|
Damisch,Hubert
ロザリンド・クラウス『写真的なもの−隔たりの理論』序文
|
以下に紹介するのは、クラウスの写真論『写真的なもの−隔たりの理論』。表紙につけられた要約とダミッシュによる序文を部分的に訳出しておく。(ただし紹介者が、原書(フランス語)ではなく、ドイツ語訳を参照しているという事情もあり、原文との違いがいくつか生じていることは断っておく。)
|
<表紙の記載>
「ロザリンド・クラウスはこう説明する、『写真的なものとは、研究対象としての写真を指すのではなく、むしろ、理論的対象と呼ぶことのできるようなものを定義しているのだ』。この定義が、この書で−ナダール、スティーグリッツ、ペンといった人物、風景写真や旅行写真といった領域、そしてまたシュルレアリスムや構成主義といった運動に向けられた−一連の研究の中で遂行される。そこでは写真の言説空間が、カメラと身体との関係を睨みつつ、そしてまた同様に、写真とシミュラークルとの関係を見やりながら、踏査されるのである。 クラウスは明らかに、自分の研究が写真についての仕事とは解されないことを望んでいる。彼女において写真は、ベンヤミンやバルトと同様に、−そこから出発して他の領野のさまざまな所与を探求することのできる−出発点や通過点になっているのである。しかし、知覚や想起の意味論的過程、近代の文化特有の変容がクラウスにとって問題になるのではない。むしろ美術史そのものが問題になる。写真と向き合うことで、絵画や彫刻の伝統は、モンタージュやレディメイドといった技術に取って代わられ、もはやピカソではなくデュシャンが導き手となり、指示的なもの[DasDeiktische]がイコン的なものにたいする優位を獲得するようになり、<表現[Ausdruck]>が<刻印[Abdruck]>に取って代わられているのである。 このようにして写真的なものは、そこから芸術の歴史が新たに探索される中心になる。写真との係わりをつうじて、クラウスは、芸術のもつインデックス的条件との取り組みに、痕跡と意味の関係にかんする省察に辿りつく。クラウスによれば、写真も、そのような隔たりの理論という迂回によってのみ適切なしかたで考えることができるのである」。
|
ユベール・ダミッシュ
序文:写真から出発して
(以下の小見出しは紹介者による。……は訳を省略した部分。) ◇批評への写真の「進入」 ◇<について>に<抗して> ◇クラウスの屈曲した軌道-「歴史」の意味 ◇痕跡の露出/現像 ◇芸術の起源の/という痕跡 ◇痕跡と絵画「の」主体の無視 ◇芸術−写真という軌道の置きずらし[Verschiebung] ◇<進入>の保持 ◇歴史の<不発>における歴史 ◇写真のメカニズムとプロジェクション
|
|
◇批評への写真の「進入」
「写真が美術館や画廊といった領野に入りこんできた。しかしそれだけではない。最近では、写真はまた、批評の領域に、知や分析対象の地位、つまり研究主題の地位にも入りこみ、反省の主題にもなっている。このことは逆説的な効果をもたらす。−写真がその所産や記号である−現実が、不明瞭にされるのである。このような、現実性の隠蔽や不明瞭化、つまり、[写真を]正当化する言説の覆いの下での、−長い間侵入者と見なされていた手法に捧げられた−あらゆるジャンルの文献の繁茂の下での、現実の意味の偽造という事態、この事態は、一見すると、近代性の亀裂を越えて延びていく連続性の再発見への同意と並行して現れたように思える。繁栄する専門市場の登場と無頓着な思弁は、この芸術[写真のこと]の地位についての余計な論争に最終的に終止符を打ったのだ。「その当時」という差引高が新たに手に入れる代価に相当するのが、少なくとも両義的な−そして写真を構成する操作から考えれば矛盾してもいる−「真正性[本物らしさ]」と「オリジナリティ」という概念の回帰である。実際それは、伝統的芸術作品を取り巻き、写真機械的な複製手段の発達をつうじてその消失が加速されていた、<アウラ>の新種の復活なのである。ただし、さらにこの現象は別の帰結をもたらす。絵画の時代に絵画に当てはまったのと同様に、写真の芸術市場への導入は、「文献」の発展を結果としてもたらした。それはおもにカタログやモノグラフィーをもっぱら生業とし、そのなかでは序言と論文が義務的な随伴物となっている。…」
