひとつは何があっても聞きにいきたかったけれど、とんでもない忙しさなので不可能。ま、別にいいんだけど若いひと、頑張ってほしい。

090303

今日は会議をふけさせてもらい論文作業。あまりに執筆が続くと、毎度書くものが同じトーンになってしまうのでぎりぎりまで書きはじめないでいる。とはいえ、先日の報告会で無理やりまとめかけたこともあって、何とかポイントは出揃った。あとはこれをどう組み立てるか。

このあいだお会いした先生は論文を1年1本でいいのよと言っていたけれど、書かなきゃいけないことはたくさんある。もちろん1本しか書けばいい状況は幸せだとは思うけど。

090302

 セクーラひきつづき。もう一本は読んでおこうと思う。

090301

 科研の報告会。僕は僕の役目を果たす。疑義を提起し、ちゃんと勉強してくれいと言う役割。詰めこんだが半分は省略したし、そもそも発表って10のうちの2ぐらい喋ってちょうど押しがきくぐらいだからしかたない。

・・・でも皆ずるい。一番年齢の下のものにきりもりさせてどうする。放談ていって逃げ口上を述べて報告するのはどうよ。準備や運営にあたってくれたひとはいろいろよく分かって動いてくれたと思う。それは感謝。

 こういうふうに毎回あちこちで研究報告をする機会に、最近、寂寞感というか孤独感はつのっている。それは周囲できちんと勉強するひとがいないことに起因している。鬱にはならないけど、毎回寂しい。もう10年こういう走り方をしている、これが間違っているとは思わない。けれど、もう少し走るひとがでてきてもいいんじゃないかと思う。

090228

3日目の缶詰仕事を午後すぎに終了。これとは関係ないが、こうやって入ってきた子たちってますます幼くなっているんだろう。でも幼年期のラディカルさに期待したい。否定に肯定を見出す。

 疲弊したので関学は諦め、戻って夜まで寝込む。年々しんどくなる仕事。

 さて明日の報告3分の2をまとめる。一昨年と一昨々年のシンポでの見取り図、それ以後の問題点をざっくり話す。で、残る3分の1は体調次第。少なくとも彼の写真論のエッセンスを前後の芸術運動や写真論言説と絡めておく部分は書いておきたい。海へ開くのはその後。10日締め切り原稿の経過報告でよい。 

090227

 今日も缶詰。たぶん最も厄介な質の仕事を最大量こなして明日の缶詰を回避しようとしたのだが、仕事量少ない方々が早々とお帰りになってそれも適わず。毎度のことだけど納得いかないよね。これは大学のほかの雑用でも同じこと。

 シラバスや授業アンケート入力もウェブでしておく。ま、心霊映画が怖すぎるというような、マウスでポチッとクレームに対応できるだけの余裕がないと今の教員はつとまらない。授業は顧客サービスではない、ある意味の交通事故でもあるという主義は、教える/学ぶという他者的関係が消失する趨勢もあり、たぶん譲らない。

 ということで明日の学会は無理。原稿がゼロなので日曜に京都駅から座れるかが勝負になりそうな気もする。ま、45分は話す気満々だけど。

 さて資料作りと原稿書き。

090226

缶詰一日中。なんか延々と同じコースを回り、消耗度合いを測られているタイヤの耐久試験みたいな仕事である。。。とぼやくのであった。

昼休みのみ研究室で寛ぐ。ついでに必要文献を持ち帰る。

090225

原稿を書きはじめる、とはいえ「ポストモダニズム」と「写真」の言説にどのような問題点があるかを、自身がすでにここ3年間に報告した二つの発表をベースに要約し、そのうえでセクーラのアクチュアリティ(?)の入り口を素描しようという内容になる。

…というかこの研究タイトルがなぜ今、再考に値するか/しないのかを考えなければだめだと思う。時代も対象も自己の趣味に係留したサロン的研究会なぞ反動でしかない。という違和感は保持しておこう。

 ひとまずその次の原稿(10日締切)を見越しつつ、こういう文脈を押さえたうえで10枚くらいかければよかろう。

090224

『カメラ・オーストリア』所収のセクーラ論二本も読みはじめる。ヴォルフのものはなんだかなという感じ。セクーラの写真論の芸術と科学他の区別をカントにつき合わせて読んでいる。。。カント以後のパラダイムの地すべりがもう少し言及されないとこれは厳しい。この間の論文でも使ったブルネヴルクの論は参照程度には使える。あと3日しか使えないので原稿書きはじめよう。。。

と久々に好調にさくさくやっていたら、余裕を持って構えていた採点期日が学部により進級判定が月末までと聞き、急遽、採点業務を始める。夜半終了。しめて90本弱。力作もあるが教養はとんでもない出会いがしらはかえってない。

 どうでもいいけど、昔は、文章を書かなければならないときって、学部レベルのものを延々読んでいると書く軸が少々かしいでしまい、困ったものだった。
 今は、まったく影響がない。年季の問題だと思う。その代わり、目がしょぼしょぼしてかなわんようになった。これも体の年季の問題なのであろう。

これで原稿書く余裕は2日を切った。ま、まだ48時間ある。こういうときはタフに考えねばならない。

その間、単位不足の件も決着。ま、しかたないが身から出た錆は錆。
辞書の件、そっちで考えてくれい。
卒業生面談、返信しときました。調整しておいて。
他、もう雑用は3デイズの缶詰仕事以外はないはず、よろしくやってください。
とくに翻訳。頼みます。

