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Perception of Reproduction --A Sliding View on
Slide-Viewing--
by Osamu Maekawa
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前川 修
複製の知覚――スライド鑑賞の諸問題―― |
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〔説明〕
以下に掲載するのは、『哲学研究』570号(2000年10月)に書いた論文です。この論文は、以前書いた『美術史の目と機械の眼 ―スライド試論―』と「双子Twins」の関係にあります。力点の置き方などが少しずつ「ズレSlide」ているのでこちらも掲載することにしました。
(20001107)
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Summary
〔欧文要約〕
Photographic slides reproducing works of art are often
still used in lectures on art history. The apparatus is, in fact,
essential for art history; one might say that the slide has become a kind
of artificial eye for the discipline. However, as the slide has
always been regarded as nothing more than a self-evident and transparent
medium, it has not been treated very seriously; indeed, its existence is
rarely noticed at all. The slide itself is materially and
figuratively "opaque" and it is only when this opaque slide is
illuminated, that images become visible, letting one look through the
slide at something.
In this article, I would like to focus on this process
specific to slide-projection and to utilize the same process, in a
figurative sense ? that is, by throwing a light on the slide itself, to make visible
the problems contained within the medium. Through this process, I
intend to make clear what transformations of perception were caused by
slides and what relation this medium had to the human body. More
concretely, I will reveal the following issues pertaining to early years
of slide-viewing: the sense of abnormality that was experienced in
perceiving pictures through slides, the contrast between a reproduction of
a slide and other kinds of reproductions, what discourses were given on
this medium, and with what political intent this apparatus was
applied.
As a result of the study, it becomes clear that the
photographic slide, in line with other optical devices such as
stereo-graphs, panoramas, art-photography, and experimental devices,
realized a different kind of perception, which was accepted as evident in
everyday life, and that viewing via this medium was closely related to the
problem of attention and distraction, which had become a main subject of
study in physiological psychology and other disciplines.
While viewing pictures through slides, we are reproducing
with our body these experiments in perception.
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一.複製と透明性
ヴァルター・ベンヤミンは「複製技術時代の芸術」のなかで次のように語っている。
「一九〇〇年頃に技術的複製はある水準に到達した。ここに至って技術的複製は、従来伝えられてきた芸術作品すべてをその対象としはじめ、またそれらの作品が作用する仕方にきわめて深い変化をもたらしはじめただけでなく、芸術の技法のあいだに、独自の地位を獲得したのである。この水準を研究するうえで何よりも参考になるのは、その二つの発現形態―芸術作品の複製、ならびに映画芸術―が芸術の従来の形態にどのような逆作用を及ぼしているかということである」。(G.S.Z・1,
