Burgin,Victor
Thinking Photography


序論

 本書の諸論文は、写真理論へ向けての寄与である。私が「写真理論への寄与」ではなく、むしろ「写真理論ヘ向けての寄与」と言うのは、そのような理論がいまだに存在しないからだ。それにもかかわらず、これら諸論文が示すように、写真理論のいくつかの要素はすでにはっきりとしているのかもしれない。ここに集められた論文は、アプローチの点で多様である。写真論が発展途上にあるという現状のために、もっと内容の均質な論文集ができないのだが、それら各論文が共通して分け持っているのは、写真の唯物論的分析の展開ということだ。つまり、伝記的なものと、−写真についてのきわめて多くの著者が頑迷に保持する自身の見解を守る際に用いる−いわく言いがたさとの混ぜ合わせには依拠しない分析のことである。各論文を紹介する際に、私は互いに関連する三つの話題を議論する。最初に、比較的なじみの「写真批評」とは明確に区別される「写真理論」という考え、ニ番目に、文化研究のなかでの現代的論争−これを背景に各論文は、今日、「位置付け」されることになるであろう−、そして最後に、各論文がもつ、この論文集では重要な知的方向づけ−写真の開始以来の芸術理論の歴史と、各論文との関係−である。はっきりしていることだが、これらの話題についてのどの考察でも、それだけで一冊の本を満たすことになるだろう。私は前もって、この序論の制限範囲内でそれらを要約しなければならないという、必然的に粗略になってしまうやり方をお詫びしておく。



 厳密に技術的な使用法には属さない「写真理論」という表現には、説明がいくぶん必要かもしれない。私が理論の対象として提案しているのは、一連の技術とみなされる写真に限定されない(たしかに技術は理論内部で説明可能なのだが)。むしろそれは、意味作用の実践とみなされた写真である。「実践」ということでここで意図されているのは、特定の社会的、歴史的文脈の中での、そして特定の目的のための、特定の素材への働きかけである。「意味作用」の強調は、次の事実に由来している。つまり、写真の主要な特徴は、−写真が日常の社会生活に遍在しているものだとみなされているのだから−、意味の生産と散種への寄与ということだ。写真理論において構成されるべき対象の特性が記号的である、と論じることは、理論を「古典的な」記号学のカテゴリーに還元するということではない。たしかに、記号学は私が提案する理論には必須であるが、それは写真の制度、テキスト、分配や消費といった諸契機の複雑な表れを説明するには十分ではないのである(ましてや十分であるとも主張していない)。そのような異種混交性に直面すると、写真理論は「間−学問的」でなければならないということは明らかである。しかし、それは、単純に既存の学問をあれこれと並置するという問題のことではない。

 例えば、今現れつつある写真理論のなかで最も未発達の面は社会学的要素だろう。きわめて一般的に、社会学のテキストのなかで写真に出くわすのは、「証拠」としてである、つまり、「世界への窓」としての写真という常識的発想でもって、社会学者は作業しているのだ。このタイプの社会学的写真との遭遇は、写真理論という企図にはまったく無関係である。写真理論は、表象手段が表象されるものに及ぼす規定作用を説明しなければならない。もっと適切なのは、写真の諸制度についての社会学的記述だ。しかし、ここでもまた重要性の基準が適用される。つまり、広告産業において写真家を支配している命令の階層的構造よりも、制度がその作用項[写真家]を−社会的階層には関係なしに−共通の信念のシステムへと導く、つまり、彼らを「宣伝活動を行う人」として構成する際の言説について記述することの方が、写真理論にとっては重要なのである。たしかに、私たちは、決定を下すという構造が諸々の信念の中で重なり合っているのだと思うかもしれない。しかし、広告の社会的効果に浸透しているものの「突端」は、諸々の信念なのだ(このことは、宣伝活動をする人の信念が単純にその聴衆へと「伝達されて」いるということではない)。

