ドイツの地方劇場、組織と運営

「どんな田舎住いでも、電車に30分乗れば毎晩公演している劇場が必ずある」。ドイツが世界に誇れる劇場分布です。その大半は勿論、地方劇場。来日の引越し公演などはしない「おらが街の小屋」です。そういう小屋を渡り歩いて歌っているぼくは、このような運営システムを是非日本に紹介したいと思い、いろいろなところに書いたり、トークコンサートのテーマにしております。その旧原稿をここに再録します。(と)




専属オペラ歌手のみたドイツの地方劇場   田辺とおる
季刊誌「演劇人」第一号(98年4月1日・演劇人会議発行)に寄稿した記事


オペラならベルリンやヴィーンの国立歌劇場・ミラノスカラ座・メトロポリタン等々。バレェではボリショイやパリオペラ座、ミュージカルはロンドンやブロードウェイ・・。「日本のホールには最新の設備があっても自前の公演団体がない」と批判される時にしばしば比較の対象にのぼる「欧米の劇場」とは、概ねこのような一流劇場、すなわち各分野の殿堂を指しているのだろう。

しかしドイツの劇場地図は少し様相が異なる。ドイツ劇場界が欧米各国に抜きんでて充実している点は、一流劇場の活動もさることながら地方劇場の普及度と安定した活動状況である。他国の地方劇場とは異なり、田舎町の劇場でも音楽やバレェのスタッフに外国人が非常に多いが、これも契約条件の安定している専属芸術家システムに対する国際的人気と、俊才を広く安く集めようとする劇場側の経営努力の証明と言えよう。何百を数えるドイツ全土の劇場のうち、日本で言う「欧米の劇場」に該当するであろうトップクラスの専門劇場は一割にも満たない。あとはすべて地方劇場、つまり「おらが町の小屋」。スターを呼ぶ訳ではなく遠来の聴衆を集めることもなく、もっぱらその町と周辺の市民のために公演が営まれているのである。

地域の舞台芸を一軒で全部引き受けるのだから、一流劇場のように専門化する訳にはいかない。ドイツ劇場界が「三分野劇場」と呼ぶ形態で、音楽劇・演劇・バレェをまんべんなく上演する。演目は、オペラ・オペレッタ・ミュージカル・レビュー・演劇・児童劇・バレェ・実験劇場など全ての分野において古典・現代/硬・軟/子供・若者・年配向けなどの様々な傾向を網羅しなくてはならない。ぼくが在籍している「北ハルツ都市連合劇場」では年間約40作品550公演。うち25作品を新制作し15作品は昨シーズンから持ち越す。20人のソロ歌手と15人の俳優一人一人が担当する公演は年間約120回。専属職員はほかに合唱・オーケストラ・指揮者・舞台装置や衣装の工房・舞台管理の技術者・事務職管理職など総勢230人を数える。国立歌劇場の半分以下という小所帯だ。さらに劇場は市民合唱団や児童合唱団・バレェ教室などを持ち、助演として随時出演させてもいる。観るにしてもみずから演ずるにしても「おらが町の小屋」なのだ。

ぼくの劇場はドイツ北部でハノーファーに近い人口5万のハルバーシュタットと4万のクヴェートリンブルク両市の共同経営で、年間予算約13億円の半分は自治体、35%は州政府が負担している。単純に計算して一公演あたり236万円。日本のオペラ制作費が一本あたり何千万円にのぼることを思えば、電車に一時間乗れば劇場があるという程普及しているドイツの地方劇場を支えるのがこうした効率的経営であることは明らかだ。とはいえ旧東ドイツ地域は当地に限らずどこも東西統一後の復興工事の真っ最中で市財政が火の車。6.5億円の負担は軽くない。かといって「おらが町の小屋」では市民が気軽に来れなくなるような入場料もとれない。それでも劇場は破産せず補助金もカットされずに維持されているのである。ドイツ地方自治の文化行政に対する見識の高さが窺えよう。