s.351f.)
ベンヤミンは、世紀転換期の複製技術の水準を語りながら、その特徴となる二つの技術を指摘している。一方が映画という、オリジナルそのものがコピーでしかない、それゆえ従来の芸術とは明瞭に切断された芸術形式、そして他方が芸術作品の複製、つまり、オリジナルに寄生しただけであり、それゆえオリジナルに準じた二次的地位しか与えられないコピー技術である。しかし、複製芸術論の議論は、このように二つの方向を提示しながらも、もっぱら前者のみに分析の手を広げていく。映画が可能にした芸術の制作、伝達、受容の方法の変化、そしてその政治的含意を簡潔に描き出すこと、これがこの論文での彼の意図であった。映画芸術は、従来の芸術形態と照らしあわされ、様々な特性描写を施される。「アウラ」と「アウラの衰滅」、「礼拝価値」と「展示価値」、「集中」と「散漫」といったおなじみの言葉は、その分析結果なのである。他方、先ほど指摘されたもうひとつの複製媒体、つまり写真への言及は、この論文のなかでは極力抑えられている。なぜなら、すでにこれに先立つ「写真小史」で、彼は発明から同時代までの写真、そしてその言説について、検討をおこなっているからである。
しかし、この二本の論文をよく検討してみると、それでもなお、ひとつだけ手つかずのまま放置された問題がある。たしかに、冒頭の引用部を含む章は、こう始まっている。「芸術作品は、原則的にはいつも複製可能であった」(G.S.Z・1, s.351)。そしてこの命題の後で、複製の系譜がひとつひとつ駆け足で辿られている――巨匠の作品の、弟子たちが技法習熟のためにおこなう模作、木版、銅版画、石版画の発明、写真の登場――。だが、ベンヤミンが「複製芸術論」でも、「写真小史」でも十分に論じていないのは、先ほど彼自身が語っていた「芸術作品の複製」、しかも一九〇〇年前後に量も役割も飛躍的に増大した「芸術」の「写真」なのである。
ここで言われている「芸術」の「写真」とは、一般に思い浮かべられるような、「写真家」が撮影した「作品」の「芸術的」写真のことではない。あるいは「芸術写真」という、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて流行したソフト・フォーカスの写真「作品」のことでもない。むしろそれは、美術の研究調査や講義のために作成された記録資料としての「作品の複製写真」のことを指している。本論が焦点を合わせてみたいのが、これら複製写真のなかでも、とくに顧みられることのないスライド写真、その生成と普及にともなう歴史的知覚様態の変化である。
スライド写真は、これに投影装置とスクリーンという二つの付属設備を加えて使用する、最初から上映を見込んで製作された視覚媒体であった。現在でも美術史の授業でスライドを用いないケースは稀である。スライド上映は、作品鑑賞の必須の補助手段――いわゆる「義眼」――となっているのである。ただし、すでに一九〇〇年頃にはこの講義スタイルは確立されていた。おもむろに講義室の照明が落ち、前方のスクリーンに煌々と作品映像が映し出され、それを背にして解説がなされる様子、これは一世紀をおいても変わらない事態なのである。カートリッジに装填された一枚一枚の写真が、次々と独特のリズムで映しだされていく。一方で、送り手である操作者=美術史家は、すべての視覚的、言語的統御を一任された結果として生じる独特の充足感に満たされ、他方で、その受け手である観者たちは、目の前で明滅する映像をつうじて一種の没入状態に入り込む。見方によっては、スライド・ショーとも、生理学的な視覚実験とも呼ぶことのできるこの手法は、それ自身、主体と客体の独特な関係を生じさせていたのである。
ところが、スライドの知覚はその当時者にとってはあまりにも「自明」であるためか、この、技術と身体がとり結ぶ新たな関係に研究者=観者の視線が抵抗を覚えることはない。むしろ、スライドに関する言説は、スライドがオリジナルに対していかに透明であるか、という議論に終わってしまう。例えば、偶然写真に映りこんだ、被写体(作品)以外の余計な部分を綺麗にマスキングするためにどれだけ研究者が努力を傾けたのかが話題となり、あるいは作品と「戦利品」よろしくその隣で微笑む研究者というツーショット写真が撮影され、それが研究発表の場で上映されることもある。つまり、「透明」な媒体がもつ証拠的、資料的価値ばかりに議論は終始し、スライドには二次的地位しか与えられることがない。はたしてスライドはそれほど透明なのだろうか。スライドそのものの不透明性、そしてそれゆえに起きる認識や知覚の「ずれ」は看過されていないだろうか。例えば、この「ずれ」が契機となって、衰滅したと診断されたはずの芸術作品のアウラは復活し、あるいは、真正性や直接性、作品相互の連続性といった芸術作品の諸々の価値づけやそこへ向けられる諸欲求が新たに発生しているのではないか。以下には、スライドのもつこの「不透明さ」を拡大し、そうすることで可視的になる「ずれ」に光を当てていくことにする。スライド自身が不透明であるからこそスライド像そのものが可視的になる、という単純な原理に倣って、文字通りスライドを議論する、これが本稿の目的である。
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二.複製の不透明さ
写真スライドの技術史についてはこれまである程度研究が積み重ねられてきた(1)。例えば、その起源には一七世紀以来の投影術と一九世紀半ばのガラス写真の発明という、二つの起源があり、両者が結びつくことで、一九世紀後半からスライド上映が社会に認知され広まった、という説明がそこではなされる。しかし、本論が取り組もうとしているのは、このような技術史的方法では明らかにならない諸問題である。それはむしろ、この視覚装置がもたらした知覚、それに関する言説、他の視覚媒体との対立関係、そしてその制度的含意なのである。ここでは、主にドイツに、しかも大学での美術史の授業に話を限定して、スライド装置という新たな視覚装置がどのように語られたのか、どのような違和感を引き起こしたのか、その政治的用法はどのようなものであったのかを検討してみたい。その際、一九世紀後半に美術史講義でのスライド利用を促進した二人の人物の言葉を取りあげることにする。その二人とは、美術史家ブルーノ・マイヤーとヘルマン・グリムである。マイヤーは、一八七〇年代以来、ガラス写真のスライドを美術史の授業に利用すべく数々の実験を行い、同僚たちの前でデモンストレーションを行う。しかも彼は講義用の膨大なスライドシリーズまで作成している。ただし彼のプランは、実際には数々の技術的問題や方法への不満、そして既成の複製手段との対立によって十分な実現をみることはなかった。ようやく一八九〇年代になって、ヘルマン・グリムというスライドの大々的な宣伝者の成功をつうじて、スライド装置は美術史の授業に浸透していくのである。両者の言葉から、スライドが孕んでいた諸問題を析出しておく。
