Geoffrey Batchen
 Specters of Cyberspace
〔紹介〕

  新たな亡霊が西欧文化に取り憑いている――仮想現実という亡霊である。存在しはしないのだが、すでに無視できない力となっている仮想現実という幽霊は、本当に幽霊的な性質をもっているのである。この事態を表す言葉そのものでさえも、幽霊めいた特質をもっている。仮想現実――それは明らかに真実である〔be true〕のだが、本当に真実ではない〔not truly True〕現実であり、明らかにリアルではあるのだが〔be real〕、現実にはリアルではない〔not really Real〕現実なのである。この言葉は、人間と機械の区別がもはや判然としないほど絡み合った両者の集合体を記述するために、新たに作り出された言葉である。仮想現実のなかでは、人間は仮想現実の技術的代補物という形態へと抗いがたく融合してしまっている、と言われる。結果として生じる新たな生物形態〔biomorph〕は、スクリーンという表面の向こうの世界に住むことになり、さらにそれは、伝統的には現実とその表象を分け隔てているとみなされていた境界の向こうに、あるいは、おそらくこの境界の内部にさえも住まうことになるのである。サイバー生活者〔cybernaut〕は画像のなかに足を踏み入れるだけではない、彼/彼女/それは、画像そのものになってしまうのである。

  テクノロジーによる様々な結合が、このような集合体を産み出す約束をしているとも言える。しかし、その主要な空間的、時間的地平は、コンピュータが産み出す、サイバースペースとして知られている双方向的な仮想環境なのである。仮想現実による投影された夢の領野の中心にあるように思えるのは、こういったサイバースペースの与える三次元的なシミュレーションなのである。というのも、すくなくともある批評家によれば、「これら新たな空間は、社会的なものと技術的なもの、生物学と機械、自然的なものと人工的なものとのあいだの諸々の境界を崩壊させはじめるのである。これがポストモダンの思い描くものなのである」。


  このような特別な想像物は、――時には同一の注釈者からの――矛盾した反応を引き寄せがちである。ある反応では、人間、身体、共同体、性的差異、現実性、その他の近代的なデカルト的認識論の特権的な基礎が失われかねないと嘆かれる。また別の反応では、この同じ喪失が、身障者のため、軍事用、世界的コミュニケーション、性的無差別性、レジャー産業、医学、そしてその他の膨大な利点のためになるものだと称賛される。


  この二つの反応で興味深いのは、仮想現実が約束する現実と表象の内破が、ある意味で、新たな、革命的でさえある現象だという想定である。とどのつまり、――その変化が破壊的なものでも解放的なものでも――批評家たちが、仮想現実のもつ社会変革のための潜在力について語りたくなる理由は何かといえば、完全にもっともらしいかたちの仮想現実がいまだ存在しないし、まだ現実的ではないからというだけのことなのである。推定の上では、想像上のものなのであっても、サイバースペースは近代の時代を超えていくはっきりとした決定的な動きの可能性を表しているというのである。ポストモダニズムはとうとう科学技術的な顔を、つまり仮想現実のための訳のわからないゴーグルという宇宙時代の顔を与えられたのである。しかし、この特別な観相学にはどんな性格が与えられるのだろうか? どのようにして仮想現実は、長い間私たちがたんに得々として「リアル」と呼んできた現実と区別されるのだろうか?


 そのような問いが示唆するのは、前方を見るためには後方を見なければならないかもしれないということである――たしかにこれは、フル装備をした仮想現実のサイバー生活者の前向きの、ただし内向きの凝視〔stare〕を再現しているような分析的身振りであるが――。たえず回帰してくる過去とともにすでにここにある未来とをつなぎ合わせることで、サイバースペースのスペクタクル的問題は、おそらく、空間と時間をつうじてのその独特の軌道を反省的に反復することによってのみ呼び出すことができるのかもしれない。


  しかし、この軌道そのものがいくぶん論争の的となる問題である。サイバースペースにおいては、例えばマイケル・ベネディクトは、ウィリアム・ギブソンの『ニューロマンサー』(1984)をこえて時間を遡り、サイバースペースの歴史的起源を「200万年前のアフリカの温暖で肥沃な平原」と私たちの文化とのずれに探し求めるよう促す「――もしお望みならば楽園からの距離に探し求めてもいいのである」。ディヴィッド・トーマスは、もうすこしだけ近場を見て、サイバースペースを、幾何学的でも社会的でもあるユークリッド的世界観という「原空間」と比較して評価している。仮想現実が「新たな」「産業的」なものであることはしぶしぶ認めながらも、トーマスは、サイバースペースもまた、社会そのものと同じくらい古い、相争う文化的知識の祭儀的過程を表しているのだ、と論じている。カナダの雑誌『パブリック』(1995年)の論文では、ディル・ブラッドリーもポスト産業国家の発生的な蓄積について指摘している。