090223

インタヴューは概ね読み終える。重要な部分はブログに訳しながらあげていこう。とりあえずドキュメンタリーやいくつかの概念が焦点になっている部分をざっと訳す。

「写真の意味の発明」も読み終える。ハインとスティーグリッツの写真が属する言説、記録対芸術という枠組みがはじめて提示された議論。

090222

セクーラの各文献を読み進める。ま、あと3本インタヴューと関係論文をチェックして30枚程度の文章を考えることにした。
それにしても忙しすぎる。

090221

引き続き単位問題を処理しつつ、初期写真のセールスのひとと商談し、その後、翻訳の読み合わせ会。終わって延々とお酒を飲んで終了。

1日の報告までの日程を確認すると5日間しかないことが判明。
ま、あと3本ざざっと読みつつ構想を練る。

090220

 卒業修了年度の成績つけの最終期限。。。さくさくと読み終了。
 他の授業に送るべき答案を間違ってこちらに送ったかもという問合わせが来て、それらしいものをスキャンして送付。で、昼には逆パターンのお知らせがくる。こういうの全部不許可。違う会場に行って入社試験受けさせてくれ。それは通らない。いちいち説明にこんでもよろし。
 ほんで単位不足の学生に関して非常事態発生。あぁ・・・・・・。「先生、雑用ってなんですか」と澄んだ瞳で僕に質問する学生さん、こういうのが雑用なのです。

ようやく今年最初の原稿を送付。あとは校正で直しをします。

セクーラ論の準備にかかる。ひとまず彼の写真実践の奇妙さの議論を訳出してしまう。で、インタヴュー二種をざっと読みはじめる。

090219

 酩酊したと言われ辞任した大臣はドクタースランプのスッパマンに似ている。よく考えると、今の政界はペンギン村に近い。それはそうと、マスコミの要人への接し方、要人周囲のスタッフのマスコミへの接し方というものも、現在大きく揺らいでいることが分かる。それは、メディア全般に蔓延する身も蓋もない字義性にシフトしている。しんどそうだったら延ばせばいいだろうに。

 それはさておき、ようやく註を書き終え、苦手の註を仕上げて原稿が完成する。ただ、いつものように一日寝かさないとならないので送付は暫しお待ちを。
 註に関して思い出すこともある。僕が所属していた研究室では美術史のひとたちが多くいたので、その註の作成を見てしばしば怒っていた。ほとんど取るに足らない図版カタログを文献に大量に挙げて註の行数を水増ししてそれで何らかの保険をする慣習が気に入らなかったからだと思う。パノフスキーもゴンブリッチも読むには読んだが、註が著書の半分ってどうよと不満を述べることしきりだった。言いたいことは本文で言えばいいから、リング外を参照するって僕にはフェアには思えなかった。そもそも研究発表のときにそんな副音声ってありえない。何よりも、そういう潔くないスタイルが嫌悪すべき対象だった。だから今でも註を20超えると何とか減らそうとしている。

 ただし、最近、読んでくれる人、そして自分自身にも、本文の主張を分岐させる指標を残しておいた方がいいこともあるということは分かってきた。もちろん、基本的に面倒くさいから、註は増えない。そして日本語の研究はほとんどあてにならないのであてにしない。写真研究は本当にこれからだと思う。

090218

 会議の連続。大きな仕事は回避できだが、小さな仕事はこっそり回ってくる。

 

 

 

 もうひとつ。神戸の映画の資料の館の資料整理とかどうだと持ちかけられたのだが、出るべきお金が出ないと、人員の確保ができないと、動かない。ただし、いずれ何かで絡むであろうから、あらかじめのリサーチがてら授業で訪問してみたい。そのための準備訪問も計画しよう。ただし、皆忙しいのでぼつぼつかかるならぼつぼつかかる。急かずにやりたい。ちゃんとゆっくり無理なくやり

 夜半ようやく原稿終了。註を書きはじめる。手を抜けないのが性分。

090217

 表に書いたように諮問一日中。上に上がる子はいないので、そこそこほめつつ、そこそこいじめる。それぞれの限界のなかで概ね頑張ったと思う。だからほめる。でもそれぞれの限界を理解してくれないひとなら批判点はあげつらう。だからいじめる。そういう3:7のバランスが今年のルールだった。

 終わって追いコン。同僚が急遽体調不良なので二次会までつきあう。残っていた諮問参加者を少しだけ褒め、来年度4回生の男子二人にはっぱをかける。研究室ってある意味で生き物なのでこういう各学年のそれぞれを個別に煽る必要がある。そうすると間接的に他の学年にも影響が波及する。ま、そういうバランスをもって個々に接してほしい。

 終わって千鳥足で終電に走り、ぼつぼつと京都の学生と喋りつつ帰る。
 いや疲れた。

090216

 読み残しの提出論文を読む。総じて時間不足、着手から完成までの時間が短かすぎ、そのために前提の積み上げが不十分だったり冗長だったり途中経過が淡白だったり結論手前で失速したり、という印象が強かった。残念。
 卒論って「バールのようなもの」だと僕は呼ぶのだけれど、それはフロントガラスを割ったり、鍵の閉まった金庫を無理からこじあける梃子や鎚になるから、半ば尊称として半ば蔑称としてそう呼んでいる。無理やりあけられやぶられるのは身の幅どおりに自分をつつみこんでいる隔壁や箱。今年はまだ呼べない。ま、明日の諮問がまだあるのでまだこじ開けてもらおう。

 さて原稿仕上げ。

090215

金沢で開催されている杉本展を見てきた。放電実験の写真を見たかったから。たしかにこの作品は良かった。電気的原理にすぎないものが、ネガで見ると妙な立体感を帯びつつ、ナマコや脳みその表皮のもつ粘着質のリズムを刻みはじめる。でも展覧会全体のコンセプトは少々食傷気味。分かっていて日本的なものとかコレクター的なものをやっているのかが少々不安になるのである。森美でのあのすさまじい展覧会と比較すると、ちょっとどうかと思う。同館のコレクション展もナラミチものやフィギュア的彫刻ものとかゲーム的なものとか、まだきちんと消化できていないものをただだだながす感じが強くて食傷。大丈夫かな。