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複製版画との比較
最初の問題が、「複製版画」と「複製写真」の対立という問題である。写真をめぐる論争といえば、「芸術」と「写真」との比較、あるいは「写真は芸術か否か」という論争が取りあげられることが多い。しかし、これに並んで、複製版画という旧来の複製手段と写真という新たな複製手段をつき合わせる議論、これも、一九世紀半ばから世紀末まで頻繁におこなわれた比較である。アリナリやブラウン等の複製会社が創設され、活動を開始した世紀半ば以降、このような議論は写真についての言説のなかで重要な位置価値を占めていたのである(2)。
ハインリッヒ・ディリーによれば(3)、写真が発明される以前、過去の芸術作品を伝達するには、複製版画が用いられていた。写真という新たな複製手段は、この旧式の複製媒体と対立関係にあったのである。複製版画は、版画家の手による解釈であるとみなされていた。それゆえ、複製版画は、オリジナルの作品別による以外に、版画家別に分類されることもあった。つまり版画において、複製はある種のオリジナル・コピーとなっているのである。鑑賞者は、このようにして、特定の主体(版画家)による解釈手続きを経た画像を通じて、オリジナルへと思いをめぐらす。しかし、コピーのオリジナル性とオリジナルそのものとの間には何も齟齬はなかったのだろうか。マイヤーは、複製版画において、何が重要であったかを説明している。
「…七〇年代までの芸術作品の芸術的模倣の場合、あっさりとこう言うことができる、個々の様式に対する忠実さはほとんど問題にはならないのだ、と。人々は複製において、現存する、誰もが検証可能な同一の芸術作品の、多かれ少なかれ際立った芸術的複製を多数並べてみて、本質的にはきわめて一般的なものが再現されているということを理解すればよいのである」。(4)
複製版画においては、オリジナルの「一般性」が再認されればよい。ここでは、例えばラファエロの聖母像といったオリジナル作品とそのコピーは、全体的輪郭、頭部や手の形、そして色合いにおいて、大まかな対応があれば十分である。つまり、これは誰某の作品であるという一般的了解のみが重要なのである。あとは各々の版画家の手による独創性が複製にオリジナリティを付加するのである。また、複製版画家のなかには、美術史家と緊密な協力関係にあった者もいた。後者は言葉による解釈作業を行い、前者は手(線)による解釈を行うという、作品を挟んだ相補的な分業と協力関係が維持されていた。写真と複製版画の比較のなかでよく聞かれる言葉――写真という「死せる」機械に比べて、複製版画は、もっと良質の「生き生きとした」「忠実な」模倣を生み出すことができる――、この常套句が理解されるのは以上のような点においてなのである。
グリムの採った行動への反応からも、同様のことを読み取ることができる。一八七〇年代、ベルリン大学の美術史学教授であったグリムは、複製写真のための部門を制度的に美術館に設け、その援助を行うよう当時の政府に要請している(5)。しかし、美術館の果たす機能は既成の複製版画とオリジナル収集だけで十分であるという理由から、この要請は却下されてしまう。このような事態にも、石膏像や複製版画という「手による複製」と、写真による「機械技術的な複製」との区別がいかに自明であったかを見てとることができるだろう。複製写真/スライドは、「死せる」装置による、「不活性」な、「悲しむべき」媒体であるという価値評価を被っていたのである。
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細部の視覚と均等な注意
複製写真/スライドの導入がもたらした二つ目の問題は、写真の細部的視覚と投影によるその強調という問題であった。一八七〇年代、マイヤーは、美術史学者たちの目の前で作品複製の写真スライドをはじめて上映した。.その際、彼へ向けられた非難の多くは、作品が細部に至るまであまりにも克明に再現されるために、作品そのものを再認することができない、というものであった。写真は主要な事柄と副次的な事柄を区別しない、つまり、無差別主義であるという非難、これは、写真複製のみならず、写真一般に対して当初から向けられていた批判である。しかし、マイヤーは次のように反論する。機械による複製は、複製版画家の手の解釈からは漏れる作品の過剰な細部を記録することが可能である、と。彼は、手が意志に完全には従わないために残される無意識的な痕跡、この無意識的痕跡=細部への目が写真によって訓練されるということを主張しているのである。ヴォルフガング・ケンプは、この細部の視覚と、一九世紀のモレッリ法――画家が意図せず描き残した細部、いわば無意識の痕跡にしたがって作品の画家への帰属を決定する方法――との近接性を指摘している(6)。彼によれば、写真の「視覚的無意識」(ベンヤミン)は、美術の見方そのものに影響を及ぼしているというのである。
グリムは、紙焼き写真の複製が作品を縮小させてしまうのに対して、スライド投影は作品画像を拡大化するという点を強調する。彼によれば、この拡大化は「細部」を明瞭にするという効果をもち、それがさらに次のような利点を生じさせるのである。
「…拡大化によって、作品を概観することや記憶のなかに作品を受け入れることが容易になる。…オリジナル作品そのものを眺めると、その魅力ある特性のために作品の内的価値について思い違いをさせてしまうことがある。人は、内的価値を外的要因ゆえに、実際よりもっと精神的に重要なものであると思いなしてしまうことがあるのだ。しかし、スキオプティコン〔スライド投影装置のこと〕は、このような誤った仮象に耐えることができない。第一級の作品のみが精査に耐えるのである」。(7)