 写真理論は、観察可能な体系的規則性−これが対象についての一般的な諸前提を支えることになる−を自らの対象として認めるべきだという、どの理論にも課せられる要求を免除されることはない。これは、すでに理論が教育されるということを認めていることである。たしかに、写真理論の推敲は、すくなくとも原理的には、教育の領域への介入となる。写真教育について語る際、私たちはまったく異なる二つの教育実践を区別すべきだ。第一の教育実践においては、ある特定の産業そして/あるいは商業部門のために職業訓練が行われる−学校が人々を広告写真家になるべく訓練するばあい−。このタイプの教育過程においては、学問研究は「実用主義的」になりがちだろう−その内容は、教育される特定の写真の形態との実践的関係に左右されるのだ。第二のタイプの教育過程では、特定の職業訓練が押しつけられることはない。学生たちは、むしろ写真の総体を一般的文化現象とみなし、どの方向を追究すべきかについて自分の考えを繰り広げるよう要請される。後者のタイプの教育過程の文脈においては、学問研究は発見習得の助けとして差し出される−独立した思考のための幅広い能力を展開するという関心のもと、学生に広範な事実を、数多くの批判的道具を提供することを目指しているのだ−。大多数の教育過程−その関心事は、「芸術」としての写真である−は、その明白な意図とは反対に、ニ番目よりも一番目のカテゴリーに属している。それらは、文化産業の部門−その所産が写真展示会や写真集である−のための職業訓練を提供しているのだ。そのような教育過程の学問的内容は、圧倒的に、芸術制度全体に浸透している支配的信念と価値への無批判な参入というかたちをとりがちである。そのような教育過程では、「批評」と「歴史」が、理論に取って代わっているのだ。

 写真批評は、ごく一般に行われているように、価値評価的で規範的である。写真批評の最も特徴的な形態は、写真家の作品に向かい合った時の批評家個人の思惟と感情から成っている−批評家は、これらの思考と感情を共有するよう読者に説くことを目的とする−。伝記、心理学、当該の写真家の生活、そして批評家自身への参照が自由に行われる。批評において進められている「議論」はめったに議論[論証]であったためしがなく、それはむしろ、適切な言い方をすれば、まるで自分の権威が非のうちどころのないものであるかのごとく凱旋させられる、意見や想定の断定的主張なのである。そのような批評の主要な言説は、ロマン主義的美学理論、リアリズム的美学理論、モダニスト的美学理論の、不快で矛盾した融合物なのだ。「写真史」は、その大方が同じイデオロギー的枠組みのなかで生み出されているという点では、そのような批評を支えている。そのような「歴史」においては、「批評」のなかに見出される未論証のままの慣習的想定が過去へと投影され、そこからそれら想定が地位を転倒したかたちで招来される−もはやそれはたんなる想定ではない、議論の余地ない歴史的「事実」になっているのだ。

 私が記述したのは、写真史と写真批評の支配的様態である。そこでは主要な関心は諸々の名声や対象へ向かっているし、そしてまた、その諸対象は名声を受け継いで商品になっている−売り場に適した歴史と批評。歴史も批評も、アプリオリにこの過程に委ねられてしまうのではないし、本書の各論文の中には、歴史や批評への別のアプローチから結果的に生じてくるいくつかの示唆がある。歴史や批評へのそのような別のアプローチは、写真についての議論を或る狭溢な技術主義的、そして/あるいは、美的な観念領域へと閉じ込める傾向を拒絶する。それが目指すのは、むしろ、写真を実践そのものとしてばかりでなく、社会全体に関連づけて理解することである。このホーリスティックな企図は、伝統的にはマルクス主義文化理論のそれであった。マルクス主義文化理論は、私が着手した意味生産という話題に、最近、じょじょに取り組むようになってきているのだ。本書のすべての論文にはマルクス主義的諸概念が広く浸透しているのだから、私がここでマルクス主義文化研究における現今の論争の状況をすくなくとも大まかに粗描しておくのは適切なことなのである。