「サイバースペースが出現する表面を構成しているのは、後期資本主義の社会空間である。サイバースペースは、後期資本主義と近代の福祉国家を規定している権力関係のなかにすでに存在していた管理の論理の具体的表れ、具体化なのである」。


 
仮想現実を扱う歴史家たちのなかには、その社会的展開よりも技術的な話に焦点を絞ることを優先する人もいる。これは、必ずしも話をより単純なものにしているわけではない。例えば、ハワード・ラインゴールドは、「最初の仮想現実」を旧石器時代前半の3000年前の道具の発展にまで遡っている。にもかかわらず彼は、そのあとで自著『仮想現実』の大半を費やして、コンピュータや科学的な視覚現象を含むもっと最近の実験についての個人的経験を語っている。Allucquere Rosanne Stoneもまた、技術の問題に焦点を絞る。彼女は、おそらく仮想現実を扱う歴史家の中でもっとも広範な情報を提供している。彼女は、すでにこのメディアに、たとえ論難されるものであっても、数多くの情報に富んだ「起源神話」を与えているのである。これらの神話のうちのひとつで、ストーンはサイバースペースの歴史を4つの継起的な時期に分割し、1600年代半ばの印刷テクストの導入で話を始めて、20世紀初頭の数年の電信のような電子的伝達システムの発展へと飛んでいく。この後には、1960年代のコンピュータ化された情報技術の迅速な拡張が、そしてギブソンが1984年のSF小説のなかでイメージ化されたコミュニティーの新たな意味が続いて語られる。この、すでに複雑な歴史的地層化に飽き足らず、彼女はさらにサンフランシスコのシンポジウムでもうひとつの神話を与えている。このばあい、彼女はとくに、1838年のステレオスコープの発明にまで仮想現実の系譜学を遡らせているのである。


 この最後の起源の地点は、とくに興味深いものである。1830年代にホイットストーンやブルースター(彼は1815年にカレイドスコープも発明している)が構想したステレオスコープは、ジョナサン・クレーリーによれば、「写真を除けば、19世紀の視覚イメージのなかでもっとも重要な形態」なのである。アメリカの批評家ホームズは、私たちに、1850年代と60年代に書かれたステレオスコープについての数多くの刺激的説明を与えてくれる。これらの記述は、ステレオグラフを「私たちがまるで幽体離脱のように、自分の身体を後にして奇妙な光景を次々と漂うかのような夢のような高揚」を生み出すものであると語っている。ホームズはこのサイバー的なステレオスコープ経験を、1859年に出版された論文でも同様に恍惚とさせる細部に関して記述している。

  「ガラスと板でできた小さな図書館にしまっておくことのできる詩篇の数の何と多いことか! 私はラムゼス王の像の巨大な顔の表面を這い進み、ギザのピラミッドという巨大な山のような結晶をよじ登り、Baalbecの壁の遠大な3つの巨岩を踏査する――人間が中空に持ち上げたなかでも最も強大な切り出された岩の塊である。…私は机の肱掛椅子のところにいる外側の身体を置き去りにして、精神のなかではオリーヴ山からエルサレムを見下ろしているのである」。

 
ここで私たちは、数多くの注釈者たちが「革命的」「全く新しい」と呼ぶ仮想現実経験と緊密に平行しているように思われるであろう、19世紀前半の視覚技術の記述を目にしているのである。チャールズ・バベッジ(17921871)という最初の分析機械ないしはコンピュータの発明者(これはこれで1822年のDifference Machineに基づいている)もまた、ステレオスコープの肖像写真(ヘンリー・コレンがホイットストーンのためにおそらく1841年に撮影した)を座って見た最初の人物なのである。私たちはそれゆえ、彼も最初期のステレオ・サイバー生活者であると想定することができる。しかし、彼が探求したのは、いかなる空間の性質なのだろうか? そして、どのようにしてこのステレオ空間が、私たちが今現在サイバースペースという名前によって特権化しようとしているコンピュータが導き出した環境に関係するのだろうか?