つまり、作品を直接見るよりも、スライドを介して鑑賞するほうが、その内的価値について勘違いをすることがないというのである。グリムはまた、作品の細部の拡大によって、作品の質や真贋の判定は、かえって容易になるのである。さらに重要なことに、この拡大化された細部は、次のような観者の「注意」の変化を引き起こす。
「講義の際に基調となる暗闇、ほぼ漆黒の状態は、注意を集中させてくれる。映像と同時に響き渡る教師の言葉は、見ることと考えることを新たなやりかたで結びつけるのである。わたしは、完全に静まりかえった講義室でのたった一時間の講義で、この言葉に一連の具体的観察〔Anschauungen〕を与えることができる。それらの観察は記憶の奥深くに根づくし、観察が均等なものである場合には確固とした有機的な連関を獲得することになるのである」。(8)
複製画像を見る際の主体の姿勢、とくに注意の変化が述べられている。暗闇のなかでの鑑賞は、観者に、現実の作品を目にする時よりも、もっと集中して画像に眼差しを向けることを可能にする。この種の鑑賞は、直接的鑑賞の際に起きるさまざまな騒音や障害を取り除くことで、注意の負担を軽減するからである。だが、それと同時に、画像へ向けられる注意の質にも変化がもたらされている。作品を直接観る際には存在する、画像各部の階層がいったん細部の集合へと分解され、それが均質なかたちで記憶に残るようになる。このような作品と作品へ向けられる注意の脱中心化、均質化も、スライドの利点とされているのである。
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目と手の分離
スライド写真の三つ目の問題が、複製写真/スライドが引き起こした制度的変化、つまり版画家、オリジナル、美術史学者、公衆の各々の機能転換である。オリジナル作品の「収集」にあたる美術館での直接の鑑賞、そして「線による解釈」をおこなう複製版画家、そして作品を「言葉」で語る美術史学者、そしてこの最後の両者が作品を伝える相手である公衆、この四項は複製写真以前にはある種均衡した関係を保っていた。この均衡に写真が侵入してくる。複製版画家は職を失い、なおかつ二つに分裂することになる。つまり、版画家は、オリジナルな複製ではなくオリジナル版画を制作する道と、技術的な図面や構造を図解するための線図を描く道のどちらかを選択せざるをえなくなるのである(9)。他方で、美術史学者にもこれとは別の分裂が生じることになる。先ほど述べたグリムの要請とその却下からも分かるように、大学で美術史を論じる人々は、美術館とのある種の切断を経験していた。講義でスライド複製を使用せざるをえない彼らに残された選択肢は、自らの手で複製写真のアーカイヴを作るか、あるいは複製会社作成の既製品のスライド写真を使用するかのどちらかであった。それゆえ、容易に入手可能な複製会社のスライドに対して、美術史学者たちの不満が始終聞かれることもあったのである(10)。
既製品の複製写真になぜ不満がぶつけられたのか。それは、これらの写真に埋めこまれていた眼差しの構造に原因があると推測することができる。既製品の作品写真という、うわべは客観的で忠実な映像、その撮影の視点やアングルは、実は美術史学者の意図とは違うところに主眼を置いていたのである。これは複製会社が購買層として想定していたのが、教養市民階級であったことに起因する。肖像写真への熱狂がいったん沈静化した後、市民階級が写真に求めたのは、過去の巨匠の作品を映像によって私的に所有することであった。複製会社が提供した作品スライド写真のシリーズは、この要求に応えていたのである。ここで注目すべきなのは、複製写真というイメージを支えている複数の眼差しがいずれも匿名であるということ、そしてその匿名の眼差しの間にはずれが生じているということである。複製版画家という特定の主体が、限られた特定の注文者たちに向けて複製像を作成する場合とはちがい、複製写真はその製作にたずさわる視線も匿名であり、その幅広い受容者の視線も匿名のままである。ここでは美術史学者は、この匿名の視線に貫かれた画像を使用するだけの、その点では教養市民階級と立場の変わらない「見る」だけの存在へと、「鑑賞者」の地位へと置き移されているのである。
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三.形の複製――「芸術写真」とステレオスコープ――
目による教育と様式論
「写真とともに史上はじめて手が、イメージを複製する過程において、もっとも重要な芸術上の責務から解放されることになった。この責務は今やひとえに目に与えられたのである」。(G.S.Z・1,s.351)
ベンヤミンのこの一節は、先に述べたスライド写真がもたらした諸問題――細部とその拡大、均等な注意、美術史学者の機能転換――を指していると読むこともできる。とくに最後の、美術史学者の「見ること」の遊離とでも呼ぶべき事態については、さらに言及する必要がある。
複製会社、大学、美術館、教養市民階級の間の分裂の結果、美術史家は独自の媒介的役割を保持するため、自分を観者のなかでも最良の観者として位置づけることになる。その証拠として、一八九〇年代半ばから一九〇〇年代初頭には、芸術作品の見方をテーマにした、彼らの手による啓蒙的な本が次々と出版されている。これらの著作を貫いているキーワードは、「見ること」を学ぶこと、見てわかること、「見ること」を教えること、「見ること」の能力などであった。ディリーによれば、こういった見ることの「新たな儀式」のうえに、美術史家たちは自分たちの活動を基礎づけることになる。彼らは、以前とは異なる仕方で、作品と公衆との媒介者になろうとする。つまり美術史家は、むしろ公衆の理想、「理想的観者」として振舞うのである。(11)