↑
|
|
◇<について>に<抗して>
「『写真的なもの』という表題の下に集められた、ロザリンド・クラウスのさまざまなテキストの一部には、上のような記述が当てはまるように思える。この本には、彼女がアーヴィング・ペンの≪ヌード≫展をきっかけに書いた序言もあるし、同様にまた、彼女がシュルレアリスムの写真に捧げた論文や、彼女が企画者の1人であった重要な展覧会の序論に用いられた論文もある。しかし、クラウスのテキストはジャンルの法則を著しく回避している。というのも、この著者は写真<について>書いているというよりも、むしろ<それに抗して>書こうとしているからだ。ただし、写真に抗してではなく、写真、とくに写真の歴史についての一定の書き方に抗して、である。この本は、センセーショナルな仕方で、今しがた述べた、批評領野への写真の進入を証言していると同時に、それ自身、支配的言説との断絶を記し、この言説に抵抗している。この領野において、この本は異物として作用し、十分に調整され、円滑に作動するエコノミーを妨げている−もっとよい言い方をすれば−置きずらしているのである。」
↑
|
|
◇クラウスの屈曲した軌道-「歴史」の意味
「クラウスが写真から出発して遂行する仕事−私は意識的に「写真について」ではなく「写真から出発して」と言っている−を、私は模範的だと考える。まずそれは、彼女が批評家としての自身の軌道上で向けようとし、そして向けることのできた眼差しの、比類なき鋭さに基づいている。この軌道は、−それは一見すると、流行というわけではないにしても、時代に結びついた運動に関与しているゆえ−しだいに内側へと折れ曲がり、しまいには自分自身へと立ち戻ることになって、この反省的屈曲のなかに彼女はつねに強力な留保を見出しているのである。写真を対象にする分析や注釈の過剰という状況にあって、クラウスは読者に、芸術に用いられる「歴史」ということで何が理解されているのかを問うよう強いる。この「歴史」とは、−ヴァルター・ベンヤミンの論文タイトルを挙げれば−「写真小史」とは別の何かを書くことが可能だという想定の下で書かれている、あの歴史のことだ。まるで写真は、文学以上に、必然的に歴史家の意図する歴史に適しているにちがいない、と言わんばかりなのだ! というのは、「歴史」ということで意図されているのは、私たちを書きつけ、今・ここにおいて、……そしてなかでも露出、つまり写真の光と影をつうじて、私たちの生活の中へと押し入ってくる歴史でもあるからだ。歴史は、ロラン・バルトがプンクトゥムと呼んだもの、つまり、細部、その中にあって私を指し示すもの、私を突き刺すもの、私を<包囲する>ものを介して、予測のつかないかたちで標的に命中し、その際に著しく個人的な次元をもつことになるのである。」
↑
|
|
◇痕跡の露出/現像
「クラウスのテキストの強さは、……内面性の度合に、いわば内密さに由来している。例えば彼女は、マン・レイやペンのヌード写真についての記述でこれに到達しえている。ただし、その強さは、移行や置換、短絡の強度にも由来している。……この強度が彼女の分析を作動させるのである。これは、彼女が自分自身の経験に向ける眼差しにも当てはまる。ここでは自伝的要素は、[クラウスの批評の]生成過程の境界づけのためだけに用いられている。この過程において、クレメント・グリーンバーグの学生であったが、「フォーマリスム」……のあらゆる繊細さと袂を分かった批評家が、最終的には70年代ニューヨークの新たな芸術形態の登場の証言者となるに至った のだ。……すぐさま明らかになったのは、すでにそれらの芸術形態によってまったく新たな前提への回答がなされていることだった。その証左には、ボディ・アートやランド・アートにおいて写真に与えられた位置が役立つ……。これらの芸術の手法や操作は、それ自身、<痕跡>(ランドアートのばあいは大地との開かれた直接的関係による痕跡)や刻印(ボディ・アートの際に身体が残し、あるいは身体によって呈示される刻印)の秩序に由来しているのだ。クラウスは、ここには写真という手本の影響が認められることは分かっているが、それ以上に、それを<露出させ>、最終的に写真に徴候やインデックスの価値を与えることを心得ている。ちょうどそれは、−光に晒された銀塩の変容によって−、乾板やフィルム上、暗箱の底の上に刻印された潜在的像を可視化する現像段階の溶液、現にあるものを現さしめる溶液と同じなのだ。これは、アメリカの哲学者パースの言う意味での、<インデックス>、指示物と直接的、物理的な関係を持ちつづける記号、派生的、因果的な関係のことなのである。」