は省略。



19世紀半ば、公けの舞台に写真が登場した際、それが19世紀半ばの思想の語彙の範囲内で考えられていたということは、驚くべきことではない。この思想は、写真がイメージにかかわるものであるかぎり、−きわめて図式的な特性づけをすれば−、ロマン主義にリアリズムを対立させるという過程にあった。カントの認識論は、悟性には知り得ないであろう、現象の背後の「本体的」世界を設定し、そのおかげで美学者は、科学が否定した世界についての「深い」認識への道として、芸術における諸々の卓越した感情を主張することができた。ロマン主義の哲学的基礎づけへの批判は、オーギュスト・コントの実証主義に由来している。つまり、カントが述べたように、外的現実性に自らの構造を押しつけるのは悟性ではない、むしろ、私たちの思考を導いているとされるのは客観的世界がもつ内在的秩序なのである。それゆえに私たちは、自分が見て触れる現実性がそこに存在する唯一のものであるのだと認めなければならないのだ。ロマン主義は作家の優位性を強調する。例えば、1850年にドラクロワは、絵画はもはや「口実」ではなく、画家の魂と観者の魂との間にかかる橋である、と書いている。他方で、リアリズムは、世界の優位性を主張する。1861年にクールベは、絵画は現実の存在する事物を描くことができるだけなのだ、抽象的な実在は絵画の領域内には存在しないのだ、と書いている。

 私たちが注目したいのは、ロマン主義とリアリズムにおいて同様にイメージが中継地点−1人の人間主体と別の人間主体との間であれ、人間主体と現実性との間であれ−と見なされていることである。描かれた表面−あるいは新たに登場した写真の表面−は、投影として、つまり、絵画の「背後にある」単一の根底的な存在−作家の存在あるいは世界の存在−からの伝達とみなされた。イメージはこのように、逆説的なことに、不在に現前を与えるものだと把握されるのである。この思考様式との決定的な断絶が、キュビスムによって生じた。キュビスムは実質的対象そのものとしての絵画表面を強調し、描かれた記号を物理的実在として強調したのである。この物理的実在の意味は、何の問題もなく著者の意図や経験的所与である現実に帰せられることは不可能なのであった。しかし、この時点以来、関心の分裂が生じるのである−表面と記号は、まったく分裂した芸術実践および理論の、2本の発展線の出発点となるのだ−。

 私たちが「モダニズム」として知っているそのような展開の行程では、−もっと特定すれば−、この言葉がクレメント・グリーンバーグとその追従者(ただしその本質的な特徴はクリーヴ・ベルとロジャー・フライの初期著作にあらわれているのだが)がその著作の中でこの語に与えた意味においては、記号は表面から完全に消去される。芸術作品は、その境界を越えたいかなるものをも指し示す身振りをしない、まったく自律的な物理的対象になることとなった。表面そのもの−色、一貫性、縁−が作品の唯一の内容になるのだ。キュビスム以降、モダニズムは芸術をその古くからの表象義務から解放する。ただし「表象」は、キュビスム自身が疑問視した言いまわしによって定義されているのだ。つまりイリュージョンと伝達という言葉である。しかし写真は、その事後的作用を無理に捩じ曲げるという現象がなければ、絵画に付き従ってモダニスト的抽象になってしまうことはない。つまり、写真のもつ前例のない類似性の能力は、それ特有の作用を規定しており、その作用を絵画から区別するのにきわめて適していると思えるからだ。たしかに近代という時代には、「写真的視覚」という概念に基く「写真のモダニズム」という形態が登場している。しかし私がこの論文集の自分の論文で論じるように、それ[写真のモダニズム]は、いまだに執拗に私たちの写真経験にとって中心的である「内容」についての考察に対して、最も脆弱で最も不安定な梃子でしかないのだ。