その代わり、某史某町まで足を伸ばして海産物を買いまくっていたら、横綱白鳳のトークイベントにでくわした。輪島も時々来ているこの海産物センター、なかなかあなどれない。今の若い子にゴールデンアームボンバーという摩訶不思議な技の話はなかなかできない、そういう技の持ち主が輪島。

原稿、ダイエット中。あと参考文献一本と一冊、註用に必要なので到着を待ち、目を入れる。まあ20日木曜が仕上がり時期だろう。

090214

写真家の畠山さんの写真を扱っているギャラリーがなんとご近所にできる。来週はマケット展のオープニングなので久々にお会いできるかもしれない。

畠山さんの面白いところは、理論家よりも理論的に写真を撮影するところにある。撮ることと書くことと描くことがこれだけ並行的に優れていて、日和がないひとも珍しいと思う。

090213

引退間近の元総理が現総理に言いたいことを公けに言う。それが各メディアに大きくとりあげられる。。。もう引退と言っているひとがこういうことをこのように発言しあわよくばと動くこと自体が、今の総理の二転三転原理と何も変わることはない、と誰か批判してほしい。頭が痛くなった。
ちなみに彼らはどうしてもドクターマシリトとニコちゃん大王に見えてしまう。

090212

 原稿49枚終了。あと1枚書く予定。それにしても一本の論文にこれでもかと詰め込む癖は治したい。註や図版は最低限にして本文もダイエットする作業がもう4,5日必要。とはいえもう書くことは書いたのでほっとする。

 朝方、デンゼルワシントンのデジャヴなる映画を半ば眠りつつ見る。なるほど研究対象に挙げる学生がいるのも納得。表に書いたように、現在と過去を同じ地点で複眼視するくだりは分析できる。また、サーチされた冒頭のシークエンスがクライマックスでほぼ繰り返されることも物語的枠ではなく、映画の枠組みをずれていくデジャヴ(つまり直線的時間軸をもとにした既視現象)ではない変な反復として見て取る必要性もある。たぶん、この映画を論じるには単独の作品解釈では厳しい。複数の映画と理論的な枠組みがきちんと据えられると、そして社会的政治的文化的文脈を据えないとならない。これは僕の意見。別のやりかたもある。

090211

朝方、ニコラスケイジのネクストなる映画を見つつ就寝。睡眠学習のように映画を見る聞く。たぶんゲーム的論理がそのまま反映された映画。クライマックスのシーンが幻視の光景である、いや映画のほぼ半分以上が幻覚である、現実に起きたのは妄想気味のマジシャンが意中の女性と一晩をともにした、それだけである。そういう字義通りさの退屈な造りの蔓延も、今後の検討の課題になるだろう。

引き続き作業。ラグをもう一度レジメきって読み直す。キャダヴァは明日。

昨日ブログで都市伝説をメモしたら、とてつもないアクセスがあった。
ま、こういうのってこういうものなのだと確認する。核心にあるのはスイッチ形式の操作盤だという意味は誰も汲まないのだろう。そういう構造が怖いということ。

090210

久々に机に向かう。原稿は第二章がほぼ終わり、第三章の大団円へ向けてつなぎを考え唸る。これはベンヤミン/カフカの肖像写真をめぐる話から、さらに話を広げて転移させる部分になる。

合間にシラバスの締め切りの一部の催促が来て、入れた時間のコマに別の一年生必修の授業が入っていることに気づく。事務のひとに平謝りしつつ授業時間を変更して入力する。前期は水3・4が学部院合同演習で、金3が講義、金4が一年生授業、金5が講読になった。忘れがちなのでメモ。

090209

卒論6本目。

大学。休憩を挟んで結局会議は6時半まで続く。細かな打ち合わせをしとけばもう一時間は短くなるのにと思いつつも、文句はいわず終了。皆時間がないからまとめて長時間の会議になるのである。

新着図書もう一冊届きむさぼり読む。

他諸々打ち合わせを会議中にする。

それにしてもまとまった時間がほしいもの。

090206

 大学へ行き何百何十何円まで予算処理する。未到着の洋書が数冊あるようなのが難。それ以外は有意義に使用できた。
 夜、たまたま京都に来ていた院生たちと合流し、飲む。不思議な三名のとりあわせだったので、ま、たまにはこれもいいかも。あれこれ話しをして終了。
 というわけで今日は休み。喉が少々腫れているのが難。
 通勤の度に頼むから電車では風邪のひとはマスクしてくれと思う。

 来年の講読用に何冊か本を持ち帰る。Future Cinemaは適当な素材かもしれない。邦訳もいくつかあるし、未邦訳部分もある。

090205

 ゆるゆるとザンダー論をまとめる。1920年代の写真集の、とくにそれほど前衛的な派手さのない、淡々と被写体を重ねていく写真集の原理が分かってきた。喪失の歴史を生成と退化のサイクルの歴史によって補償すること、そのための写真の蓄積、反復という原理、その原理による写真集や写真アーカイヴの構築。また同時に、当時の写真史の編成も同様の原理を帯びていることも推測がつく。

 そして顔の問題。かつて19世紀のアウラの保塁であった顔がこの時代ふたたび焦点になる理由も分かる。面白いことに、その顔がもはや特定の個々人の顔ではなく、記号化し、集合的な顔へと収斂していく力学に貫かれていたこと、そこにぬっと個々の顔が異質なものとして介入し、同じようでいて異なる反復的リズムを刻んで、顔の集合を別の地図へと編成していくこと。

