冬の旅あれこれPART2 田 辺 と お る
[シューベルト歌曲の調性]
日本の学校音楽でも「歌曲の王」として知られるシューベルトの歌曲は出版社にとっても稼ぎ頭であるため、他の作曲家の歌曲に比較しても、ひとつの曲について最もさまざまな調性の譜面が出版されている。有名な曲ならば、軽い方のソプラノから重い方のバスにいたるまで、誰でも手軽に歌えるわけだ。ドイツ音楽の出版最大手、ペーター版では最も多い曲で「高声」「中声」「低声」「最低声」四種がそろっている。おおむね、女声のソプラノと男声のテノールが高声、以下メゾソプラノ・バリトン用の中声、アルト・バス用の低声、曲によってはさらに低く歌いたいという人のための最低声、とわけられる。そしてシューベルトが作曲した調、すなわち原調は大抵、現代の楽譜では高声用である。
これは本当に、簡単には見過ごせない事実なのだ。
冬の旅をはじめとして遺作の歌曲集「白鳥の歌」など、晩年のシューベルトは非常に「シブイ」曲をかいている。そしてそれらは、現代の趣向に照らして圧倒的にバリトン・バスなど低声歌手が得意とするレパートリーになっている。「水車小屋の娘」やシューマンの「詩人の恋」はテノール、「冬の旅」はバリトン・バスと、現代の音楽市場ではほぼ住みわけが成っているといっても過言ではない。日本でも、ヒュッシュにはじまり、ホッター、プライ、フィッシャー=ディースカウ、ヴァイクルなど、低声歌手たちの冬の旅が多くの人を魅了してきた。甘い恋の歌ならテノール、寂寥たる諦観を歌うのは低い声、というイメージもまた、おさまりがよい。
しかし、シューベルトの意図は高声?
[初演歌手フォーグル(バリトン)]
当時の音階は現代よりも約半音ひくい。したがって高声用で演奏されるシューベルト歌曲よりも、もう半音低いキーのものが、おおむねシューベルトの意図した高さだったと考えられる。ここはまず、おさえておきたい前提である。
とはいえ大半の歌曲の「高声用マイナス半音」という調は、現代のバリトンには高すぎることがほとんどだ。ましてバスには無理といっていい。メゾソプラノは歌えるかも知れないが、歌曲をあまり高いキーに設定すると、語り口調が薄れて、オペラのように大見得張った歌になりがちでもある。ところが驚くことには、シューベルトはこれらの歌曲のほとんどを、当時の宮廷歌手ミヒャエル・フォーグルというバリトン(!)に献呈したり、彼が演奏することを前提に作曲している。
フォーグルはウィーンの宮廷オペラで30代から50代までの最盛期を過ごし、「フィガロの結婚」の伯爵や数々のイタリアオペラ(スポンティーニ・ケルビーニなどの作品)、さらにはベートーベンの「フィデリオ」初演のピッツァロなどを歌っている。決してテノールまがいの軽いバリトンなどではなく、堂々たる声だったであろうことが役柄から想像される。肖像画をみても、大柄な人物であったらしい。
このフォーグルはオペラを引退する前後にシューベルトと知り合い、60歳のときにシューベルトの夭折を見送るまで親交が続いた。かの「魔王」を皮切りに、主要な大規模歌曲はほとんどがフォーグル初演である。
さて往年の大バリトン、フォーグルはその円熟期にあってシューベルト歌曲をあの高いキーで、どんな風に歌ったのか興味深深なのだが、残念ながら1820年代の出来事だから録音で検証、というわけにいかない。楽しい想像を巡らしてみたいのでお付き合いいただきたい。
[冬の旅の調性]
冬の旅の調性表に戻ろう。