 この内容ということに関するかぎり、写真を考察する私たちの方法は、まだ19世紀の思考の重力野から離脱することにそれほど成功していない。奥行きという比喩に支配された思考、そこでは写真の表面が表面の「背後」ないしは「彼岸」にある何かの投影とみなされている。そこでは、写真のフレームはもっと深遠なもの−現実性そのもの、芸術家の「表現」、あるいはその両方(感性をつうじて曲折された現実性のこと)−への入口という場所を記しているものとみなされる。しかし、写真の表面は、他ならぬ自らの表層性という事実を隠すことはない。私たちが写真の表面に促されて構築するかもしれないどんな意味も、どんな特性も、最終的な終結を迎えることはありえない。それらを、−著者の経験ないしは現実性の真実が据えられていた想像的な収斂点(そう思い描くことで安堵する人もいるかもしれないが)に基づくものとして−保持することは、これ以上不可能なのである。

 この論文集の各論文は、さまざまな方向から、写真における意味の生産という中心的問題にアプローチしている。それはまた、−やはり絶えず写真実践の他の場(なかでも最も顕著なのがジャーナリズムと広告である)との関係において考えられる−意味生産の場としての、芸術実践と芸術制度に幅広く言及している。ヴァルター・ベンヤミンの複雑で精妙なテキスト(第1章)は、それに続く諸論文で着手される多くの考察を導入している。「芸術」実践と、それを支え、包含する広範な社会的世界との関係、「マスメディア」におけるイメージの用法、「政治的関与をする」写真の美化効果、芸術家/知識人の政治的機能、などなど。ベンヤミンの考えは、彼がよく精通していた1920年代のソヴィエトの美学論争を背景に生じている(ベンヤミンが語る、友人トレチャコフは、とくに写真に関心をもっていた)。だから私たちが、先にほのめかした「異なった2本の発展線」の開始点を探すために目を向けねばならないのは、これらの論争なのである。

 ロシアでは芸術対象の客観的自律性についての研究が、西欧よりももっと加速された展開を経験した。それはマレーヴィッチの1918年の≪ホワイト・オン・ホワイト≫において頂点に達し、その後、1920年、彼により絵画の終焉宣言が出され、さらに「過去の先入観」としての画家についての精査が行われた。ロシア・アヴァンギャルドは1917年の社会革命を、自分達の革命の芸術における政治的な対応物として、そしてまた同時に、−芸術家である自分達の専門主義的関心を、自己刷新の過程にあるもっと広範な社会的関心とを統合する−能力の要請として受けとめたのだった。この時期の何人かの若い画家にとって、写真は近代的テクノロジーがもつ魅力を持っていた。それは伝統から相対的に解放されているがゆえに、彼らが自分の絵画的関心を必須の社会的生産へと拡張することを可能にしてくれるだろう、と。批評におけるロシア・アヴァンギャルドは、西欧におけるその対応物とは違い、内容についての考察に敵対的ではなかった。(1915年に創設された)モスクワ言語学サークルとオポヤズ(詩的言語研究学会1916年)に中心を置く、ロシア・フォルマリストの文芸批評派は、ベルとフライの同時代人ではあったものの、彼らとは別の方向へ向かっていった。フォルマリスト達は、最初は象徴主義を批判し、−形式、知覚可能なものが、内容、理解可能なものと対立させて考えられている−象徴主義的な形式概念を拒否した。彼らは形式概念を、作品の全側面を覆うまで拡張する。トドロフはこう書いている。

  「フォルマリストのアプローチは、この「純粋形式」の美的評価と真っ向から対立している。彼らはもはや、形式を、芸術作品の何らかの他の内的要素(通常はその内容)とは見なさず、むしろそれを作品のさまざまな構成要素の総体と解しはじめたのだ。このことから、作品の形式がその形式的要素だけではないということ、その内容も同様に十分形式的であるかもしれないということを認識することが必要不可欠になるのだ。」  