ディリーの指摘によれば、この「見ることの儀式」や「理想的観者」の問題は、芸術作品の記述、あるいは作品分析の方法論にも関係している。ヴィルヘルム・ヴェッツオルトも、一八九〇年代における芸術作品の記述方法の変化について触れ、これと、写真など視覚装置の導入の問題を、間接的に関連づけている(12)。例えば、ラファエロの《奇跡の漁り》のカルトンを記述する仕方には、これら複製写真やスライドの導入以前と以後では、歴然とした変化が生じているのである。写真図版の導入以前には、この絵を見て、キリストや弟子たちの頭を掠めて飛び去る鳥たちが「孤独や寂しさ」を惹起し、そこから数々の夢想が追体験される、といった作品受容の仕方、つまり「文学的」記述が主流であった。ところがそれ以後には、同じ作品に関して、岸辺の線や山の稜線、群像や鳥たちの輪郭線が、絵の構成上、緊密な分節をおこなっている、といった類の形式分析的、「様式的」記述がおこなわれるようになるというのである。ただし、美術の見方への写真の影響はそれほど単純なものでもない。その例として、複製を用いて芸術の歴史を語る二つの方法にさらに目を向けることにする。
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歴史の二つの複製
一九世紀後半における作品記述の突然の転換、その例としてヴェッツオルトが挙げていたのは、実は、写真複製を利用する以前のグリムと、ベルリン大学でグリムのポストを継いだヴェルフリンである。彼らは各々、作品の複製映像をめぐって異なる態度をとり、二種類の言説を残しているのである。
まずグリムについて。グリムの芸術にたいする態度は、一般に知られているように、ナショナリスティックな想像力に支えられた、芸術家賛美といったものであった。必然的に彼の美術史は英雄伝となる。彼はスライド装置の美術史講義への導入を促進した人物として知られているが、実はスライド導入以後も、芸術作品についての彼の言説にはそれ以前とほとんど変化がないのである。むしろ、彼は、そのような巨匠の歴史を聴衆の想像力や記憶に効果的に刷りこむための補助手段としてスライドを喧伝していたのである。例えば、グリムにとって、スライド写真はその順序を編集することで効果的な物語り方を可能にする。また、投影による拡大をつうじて、比較的小さなサイズの作品や版画作品が、ラファエロの大作などと文字通り肩を並べることが可能になり、ひいてはドイツの芸術の本質が「救済」されることにもなる。スライドは、このようにして大勢の聴衆に、ドイツの芸術家の英雄的物語として、短時間に数多くの内容を圧縮して呈示する効果をもつ。ここでは複製が、かえって天才=英雄としての画家崇拝、オリジナルの称揚という数々の神話的な概念を助長しているのである。
他方で、ヴェルフリンは、スライド装置を用いることによって作品についての新たな語り方と記述方法を創出したといわれる。ヴェルフリンの講義での様子は、このことを裏付けてくれる。彼はそこで文字通り「理想的観者」として振る舞うのである。彼の言葉によれば、著書よりも講演や講義での言葉と身振りこそが自分にとって重要であったという。講義でのヴェルフリンは、投影されたスライドを聴衆とともに凝視しながら、ところどころ沈黙し、一つ一つ作品の観察を述べていく。このような作品との対話の様子が、講演者としての彼の人気を支えていた。「理想的観者」を装いながら、芸術の見方を同時に多くの人々に教育するヴェルフリンの姿、これは写真スライドという装置なしには不可能なのである(13)。
ヴェルフリンは一般的に、美術史において複製像を有効に活用した人物として知られている。彼は、今でも美術史の授業で慣例化している、二枚のスライドを同時に投影しながら作品相互の様式比較を行う、というスタイルを創始したからである。ヴェルフリンが企てた様式史という構想そのものは、ある意味で複製可能性が支えとなっている。つまり、複数の画像を並列し、同時に処理をすることができるという、複製の利点によって、様式史ははじめて可能になったのである。ヴェルフリンの方法を説明する際に必ず挙げられる、視の歴史、つまり芸術家の伝記を抑え、彼らの名前抜きで一連の芸術作品を語る、という姿勢は、複製写真による作品の歴史的相対化と無関係ではない(14)。彼の様式=形式分析的方法は、――グリムとは異なった――装置と方法論の緊密な関係を示しているのである。それを裏づけるように、前述のマイヤーも、時代ごとの様式の拘束からの解放、「学問的な芸術の見方」という表現で、芸術についての語り方、記述の仕方と複製写真の導入との並行関係を指摘している。複製写真は、各時代の各版画家固有の様式的解釈に縛られた複製版画に比べると、様式から相対的に解放されている、これに学問的な見方は並行しているのである、と。
ヴェルフリンの様式論は、言説への写真複製の浸透を示す顕著な例である。しかし、グリムもまた同様に、写真複製の別の利用可能性を示していた。両者は複製技術の二つの可能性を体現しているのである。両者の政治的、社会的姿勢は明らかに異なっている。ヴェルフリンは、グリムの英雄崇拝的美術史から、そして第一次世界大戦における同様のナショナリスティックな言説から意識的に距離をとるため、スライドを用いて作品の様式を語ったのである。ただし、以下にはこのような社会史的背景の研究とは異なる方向から、ヴェルフリンら美術史学者/芸術学者における知覚の問題を考えてみたい。つまり、当時の社会に流通していた、彼自身も自明とみなしていた知覚へと視野を広げていくことにする。彼が前提にしていた知覚の問題――新たな画像とその受容――は、実は芸術に限定された問題ではなかったのである。
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絵画的=写真的な画像
ヴェルフリンは、『美術史の基礎概念』(15)で「ルネサンス」と「バロック」という二つの様式概念の各々の特性を比較するために、五つの対概念を呈示した。それが、「線的―絵画的」、「平面――奥行き」、「閉じられた形式――開かれた形式」、「多数性――統一性」、「明瞭性――不明瞭性」である。これらの概念は、そもそも純粋に様式(ルネサンスとバロック)のみを指し示すはずの指標であった。しかし、ヴェルフリンはある箇所で、当時の公衆の趣味に合致した写真のことを「絵画的」という言葉で呼んでいる(16)。つまり、「絵画的」は、当時浸透していた写真の視覚にも適用されているのである。ディリーの説によれば、ここで言われている写真の空間とは、世紀転換期の写真に特徴的なカメラの視覚空間――「被写界深度」が深いためにいくつもの面の重なり合いとして構成され、この面の前後関係として「奥行き」が捉えられるような空間――を意味している。この「面的性質Flachigkeit」(ディリー)をもった、「写真的=絵画的」空間のなかでは、視線は線をなぞるようにではなく、むしろ点を選択し、少数の点へと周期的に収斂する運動を繰り返す。このことは「絵画的」の極に属する他の諸概念、「単一的統一」「不明瞭性」「開かれた形式」にも関連づけることができるだろう――ただし、皮肉なことに、「絵画的」と称される絵画の写真写りがきわめてひどかったことを彼自身は告白しているのではあるが。
