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18世紀の「複製版画」
まず、18世紀と19世紀では複製版画に対する考え方が変化しているということの確認。18世紀では「複製版画」(近代以前の複製版画には「」をつけて使っていきます)は、今ぼくたちが普通に考えるように(複製と言ってしまうことでそう考えるのだろうけど)「オリジナルの複製」ということよりも、もっと積極的に「版画というオリジナル作品」として受容され、流通していたこと。18世紀は多量の「複製版画」集(有名な画家の絵画の版画化)が制作されるけど、これはけっして今考えるような複製版画としてオリジナルを幻想させる媒体ということにつきるものではないように思います。そうした版画には、絵画というメディウムとは違ったかたちで、絵に表現された(19世紀的な意味ではありません)主題が表現されている、そのことの享受と流通が自立してあったと考えています。
こうしたことが理解できるのは、たとえば、ある版画家がアカデミー会員となるときの入会作品が「複製版画」(多くはエッチング)であることが多いことを考えてみてもよいかもしれない。入会作品は芸術性(上位の文化的価値を表わす言葉)がなくてはならないもので、したがって版画家の将来に関わるものだけど、その評価は、単にオリジナルを上手に複製していることだけが問題なのではなく、版画家の線による明暗が織りなす技術による新しい主題解釈(造形的な意味での)に向けられてもいます。これは19世紀のコピーのオリジナル化という現象とは少し違った事態です。
この問題は、画家とか絵画というものの考え方の違いに由来するのだと思います。たとえば、レンブラントの絵を問題とするとき、近代のように絵画作品としての完結性だけが重要なのではなく(もちろん、このことの意味が低いというわけではない)、作品が模倣している(imiter)もの、結局、当時の言葉でいえば「自然」ですね、これが強く意識されているという単純なことです。このように絵画が自然―模倣(当たり前のクリシェだけどこのことの意味は深い)で成立しているとすれば、その絵を複製する版画は、絵画―複製(copie)/模倣(imitation)―自然という図式のなかに成立しているジャンルといえるでしょう。複製だけど、それは模倣でもあることによって、自然につながり、そこでbeaux-artsとしての資格を与えられるというわけです。版画家がアカデミー会員となれるのも、自然模倣の技芸だということによってです。ただし、版画の模倣は絵画を経由してのものなので、微妙なんですよね。でも、18世紀の「複製版画」は前川君の引用した研究者がいっているように、けっして「オリジナルへの再解釈作業が自明のもの」というわけではないんです。再解釈作業の突き当たる先は、繰り返せば、自然だからです。この「複製版画」の微妙さは19世紀にはいってしだいに失われていくとみえます。
前川君が書いている、「複製版画は、それを制作する版画家の芸術的解釈を内に含んでいる、つまり、手による解釈の挿入がなされていると言われる。」というのも、あくまで今のぼくたちの眼から見た、19世紀の複製版画においてでしょうし、もう少し付け加えれば、その芸術的解釈は、少なくとも複製版画の場合、かなりオートマティックな職人芸の領域のうちで考えておく必要があると思います。19世紀の版画は複製版画の領域から創作版画の領域へと変質しており(世紀中頃の腐食版画協会(正確な名称忘れた)などに代表される動きですね)、複製版画は「手」というより手工業(工業に力点があります)によるオートマティック化へと加速していったとみえるからです。多くの19世紀の複製版画を見ていて気付くのは(勘ですが)、オリジナルのデフォルメ化(文字通りの意味、つまり下手に歪めているということです)ですね。とくに、19世紀の後半の複製版画(とりわけガイドブックや美術館案内という部数が多いメディアに掲載されているもの)を見ていると。もちろん、18世紀の「複製版画」よりも版画家の創作版画芸術としての解釈が加わったぶん、独自の「オリジナル」な複製も少なくはないけど、前川君がやろうとしているような局面では、デフォルメ化も面白いと思いますが。この大衆化されたデフォルメ化の複製版画とオリジナル/オリジナリティー絵画との関係ですね。ただし、これは複製写真が普及していく前の話。
19世紀末からの複製写真とオリジナルの関係とどのように繋がるのか、このあたりの写真をちゃんと見たことないのでなんとも言えないけど、その初期にはかなりややこしいことがあるんだろうね。ぼくも今度調べてみよう!