その基盤はどこかと言えば、誰もが「芸は生で観なけりゃ話にならないと確信していることをおいて他にあるまい。都会だろうが田舎だろうが、やっぱりお年寄りはオペレッタの80年言い古されたギャグで笑いたいし、高校生が国語でシェークスピアを習えば生の演劇は観てみたいし、ヘンゼルとグレーテルに行かなけりゃ小学生はクリスマスを待ち望む気分がでないし、世界中でヒットしている話題のミュージカルをやってくれない劇場なんて若者には魅力ないし、タキシードやイブニングドレスでシャンペングラス片手に休憩時間のロビーを楽しむ紳士淑女にとっては名作オペラやオーケストラ演奏会がなくてはならないのである。

(たなべ・とおる:北ハルツ都市連合劇場専属ソロバリトン歌手)


在独日本人向け週刊新聞「ドイツニュースダイジェスト」に投稿した記事


ドイツでは日本よりもずっと手軽に演奏会や劇場に出掛けられますが、この点でドイツが、英仏伊など欧州諸国やアメリカ等を段違いに引き離して、世界一であることはあまり知られていません。劇場の安定性を支える「専属システム」がその秘密です。

管理部門、道具方、オーケストラ、合唱とバレェはもとより、主役端役ほとんどのソロ歌手と俳優を全て月給制の専属劇場職員としてやとって原則的に毎晩公演を打ち、経費の大半を自治体の補助金で賄う、というシステムは現在世界中でドイツ語圏にしかありません。オペラの定打ち小屋だけでも100以上を数えるうち、潤沢な資金でスターゲストを招聘する大都市の大劇場は、数の上では一割以下。残り九割はひとえにこの専属システムによって、各地で「おらが街の小屋」であり続けることができるのです。昔は日本各地の「おらが街の小屋」でも芝居や邦楽が公演されましたが、現代日本の地方都市が持っているのは、大半が「文化会館」と称するホールだけで、公演内容を提供する、いわばソフト面は客演です。

この、いまや貴重な「劇場専属」になるために世界中の音楽家やダンサーがドイツで受験するので、最近はどんな田舎の劇場も誠に国際色豊かです。日本人も各部門に多数就職しており、私もソロ歌手の一人として、ハルツ山麓のハルバーシュタットという、周辺人口をあわせても十万人都市の劇場で、オペラを歌っています。

ところが当地のような元東ドイツの小都市劇場はどこも、存続の危機に陥っています。最高30マルクという入場券は、大都市の在留邦人各位には意外かもしれませんが、このような街では、値上げすれば「おらが小屋」でなくなってしまうのです。劇場は老人、子供、学生、大家族、失業者にも門戸が開かれていなければなりません。元東ドイツでは統一後、多くの劇場が統廃合の荒波にもまれ、当劇場でも都市提携と客演を交えてしのいでいますが、現状では五年以内に約半数の都市で劇場が潰れるだろうと言われています。

「東」の経済活性化には日本資本も大きく寄与していますが、私はその矛先がベルリン遷都などの目立つ部分だけでなく、地方劇場救済にも向けられないものかと願います。大規模レベルでは各市が展開している企業・工場誘致、身近な部分では企業広告をかねて劇場公演協賛への参加を在留邦人の皆様に呼びかけたいと存じます。連絡をお待ちいたしております。

おらが町の「ロミオ」は日本人   声楽家田辺とおるさん・専属システムで活躍
(97年4月26日東京新聞記事)

ユネスコの世界文化遺産にも指定された木組み家屋の街、旧東独地域クベートリンブルク市。市内の北ハルツ都市連合劇場で、今月から上演されている「ロミオとジュリエット」のパロディー喜歌劇に観客が笑い転げている。

生き長らえて倦怠期を迎えた「ロミオ」を演ずるのは、田辺とおるさん(36)−横浜市出身。頭をそり上げたこのロミオ、「お客さんと身近に触れ合え、街でも『見たよ』と声を掛けられる。ここの劇場は『おらが町の小屋』といった雰囲気。やっぱり歌手は注目されて『なんぼ』ですよ」と意欲満々だ。

田辺さんは高卒後、フルートを学ぼうと渡欧したが、オペラに熱中。23歳で声楽科への転向を決意し、帰国して武蔵野音大声楽科を出た。卒業後、日本各地のピアホールで歌うなど苦労したが、本格オペラ出演への夢絶ちがたく92年再度ドイツへ。合唱団歌手を経て同劇場で念願のソロ歌手となった。

