過去の活動記録
1986年
銀座のレストラン「アルテリーベ」でドイツ歌曲など歌いはじめる。「歌で生活する」暮らしのスタート。
1988年
「アルテリーベ」の活動が評価され、同じく銀座のサッポロビアホール5階「音楽ビアプラザライオン」開店時に音楽チームのリーダーとしてスカウトされる。トークコンサートのスタイルでクラシック音楽を気楽に提供するステージを本格的に企画運営、バリトン歌手と司会を夜な夜な実践。次第に各地のイヴェントやディナーショーの依頼が増える。
1989年
同様のトーク付きオペラコンサートを、横浜博覧会の神奈川県パヴィリオン野外ステージで3回開催。このころより、区民オペラその他の諸団体で「フィガロの結婚」「カルメン」などを公演しはじめる。
1991年
オーストリア留学を前に京都でオペラコンサート(フィガロ・セヴィリャの理髪師・ドンパスクワーレなどからアリアと二重唱)、および神奈川県立音楽堂で初の本格的独唱会(モーツァルト・ワーグナー・リヒャルト・シュトラウスなどのオペラよりアリア計14曲)を開催する。この独唱会は「音楽ピヤプラザ」顧客を中心に多くの支援をいただき、入場無料にした。各新聞も大きく扱ってくれた結果、600人を超す入場者を数える。6月グラーツ留学。
1992年
丸一年のロータリー財団奨学生生活を終え、8月フランクフルト近くのヴィースバーデンの劇場「ヘッセン国立劇場」の合唱団に入団。ドイツの劇場生活がはじまる。オペラ年間10本ペースで平均120公演出
演。一方でソリストとしてのデビュー準備をすすめる。
1994年
イタリアのオストラで、「カタラーニ国際オペラコンクール」に参加。リヒャルト・シュトラウスの「アラベラ」より一幕のマンドリカの情景を歌い、現代オペラの最優秀演奏として特別賞を受賞。賞金でコンクール後2週間のイタリアヴァカンスを満喫。
1995年
ハルバーシュタットの「北ハルツ都市連合劇場」のソリストオーディションに合格。以後、ドイツの活動は年間120−150公演にのぼる同劇場およびハルツの野外劇場でのオペラ・オペレッタ・ミュージカルなどにしぼられる。ことに「ヘンゼルとグレーテル」のお父さん役は毎年上演する得意役になった。他、この年の主な作品は「売られた花嫁」「愛の妙薬」「皇帝と船大工」「ジプシー男爵」など。
1996年
この年は「ウンディーネ」「魔弾の射手」「マルタ」「泥棒とオールドミス」などのオペラを手がける。ことにロメオとジュリエットのパロディーミュージカル「それはナイチンゲール」では50ページあまりのセリフと14曲のナンバーという、二時間出ずっぱりの大役を担当し、コメディーの才が評価された。小さいころから凝っていた落語の趣味がドイツで役に立った、と本人は思っている。ドイツ人に言ってもつうじないけど。
1997年
9月、横浜に後援会「田辺とおるオペラ倶楽部」ができ、定期的なリサイタル活動が始まる。発足記念のトークコンサート「田辺とおるのドイツ便り」を港南区民センター「ひまわりの郷」で開催した。ハルバーシュタットでは、新たに「椿姫」「トスカ」「刀鍛冶」などに出演。
1998年
1月、シューベルトの歌曲集「冬の旅」全曲演奏会を神奈川県立音楽堂と那覇市で開く。はじめて人前にだしたこの歌曲集はライフワークにしていきたいと願っている。ハルバーシュタットでは、「エフゲニ・オネーギン」「アニーよ銃をとれ」「サロメ」などがレパートリーに加わった。
1999年
1月、ハルバーシュタットの同僚、ノルウェー人ソプラノのヒルデ・スヴェーンを招聘して神奈川県立音楽堂でニューイヤーコンサートを開催。また神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演して「こうもり」のファルケ役を歌う。ハルバーシュタットの新作は「ホフマン物語」「花火」「乞食学生」など。
9月6日、「ひまわりの郷」(横浜・上大岡)でトークコンサート「田辺とおるのドイツ便り」を新プログラムで再演。9月26日、県民ホールで首都オペラ公演「ラ・ボエーム」のマルチェッロ役で横浜でのオペラデビューを果たす。(→9月日本公演の報告)
10月、フリーランサーとして活動するためにハルバーシュタットを離れ、ベルリン転居。
10月16日から12月10日、エッセン市「市庁舎劇場」でミュージカル「王様と私」
にクララホーム役で出演。(→「王様と私」出演記)
12月25-30日、オペレッタ「こうもり」のファルケ役でドイツ国内巡業に参加!ニュルンベルク市のマイスタージンガーホール、シュヴェッツィンゲンのロココ劇場など。(→「こうもり」ツアー公演報告)
2000年
4月15日、みなとみらい小ホール(横浜)でリサイタル「ワーグナーと三人のワグネリアン」を開催。(→公演報告)。
4月15日−5月9日 ミュンヘンのドイツ劇場で「王様と私」を再演