ともかく、18世紀と19世紀の複製版画の違いの確認から、早々と19世紀後半の話へと移ってしまったけど、もう一回、時間を遡行することにします。
18世紀の「複製版画」についてごく簡単に振り返ってみたけど、この版画は、最初にも書いたように画集の形式で、あるいは一葉づつの単品で制作販売されてたものです。言い忘れたけど、ここでの話は基本的にパリを念頭においています。そこがヨーロッパで版画の最大の生産地であったことを考えれば18世紀全体に敷衍していいでしょう。
画集は古今の画家の作品集や、有名なキャビネ(収集室)あるいは寺院にある作品の「複製版画」です。そうした版画にはオリジナルへの回路志向はもちろんあるけど、それだけではないのは上で書いた通り。あと、「複製版画」の制作は、これも上で紹介した版画家がアカデミー入会のために制作したり、展覧会(サロン展)のために行われるたことぐらいでしょうか。
実は、18世紀という時代は、「複製版画」は多いのに美術書に添えられた複製図版というのがほとんどないんです。資料をひっくり返せばあるのかもしれないけど、今すぐには思いつかない。19世紀と違って美術館がないということも大きいけど、ただし、知ってのとうり展覧会(サロン展)は確立していて、その簡便なカタログ(リヴレ)も発行されていたし、世紀後半は批評冊子なども数多く刊行されたので、そんなところに作品の紹介とともに図版でも掲載すればと思うんだけど、これがないんだよね。 また、この世紀の一番重要な美術書だった売立カタログにも複製図版はいっさい掲載されていないんです。このカタログについては前に発表したことがあるので繰り返さないけど(ただし、枚数制限があって言いたことの半分くらいしか書けなかったけどね)、美術書に図版が添えられていないというのは、多くの本に挿絵図版(エッチング)が使われていた時代なのに不思議なことです。
後日、追加。
(なんてうっかりしていたんだろう。18世紀の「画集」にはすでに画家紹介と解説が付いていたのを忘れてました。ただし、そうした画集があったからといってここの文脈に大きな変化はないけど。)
ただし、見方を変えて「複製版画集」が美術書だと考えれば、そこに作品解説が付いているものはあるんです。もっとも有名なのが「クロザ画集」と呼ばれている「版画名作集」で、そこにはマリエットの作品解説が付いていたし、ドレスデン王室コレクション画集もそうだった(これらについてはフランシス・ハスケルのThe
Painful Birth of Art Book,1987,Thames and Hudson.で扱われている)。また、世紀末になると画商として有名だったルブランが『オランダ・フランドル名作集』を刊行していて、そこにはかなり詳細な解説があったな。でも全体を通してみれば量的には多くはないし、その企画規模に比べて普及率はかならずしも広がりを持つものではなかったと推測しているけど、でも、この企画はハスケルも言っているように画期的なものであったといえるでしょうね。とりわけ、絵画が版画と言葉によって総合的かつ美術史的に伝えようとすることが始まったという意味において。ただし、この企画は後にも書いた通り失敗するんですね。値段的な問題もあったんだろうけど、絵を見ることは単に視覚だけに還元されることではなかったということでもあるんでしょうかね。かろうじて文章がつなっがったかな。
このwhy(なぜ図版が添えられないのかということ)に解答を与えるのはけっこう難しいけど、そのひとつにdescriptionという言葉の形式に対する認識と深い関係があると考えています。つまり、言葉によるイメージの複製の問題です。それがあり得た、少なくともそのように考えた時代だったといってもよいかもしれない。18世紀に絵画と版画をオリジナル/コピーで考えようとすると、視覚メディアのことだけでなく、言葉の問題も絡ませる必要があるんです。言葉によるオリジナルのコピーは、これもオリジナルを逸脱するのは当然だけど、でも、この言葉の向かうのは、「複製版画」と同じようにかならずしもオリジナルだけではないだろうと考えています。理論的に処理してしまえば、版画と同じように、キー概念としてのimitationから例の「Ut
Pictura Poesis」のテーゼへと繋げていけるんだけど、それは単純すぎるので、そんな超理論化をしないで、もう少し膨らみのある理論的思考をしたいと思ってます。どうしたらいいでしょうね?