二人の子供を抱え、妻千代さん(30)もソロ歌手を目指す。田辺さんのような劇場専属日本人ソロ歌手はドイツで約10人。最近は旧東独の小劇場でのデビューが目立っている。

「ドイツに来て、こんなに安くたくさんの公演ができるのか驚いた」と田辺さん。同劇場は小規模ながら音楽、演劇、バレエ三部門の専属スタッフ約230人を抱え、年間公演は約550回、観客数は約15万人に上る。年間予算約1800万マルク(約13億5千万円)のうち50%は市や郡、40%は州が出資し、入場料は最高でも28マルク(約2100円)だ。

ドイツの劇場は主要都市を中心に約800。七割が公営でうち約85%が専属俳優や楽団を持つ。財政緊縮はここでも同じ。しかし各州とも劇場重視の姿勢は崩さない。設備は最新でも専属の芸人がおらず、欧米などからの「引越し公演」で高い入場料をとられがちな日本と大きな違いだ。

「何百億円もかけてホールを造るだけでなく、芸術文化が地元の『財産』として残る専属芸人システムをぜひ」と田辺さんは日本の各自治体に、ドイツのノウハウを生かすよう訴える手紙を送り続けている。

故郷の横浜で近く後援会が結成され、9月8日には同市の港南文化センターで、ドイツのオペラ事情の紹介をかねた初の「帰国独唱会」が開かれる。

(旧東独地域クベートリンブルク市で、熊倉逸男)





NHK富山放送局制作「ナビゲーション96/アートマネージメント」番組制作者に投稿(97年4月)


前略。
ドイツ国内の劇場にオペラ歌手(ソリスト)として専属契約している者です。現在は、「北ハルツ都市連合劇場 (Nordharzer St dtebundtheater) 」 ハルバーシュタット/クヴェートリンブルク (ザクセン・アンハルト州) に出演しております。

ロンドンの日本語放送JSTVで2月18日、NHK富山放送局制作の「ナビゲーション96」が放送されました。地方自治体の近代的ホール建設ブーム・低い稼働率・その対策として注目されている「アートマネージメント」という概念・・・・などをめぐるリポートでした。実はこれ、私が歌手活動の一方で十年来考えつづけているテーマでして、偶然チャンネル回して、もう仰天した訳なのです。そこで以下、私論とあわせていくつか資料を紹介させていただきます。なにぶんドイツ住まいで、日本のこのような関係の方々とお知り合いになる機会がないため、貴局より関係各所にご紹介いただければ幸いです。(田辺註・この縁で番組にゲスト出演しておられた電通総合研究所の伊藤裕夫氏の知遇を得、氏が運営メンバーに加わっている劇場関係の識者団体「演劇人会議」に参加した)


1,貸ホールか劇場か

結論から申しますが、地域文化の発進地としてのホールの有効利用は「ホールを劇場化すること」以外にはないと私は考えています。「ホールは箱、劇場は小屋」とも申せましょう。単に物理的空間にすぎない「ホール」という施設が、一定の美学に従って運営され特有の空気を醸しだすようになってはじめて、文化的空間になるのです。

日本の関係者もその点を育むことに腐心して、「アートマネージメント」なる概念が言われるのでしょう。しかし、いくら余所から名人上手を単発的に招いて興行しても、地域文化の中心地としての「小屋」の価値は確立しますまい。小屋自体が提供する舞台、つまり自主制作の舞台を提供しない限り、真に地域住民に貢献して愛着をもたれる文化基地に成長していくことはないでしょう。さらにその公演内容は、地域のニーズを真剣に検討して、娯楽的意義と教育・啓蒙的意義の双方が十分に反映されたものであるべきです。つまり私のいう「劇場」とは、単に演劇会場ではなくて「その土地専属の芸人とスタッフによって、地域民の望むジャンルの芸が(ほぼ毎日)提供されている公演会場」のことです。


2,ドイツの劇場分布

この点で、先進国中もっとも対照的な二例がドイツと日本です。これはもう、180度といっていい。ヨーロッパ諸国も、ややドイツ的な機構の国、日本式と似た国と差がありますが、とにかく劇場問題においてはドイツと日本との比較以上にわかりやすい例はありません。まず資料 1をご覧下さい。