「絵画的」な画像の以上のような特性、実はこれは芸術作品の複製写真に限られた特性ではない。例えば、このような視覚の様態は、一方ではステレオスコープという一九世紀後半に流行した写真を用いた視覚装置、あるいは、「芸術写真」に関する言説においても、議論や批判の対象となっていた特性なのである。
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ステレオスコープの視覚
一九世紀後半から世紀転換期にかけての写真の流れのなかで、つねにそれほど重要な扱いを受けてこなかった写真、それがステレオスコープ写真である。これは、もともとは両目の視差に関する生理学的視覚実験のために、科学者チャールズ・ホイットストーンが発明したものであった。同一の対象をわずかに異なる角度をつけて撮影した(あるいは手書きの像もあった)異なる二つの像を、互いに隔てたまま、それぞれの目に晒し、それによって立体的な視覚が生じる様を研究するための道具、それはまた、大衆的な見世物として一九世紀後半に流布した装置でもあった。(17)
ステレオスコープ特有の視覚を簡略に説明する。まず、ここではイリュージョニスティックな効果を高めるため、映像の周辺部、映像以外のものを視野から排除しなければならない。覆いなど被験者=観者が余計なもの、映像の限界を見ないようにするための工夫がなされる。観者は、このようにして映像以外のものから孤立させられ、しかも画像との位置関係を一定に固定される。科学的実験のためには、観者が不動の位置を保っていなければならないからである。この装置を用いた生理学実験が興味深いのは、次の点である。この両眼の視差による立体視の実験は、その先に現実の三次元的知覚の確実性や触知性を確認するという目標を持っていた。ところが、この実験は同時に、現実と映像との不一致や分離性、記号にすぎない映像による現実性の構成を証明してしまっているのである。事実、この実験では現実にはありえない視差や角度、あるいは左右の映像を互いに置換することでも立体視が得られていたのである。
しかもステレオスコープの人気は、ヴェルフリンが「絵画的」と呼んだ、分裂的で不安定な知覚に要因があった。ヴェルフリンとも密接な関係にあった芸術理論家アドルフ・ヒルデブラントが、この装置を批判したのは、ただその大衆性や内容の低俗性(匿名のヌード写真)だけが理由ではない(18)。ヒルデブラントが芸術に求める安定した視覚とは違い、この装置の画像は不安定で途切れがちな視線の運動を要請する。先ほど述べた、間欠的に前後に移動する眼差し、その繰り返しの焦点化が、観者に没入した享受の状態を引き起こしていたのである。ステレオスコープの考案者の一人オリヴァー・ウェンデル・ホームズは、ステレオスコープの魅力が、夢のような強度の陶酔感、著しい没入状態にあると語っている。もちろん、写真スライドとの関係というここでの文脈では、ステレオスコープとのいくつかの差異は指摘できるかもしれない。しかし、匿名の観者が各々遊離され、画像と現実との比較対照の可能性を遮断され、画像の表面を迅速に揺れ動くことでもたらされるある種の散漫な没入状態は、両者に共通した特性とみなすことができるのである。
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「芸術写真」の視覚
本論の冒頭で述べたように、芸術作品の複製スライドという「芸術」の「写真」は、いわゆる「芸術写真」とは異なる。後者は、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて生じた現象であり、写真の視覚を従来の絵画的コードによって芸術へと高めようとする試みであった。ここであえて芸術写真の言説を参照するのは、それが世紀転換期の写真的視覚の問題を具体的に示しているからである。芸術写真の代表者であり、その思想の浸透に貢献したピーター・ヘンリー・エマーソンの『自然主義的写真』には、僅かではあるが写真と知覚の問題をめぐる考察が含まれている(19)。彼の言う芸術写真は、ソフトフォーカスによってピントをはずした微妙な階調をもつ写真のことであった。しかし、なぜそのような映像が選択されるべきなのかという理由を、彼は次のような「生理学的」事実に依拠して述べているのである。人間の目は、中心部と周辺部ではその明瞭さに大きな差異がある。明瞭に見ようとする対象は視野の中心に、凝視する必要のないものは周辺部で不明瞭に映る。人々は写真の映像をあるがままの正確な現実と思いこんでいるが、人間の視覚はむしろ記号的なものである、つまり現実は人間の生理学的構造によって記号へと変換されたうえで知覚されているのである。したがって、すべてが明瞭となった映像は人間の視覚に忠実なわけではない。それでは、さまざまな不明瞭さやずれや歪みをもつそのような人間的=記号的視覚は、写真によってどのように忠実に表すことができるのか。ここでエマーソンは、全体をぼかし、しかもその度合を中心部と周辺部で微妙に偏差をつける写真を提唱するのである。彼の議論がさらに興味深いのは、芸術写真の対照例として彼がパノラマ的な風景写真を引き合いに出すという点にある。これは、文字通り被写界深度が深く、左右の広がりも大きく、観者をそのなかに呑みこんでいく写真を指す。具体的な例として彼は、奥行きが深く、しかも数々の対象がそれぞれくっきりと写された風景写真を挙げている。この種の写真は、彼が言うようにパノラマという一九世紀を通じて大流行した円形の見世物と同様に、映像のあらゆる部分を明瞭に写している。その強調点のない細部の集積とも言える写真にたいして、人は、注意を集中して一点に向けることはできず、つねに視線は逸脱的軌道を辿ってしまう。したがってこの手の写真は芸術的ではない、とエマーソンは断言するのである。
視覚の周辺部と中心部の無差別性、視点の揺動性、観者のある種の没入状態、これらは、ステレオ写真、芸術写真ばかりでなく、スライド写真にも確認することのできる、さまざまな媒体の視覚がもっていた自明な特性だったのである。