19世紀の複製図版
まず、複製版画のことから。18世紀的な「複製版画」は19世紀にも制作されていくけど、しだいに括弧がはずされてくるようになるでしょうね。ここにも複雑な問題が絡んでいます。そのひとつとして、19世紀に制作される複製版画は18世紀までの「複製版画」のコピー的性格を持つこと、それによって18世紀の「複製版画」はレアーものとして、18世紀以上にオリジナル性を獲得してしまうこと。ただし、このオリジナル性は自然の解釈を含み持つ18世紀のそれではなく、芸術商品的複製版画として新しいステータスを持つことになります。そのうえ、絵画芸術のいっそうの格上げという、「芸術」という制度の加速化によって版画家は美術制度のなかで18世紀より格が低く見られることにもなっていきます。ともかく、19世紀の複製版画は、繰り返すと、18世紀とは違って、手工業的なオートマティックなアートへと傾斜していくと思われます。
写真が誕生して半世紀以上を経ても美術書の複製図版として版画が優勢を占めたのは、おそらく複製版画と写真のコストの差、つまり経済原則に従ったこともあるでしょう。複製版画(エッチングでも石版画でも)はおそらく安く制作でき印刷できたのではと想像しているんだけど。(このあたりは、ほとんどカン。経済的な問題を調べたことがないので。写真の経済のことを書いた本があったら教えてください)。
さて、これから複製版画図版について。これは複製版画の変遷とも関係するけど、面白いと思うのは、18世紀になかった複製図版を持つ解説つきの画集が19世紀のとっぱなから大々的に登場してくることです。一番早い例を確定してないけど、少なくとも、パリのいくつかの図書館でみるかぎりルーヴルを中心とした美術館の所蔵する絵の画集が最初のようで、それは1802年に刊行された『Manuel du Museum fran・/FONT>ais avec
une description analytique et raisonn・/FONT>e de chaque
tableau, indique au trait par une gravure a l'eau-forte,
.........』という1806年までシリーズで刊行されたもの。図版はタイトルにも書かれているようにエッチングだけど白描線刻画とでもいってよいもので、陰影なしのただ輪郭を写しとった版画です。ここでは版画家の解釈はそれほどのものではないけど、それがテクストとタッグを組むとある解釈性が発揮されることになる、といったらいいか。これは、もう一度あとで触れましょう。
この白描版画だけが画集の図版なのではなく、1805年には『Annale du Musee......』(こちらはけっこう知られた画集)という、これもルーヴルを中心とした解説つき画集が刊行されだします。こちらは、エッチングで18世紀の「複製版画」に近いものだけど、線の細かさはなくてわりとあっさりした印象のある複製版画です。こちらは今回横に置いておくとして、その白描線刻画のことを少し考えてみます。オリジナル/コピーの変質にヒントを与えてくれると思うので。
まず、上に挙げた1802年の画集の冒頭にある「読者に」という文章のなかで語られている複製版画図版観を少し引用しておきましょうか。
「版画は絵画を表わすことはない。しかし、もし版画がそのモデル〔*元の絵のこと)〕よりうまく作られたら、それは模倣としてではない。であれば、版画がタブロー以上のものかといえばそうではなく、だいたいはそれ以下である。版画はタブローのイデーをどんな場合でも与えることはできず、せいぜい、元のタブローを見た人にそれを思い出させることしかできない。」
こんなことを読むと、絵画と複製版画はオリジナル/コピーの関係の内にしか成り立ってないように考えてしまうけど、これは白描線刻画を図版とすることへの論理の冒頭なので、こんなことを言っていると考えた方がよいでしょう。さて、その続き。
「タブローの版刻されたコピーが表わすことができるのは、コンポジションだけであるから、そのためには、しっかりと素描された線画で十分なのである。また、これまでに版画化されたすべてのギャラリー画集は多大な費用を費やしたのもかかわらず、ほとんど成功しなかった。本エッセイは美術館にあるタブローについての批評的というより論証的(raisonnee)な分析であるので、テクストに添えられた白描線刻画は、当の主題が表わすものの確かな指標としてのみ見られるべきである。・・・・・」
経済的問題の暗示も面白いけどそれは別にして、最初に現れた複製図版がコンポジションの確認のためだけに添えられたということは、かなり興味あることではないかと思っているんだけど。