資料 1  ドイツ国内の劇場数 舞台数
国立劇場クラス         81
市立劇場クラス        216
州立劇場クラス         47
都市連合劇場          11
その他の専属システム劇場(民間等)246
専属芸人を持たぬ劇場    114
旅劇場               94
合計               804

・同一劇場の大/小ホール等は「2」と数える
・出典:1997年ドイツ劇場年鑑

大抵の町には専属スタッフを抱えた劇場があり、専属スタッフを持た劇場や小都市の多目的会場には普通、最も近くの地方劇場のアンサンブルが客演する、という訳です。そのテリトリーも劇場ごとに大体決まっています。それ以外にも「旅劇場」という公演団体があり、全国の小会場ばかり渡り歩いています。

これだけでも地方への舞台芸術の浸透度の差が明らかだとおもいます。アンサンブルを抱えられぬ程の小都市以外、ホールがある以上は芸人もその町に住んでいるのです。ましてアンサンブルをもたぬ町は、ほとんどが昔あったアンサンブルを経済的理由で市がやむなく解散したところです。いかがでしょう、日本の地方都市のように、誰が何を公演するかを開館初年度分しか決めないで何百億円単位の大ホールを建設してしまうなんて、ドイツ人の目には狂気の沙汰に映ることでしょう。

数の上で大多数を占める「専属システムによる劇場」ですが、やや強引に比較すれば日本では歌舞伎座や宝塚などが、似通った体制だといえるでしょう。しかし「固有の一ジャンルを専門に興行する団体が自前の劇場をもっている」という歌舞伎や宝塚と、ドイツのように「自治体の持つ地方劇場が、町の予算規模なりに総合芸術センターとして多分野の芸人をかかえる」ということはやはり本質的に異なります。


3,ドイツのアンサンブルシアター

ではドイツの劇場は実際なにを公演しているのでしょうか。

この形態は、日本では普通「アンサンブルシアター」と呼ぶようでが、ドイツ劇場界では「三分野劇場 (Dreispartentheater) 」と言っています。三分野とは、音楽・演劇・バレェからなります。音楽はオーケストラ・指揮者・ピアニスト・歌手・合唱団などをかかえ、オペラ・オペレッタ・ミュージカル・オーケストラや器楽演奏会を担当。演劇は古典から新作までの演劇と一部のミュージカル、バレェはバレェ公演の他にオペレッタやミュージカル共演が担当です。この他各分野で、音楽劇・芝居・バレェなどによる大量の子供向けメルヘンをつくります。

私はこのドイツ方式を社会的意義と経済性の二点で評価しています。そして日本で活用しきれていない自治体所有のホールのうち、一軒でも「劇場」に生まれ変わってほしいと願っているのです。自分自身が渡欧したのもそのためで、歌手としては専属契約下で活動しないと質量ともに実りある舞台が経験できないことと、さらに自ら劇場システムの内部で暮らすことで、将来日本に専属システム劇場の考え方を広める基盤を整えたいと思ったことの結果なのです。

つぎに、その専属劇場というのはいったい、幾らの予算でどのくらいのことをやるのかご紹介します。

上記の800舞台、大抵ひとつの劇場は2〜3舞台もっていますから約300劇場ほどあるうち、私の専門である音楽部門をもつのは、ベルリンやミュンヘン国立歌劇場のようなオペラ専門の殿堂から、「三分野」を一軒賄う地方劇場にいたるまで、約100軒です。大オペラハウスは当然、観客層にも伝統があり、誇り高い経営をしています。ミュンヘンは例えば収容2100人・入場券3千円〜2万円・販売率95%・年間公演250前後でしょう。

でも私が劇場運営の点と、日本の地方都市への啓蒙という点から是非紹介したいのは当「北ハルツ都市連合劇場」です。劇場ランキングは中級、年間予算では最低クラス、地元住民は周辺人口ふくめ15万人という小劇場です。この田舎で、この予算で、しかしこれほど機能的に多量の公演が提供できる、という例を知っていただき、専属アンサンブルをもつことの経済的利点を認識してほしいとおもいます。