 もちろんザンダーは今回ほとんど使わないけれど。来期の写真の授業で展開する予定。とりあえず少しスイッチが入ったので5枚書いておく。

090204

 スマスマで中井くんとキミマロが並ぶと妙におかしい。先行きがある意味で安泰な二人。どちらも髪型が「少々」おかしい二人。妙な一致がある。

 卒論5本終了。やはり、はやいうちにしっかりと文章の書き方や物を考えることについて基本的姿勢を教えないと、だめかなと思う。これは残念だし反省。そういうわけで、来期1年生用の授業は、梃入れテストパターンとして実施する。非常勤的なことの実験をしてみたい院生がいれば、どしどし受け付けます。作文を延々だめだししてもよし、哲学的問題で延々と考えさせてもよし。

 論文「物語性と静止状態の間にある写真」を読んでいる。ザンダー論でありながら、なぜ数多くの写真論が写真を静止状態にとどめて議論するのかを問うた論文。今回はザンダーまで首を突っ込むつもりはなかったが、気になって数冊数本かき集めている、そのうちの一本。内容はいずれ表で。
 もちろんブクローの弟子筋であり、思い切り「ブクロ」っている箇所はどうだかなと思う。ただし貴重な指摘もいくつかある。それは使える。こんなザンダー論もあってもよい。

 この論文はこのシラバスで目に入った。それもリンクしておこう

 なかなか次の参照予定の論文2本が届かない。パリの無線LANの電波事情らしい。しばし待とう。これ以外に大学に注文中のもう一冊が届けば、文献は揃う予定。顔ファイルも結構たまっていく。

090203

 雑用第一陣が終わる。これも書けない。お疲れ様。表裏なく意見を言う。

 ところで昨日、写真を研究しているひとが刺されたニュースが飛び込んできた。憶測がふくらむのだろうし、僕の関連している分野でもあるので、いろいろ情報が目の前を飛び交うのだろう。でも、知らないし、分からないし、かかわりあいもない。ああいう事件の原因は当人とその家族の問題であって、その真相はそのうちの誰かが分かっており、そうした話を記者が聞けばよいだろう。もし今、生死の境にいるひとがいれば、とりあえず生きろと言うだけである。これは誰にかんしても同じことを言うのではあるが。〉後ほど重症だが命に別状なしとのこと。

でも、これは写真には無関係なことだと思う。だから研究上も個人的にも関心はない。ちなみに東京のほうで起きたことなので私の周囲のひとではありません。

さて原稿。5枚書く。未到着文献があと数本。間に合ってほしい。

090202

 雑用で午前午後。それについてはやはり書けねえ。合間に同僚と昼食を食べつつ、学部生のあれこれ情報を喋る。…でもお互いせっかくの昼休みに学生の留意点をあげるのって、休みにならないのである。これも仕事。昼の結論は、鉄は熱いうちに打とうということ。

 整理済みの本があがってきてそれを空き時間に整理。エアコンの風向き調節の板がないので長時間いるとやはりもろ乾燥熱風を吸い込み、風邪になりやすい。安い加湿器をはやいうちに購入する。…はい、予算では買えないのです。

 科研発表が3月1日に入る。2月はこれを含めて原稿4本辞書1本となる。たぶん1日はセクーラで兼ねることにする。

090201

 明日のための作業は終了。で、この件に関しては、「何も書けねえ」状態なので何も書かない。忍耐要るお仕事。これで卒論残り5本、修論残り1本。

 それと、『聴覚的鏡』は今整理中図書にあります。もうすぐあがってきます。

 テレ朝の50周年番組を再び見る。ニュース関係の記念番組。出演者皆が語るテレビのライヴ性の主張は古典的。それと奇妙に融合している別の種類のテレビ的なものを抉り出すことも今は重要だ。もちろんそれは過去を回顧する記念番組で望んではだめなのは分かっている。
 関連番組のなかでは、タモリ倶楽部のまとめが異様に楽しかった。すかしてはずして芸があるという構築されたなげやり芸は、今のすべり芸とは違う。これが、現在、雛壇審査員という表層化した番組を見る視点のゆるやかな押し付けによって、「面白いと言われ」ることになってしまう、これもうがつべき問題。

 さて論文作業を少しは進める。2月は大変。

書きかけ

090131

晩飯まで研究作業。論文2,3本読み直す。雑用で書く気が中断してしまうので洗い直しに時間を割く。夜半から博論読み。一度ざっと読み、レジメを作りはじめる。日本語の論文読む時にはまずやらないことも、これに限ってはやるのであった。専門ではない。これが仕事。

顔文献でたまたま幾つか補助線的資料が出てきたのでパリ留学中の学生に複写依頼をする。それにしても日本にないっていうのは問題だ。写真研究がまったく進んでいないことだと思う。ザクセの重要な著書もいずれ読まないと。

テレ朝50年の諸番組も横目でずっと見る。過去を振り返ると50年はメディアの区切りだった。写真も映画もいずれもそう。と某写真論者は書いていた。

090130

 ようやく論文10枚書く。で、中断して博論を読みはじめる。半分ほどの120枚を読む。いやいや、大変。

 合間に某プロジェクトのパンフ表紙もざっと見る。
 また、アジアの学生から結構アプローチがあり、この忙しいなか、その理由をいくつか推測する。頼むから大学事務を通してくれいと思う。