その画集は現在の展覧会カタログと似たような形式で、最初のページに図版が掲載され次の2、3ページに作品記述(描写、分析)が続くというものです。読者は、図版を見つつ文章を読むということになるのでしょう。物語画の場合にはその主題説明がこの記述とは別に、原典からの引用としてタイトルの下に掲載されてます。また、その記述の中心は、18世紀と同じように作品に表わされた場面の描写(description)です。そこで図版の役割は、描写の一種のメモランダムとしての機能のような気がします。ただし、18世紀の図版なしの描写と違って、ここでは図版のおかげで描写のエクリチュールが独自のものへと逸脱することはあまりなく、逆に図版の略図性は版画の版画性をかなり失なっていることで、図版とテクストのタッグは、そこで直接絵を想起させる志向をもっているといえるかな。これ、当たり前のようでいて歴史的にみると結構面白い。
また、もうひとつの問題は、参照される絵がコンポジションの原理のなかに浮かびあがってくるということ。コンポジションとは3次元空間における配置、諸モティーフの表現とそれらの関係のあり方の問題ということだけど、この画集は図版とテクストによってオリジナル(絵)をそのように分節化しようとするということなんです。絵画のオリジナル性をそのようなものとして捉えたということですね。この分節の仕方はどこか後(のち)の様式分析の一端を思い出させます。そして、こうした記述的分析のエクリチュールのなかに「美的」判断が挿入されることになるんです。このとき「美的」判断は、絵画の全体性以上に、コンポジションを中心とした絵のあり方に向けられることになるでしょう、当然!また、そのように表象される絵は、19世紀のアカデミーの絵画観をも暗示していて興味深い。
だから、画集に表象される絵がオリジナルを必然志向するとしても、そのオリジナルのオリジナル性にはすでに枠がはめられていて、オリジナルを前にする観者の眼ざしを規定しているという当たり前のことなんだけど、この規定が19世紀の取りあげた画集ではますます言説的なものになってきたんだということかもしれない。美術史学の誕生?おそらく。
ほんとはもう少し精密に分析したいんだけど、ちょっとした混乱もあって、このあたりにしておきますが、とりあえず、この白描線刻画の図版は19世紀の後半までけっこう使われていくんです。表現の細かさの程度はいろいろあるんだけど。
たとえば、1828年から34年にかけて出版された、初めてのヨーロッパ美術名品集といったらよいか、Jean
Duchezneという人の手になる17巻(!)からなる『Musee de peinture et de sculpture.......des collections
publiques et particulieres de L'Europe....』という画集の図版(版刻はReveilという人の手になるもので、結構出来がいい)はすべてこれ。ただし、この画集は図版の方が多くて記述は少ない。この図版は半世紀後に再利用されているのにもびっくり。それは同じヨーロッパ名品集でMenardという人の編集になるもので1874ー1875年に10巻で出版されたもの。
ヨーロッパ美術というイメージは18世紀までまったくといっていいほどなかったもので、それが美術館時代を迎えた19世紀に誕生してきたこと、そして、そのイメージがこの手の図版によって表象されたというのは何としても面白い。他にもいろいろこの手の図版が使われた美術書があるけど、19世紀の線刻図版というのは結構面白い素材だということに、前川君のおかげで気付いた次第。ヴェルフリンの線的/絵画的の図式の絵画的が写真の映像にあるのではと書いていたけど、となると「線的」を白描線刻画と関係させたくなりますね。この線刻画の版画図版だけが19世紀の図版でないことは書いた通り。
あと、ぼくのメモということで、19世紀の複製版画図版について気づいたことを断片的に書いておきます。美術館、展覧会、美術史書、ガイドブックなどの図版が中心ですが。
まず、19世紀前半は、上の画集などもあるけど、全体として複製版画図版が挿入された美術館や展覧会(サロンを除けば、前半にはそれほど多くはない)のカタログは全体として多いとは言えないこと。おそらく、図版入りが普通のことになってくるのは後半に入ってからでしょうね。それはdescriptionの形式を変化させることになると思います。これでやっと18世紀までのdescriptionの魔法が溶けてきたということかもしれない。繰り返すけど、図版はかならずしもdescriptionに代わるものではなく、絵とその表象の新しい関係が始まったと捉えるべきでしょうね。
また、アルバムの形式(基本的に解説はなしに等しい)が登場してきたことも面白い。上の白描線刻画による画集も一種のアルバム形式だけど、もっとアルバムらしいものです。アルバムらしいというのはぼくたちの持つ写真アルバムのイメージからしてだけど。もちろん、18世紀にはたくさん制作されたけど、同じエッチングのアルバムといっても、どこかその形式も含めて違うんだよね。たとえば、印象派の画商として名をはせたデュラン=リュエルは1845年に『近代絵画名品集( Specimens des plus brillants
