Preliminary Remarks 

on the Project 

Photography after Photography

 
  サイバースペース、インターネット、ヴァーチャル・リアリティといった新たな科学技術、そして言うまでもなく、それをめぐって繰り広げられている公の言説、こういったことがしばらくの間、魅惑的な作用を与えつづけてきたのだが、他方で、写真イメージにおいて、はっきり言えば、写真の原理そのものにおいてデジタル機械がもたらした変化に対しては、わずかな注意しか払われていないように思える――もちろんここでは、私たちの知覚習慣や現実性理解に対してそれが及ぼしたきわめて遠大な効果を十分に示さなければならないのだが、とくに現実性理解が写真の遍在性に緊密に結びついているゆえ(このように言ったのである)。このような事態は、デジタル技術によって生じた写真の変化という主題に私たちが焦点を合わせるための明白な理由なのかもしれない。それが、――写真の境界の崩壊、境界の変動、そしてコンピュータによるメディア・ネットワークへの写真の包摂を研究することになる――現代の芸術作品についての展覧会のために私たちが採った出発点なのである。二つの事例のみ、一九八〇年代前半の模範的作品が参照された。ナンシー・バーソンとジェフリー・ショーは、――たとえ方向性が違うにしても、つまり一方は写真の絵画的伝統に深く根ざし、他方は芸術におけるヴァーチャルリアリティや双方向性のパイオニアであるとしても――どちらも革新的スタイルをもち、デジタル・イメージ処理の領野では影響力のある人物なのである。両者は、展覧会を位置づけるための二つの極なのである。このプロジェクトは、――私たちの日常生活の中にいつも存在し,いまだに存在するし、ドキュメント的で、複製的で、世界に結びついた性質をもつと見なされている――ひとつのメディアが、現在どれほど変容を被っているのかを探求する試みである。このようにして、「写真以後の写真」という逆説めいたタイトルが生まれたのである。このタイトルによってまた、写真という「光画light-painting」以後に生じつつあり、今やコンピュータによって生み出されているものがはたして写真と呼べるのかどうか、という問題も考察されている。逆に、この展覧会で呈示されるなかには、新たなメディアとデジタル技術にともなう日常の領域での諸変化に、写真を用いて影響を与えることに力を注ぐ芸術的アプローチもある。一方での写真という技術的で化学的な過程と、他方での電子イメージ処理というプロセスとが融合する歴史の局面においては、写真イメージの戦略についてのいかなる反省も、この力場で起きるにちがいない。本展覧会は、三〇人の写真家と――デジタル・メディア時代における写真を様々なしかたで解釈する――メディア・アーティストの作品を展示する。「写真以後の写真」は、写真とそれに結びついたメディア・アートにおいて、現在進行中のデジタル・イメージ文化の潮流や、それについての反省をまとめている。これは、数多くの多様な形態をとって行われる。つまり、イメージ、CDROMや双方向的なインスタレーションから、インターネット上でのWWWサイトに至るまで幅広いものなのである。

  本展覧会は、コンピュータ時代における写真イメージの戦略に――とくに身体,空間,同一性、真正性、記憶といったテーマと連関させて――照準を当てている。またそれは、根本的な問題提起もしている。つまり、コンピュータや電子テクノロジーが生み出したイメージは、レンズによって撮影され、フィルムに投影されたイメージと徹底的に異なるものなのか。デジタル・イメージ処理はリアリズムや再現という基本概念を評価しなおすことを余儀なくさせるのか。写真のもつ現実指示的な性格は、コンピュータがデジタル写真のラボとしてばかりでなく、写真イメージをシミュレートするためにも用いられる際には、無効になるのだろうか。


  写真史において、自分の写真作品が、写真よりも絵画から生じていると見なす芸術家はつねにいた。技術的に見れば、写真は今日、コンピュータ・ネットワーク・メディアの一部、様々な入力と出力の過程のための交差点である。写真は、過渡的メディア、つまりアナログ・メディアとデジタル・メディアの間のインターフェースであることが明らかになってきている。デジタル技術への写真の統合は、芸術的なイメージ創造の過程全体を新たにシミュレートし、必然的に、写真と結びついている現実性理解の変化を引き起こしている。私たちが確固とした基礎にしていた、コピーとしての写真という見かたは、デジタルイメージ処理と生産の様々な可能性の結果、はじめて疑問視されることがなくなった。このことは写真のまさに発明以来、争いの種になっていたのである。しかし、現実の複製という原理は、完全に背景へと退き、今では広大な領野を未決のままにしてイメージ内容の構築へと向かっている。もっとも私たちはよく知っていることなのだが、私たち自身の習慣的な反射はいまだに、私たちが通常の現実性の内容を、写真のような類似性をもつイメージに付与する際に、存続しているのであるが。


  「写真以後の写真」は、例えば肖像/身体、監視〔monitoring〕、記憶/証言、偽造/操作といったテーマについての芸術家たちの立場を呈示し、対比させている。コンピュータ・ネットにおけるイメージの検閲やポルノ写真の取扱いといったきわめて微妙な問題は、これらイメージのなかでは、とくに写真イメージにおける暴力や写真そのものによる暴力の行使と連関させられて、窃視症として反省されている。テーマがしばしば絵画的コミュニケーションそのもののもつ根本原理である場合もある。このカタログに含まれる芸術家や作家にとっての主要な関心事のなかには、現実性のひとつの水準から別の水準への翻訳、複製可能性、絵画的条件の可変性、そしてまた、データの領域に潜在的には存在するが、ある意味で写真のなかで凝結させられ物質化されている内容、こういったことに関係する問題、つまり、オリジナルとコピー、情報と操作に関係する問題がある。


本展覧会のカタログは、ドイツ語版と英語版で出版された。  

ミュンヘン、1995年11月