 ところで検診の結果、視力ががくんとさがっていたことにようやく気づく。来期はたぶん初めがねになるのだろう。そういえばここ数年小さくて見えにくい文字がいくつかあったし、通りの向うにいるひとの顔が見えないことがようやく分かってきた。その代わり、見ることが別に視力とは関係がないこと、その周囲の肌理や雰囲気によって織り成されていることもようやく見えてくる。
…言っとくけど老眼ではない。

090129

 夕方、某プロジェクトのHPデザインを見る。教科書的なデザインだが、事の性格上、工期の迫りぐあい上、色に関して少しだけ考える。こんなん学べば誰でもできる。

 久々にゆっくりと論文を読む。ザンダー関連の論文はまだこれからも機会があったら読みためていこう。ユンガー関係の論文は時間があれば表にあげる。

090128

 昼から会議連発。今日は会議中卒論2本、昨日と今日の空き時間で修論相当2本読む。今(400字×)300ページ読んだところ。週末までに博論1と卒論2本で300ページ読めればいいところか。そのあと250ページ読めばこの手の読み仕事は終わり。論文関係を総計850ページ読んだあとに、400字×6枚×100人+400字×7枚×50名+ゼミ分20名×4000字くらい、総計24万+14万+8万字読む仕事がある。ま、いいけど言葉が蒸発しそうだ。

  卒論とか修士論文とか博士論文って、なんとなく過去の悔恨の写真に近い。あのときのあの指摘がもっと伝わっていれば、今はこうなっていただろうに、という指導教員にとっては悔恨の種にもなる紙片の山なのである。
 もちろん、そんなナイーヴなこと言っては仕事はこなせないので、さくさく読むのだが。

 終わって昨日言っていたプロジェクトの一環でのうちの映画上映会にも顔を出す。いろいろついでに喋ったけど、僕は映画史という作品は実は面白がっている。つなぎなおし方が個々に面白いのは確か。ただ、これをあれこれ論じるひとの言説には注意しないとならないと思う。。。あれはヴィデオ的なものによって映画的なものの存在論を切り刻もうとしたゴダールシステムなのだ、ぐらいの読みをしてよい。ともかく皆さんお疲れ様。ここらへん最近たくましくなってきたので安心して見ている。声はもっと張ったほうがよいけど。

 で、深夜、ヴァナフォト論集の執筆人を一時間考え、固まる。結局まとまらず持ち越す。写真研究者って写真メディウムの脱境界性をきちんと引き受けたひとがあんまりいない。ここらへん映画ほどにスタッフが十全にいないので写真研究外部をどれだけ考えようかどうか悩む。つまり、写真研究が映画研究ほどにほぐされていないということ、写真べったりではなく写真を食い物にするわけでもない他領域からの写真を面白がってひきうけてくれるひとがなかなかいないということ、写真論を気にしながら写真の諸対象を論ずるひとが多くないこと、地道すぎる限定領域研究者が多いこと、現在の議論をしてくれる気が執筆者にすくないこと、そんなことがつくづく確認できて少々ぐったりする。場合によっては、ここはいっそゼロに戻そうかとも思う。コネやツテとかまったく考えないし。東京にいかないとならないかな・・・と思う。

090127

 健康診断をして諸々提出論文を読んで夜は十三で非常勤の先生を囲んでの飲み会。
 今期よかったのは、こういうバリバリ仕事をしていてあがっていない最前線のひとが神戸に教えにきてくれたこと。毎年そういうふうに外からこういう方々がきていただくと、学生自身がふだん気づかない自分たちのスタイルのことをさっくり指摘してくれる。こういうのがいい。でも個人的には久々にO田さんと飲んで楽しかった。でも、相変わらずシャイでらっしゃるし、ウェブ環境はやったほうがよろしいと思う。

 また同時に、今無理やり時間を割かされて関わっている某プロジェクトに関して、ちょっとどうかなって反応を同僚にもらった。情報が不足しているのも原因だろう。…これは要するにお金の取り合いとそのための理由のつけあいであって言わばそういう戦争である。均等とか平等とかではなく、それを引き受けるだけの覚悟をしないと、あれこれ口を出しても相手にはされない。ただ、少しずつかんでいけば、全体の微妙な方向付けから取り残されることはない。人間力やそのほかの能力があるひとしかこういう計画にはからませられない。だから諸々要望されても無理。

と思ったけど、生返事をしておく。それは言ってももう仕方ないことである。

090126

今期月曜最終日。いつものように7時過ぎに終了。
教養の授業が持ち回り隔年で回ってくるのだが、最後までというか最後の回に来てふわふわした僕たちあたしたちがいるので即効で注意する。授業中ふわふわすんなって。おばかのしるしにしか見えないんだから。

学部立ち講義も最終回。アイマックス論入り口で終了。ポストツーリズム的観点からの考察は次期に回す。調べはじめた「リメディエーション」も「拡張された映画」も来期にまわす。それにしても『スリルライド』というDVDはなんとすぐれていることか。

 講読はいつもどおり。これは表に書く。メディアの考古学やメディア論という看板はそれが前面に掲げられるものというよりも、それぞれのメディアを扱うひとびとがその間の改訂可能な連絡通路にすべきようなものだということが分かる。その意味で、映画に拠点を置くエルセサーの主張いろいろはよく分かる。写真にも同じことが言えるだろう。開きつつ閉じる、閉じ方も斜めに閉じる、そういうふうなメディア還元的でもハイパーメディアクリエイト的な打ち上げ花火的な拡散でもないようなスタンスが必要である。これが感想。