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四.鑑賞者と観察者
ふたたびベンヤミンの複製芸術論の議論に目を向けてみよう。そこでは、一見すると、「集中」と「散漫」という二つの知覚の様態が区別されているように思われる。つまり、礼拝堂や美術館での極度に集中した作品鑑賞の姿勢と、都市の街路で絶え間ない刺激の洪水に巻きこまれ、そのために鈍化した自動的な姿勢が粗描されているかのようである。もちろん、一九世紀後半に始まる近代化、それに伴う知覚の断絶という問題は、このような二分法で語られることが多い。この対立は、同時に哲学者、社会学者、芸術学者らの思想のなかで――ゲオルク・ジンメルやジークフリート・クラカウアー、コンラート・フィードラーやヒルデブラント、そしてアロイス・リーグルなど――さまざまな形で変奏されている。例えば、フィードラーやヒルデブラントは、「生理学的」にすぎない散漫な日常的知覚から芸術的知覚を区別し、後者を能動性や創造性を要請するものとみなす。あるいは、リーグルは、現代の散漫な注意の様態に、一七世紀の集団肖像画に見られる集中や注意の姿勢を対抗させ、現在における前近代的な知覚の喪失を慨嘆する。彼らの議論が回避しようとしたのは、刺激過剰ゆえの注意の拡散や逸脱、そして、こういった注意の散乱を統御するために導入された数々の生理学的実験や言説であった。先述のエマーソンの議論(視覚の中心部と周辺部のあいだの生理学的区別、そして芸術的な写真の知覚の裏づけ)もこれと同様の軌道を描いていた。生理学的知覚を基礎にしながら、これを超え出た自由な視覚活動を境界確定すること、これが彼らの議論の流れなのである。
しかし、ベンヤミンの議論の随所に散らばっている考察は、そのような二項対立の反響ばかりではない。むしろそこには、集中と散漫という両者が境を接した「散漫な集中」とでも言うべき、連続的な領野が提示されてもいる。ステレオスコープやパノラマ、写真という数々の視覚装置、都市や建築といった移動空間、あるいは夢や陶酔状態といった別の意識状態、そのいずれもが、注意と逸脱、集中と散漫の双方が実は連続した過程のなかにあることを語っている。この過程のなかでは、極度の集中は散漫さや忘我状態に移行し、高められた散漫さは極度の注意を要請する。
ジョナサン・クレーリーによれば(20)、このような散漫と集中が形成する連続的領野は、当時のさまざまな水準の言説(心理学、哲学、芸術理論、社会学など)と実践(生理学実験から、芸術家の実践や受容者の体験、視覚的娯楽、あるいは催眠術に至るまで)が身体という場において交錯した結果、生じてきたという。一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、注意という見出しのもとで、膨大な量の実践や言説が積み上げられている。それは、「認識の危機」と呼ばれる、現実と表象、主体と客体、身体の外部と内部、理論と実践というさまざまな境界が侵食され、すべてが――力動的で、恒常的な不安定状態にある――過程に巻き込まれていった過程の徴なのである。ここにはアプリオリな保証項はもはや存在しない。諸々の記号にすぎない知覚が必然的に帯びる不安定性や相対性をいかにして安定した確実なものへと回収するか、あるいはそのような「ただの知覚」にすぎないものに対して、いかにして「純粋な」芸術的知覚を実現するか、という問題が、さまざまな言説や実践に与えられた課題となっていた。例えば、そのひとつの中心的領野である生理学的実験においては、もはや意識でも内観でもなく、数値化された身体への刺激とその反応が基礎とされた。人間の身体が観察装置に繋がれ、「散漫な注意」と言うべきリラックスした集中を保ちながら、大量の迅速な刺激に晒され、小刻みに注意の持続を分解されていく。そのような実験とそこから生じる言説は、近代化の結果である不均衡な状態を回避し、それを調整しようとする合理化や産業的効率化の要請とも関係していた。ここでは測定の結果、「純粋な(ただの)知覚」が取り出されるのである。この「純粋な知覚」が、――ヒルデブラント、ヴェルフリン、エマーソンにおいて――また別の意味で「純粋な」美的知覚の区別のために援用されていたのである。
しかし、本論が明らかにしたように、複製映像を見せるスライド装置は、芸術的知覚を教育し、訓練するための最大の媒体、言うなれば一種の実験装置だったと言うこともできる。実験における被験者、つまり「観察者」の様子は、作品のスライド鑑賞においても典型的なかたちで「再現」されているからである。このことはスライド鑑賞の特徴を挙げれば明らかになる。鑑賞者=観察者は、余分な聴覚的、視覚的刺激をできるかぎり排除した環境で、不動の位置に固定され、一定の距離を保ちながら知覚の焦点を前方の一点に定め、次に呈示される刺激を待ち構えては、瞬時にイメージを走査する。そして、その際には、強烈な揺動的知覚(ステレオスコープ)、あるいは、迅速な運動的知覚(パノラマ)が体験される。さらに言えば、――本論で十分に考察する余地はないが――スライド鑑賞にあてられた持続と中断という時間のリズムも重要である。実験、あるいは娯楽用のさまざまな視覚装置において、潜在的には際限のない凝視を中断させるために、あるいは逆に鑑賞者の注意の強度を維持するために、映像の上映には反復的な切替が必要であった。映像の切替による視覚的欲求の制御と喚起、これはスライドにおいても指摘できる事態なのである。この操作は、生理学的な実験における観察時間の細分や注意の定期的切替の強制とも結びついている。このような操作によって知覚の不均衡な秩序は一時的に安定化させられ、産業的効率にかなった従順な身体が作り上げられていくのである。スライドによる映像の編集、切替は、世紀転換期の芸術学者たちが考えていた以上に、広範な知覚の編成の問題にかかわっているのである。
芸術作品の複製スライド上映は、芸術の知覚を規律=訓練するとともに、近代的知覚の再編成をする場であった。そこには、一九世紀後半に生じた、身体と技術と言説が相互にある新たな布置において組み合わさった状態が圧縮されている。芸術の複製スライドは、このような連関から遊離される純粋な芸術的知覚を再現してくれるわけではない。むしろそれは、芸術的知覚が近代的な知覚再編の過程で、このような不均衡な状態に巻き込まれていく様子を示しているのである。私たちがスライドを見る際、多かれ少なかれこのような身体と技術の遭遇が「再現」されている。そしてまた、観察においても鑑賞においても、しばしば統御不可能なある種の極限状態――これら映像の上演が一種の陶酔状態や精神的病、それと結びついた視覚的病を引き起こした――は不可避であったのではないだろうか。この問題についてはまたあらためて論じることにしたい。
