Terry Barett
Criticizing Photographs
-An Introduction to Understanding Images-

第4章 写真のさまざまなタイプ

(はじめに)
■写真のさまざまなカテゴリー

(はじめに)

 写真はその発明以来、さまざまなカテゴリーのもとに置かれてきた。1839年、写真メディアが発明された当時、写真は、最も古く、しかももっとも長い間保持されている二つのカテゴリーに分けられることになった。つまり、それが科学であると同時に芸術であると称された時のことである。

 またこれとは別の区別も写真の歴史の始めから存在する。これは同じような使いかたをされるが、さまざまな見出しのもとで用いられている。つまり、芸術として生み出された写真を、さらにピクトリアリズム的と純正主義的[purist]という二つのグループに分割することである。この区別を表すもっと最近の用語は、「マニピュレーション」と「ストレート」である。この区別は対立的なものであって、そこでは写真を制作する手段が議論の俎上に乗せられることになる。1861年、C・Jabez Hughesというピクトリアリズムの写真家はこう宣言している。「もし1枚の写真を1枚のネガから創り出すことができないのならば、2枚でも10枚でも使わせてやればよい。ただし(中略)写真が完成した時に重要なのは、それが生み出す視覚効果であって、そこで用いられている手段ではないのだが」。しかし、ストレート写真の美学によれば、用いられるべき技術とは、手によるマニピュレーションや「絵画的」なものではなく、「写真的なもの」と見なされるものでなければならない。1904年、サダキチ・ハルトマンは、ストレート写真を推し進めている。「要するに、あなたがたが構成すべき写真とは、そのネガがまったくパーフェクトなものになるよう上手に撮影された写真、つまりマニピュレーションをする必要が少しもないような写真なのである」。その約20年後、エドワード・ウェストンは、ストレート写真の立場を繰り返し述べ、「写真へのアプローチはリアリズムによって行われる」と強く述べているのである。

 写真史家ボーモント・ニューホールは、『写真の歴史』の1964年版で写真を4つの様式的傾向に分割している。ストレート、フォーマリスティック、ドキュメンタリー、イクイヴァレントの4つである。彼は、スティーグリッツ、ストランド、ウェストン、アンセル・アダムスをストレート的アプローチを取った人々の模範的な例として確認している。「そこでは豊富なテクスチャーと細部を具えた正確な映像を記録するというカメラの能力が、自然や人間を解釈するために用いられており、けっして現実との接点を失うことがないのである」。マン・レイやモホイ=ナジはフォーマリズムの様式であると言われている。これをニューホールは、カメラを使用しないまま、写真への関心も持たず、形態そのものだけをそれだけのために遊離して組織するという手段であるとまとめている。ドキュメンタリーの様式では主題が前面に出てくる。それは、「介入なしに記録したい、率直に、正確に、そしてとりわけ確信をもたせるように伝えたい」という欲求を本質としているのである。「イクイヴァレント」という言葉は、スティーグリッツから採ってきたものであり、写真による比喩を指している。つまり「感情的な意義や内的な意味を担わされ」たもの、ただし「まず何を措いても写真」であるような比喩のことである。ニューホールのこういったカテゴリーは中立的なものではなく、彼自身、ストレート写真の美学やアプローチを推し進めている。それはとくに写真的であるとみなされているのである。ニューホールは、農業保障局に雇われたウォーカー・エヴァンズなどの写真家が制作した写真を、ドキュメンタリーの写真として例に挙げる。スティーグリッツは、雲を撮影した自身の写真のことをイクイヴァレントと呼んでいる、だからニューホールはマイナー・ホワイトが撮影した風景写真のことをイクイヴァレントの他の例として挙げているのである。


■写真のさまざまなカテゴリー

 シャーカフスキーは、自らが企画したうちの2つの展覧会で、私たちが写真を観賞する際に用いるべきさまざまなカテゴリーを提案している。≪フォトグラファーズ・アイ≫という展覧会およびその後1966年出版の本のなかで、彼は写真を芸術というカテゴリーと科学というカテゴリーの両面から包括し、写真固有のものと思われる5つの特性を挙げている。



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