で、明日は検診なので、しばらく絶食。飲むのは禁じられていないのでそこそこ飲んどく。

090125

 アニメの驚きシーンベスト何とかという番組を横目で見た。審査員10名ほどの前には赤いベレー帽のようなスイッチがあり、これを『トリビア』のごとくたたく(なぜる)。あるいは『深いい話』のようにレバーがある。あるいは『レッドカーペット』のようにランプがつく。雛壇トーク番組が次の段階に移行し、反応を決められた所作の回数で見せる番組が増えているような気がする。少々不穏。
 通常は押していることが分からない所作をむき出しにさせるということ、それは何を意味するのだろう、とぼーっと考える。一年中スターかくし芸大会みたいだ、10点9点10点10点。。。めでたくもなく奥行もないスイッチングの多用は番組構成作家の質の低下に起因するのだろうか。分からない。

 電気聞きつつ原稿10枚書く。今回は40枚でおさめようと思う。
 

090124

査読一本終了。似たようなのがあと3本。総ページ数は400ページだ、しかもその完成版というものが200ページ分来ない。これもほとほと困ったもの。

ケラーのザンダー論を少々読む。ブログに書く。なぜ顔が、肖像が焦点にあるのか、その基本的な背景が少しでも明らかになればよいと思う。ただし、書く予定のものは、それよりも30年ほど前の世紀転換期から1910年頃の肖像写真をめぐる言説である。ついでに1930年前後の顔言説の諸々も調べてみることにした。カリカチュアも多い。

090123

翻訳読み合わせ。場所は職業能力開発協会。。。ある意味、作業に適った場所ではある。2章は半分ほど終了。あともう5時間ほど早いうちに機会を設けねばならない。とはいえ一週後は不可能に近いので、指示だけさせてもらいます。やっといて。

090122

翻訳チェックで一日中。緊急の雑用で電話とPCに張り付き、合間に奈良往復。論文を書きだす時間がないのが悩み。

翻訳読み合わせが明日。次回の2月1日は4章の前後半をやり―僕が参加不可能な状況なら二人に進めてもらう―2月にもう一度、4章をやり、3月にそのほかの部分をやる。たぶん、もう一度合宿的なことをやらないと、註は終わらないだろう。そうした按配を調整する必要がある。

090121

 表に書いたように水曜日最終でこんこんと発表を聞く。期待度に応じて厳しく甘くコメントする。…不十分な準備の発表はさておき、総じて大枠と小さな枠のバランスが悪いものが多々。卒論をただ調べました情報で埋めてしまうと後に後悔がつのる。聞きたいのは、そんなどこでも聞ける情報ではなく、自分の関心をゾンデにしてその結果、葛藤に揺さぶられている発表者自身の頭である。そこに卒論の意味はある。調べた発表は上司に与えられた仕事に等しい。それはいつでもできる。だから大学ではせんでよろし。調べたの向うが楽しいこと、それは繰り返し主張しておきたい。

 ようやく論考の見取り図を書きはじめる。電車の車内でだが。

090120

 雑用に再び取り掛かり、終了。

 読まねばならない文章をあげつらう。2月頭までに博論1本、査読1本、修論相当の論文2本、2月半ばまでに卒論8本、修論1本、紀要関係もの3本、というところか。それにしても、論文提出したあとに最終版送る慣習はどうにかならないものか。私はさしずめ、大作家つきの編集者みたい。一見、丁寧なようで不遜だ。
 
 リヒトヴァルクの本も届き、今日から論文の構想を練りはじめる。まだとりかかってないのかと突っ込まれそうだが、いやはや雑用の洪水で全部時間がもってかれてしまった。同時にドゥルーズ研究者からお便り的エッセイがようやく届く。これも返事エッセイを書かねばならない。これは一ヵ月後にしてもらおう。

090119

 朝9時出発から授業4つ。終了は19時。ま、乗り切る。疲れないかといわれると案外疲れていない。昔、広島のエナツがあの体型でよくもシーズン乗り切れるもんだと思ったものだが、それなりのそれようの無駄のない体力と肉のつきかたとつけかたがあるのだと、今はよく分かる。

 それはさておき。昨日の補遺。本当にひどかったので補遺。
 60人の受験会場で眠っている子が10人とか、最初5分に問題も見ずに解答してあとは眠るとか、眠りたいのに明るいのでカーテンしめてくださいと監督者に手をあげて要請するとか、、、受験をなめているというか、そもそも試験を受けるべきでない子が来てしまったとしか考えられない。なぜその場で自分のベストをつくそうとしないのか、見回りながら反芻したことしきり。
 推測するに、以前よりもこの試験を基準にする学校が増え、そのなかには定員割れを起こしているところも多々あり、だから受験資格にこれを入れておけば少なくとも2日間静かに座っていることはできる資格取得になる。そういうことだと思う。それならば、頭丸めて禅寺に1週間行けばよいと思う。そのほうがよっぽどしっかりした受験資格。必要なのは眠ったらしばかれる修行。

としめておく。今日でようやく久々に熟睡できそうである。仕事は明日から。

090118

シャバに戻る。

この2日間、朝8時半から夕方6時過ぎまで、ずっと立ち番。物を考えてはいけない刑に処されたようなものである。書かねばならない大量の仕事に目を瞑り立ち番。
…いろんな学校もあるもので、今年はお行儀のそれほどよろしくない受験生の多い学校が多かった。というよりも、試験場での立ち居振る舞いが「幼い」。試験で端から眠って解答していないとか、いびきかくとか、試験場本部のトイレに頻繁にツレションにくるとか、休み時間に立ち入り禁止の研究室方面へ行こうとするとか、試験監督のいるべき場所にたむろして雑談しているとか、おまえらここは高校かとつっこみたくなる、、もううんざりだった。コーコーの先生は、試験を受けるにたる品格もあるということを教えてほしい、家畜の全頭検査ではないのだよこの試験は。