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註
ベンヤミンの著作は以下のものを参照した。 Walter Benjamin, Das Kunstwerk im
Zeitalter der Reproduzierbarkeit(Zweite Fassung), Gesammmelte
Schriften Z・1,F.a.M., Suhrkamp, 1991,
(「複製技術の時代における芸術作品」、『ボードレール』野村修編訳、岩波書店、一九九四年)、 Kleine Geschichte der
Photographie, Gesammelte Schriften U・1,
F.a.M., Suhrkamp,1991(『図説 写真小史』久保哲司編訳、筑摩書房、一九九八年).引用部にはG.S.と略記し、巻数と頁数を記載した。 (1)スライドの技術的な歴史については以下を参照した。Photogeschichte
Jg.19.Heft74.1999 (2)Wolfgang Kemp, Theorie der Photographie 1
1839-1912, Schirmer/Mosel,1980 この論集のなかでとくに以下のものを参照した。Hermann
Grimm:Die Umgestaltung der Universitatsvorlesungen uber Neuere
Kunstgeschichte durch die Anwendung des Skioptikons.(1892), Bruno Meyer,
Fotographie und Kunstwissenschaft(1901)), Peter Henry Emerson, Die
Gesetze der optischen Wahrnehmung und die Kunstregeln, die sich daraus
ableiten lassen(1889ff.) (3)ディリーの著作と論文は以下の通り。Heinrich Dilly,
Lichtbildprojektion-Prothese der Kunstbetrachtung,in:Irene Below hrsg.,
Kunstwissenschaft und Kunstvermittlung, Anbas-Verlag,Giessen,
1975, Kunstgeschichte als Institution, Suhrkamp, 1979, Das Auge
der Kamera und der kunsthistorische Blick, in: Richard Hamann zum
100.Geburtstag. Marburger Jahrbuch fuer Kunstwissenschaft 20.Band,
Verlag des kunstgeschichtlichen Seminars der Universitaet
Marburg,1981 (4)Kemp,1980, s.207 (5)Dilly, 1979,
s.151 (6)Kemp,1980,
s.201 (7)Kemp,1980,s.202 (8)Kemp,1980,s.202 (9)複製版画家については、ウィリアム・アイヴィンス『ヴィジュアルコミュニケーションの歴史』(白石和也訳、晶文社、一九八四年)を参照。美術史学者の機能転換については以下を参照。Dilly,
1979,
s.149ff. (10)芸術作品の複製写真会社については以下を参照。ジゼル・フロイント、『写真と社会』(佐復秀樹訳、御茶ノ水書房、一九八六年)一一七―一二四頁)、ナオミ・ローゼンブラム、『写真の歴史』、美術出版社、一九九八年、二三九―二四一頁) (11)Dilly,
1975, s.167 (12)Wilhelm Waetzoldt,Deutsche Kunsthistoriker : von
Sandrart bis Rumohr . Leipzig : E.A. Seemann, 1921
s.225f. (13)ヴェルフリンの講義の様子については、以下のものを参照。Nikolaus Meier, Heinrich
Woelfflin(1864―1945), in:H.Dilly hrsg., Altmeister moderner
Kunstgeschichte, Berlin, Reimer,
1990 (14)ヴェルフリンの議論の社会的背景、あるいは彼のスライドの使用への批判については以下を参照。 Martin Warnke,
Woelfflins Kunstgeschichtliche Grundbegriffe, in:Merkur, Heft
5.Mai 1992, Stuttgart, E.Gombrich ,Norm and Form:Studies in the Art of
the Renaissance,1966,pp.89―97 (15)H. ヴェルフリン、『美術史の基礎概念:
近世美術に於ける様式発展の問題』守屋謙二訳、岩波書店、一九五〇年 (16)Dilly, s.168f.
1975 (17)ステレオスコープについては、以下を参照。Jonathan Crary, Techiniques of the
Observer, p117−136 (18)ヒルデブラントの批判については、以下を参照。Adolf von Hildebrand,
Das Problem in der bildenden Kunst, Strassburg,
1905 (19)Kemp,1980,s.164ff. (20)Jonathan Crary, Suspensions of
Perception, MIT Press, 1999
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