  ジュリアン・ブレッカーは、ステレオスコープと仮想現実のもつ含意が「根本的に違うもの」であると論じる批評家である。1992年の『Afterimage』での論文で、両者には「初発的な類似点」はあると論じるものの、彼はステレオスコープが視覚生理学の科学的研究から生じたという点と、仮想現実がコンピュータ化された情報の組織化と分配にかかわっているという点とを対照させている。ブレッカーは、仮想現実が容易に軍事的、企業的、消費主義的な謀略に吸収されるという暗い側面をとりあげて、それが「情報分配装置の支配的で影響力をもつ国家のメトニミー」であると結論付けている。じゅうぶんに予想されることだが、権力と技術との関係のきわめて単純な粗描は、オーストラリアのアボリジニのもつ反技術的な純粋さの賛歌で終わる…あるいはすくなくとも、ヴィム・ヴェンダースの映画《夢の果てまでも》(1991年)で描かれた仮想的な未開人たちへの賛歌で。

 ブレッカーの説明の問題点は、それが複合性のための余地を残していない点である。つまり、権力と歴史双方の作用の複合性、サイバースペースそのものの多様性や複合性のための余地(そこではペンタゴンが設立したシステムが、大学生によって引き継がれ、同様に
ChiapisMultiple User DialogueEメイル・サービスに反逆を行うのだ)、そしてアボリジニ文化の複合性のための余地である(ここ最近オーストラリアの最も興味深い映画やテレビ番組のいくつかは密かにアボリジニ文化が生み出しているのだ)。

   にもかかわらず、ブレッカーの差し迫った警告は、すくなくとも私たちの議論をサイバースペースと政治学の問題、政治学としてのサイバースペースの問題へと向けてくれる。この点で、ステレオスコープのような技術が、1800年頃の数年に起きた、観察者と観察されるもの、主体と客体、自己と他者、仮想と現実、表象とリアルとの境界線の一般的な解消のひとつの表れでしかないということに注目しておくのが面白い――何人かの人々が主張したがっているまさにこの解消は、新たに生じたポストモダン的な仮想現実特有のものなのである。私たちは、例えばこの同じ分裂が、写真のような「リアリスト的」イメージ制作のなかに書きこまれていると気づく。1790年に構想され、ただし1839年にやっと市場にのせられた、写真という概念―比喩は、カメラの光学的幾何学がもつ遠近法的秩序に晒される、光を反射させる表面によって産み出された仮想イメージを中心としている――写真の数多くの発明者たちが、写真とはなにかということを満足のいくかたちで正確に定義することができなかったように思えようとも。というのも、写真によって彼らは自分にとって何か全く新しいものを記述しなければならないと感じていたのであり、それは明らかに観者と観られるもの、表象することと表象されるもの、固定性と一過性、自然と文化の双方を包含した相互構成的な関係なのである――これらの言葉はすべて、徹底して再配置される。この難問が、このような関係を表す語として、たまたま選択された「写真」という語には具体的に表れている。動詞としても名詞としても作用しつつ、写真は、生産すると同時に生産される、書きこまれながらでさえ書きこむ「書記」の形態を記しているのである。それはあたかも、写真が、一方が他方を折りこんでいるメビウスの輪によってのみ、適切に示すことができるかのようなのである。


複雑な語源史の文脈の中で見れば、写真は、ミシェル・フーコーがパノプチコン主義と関連づけた訓練=規律の権力がもつ逆説的な作用を強烈に想起させるものとなる。1791年に(つまり写真が構想されたのと同じ10年間に)ジェレミー・ベンサムが構想したパノプチコンは、フーコーにとっては、近代の権力体系の作用を表す典型的な技術的比喩なのである。

 この新たな牢獄の概念である円形建築は、個々の囚人を中央の塔に立っている単一の観者が持続的に監視することを可能にした。塔の頂上から照る明るい光のおかげで、看守は独房にいる者の目には見えないままでいることができるのである。塔は、監視の過程の害になるようなこともなく、無人にしておくことさえできる。囚人は、自分が見張られているのか否かがけっして分からないので、つねにそうなのだと思いなすことになる。彼はそれによって、自分自身を監視し、規律=訓練せざるをえないのである。たえず自分自身を、塔と独房のあいだの空間へと投影しつつ、パノプチコン的主体は囚人であると同時に、投獄する者にもなり、自分自身の主体かつ客体になる。フーコーが言うように、「囚人は自分自身の従属=主体化の原理となっているのである」。