かつての大学会場での試験監督って超然とした不思議な宇宙人みたいなひとに見えたものだ。なんかよけいなことしたら即効で不合格ハンコを額に押して高笑いしてくるくる回って去っていきそうなひとばかりに見えたものだ。そんなことはないが、そういう適度の他者性や緊張感は試験にはほしい。

もちろん最後までよくがんばっている子もいた。僕はそういう子には、用紙をくばるときに心のなかでがんばれと軽く念じるようにしている。それぐらいドラマを介入させないと、気がおかしくなる雑用なのである。なにせ何もしてはいけないので、退屈さの挙句、目の前の三次元を平面に見てしまえないかと目を凝らしだすほどクレージーなのである。

これって大学教員がやる意味ってある?いつもそう思う。たぶんあるには違いない。でもない理由のほうが多そうな気はする。
以上、2日間のメモ。

090115

どうでもいい話。出身大学のえらい人の肩書きをみたら、「詩人」となっていた。駄洒落が好きなひとだったのでいつものごとくみくびっていたら10年経ってガチの芸術家(詩人)になっていた。でもこの方、あんまり学生の面倒は見てくれないことで知られている。だからいつもこの肩書きを見ると、「師事、ん?!」と唱えてしまう。…どうでもいいけれど。分かるひとにゃ分かる。

明日から2泊泊まりなので、しかもその翌日も授業なので準備しつつ大掃除をする。原稿を書く前のいつもの癖。書きだしが肝心。

ユンガー写真論を読み、エルセサーをメモしつつ読む。

090114

大学。会議二つ。実は今年初神戸。いきかえりにどこかしら疲れささくれた乗客が多い感じがした。逆にこれが3月くらいになると、少し異常なふるまいをする乗客もちらほら出てくる。ま、それは明るい春が楽しいからなのだと毎年思ったりする。

これとは話は違うけれど、昨年末、駅員でもないのに駅員風の格好をした小太りの中年男性をホームで見た。なるほど濃紺のコートにそれらしいバッジ、オールバックの髪型、恰幅のいい体躯、、、いかにもありそうな感じであった。だが帽子のみがない。でも、ホームで乗り継ぎ方を聞かれた瞬間、妙に生き生きとしていたのが印象的だった。でもそのほかは挙動不審で、乗りなれた客にはばればれで皆シカトをこいていたのだった。
JRさん、こういうの不穏なので処理してちょうだい。

大学に荷物もどっさり届き、合間に整理する。年賀状も数々受け取る。
残り予算が5つくらいの枠で合計15万くらいある。机や椅子、その他消耗品を考えはじめる。

090113

巨大画像の歴史をようやくまとめ終え、ひとまずアイマックスでしめておく。あとはいくつかの映像資料がとどくかどうかというところ。巨大とミニチュアという対立で考えるのは次の学期になりそうである。
実はずいぶん昔に書いたパノラマ画像論の続きを書きたいのだが、ツーリズムの観点、、、アーリ、ブーアスティン、マッカネルの退屈な概念では物足りず、監視の観点、そしてもうひとつふたつツールがないとあまりにも退屈なのでそれを探してもいる。ウェブ上のあの地図写真のあの気持ち悪さを切れなければ、書く意味もないだろうし。

 また、極大化極小化という感覚はなにか広げられそうな気がする。それは小さいものへミニチュア化して所有、極大化して崇高という単純なツールによってではなく、身体感覚の奇妙な横滑りかもしれない。これも考えよう。

 もちろん極小画像論は来期に、ヴァナフォト論とも大きく絡めてみる。

 首、ぼつぼつ治りかける。

090110

某大学のシラバスを書く。こんな細かな書類、事務はたいへんだろう。
別名、絶命○という別名があるという噂もあながちうそとはいえまい。

その後無事送付。

あいかわらず首が痛い。どうやら年始の背筋トレーニングで首をやってしまったらしい。マフラーやタオルで首を硬く固定して生活を送る。気分はこんな感じ。

小橋の丸太腕に絞められるチョーノの首。なぜ実に優しい彼がいつもグラサンして無愛想かというと首が悪いから。小さく首を動かしてリアクションをとると一番首には悪いのである。にしても昨年は膝、今年は首である。

090109

不謹慎だけど「○○シー強盗」の報道を見るたびに、「セクシー強盗」とつぶやいてしまう。不謹慎だ。無人ガソリンスタンド強盗の使う「バールのようなもの」も脳裏にこびりついてしまうことこのうえなし。

朝からヴィデオ論を読み、京大へ。初授業。とはいえ10分でおもな内容のポイントを説明し、その後、ステレオ論を一時間話す。天気のいいときには、京都駅から京大まで歩けるだけ歩くのだが今日はさすがに寒い。首が痛い。

それにしても、最後の授業が、「皆で平行視してぼーっとする」か。。。

で、ステレオの話をしていてフータモの話もする。間メディア論において注意しなければならないことは何か。各メディアへの還元に陥らないようにしつつ、メディア相互の特性のつなぎに薄まってしまわないようにする政治的力学。それがたぶん重要なのだろう。

ハンセンの議論は3分の1だけ表にあげておいた。つけくわえておけば、写真と麻酔というのは19世紀半ばによく結びつけて論じられていたのである。

090108

 正月の一連の特番。雛壇やコメンテイターやワイプにもう飽き飽きなのは私だけだろうか。ある素材とそれを見て喋るタレントとの接触、そしてタレント同士の接触の緊張感は、たぶんとんねるのひととさんまとダウンタウンとみのが崩したんだろうか。そんなここ15年の経緯をぼうっとなぞってみもする。