de l'ecole moderne)』として、おそらく自分の画廊にかかえる絵の美しい複製版画集を刊行しています。この版画集などは、まさに前川君の論文にあるコピーのオリジナル化としての複製版画なのかもしれない。
でも、印象としては(現在のぼくの眼からだけど)写真っぽい感じなんです。版画から写真への移行期というのがあって、肖像写真などでよく論議されていることだけど、そのことはやはり興味がありますね。写真が絵画の形式を借りたということという当たり前の議論とはちょっとづれたところで、絵画と写真の関係を考えてもいいのかもしれない。「づれた」というのは、写真的映像をエッチングに応用するとどのような版画像が生みだされるのかということだけど、考え方としては平凡ですね。デュラン=リュエルのアルバムはそんなことを考えさせました。ただし、このことを確認するのは大変。とくに19世紀の中葉にあっては。
あと、図版ということで面白いのは(現在の段階での話しだけど)美術ガイドブックですね。ガイドと美術館のカタログや解説本とどこが違うのかといっても、基本的にはタイトルに「ガイド」とうたってあるだけのこと。でも、旅行ガイドは知ってのとうり18世紀の後半からぞくぞくと刊行されていたけど(もちろん、都市ガイドには美術館ガイドが大きな部分を占めている)、「美術館ガイド」というのは意外と多くはないんです。たとえば、ルーヴル美術館ガイドの目録をたどると、一番古いのが1855年にパリで刊行された英語版のガイド・ブック。これは図版入りではないけど少し考えさせられるところがある。
というのも、そのガイドは1849年に開始されるルーヴルの本格的な、ということは当時の美術史的研究のある意味では先端をいくカタログの簡便なまとめとなっているからです。このカタログの説明は長くなるのでやめにして、カタログ(高級)からガイド(下級)へと知識が縮小されつつ下降していくこの流れに、近代の教養の構造の発生なんかを実感してしまうんですね。ちょっと大袈裟だけど。
それはさておき、図版入り美術館ガイドの本格的なものは1856年に出版されます。もちろんエッチングで。『Guide dans les Musees de Peinture et de
Sculpture du Louvre et du Luxembourg』(par Th.Pelloquet)。「1フランの挿絵入りガイド」という大衆性を表にだしたシリーズの一冊なんだけど、内容はけっこう本格的で、その説明なんかは今の美術館ガイドより充実していると思えるほど。美術史的知識はそれまでのもののレジメ風であることは変わりないのに、作品の美的判断にやけにこだわっていて面白い。このことは別にして、図版の話にもっていくと、とにかく、取りあげられている作品はけっこう多いんです(図版は各有名画家の1点(例外もある)が1ページ全部を使って挿入されている)。作品の取りあげ方はいまとさほど変わらないけど、最初の方にも書いたとうり、複製版画図版の質(印刷のレベルではなくて、版画家の質)が悪いんだよね(デフォルメ化)。「モナリザ」の顔なんかもう最低。でも、読者は見たいと思うだろうね。それは図版として挿入された特権性に解説の美的調子が加わるというだけでなく、ガイドというメディアのせいなんだとも思います。19世紀は美術がメディアの欲望として作動してきた時代なんでしょうね。図版とか、のちのスライドというのは美術史という言説の枠を超えて、メディアの歴史欲望みたいなものと関係づけることができるかと考えてしまったけど。このあたりは、おそらくずいぶん議論されてきたでしょうね。参考になる本を教えてください。
後半は、こんな風にメモといった感じでダラダラ書いてきたけど(もう飽きてきたしょう?でも、マニアとしてはまだまだメモしておきたいことはあるけど)、最後に写真図版について簡単に。こちらはちゃんと調べてないので、簡単にするしかないけどね。
19世紀、写真図版が美術書(ガイドなんかも含めている)に登場するのは結構遅いんだよね。その遅れは経済的理由なのかなとも思う。作品の写真化(紙焼、原始的スライド(clich市
・/FONT> projection)がどのようなもので何と訳すのか知らない)してそれを印刷する写真図版は版画図版よりずっと高価なものでなかったかと想像してるんだけど、写真と写真印刷の値段について書いた本知りませんか?
ちなみにこれもルーヴル美術館の例だけど、まず写真による名作アルバムってな感じのものは、ルーヴルの目録によると、最初は1871年以前(正確な年不明)に出版された『Tableaux du Louvre. Grand format, par A.D.Braun, Photographe a Dornach』 (Ht
Rhin.24cm, Polycopie, 19p., 442numeros.