資料 2
北ハルツ都市連合劇場

Nordharzer St dtebundtheater
Spiegelstr. 20a , D-38820 Halberstadt , Tel. 03941- 24202
Intendant: Gero Hammer (劇場総監督)


・経営形態 複数自治体によって組織された都市連合
・経営母体 ハルバーシュタット市・クヴェートリンブルク市、ハルバーシュタット郡・クヴェートリンブルク郡
・法的代表者 ハルバーシュタット郡知事 ヘニング・リューエ
・劇場総監督 ゲーロ・ハンマー                 (1997年現在)


ハルバーシュタットの町
クヴェートリンブルクの町
ターレの野外劇場

この劇場はドイツ北部、ハルツ山脈の北麓に位置するハルバーシュタットとクヴェートリンブルク両市の共同経営で、双方に公演会場を持つ。両市は旧東ドイツのザクセン・アンハルト州(州都マクデブルク)に属し、およそハノーファーとライプツィヒを結ぶ直線上の中間点にある。ハルバーシュタットは西暦800年頃建都の古都で、商業街道上の地の利とハンザ同盟加盟で栄えたカトリックの司教座である。1945年4月の空襲で潰滅的打撃を被った。劇場の歴史は100年弱だが歴史的劇場は空襲で焼失。クヴェートリンブルクも1000年来の歴史を持つ城下町で、この地方独特の「木組みの民家」が連なる中心部は戦災を逃れたためにユネスコの「世界文化遺産」に指定されている。人口はハルバーシュタット5万、クヴェートリンブルク3万、周辺の郡部約2万。劇場が客演する郡域外の都市を合わせて、この劇場が対象とする人口は総計約150,000人。


両市はそれぞれ大小ホールをもち、計4会場を本拠地としている。この他5〜9月は、ハルツ山中のターレとアルテンブラーク二箇所の野外劇場を使った音楽祭に毎年200公演以上客演する。通常のシーズン中も、本拠地公演とならんでハルツ山麓の各市に多く客演するので、一年を通じてほとんど毎日公演を開催している。

劇場の構成はドイツの典型的な「アンサンブルシアター」で、音楽・演劇・バレエの三分野をもち、それぞれ専属タレントをかかえている。製作部門もほとんどが自前で、衣装・靴・メイク(かつら・化粧)・舞台装置・小道具などは自家製作したうえ劇場財産として倉庫に保管される。照明や音声などの器具および専門スタッフも自前。つまり外注ないしゲスト招聘の対象となるのは、作品によって一部のソリスト、オーケストラ補強人員、演出家などに限られ、その他の人員はすべて劇場職員である。

なお、合唱およびバレェの補強人員・児童合唱・助演者などは、劇場が指導しているアマチュア合唱・バレェ・児童合唱などを起用するほか、随時市民から公募する。つまり、「アンサンブルシアター」とは多彩な演目で市民に娯楽を提供するだけでなく、ママさんコーラスやバレェ教室も開くことで、市民に舞台参加の機会も提供していることになる。



数字でみた「北ハルツ都市連合劇場」(1996年)

・劇場職員総数 約230人
専属歌手(ソリスト)約20人 専属指揮者・ピアニスト等約 8人
専属歌手(合唱団) 約30人 管理職 約10人
専属オーケストラ 約50人 事務職 約15人
専属俳優 約15人 舞台技術スタッフ 約20人
専属バレエ団 約10人 舞台装置・衣装工房など 約50人

・年間の公演演目数 約40本
新制作作品 25本
オペラ 4本 演劇 8本
オペレッタ 3本 子供向けメルヘン4本
ミュージカル2本 バレエ 2本
その他(レビュー・実験劇場等) 2本
前年度からの持ち越し作品 約 15本

・年間公演回数 約550回
・のべ観客数 約150,000人
・財源
・4自治体の都市連合から補助金 約6.5億円
・ザクセンアンハルト州補助金 約5.5億円
・劇場収入(入場券・広告など) 約1.5億円
(自家収入は全収入の約11パーセント。ドイツの劇場界ではベスト10にはいる高率)
・平均的入場券価格 1500〜2500円