↑
|
|
◇芸術の起源の/という痕跡
「 ……[抽象表現主義がその道のりの終わりに到達した]理由は、疲弊や流行には関係がない。むしろそれは、アメリカの叙情的抽象の巨匠たちが絶えず取り組んできたし、そこから今世紀の芸術の最大の契機の一つがじゅうぶんに構成されるような問いを、照らし出しているのだ。つまり、絵画の主体ないしは−もっと正確に言えば−絵画<における>主体はどうなっているのか?という問いである。もしかするとこの問いは、何の回答も要請しない、いずれにせよ問いを片付けてしまう答えを要請しない問いであるかもしれない。というのも、この問いは、−もしそれ自体が、この芸術の始まりのなかに書きこまれており、芸術の条件であると同時にその駆動力だということが真実であるなら−、それを<解決=解消する>ことはできないからである。プリニウスが伝える、絵画の起源についての古典的伝説−陶工の娘が恋人の影を壁に描き写した痕跡−は、すでに差し引いて考えることのできないインデックス的構成要素を示している。というのも、投げかけられた影はパースの言う意味でのインデックスなのである……。影はインデックスである、むろん、それを書き写したり固定するのに成功するばあい以外は、けっして持続的痕跡を残すことのないインデックスである。投影[プロジェクション]という−遠近法的装置を介して−古典的絵画の大半を統御していた純理論的な概念は、結局、これ以外の意味をもたないのだ。アルベルティが伝統的伝説に取って代えようとした神話は、その残響なのである。つまり、……ナルシスの神話のことである。……この神話の第一の機能とは、寓話の主人公の姿をとって主体を、発明者として絵画の中に書きこむことである…。ナルシスは、流動的な鏡が映し出すイメージを、……この鏡を表面としてみなす時にだけ、自らのものとすることができるのだ(しかしすぐに気づかれることだが、主体の問題はすでに陶工の娘の伝説のなかで提起されていたのだ。欲求の対象と主体の間の位置の交換をつうじて、一方から他方への抑圧不可能な横滑りによって、芸術の作用が最終的に行きつくのはこの問いなのである)。」
↑
|
|
◇痕跡と絵画「の」主体の無視
「絵画のインデックス的構成要素は、かつて完全に消失してしまっていたのではない。クラウス自身、50年代の偉大なアメリカ絵画は強烈なインデックス的アクセントを示していると見る[ポロック、ニューマン、ルイスが例に挙げられる]。これらの印はすべて、その印がもたらされる際の身振りを直接指し返している。ただし、このことは、古典的絵画における絵筆の可視的痕跡にも、目に見えるよう残された筆跡にもあてはまる。筆跡において人は主観性の刻印を再認しようとしていた、なぜなら、それが作品の起源における画家の存在を、すくなくとも彼の手の存在を示すからである。もし芸術批評と美術史が、……絵画のもつイコン的要素にアクセントを置くに至るならば、その理由は、何らかの幻惑、相対的な死角性にもとめられるのではない。それはむしろ、絵画の主体、絵画における主体にかかわる事柄を知ろうとしないという、いっそう強固になっている意志にある。」
↑
|
|
◇芸術−写真という軌道の置きずらし[Verschiebung]