バリトンという男声中声のカテゴリーの中で、さらにその真ん中へんの声の高さをもつぼくは、いわば「高いほうの低声歌手」といえる。そのぼくにとって冬の旅第2部は、全音下げてちょうどよく歌える歌曲集だ。当時の高さから見れば半音低いだけ。シューベルト/フォーグル構想にもっとも接近している場所である。普及譜ペーター版のバリトン用(中声)では、14〜21番など、この中の大半の曲はぼくの調よりも高くなっていて、ほぼシュ/フォ案と一致している。ほとんどのバリトンが歌ってきたこの調性は、ここでは原作に忠実といえる。曲によって半音下げたり下げなかったり、とかなりぎくしゃくしてしまう弊害を連作歌曲集において避けたかったので、ぼくは一貫して全音さげることにした。
しかし前半の12曲には調性上の問題がかなり多い。比較的ぎくしゃくしないようにと工夫したぼくの案に対してペーター版は高い曲あり低い曲あり、相当に昇降激しい。その傾向をまとめてみると、菩提樹だけを例外に残りの11曲のシュ/フォ案は当代のバリトンにとっては決定的に高すぎるのである。それを全音下げただけでしのぐか3度下げるか、という歌い勝手の問題が乱高下の原因だ。ことに6番と9〜12番の高さは極端。ここでは初版で非常に高く設定したシューベルトが、再版時の校正で自ら下げていることにも注目したい。死の床にふせるシューベルトの最後の仕事のひとつが、この「冬の旅」の校正だったそうである。
この極端に高い数曲を「年配のバリトン」フォーグルが歌ったとすれば、これはもう裏声を使った鼻歌風の歌いまわしだったとしか考えられない。いかに半音低い時代とはいえ、オペラ畑のバリトン歌手のフルヴォイスでは想像できない高さである。参考までに現代の録音では、テノールのシュライヤーやヘフリガーが採用している調性だ。
[「当時の」冬の旅]
そこで楽しい想像をさらにふくらませる。
シューベルトは「歌曲王」である以前に、当時できたてほやほやだった「ピアノ伴奏の芸術歌曲」としての「ドイツリート」というジャンル自体の確立者だ。その彼の歌曲演奏の環境はもっぱらサロン。民家の居間である。一部の歌曲は彼もホールの演奏会にだしているが、主なフィールドはもっぱら家庭音楽だった(一方でオペラや交響曲も書いていたわけだが)。
冬の旅の初演も、そうした友人たちのサロンでフォーグルが歌ってきかせたときなのだが、「菩提樹以外はいかにも暗い曲集だ」という聴衆の感想が残っている。前半12曲ではその「暗い」曲がすごく高いキー、「明るい」菩提樹はすこし下がって落ち着いたキー、というバランスになっているのは面白い。明暗の表現は普通、逆ではなかろうか。高いキーが「陰うつながらも緊張感とストレス」を、低い菩提樹が「落ち着き」をあらわしたであろうことがほうふつされる。本文にも書いたが、ぼくはシュ/フォ案ほど高くは歌えないものの、この両者の相関関係は残すべく工夫した。
とにかく前半の曲は原作によればとんでもなく高いのである。これは「サロンの鼻歌風」だった姿を想像させないではおかない。立派な声だったはずのフォーグルが50才すぎて歌うのだから、軽い声のはずはないだろう。その野太い声のもちぬしが飄々と鼻歌うたうあじわいがリート黎明期の姿だった、という想像はまことに示唆にとんでいる。なぜなら現代のリートは大ホールでオペラ歌手が歌うものになっているから。
極端な鼻歌になったであろう、「高い」第一部に対して、第二部は現代のバリトンが普通に歌える調になっている。「サロンの鼻歌」の観点からすると、これは相当に迫力ある「暗さ」「凄み」をはらんでいたのかもしれない。今のわれわれが感じる凄みよりもっと強烈な。
サロン→軽快な語り口→物語の語りべ→「語る」ための調性。
現代の歌唱法という概念を脱皮することはぼくにとってなかなか難しいが、こういう想像は頭のすみにいれておいて損なさそうだ。(Nov.2000)