 
フーコーがパノプチコン主義というものが効率的な監獄のデザインであるばかりではなく、「理想的形態に還元された権力の機構のダイアグラム」であると言っている点を思い出しておこう。彼自身の著作は、くりかえしそのような権力のダイアグラムに立ち戻り、つねにその内部に人間の主体性の、とくに近代的な配置化を見ている。認識の主体かつ客体として据えられ、この近代的主体は、――彼が言うには――あきらかに「奇妙な経験的―超越論的ニ重体」となっているのである。権力/認識の行使のための担い手、およびその効果として、近代の人間主体は、言いかえるなら、仮想的なものと現実的なもののたえざる相関の裂け目のうちで産み出される存在なのである。
 


 そのような考えが、とくにフーコー特有のものだというわけではない。ジャック・ラカンは「鏡像段階」についての1936年の省察のなかで同じ概念的エコノミーのようなものを繰り返している。これは、私たちが、いわゆる仮想的他者のイメージと正面から向きあわせられることで、自分自身を自己として認識することを学ぶ、幼児期の発展の中の必然的局面である、とラカンが指摘している事柄である。鏡像段階についてのラカンの記述によれば、私たちの無意識は、現実と仮想との間に知覚された差異を統合しようと、努力するのである。その結果が、取り返すことのできない分割された存在に私たちがなるということである。私たちは、つねに自分自身と分割される過程にある生き物なのである。ラカンはこのことを次のように述べる。この分割された主体性の生産は、「一連の身振り」を中心としている、「そこでは〔子供は〕イメージのなかに想定される運動と、映し出された周囲の世界とから成るこの仮想的複合体と、それが複製する現実性とのあいだの関係を経験するのである――子供自身の身体、その周囲にある人物と物という」。
 
差異化の世界の中で完全な主体になるためには、子供はきわめて感情的に所有されるサイバースペースを創出するしか手立てがない。このように、ラカンの図式では、けっして解決されない仮想と現実の集合体が、人間の主体性のまさに組織化を構成しているものなのである。
 
 この話はたしかに、大人である私たちが現実の鏡のなかの自分の姿と向き合う時にはいつでも実演されている。そこでは明らかに、リアルであるが完全に創り出された複製に向き合っているのである。私たちは手を挙げて、自分の複製的自己の反対の方の手と自分の手が完全に調和していることに気づき、仮想空間の中で私たちの目の前で漂う自分に気づく。この複製は、分離された実在であるが、私たちのもうひとつの「リアルな」自己と不可分なのである。この自己―同一的なシミュラークルに一致するために、身体は自身の皮膚という境界を破り、また同時に、自分の諸感覚の両側面を占めるのである。それはある面では、分割された自己を統合するものであり、鏡の前と後ろで行われること、自分の眼差しの主体かつ客体なのである。私たちは世界を動く際、たえざる二重の身振りの具体的な実行としてそれを行っている。


   選ばれたこれらの例は、ここでは手短に粗描されたが、サイバースペースの歴史や文化的含意についての包括的な説明がこれから書かれなければならないということを示唆している。しかし、すでに「仮想現実」(そしてそれが表象するとされている境界や対立の解消という脅威)は、特定の技術やポストモダン的言説に特有のものではなく、むしろ、近代そのものの根本的条件のひとつなのである。だから仮想現実による身体、人間などの破壊を嘆く者は、――すでに200年近くのあいだ抹消されている――デカルト的現実と主体を哀悼しているのである。


   すでに長い間私たちとともに存在したものとしてのこのようなサイバースペースのイメージは、私のこの小論をその始まりに戻してくれる。つまり仮想現実が、現在西洋文化の言説に取り憑いているということである。というのも、私たちが適切にサイバースペースをポストモダン的現象であると特性づけるならば、それは近代的なものの後に現れるのではなく、自分自身へと折り返そうとするモダニズムの欲求の再活性化なのである。仮想現実と同様に、このヴィールスとしてのポストモダニズムは、それと不可分の寄生主から栄養を得て、他者の逸脱的形態として自らを複製し、それによって私たちに難題を残す。なぜなら、それは同一のもののあまりにも忠実な反復であるからだ。だから、サイバースペースの政治的で、歴史的な同一性が最も上手く探求されるかもしれないのは、ここ、つまりこのような絡み合いの複雑な混合――一方の、他方によるエスパスマン(間化)――においてなのである。 


 


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