「したがって、クラウスをまず写真の縁へと至らせるのは、芸術固有の運動である。しかも彼女は、そこで踏査の繰り返し以上のことを企てるために、もっと深くこの領野に進入する決心をしている。彼女を駆りたてた理由は多様である。この本の読者にとって展開される関心の一部は、この著者に内在する懸念に由来している。つまり、写真への関心の高まりを、批評家としての自分の軌道という個人的経験から出発して理解することである。なぜ写真は私たちにとってそんなにも重要になったのだろうか? 彼女は、自らが単刀直入に手をつけるこの問いにたいして、比類のない、そして(間違いなく美的判断である)主観的な答えを与えている。しかし、その答えはその特異性や主観性ゆえにもっと一般的な価値を持つことになる。……もし私たちがすすんで写真に身を投じ、写真に備給するのなら、それは部分的には倦怠ゆえである。なぜなら、私たちはしだいに退行していく悪ふざけ−それに絵画は夢中になっていた−にうんざりしているからだ。もしかすると私たちは、直接的なしかたで現実的なものと結びついた芸術形式−それ自身の存在、そのインデックスとしての機能に基づいてきわめて深く現実的(この言葉の狭い意味で)である芸術形式−によって誘惑されるかもしれないだろう。私たちを、写真へと向けさせる運動は、モダニズムにたいする不愉快さのさらなる徴候ではないのだろうか? しかし、そう考えることは次のことを無視することである。つまり、抽象がモダニスト的教義の中で確固とした段階にやっと辿りついたまさにその時に、写真も最も豊かな創案の時機のひとつを迎えていたということである。20年代に写真イメージ生産の物質的条件、およびその技術的、形式的構成要素を介して遂行された仕事に匹敵するものは、さまざまな観点で見ても、今日には存在しないのである。……どちらの歴史的所与[シュルレアリスムおよびバウハウスにおける写真のこと]も、……モダニズムがさまざまな形で現実性とつねに関わっていた複合的な諸条件、何らかの「秩序の回帰」とは無関係な複合的諸条件を証言しているのである。」
↑
|
|
◇<進入>の保持
「この本は、それゆえに、本格的な認識論的置きずらしに対応した軌道を記している。支配的言説は、写真を美術史に無理やりはめ込もうとし、それをふたたび…歴史の連続性へと組み込むべく、<事件>としては拭い去ろうと努力する。このような歴史の所産が写真なのであり、この歴史の手によって写真はもう長いあいだ準備を施され、引き立てられ、呼び出されていた−写真の発明が最終的には帰結なき形式性に引き下げられてしまうまで(例えばそれはニューヨーク近代美術館で1981年に開催された≪Before Photography≫展がそうしようとしたように)。これにたいして、クラウスの努力は、写真にいくぶんその力を、写真固有の断絶の価値を取り戻させてやることに、そして同時に、写真の還元不能な外部性を強調することに向けられている。そのような企図は、言説の、計算された脱中心化を前提とする。つまり、写真は、美術史の次元に固有の、本質的に「様式主義的」次元に還元されることはないのだ。ティモシー・オサリヴァン、オーギュスト・ザルツマン、あるいはロジャー・フェントンさらにはウジェーヌ・アジェの仕事をも例にして示すように……、彼女は厳密に芸術的言説空間とは別の言説空間−ルポルタージュ、旅行、アーカイヴ、そしてさらに科学の言説空間−の中で作業している。今日、写真に美術館への入場を可能にしている、容易に疑念をさしはさまれる<アウラ>、そして、ヴィンテージ・プリントを中心に始められる本格的礼拝は、−写真の発明とともに終焉へと行き着いたはずなのに−芸術作品の脱世俗化というプロセスを当てこすった、転倒したパロディーであるように見える。展示価値が写真を、そのドキュメント的機能を飛び越えて、支えていくのだが、その帰結として、私たちは、あたかも美術館に保管される芸術作品にそうするように、写真を意のままに取り扱う。しかし、実際のところは写真が私たちを意のままにしつづけているのである。このことは、私たちが新聞を読む際に、あるいはばあいによっては自分の私的なアーカイヴに準備もなしに降りていった際に突如襲いかかるイメージを例に示すことができる。それは、私たちを包囲するのだ。写真的なもの:隔たりの理論−このタイトルは、この本が表そうとするものをきわめて明白に意味している。今日、写真が批評的言説の極のひとつとして登場しているのなら、それが理論的秩序のなかであらゆる効果を生み出すことができるのは、ただ次のような条件の下でだけなのである。つまり、写真が、歴史的に言えば、文化的領野にかつて行ったように、そして、私的生活にたいして毎日行っているように、理論的秩序に<進入する>ということ、また、この進入の(それ自身理論的な)条件が維持されるという条件である。」