ラグのベンヤミン論を再度読み直す。同時に2年前にレクチャーのために書いてほうっておいた半ば書きかけのベンヤミン論とそのときの参考資料を発掘する。この膨大な素材をリフォーム工事して違う面持ちの論文を新たに書くのが1月末までの仕事1つ。
 もう一本はこれと少しだけ関連しているけれど、当の相手の先生からの手紙のような論文を待ってはじめて起動する動機が生じてくる論文。2月頭ぐらいかな。
 そして3本目は翻訳しかけの写真論についての論。これが2月末。
 さらにその間にひとつ研究会で報告せいとのこと。これが2月半ばなのだろう。

 作業はすべて同時進行中。楽しいのだが忙しい料理店のように4つのコンロの火加減が難しい。火にかけすぎると焦げ付くし、さめすぎると味が悪くなる。

 ほんでもうひとつ授業ノート1,5回分をつくりはじめる。これはまかないではなく、料理学校での練習みたいなもの。

ということでブログはお休みがちなのも仕方なし。

090107

雑用の後、午前バッチェンの注を入力し終える。

 午後はハンセン論文をこんこんと読み、合間に生協のひとと連絡をとりつつ、夜、ようやく到着した卒論原稿にざっと目を通す。この時期に卒論を見るのはさすがにツライ。ま、いい。
 今年はもう論文提出間際の救援措置はとらないし、当日に大学にも行かないので、しっかりやって提出してくれることを祈っている。それが普通の大学生なのよ、分かってください。

 ところでハンセンの論文は、そこそこ読める内容。結末がもうひと盛り上がりして納得がいき、さらには時間があれば概要を少しでも表のブログにアップしたい。

090106
 午後ようやく初仕事で雑用をさばく。
 で、バッチェンの注をひたすら訳す。結構長く、文献探しに時間がかかりそうな気はしてきた。明日にはもう二つの章の注もやってしまう。

090104

 ようやく京都に戻る。初詣に行き、中華のお店でぐったり。年末年始のお父さんたちの疲れがようやく分かる。ほぼすべての相談に乗る家長というのはこんなもんなのか。家父長制批判はよいけど、こういう負担も考えないとね。

 卒論であれこれ連絡が入る。せっかく休講にした日に面談・・・それは無理。年内に進捗状況を報告して云々という約束が守られなかったのならば、個々のこうしたイレギュラーなお願いはどうなのかな。こういうところ今年はもう切っていきます。また、学生が家族のメアドで連絡してくるのもちょっとなんだかなと思う。大学生なのにね。ま、メールできちんと返事をします。

090103

 昨日は新年会。S氏宅で大勢のひとと豪華なおせちをいただく。
 久方ぶりにお会いした作家のMさん、礪波にいるHさん、造形大のFさん、その彼のJさん、歯医者さん、学長さん、そして新たに会ったフランスのキュレーターXさん、陶芸美術館のSさん、ヒルズに住まい働く謎のひと、いろいろなひとの話を聞きつつ、今年もゆるゆると始まる。
 ついでに昨年末にも聞いたディープな話のすべても聞く。そしてそのひとが大学時代に遡る過去にやっていたこともすべて話を聞く。それを聞いたうえでも、もういちどどうたたくのかについて書いておく。感情的になってしまうと客観性がぼやけてしまう。また怒りや悲しみはある程度括弧入れして3−5年くらい徹底して戦う気がないと、潰されてしまう。それを分からないと、精神はもたない。だって向うがそもそも精神的に変なのだから。

 以上、もうあまり書きたくないけど、そんな冷静なアドバイスをした私でもぞっとするようなお話だった。一言、このひとは、恥ずかしいひとである。

 再び奈良泊。結局短期間に奈良3往復してあれこれ面倒を見つつ、家族会議をした3が日であった。

090102

こちらでもあいさつ。

あけましておめでとうございます。
ことしもよろしくおねがいします。
で、いつものようにことしも「あがらない」でいきましょう。

さて、昨年始めに設定した11番勝負は、11戦4勝6敗1分けだった。
 0 やめない→○/1 アマチュア写真論→○/2 ヴァナキュラー写真論→× というか締め切りが 今年の夏/3 レクチャー開催→○/4 翻訳→△ ことしの課題/5 バッチェン論→○/6 心霊写真投影映像論→×/7 スクリーン論→×/8、9,10、11→×
 
今年はすでにベンヤミン論2本、ヴァナフォト論1、セクーラ論1、翻訳2冊が決まっている。これに毎年更新の心霊映像論、これと連動したスクリーン論、これで8本。また、レクチャーを再びという課題、他、学会でのパネル仕事や学内の雑用も多々ある。また、たまってきた論文を本にすることも考える。とはいえ今年の勝負は上の8本にしておこう。

 念頭にことさら力んだりいきんだりすることはない。
 昨年の状況の大変さから考えてみて、今年もいろいろな時間は奪われるつづけることだろう。それは働き盛りなので仕方なし。ひとり自分のことであれこれ悩めるような状況にもないし、そんな時間も体力すらもったいない。
 それだからこそ言うのでもないが、各大学の院生や就職した若手のひとはもっとエンジンをかけてほしい。他者へと自身をつなぐはずの研究という営為は、今後もますます、ちかちかと明滅を繰り返すわたくしのモノローグの繰り返しになっていくにちがいない。大学の内も外も、そういう意味では壊滅的状態が広がっていくにちがいない。
 それをもうどうにか少しでも揺らしていくような骨太の研究者ともっと仕事をしたいし、そういうひとがもっと闊達に動きまわってほしい。だから自分に対しては、変に低い到達の容易なハードルばかりではなく、さらに高い設定のハードルをまたいくつか立てようと思うし、周囲にもそういう態度でのぞもうと思う。
 ということで今年最初の書き込み。