入場券価格が異常に安いのは旧東ドイツ地区共通の問題です。これでも東時代の5倍というインフレですから、西なみの値段、まして日本的値段をつけたら市民は一人も来なくなってしまいます。ことほどさように統一後の旧東独地方劇場は経営難と統廃合の嵐にもまれていますが、当劇場はそれでも経営陣の手腕のお蔭で、小さい予算規模ながら安定しているほうです。

いかがでしょうか。この資料 2のような情報は、今まで日本では地方自治体はおろか、音楽関係者にも紹介されたことがないと思います。ヨーロッパに進出した日本人オペラ歌手の第一世代を三浦環や藤原義江とするならば、私などはもう第四〜五世代目にあたるのでしょうし、先輩には大劇場の主役をつとめていた名歌手もたくさんおられ、己を同列に論ずることなど滅相もないのですが、このようにヨーロッパの劇場界と多面的につきあって、相互交流を開発していくことはおそらく、私の世代以降の課題だと思うのです。

それにしても、ドイツの平均的地方劇場にすぎない当劇場では、25本の新演出作品と15本の前年度持ち越し作品をあわせて年間550公演を提供し、10億ソコソコで運営されているのです。番組で富山のキーロフオペラ招聘が紹介されていましたが、1・2回公演で一億円かかりしかも舞台装置にしろ衣装にしろ、富山に残していってくれる財産はゼロ。はたして市民の大多数は、それでも超一流劇場の来演の方をえらぶのでしょうか。それとも「おらが町の小屋」で市民自身が育て、贔屓にしている芸人たちに、いつでも気軽にいける値段と環境の公演をやらせるほうをとるでしょうか。これはオペラに限ったことではなく、劇場そのもののあり方を問う問題でしょう。


4,日本の「自治体製貸ホール」の問題

そこで次は、「おらが町の小屋」がどういう効果を生むかという話をまとめるまえに、番組で紹介されていた例などに即しながら現代日本の「自治体製貸しホール」の問題点を考えてみます。

最大の欠点は、貸しホールシステムでは一演目(プロダクション)につき、多くても数日しか公演できないということです。ホールには公演日に空間を提供する責任しかないから、興行者はもしその公演が好評で一ヵ月後に再演しようとしたら、舞台装置から衣装一式を保管する倉庫を確保しなくてはならない。それを入場券に上乗せしつつ何度も公演するのは不可能だから、結局「初日・二日目・千秋楽」ということにならざるをえない。制作費自体も3日分の入場券しかないのを承知で捻出しないとならない。これはドイツ劇場界では誰も信じそうにないばかばかしい仕組みです。

公演の評判というものは口コミや新聞評、ローカルニュースなどによって伝わります。初日後、曜日や時間帯をかえてぽつぽつと公演を重ねていくと、当たる作品ならば最初の半年くらいは必ず客足がのびるものです。市民に定着する、ということはこういうことであるはずです。失礼ながら7千万円という信じられない制作費をかけた富山県の新作の郷土民話オペラを、いったい何人が見られたというのでしょう。その入場券料が頭打ちならば制作費の市負担分も増えるわけですから、これは文化行政というよりは税金の無駄遣いなのではないでしょうか。土台、私が今までに集めた資料でも、日本の地方自治体が関与した自主制作公演のオペラ制作料は驚くほど高額です。今さらながらに「経済大国/使い捨て天国ニッポン」を痛感いたします。神奈川県の自主制作公演「ひかりごけ」では8000万円。東京から人員を呼ぶことにかかる交通・宿泊費のいらない横浜市のはなしです。沖縄県立芸術大学が開設以来初めて実施した学生オペラ「フィガロの結婚」でも4000万円。いまや自治体制作で土地の市民合唱団とプロのソリストが共演する「市民オペラ」は、大分市や藤沢市などの老舗だけでなく全国で実に花盛りですが、この各回ごとに数千万円の税金がせいぜい三回公演のために消えていっているのです。

私は市民が劇場公演に参加・共演すること自体には大賛成ですし、資料 2にも紹介したとおり当劇場でも多くの市民が我々と一緒に舞台に立っていますが、日本の地方オペラ公演では、市民が舞台に立つことのためだけに大金が注ぎ込まれ、作品や公演がその土地の文化の肥やしになっていく効果への配慮に、あまりにも欠けていると思います。