↑
|
|
◇歴史の<不発>における歴史
「したがって人は戦略的、そして同様に原理的な理由から、常套句を拒否しなければならない。この常套句によれば、絵画は写真のための道程を切り開いたのだ、絵画は写真を予期していたのだ、ということになる−それは近代の物語形式が映画への道程を切り開き、先取りしたのと同様だと。これは、回顧的幻影に他ならない。新たな芸術的策略から、そしてそれを特徴付けるプロセスや手法から出発して、さらには言語から、それを用いる概念的枠組みから出発して、私たちは、それに先行する芸術形態を判断している。だから、人がすくなくともまず拒絶すべきなのは、美術史という模範にしたがっているであろう写真史という、集団的著述活動への協力である。それは、写真が歴史を持たないからではなく、むしろ、−もう一度言えば−<歴史>の意味するものをまずいったん写真に照らして[写真の光の下で]解きほぐすこと、これは私たちに与えられることだからだ。写真はたんにリアルなもののインデックスであるばかりではない。写真はいわゆる同時代の映画以上に歴史を有しているし、しかも公的な歴史を、そしてまったく同様に内密の歴史を、個人的な歴史と、そしてまた同様に集合的歴史を有している。写真に与えられる必然的な構成的無思慮さは、写真の視角を多様化させ、写真にいっそうあり得なさそうな視点を選ばせ、歴史を、ばあいによっては私たち自身の歴史を、可視化し、私たちのうちに憂慮や欲求を惹起し−最悪の場合には−この悪夢から目覚めさせることになる(ジョイスが言ったように)。このことに写真が成功するのはたいてい、それが歴史を背後から、その対立物において、その不発において捉えるばあいのみである。あるいは逆に、写真が唯一その証人であるような歴史の頂点の瞬間に、たまたま居合わせ、シャッターを切る瞬間に、道具的で純粋に点的で瞬間的な関係とは異なる関係を写真が現実性と持つばあいにのみ。」
↑
|
|
◇写真のメカニズムとプロジェクション
「美的領野において写真に与えられる有効性は、実際にはそのメカニズムと切り離すことはできない。すでにドラクロワが認めていたように、写真は、撮影装置によって、自動的にイメージの遠近法的覆いを生み出す手段を用いている。写真の箱は、暗い小部屋の地にできるイメージが遠近法的構成原理の規則と類比的な規則に従うよう、構築されている。しかし、写真プロセスが自らのうちにもつ、自動作用の関与は、クラウスがシュルレアリスムの写真を例にして明らかにするように、ただの光学的要件ではない。この網目をつうじて見ると、新たにエネルギーを費やして提起されねばならないのは、心的あるいは書字的オートマティスム(ブルトンとその友人がこの語に与えた意味で)という問題全体なのだ。だからベンヤミンが、最終的に写真について決定的なのは、つねにその技術との関係なのだ、と書くことができたのである。この言葉によって、長い間写真の理論と写真の美学の発展を妨げてきた疎外の原因のひとつも挙げられている。芸術というフェティシズム的概念が技術や理論に敵対しているのだ。この概念は、新たな対象をふたたびこの概念[芸術]へと突き戻すことで折り合いをつけるのである。……写真は、私たちが「理論的」と名づける対象であり、その創案的働きが所与の領野のなかでその領野の地図をひっくり返し、計測の作業が再びゼロから始められなければならないような対象のひとつなのである。新たな座標が導入されなければならない、もしかすると表象のシステム全体が変更される可能性もある。美術史は今日、市場の手助けによって写真を処理し、消化するのだと称する。この本は、こういった幻影を取り除き、−写真に決着をつけるために、写真から出発し、粘り強く写真を扱うことを開始する−別の形のプロジェクション[投影=企図]を要請するという大きな功績を上げているのだ。」
↑
|