 1930年代の始めにはソヴィエトの社会主義的フォーマリズムへの知的、芸術的熱狂がすっかり抑圧されてしまうのだが、それでもなお、この時期のこれら諸概念は、西欧で継続して展開された。1960年代のフランスの「構造主義」の開花は、東からのこの知的潮流から広く滋養を得ている(少なからずローマン・ヤコブソンやツヴェタン・トドロフといった亡命者の物理的存在をつうじて)。ロラン・バルトの初期の『記号学原理』が1964年の『コミュニカシオン』誌に載った際、それには「イメージの修辞学」が付けられていた。それは、彼のもっと長大な論文の企図を写真という問題的領域へと拡張したのである。今では英訳で広く知られているこの後者の論文では(この理由だけで、この論文集には収録されていない)、バルトは、イメージとの関係におけるキャプションを、「投錨地点」や「中継地点」の機能をもつとみなしている。しかし、イメージそのものは、バルトにとっては「コードなきメッセージ」という逆説でありつづけるのだ(『明るい部屋』という最後の著書で彼が強調しつつ回帰する主張)。ウンベルト・エーコは、映画についての長い論文に由来する、短いが影響的な論文で(第2章)、写真イメージには単一のコードは作用していないかもしれないが−均質な「写真言語」は存在しない−、それにもかかわらず、多元的コードが存在し、そのたいていが写真に先行して存在し、写真において複雑な仕方で相互作用を及ぼしている、と論じている。私自身の論文「写真実践と芸術理論」(第3章)は、エーコの洞察をバルトの記号論に統合しようと試みているが、その際に、他のどんな記号学の「古典的な」仕事が、その当時(1975年)の写真イメージに適用できるのかを示してみたい。

 初期記号学の軌道に孕まれている過度にフォーマリスティックなアプローチが帯びる含意にかんしては、後に続く論文で補われている。第4章ではアラン・セクーラが、実際の批評の中に記号学的概念の枠組みを持ちこみ、そこで−ここではスティーグリッツとハインのイマーゴにおいて典型的に示される−「リアリズム」と「表現」とのあいだの神話論的で一枚岩的な対立を検討する。第5章ではジョン・タッグも、記号学の洞察と社会史の洞察との結合を試みる方法論を介することで、写真におけるリアリズムの問題に取り組んでいる。「写真を見ること」(第6章)は、「体系の記号学」から当該の体系の中に書きこまれた(精神分析的)主体を説明する記号学への移行を写真に適用した、手短な説明である。サイモン・ワトニーの論文(第7章)は、「異化」という批判的概念/美的戦略の広範な分岐と増幅をあとづけ、この主題に取り組み、[異化の]東西ヨーロッパでの起源から今日に至るまでの、写真(そして)芸術への甚大な影響力を明示する。この論文集を結論づける私自身の論文(第8章)は、いくつかの最近の理論に照らしつつ、−異化という1つの特定の「考案」を中心に据える−1920年代のソヴィエトの特定の美学論争を再検討することに立ち戻る。

 それでもなお私が説明しなければならないある不在が残っている。このアンソロジーには女性の論文がないのである。これは、無視や偏見の問題ではなく、偶然的繋がりの結果である。表象についての女性の仕事の多くは、異なる理論領域に関心をもち、そして/あるいはこの論文集とは異なる実践的企図に携わっている。一方で、例えば、『m/f』誌と連関した類の著作はあまりにも一般的抽象レベルであるため、ここで取り組まれている芸術(そして)写真という特定の歴史にかかわることはできないように思われるのだ。他方で、例えばジョ−・スペンスの、とくに写真についての仕事は、独特の、かなり際立った(ただし協同によるが)文化的ー政治的企図をもっている(文献目録に挙げられた、ジョ−・スペンス自身の写真についての論文集を参照のこと。)また、その他の点では本書に幸運にも適したであろう女性の著作は、とくに写真についてのものではないのである(例えば、ローラ・マルヴィーの映画についての仕事、グリゼルダ・ポロックの絵画についての仕事)。にもかかわらず、私が結論で強調したいのは、本書が寄与となる理論的企図は、表象の政治学についての女性運動の最初の、そしてそれ以後続いている主張に負うているということである。

ロンドン、1980年
 

 


Top