)というもの。これまだ見ていないので何とも言えない(調べる気になってきた)。71年には同じA.
Braunによるデッサンの名品集、また最初のアルバムが小型版として出版されている。
写真ということでいえば、前川君のなかにもあったけど、19世紀の終わりから作品を写真化していく作業が加速したのでしょうね。それと美術史の関係は、知っていると思うけど、ちょっと前話題だったらしい(これは藤原君がそういっていた)Lyne
Therrienというカナダ人の『L'histoire de l'art en France--Genese d'une
discipline universitaire』という、すごく便利な本にも最後の方で一節が設けられていたよね。写真が美術史学という制度のなかで果たした役割はある程度論文もあるようですね。
そのこととは別に、写真図版へと戻って、たとえば、1892年のG.Lafenestreという人のルーヴル美術館紹介本(内容はガイド)を見てみましょう。これはヨーロッパ絵画/主要作品カタログ目録というシリーズの1巻だけど、フランスではかなり早い時期の写真図版入り本で、100点の写真図版が挿入されています。この100点の選択そのものからも読みとれるところがあるけど、基本的には版画図版を写真図版で入れ替えたにすぎない本の構成で、その写真もたいしたことがなく現在の眼からすると味気ないけど、やはり、印象は版画のものと違います(これは手許にあるわけではないので閲覧した時のメモと印象にたよっている)。つまり、作品の全体性が志向されるというか、それまでの版画図版を見てきた眼には像に途切れがないという印象なんです。
写真がすでに「本物」という幻想(オリジナルの直接的な表象という意味)を生みだしているとしたら、逆に、ルーヴルガイドでもあるこの本は、オリジナルとの乖離を大きなものにするでしょうね。でも、それによってオリジナルの「オリジナリティー」がほとんどその意味を問われることのないまま定着するのかもしれません。もちろん、登場しつつある美術史学者はここに意味を与えようとするわけだけど、19世紀のアカデミックな絵画意識と分析方法を考えると、コンポジションの分析と説明が「オリジナリティー」を浮き上がらせる言葉として使われるのだろうね。
また「絵画性」の観念が写真と関係しているとすれば、これはまた、それこそ「オリジナルティー」のいっそうの強化へと繋がったのかな、とも思ってしまいます。ちょうど、カラースライドやカラ−図版にたいして、「ちょっと色が違うんだよね」と言うときに、「ちょっと」を強調することで、オリジナル――オリジナリティー神話をいっそう強化するように。
Post preface
と、だらだらと話をしてきて、最後は何というか、ちょっと落着きが悪いんですね。というのも、複製写真(美術芸術写真ではない)が「オリジナル/コピー」という問題のなかに還元されると、美術史学の言説と関係せざるをえなくなり、そうすると議論はそこで尽きていく予感があって、落着かないのかもしれない。ぼくにもアイデアはないけど、複製写真を広くメディアのメディア性の問題として考えた方が面白そう。ここでメディア性といっているのは、うまい言葉を考える時間がないけど、たとえば、中学、高校の世界史の教科書の図版に載っていた絵を実際に見たときの感動ってものがヒントになるのかもしれない。もちろん、このよくある経験は、オリジナルを見ることができたという神話に関係することもあるけど、その一方で、メディアのもつ対象を変貌させる魔術的(?)力に関係するのか、とも考えているんです。あるメディアで表象されたものが別のメディアで別のイメージを喚起するってことがあるでしょう。ぼくがある絵を好きなのは本物によって好きになったのではなく、何らかのメディアによってだったっていうことも多い。実際、絵であれアートであれ、写真や映画でも、それ自体がメディアなのだし、それらを見ることも何らかのメディアによってなわけで、結局、ぼくたちがある絵に感動するといっているのはメディアによってなんだという感じがする。そして、メディアが対象の不在のうちに成立するものだとすれば、長い間メディアの王様だった絵画に代わる座についた写真は、絵画とは違った新しい不在の形式を生みだしたのでしょうね。美術史の言説もこの形式に関わっているのかもしれない。
最後のここは、書いてきたことと矛盾すること(あるいは無関係なこと)もあるかもしれず、考えもまとまらずほんとよれよれになってしまいました。お許し下さい。とにかく、もう終わりにします。勝手だけど楽しくパソコンに向かえました。
K.SHIMAMOTO(KYOTO)
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