演奏者は稽古しているうちに、なんだか初日がゴールのように錯覚しがちなものです。私も毎度経験します。しかし舞台作品の商品価値、聴衆との出会いという点では初日は文字通りスタートです。残念ながらアマチュアは参加するだけで満足する傾向が強いので、彼らが多く参加しているとこの点が見失われがちです。だから公演日を重ねていけない状態への問題意識が高まらないのでしょう。しかし公演数の確保は、上述のごとく経済的にも社会的にも絶対必要なのです。当劇場では一作品約20〜50回上演します。


5,ホール予算は外来招聘予算?

つぎに、番組中でもあつかっていましたが「公演費用=外来の招聘費用」とホール所有の自治体が考えていることを取り上げます。

専属システムの劇場が日本で即座に誕生するのは実際困難でしょう。それは勿論やむをえません。しかしいやしくもホール館長たるもの、アパートの管理人になってしまってはいけないのです。かつての日本では、ホール館長なんて野暮な名前はつけませんでした。「(小屋の)頭取」。いい名前ですね。公共施設だから公平に、なんて言っていると結局芸は死んでしまいます。内容に踏み込んで出演者とともに舞台運営をする心意気の館長がいてほしいものです。まず第一に自主公演が増えなくてはいけませんが、同じ貸すだけにしても、現代風のマンション管理人ではなく、せめて「下宿のオヤジサン」程度の存在感がなくてはいけません。たとえばアマチュアオーケストラにホールを貸す場合でも、長期的に練習や公演プランをたてたり、プログラム企画に参画したり、公演をかならず聞いて批評する程度は関与すべきなのです。鈴本や末広亭など寄席の席亭や松竹の歌舞伎座支配人などが皆やっていることです。

つまりホール運営費というのは、基本的にホールの主観が反映した使われ方がなされるべきなのであって、予算のすべてを外来(外国にはかぎりませんが)団体の招聘費用に回しているようではいけないのです。

もうひとつの誤解は「外来の名手を呼べば市民にいい芸術を提供したことになるのか」ということです。外国団体だけでなく、その土地以外の演奏者全般です。

いい公演を呼んで喜ぶのは、おおむねその分野のファンです。もともとのオペラファンならば確かにキーロフオペラにカルメンやってもらえればうれしい。しかしカルメンみたことのない人には、第一何万円の券は高すぎるし、第二に「〜〜とくらべてキーロフはここが凄い」という聞き方ができない。芝居しかりオーケストラ演奏会しかり、すべての芸事は、特別な感受性と集中力で鑑賞できる人以外の凡人にとって、何度もみているうちに馴染んでくるものなのです。もちろんはじめて見て感動することを否定しませんが、感動すりゃもう一度みたいのは人情ですから。大都市の商業演劇はそれで成り立っています。回数がかせげない外来公演は、ごく限られた市民にしかいい芸術を提供していないことになります。ましてその方向で大金をつぎこむと、同じオペラファンでも「カルメンはきらいだけどワーグナーがみたい」とか、モーツァルトがみたいとか、オペラファンとして当然の欲求を持つ人たちのニーズには全く答えていないことになる。それははたして、「キーロフをよんでやったぞ」と胸をはる地元関係者にとって、「田舎なんだからそんなにあれこれ見たいなど贅沢言われても困る」と退けることのできる問題なのでしょうか。本当は「オペラは上演すべきか否か」という本質的な問題なのではないでしょうか。オペラを上演するからにはある程度の作品群を継続的に取り上げることは、市民の芸術的欲求に照らし合わせても当然の施策ではありませんか。勧進帳しかみたことのない人を歌舞伎ファンとは言いますまい。キーロフの次にいつオペラが観られるか分からない状況を放置するするなら、そもそもキーロフすら招聘する意味はないのです。そして、ある程度の作品群を継続的に取り上げることは、専属スタッフの下でのみ可能なのです。


6,外来オペラ引越し公演の非社会性

土台、「大劇場が、建物以外そっくり引っ越して来て公演する」などというばかばかしい公演形態は日本以外にはほとんど見られない、という事実を直視すべきでしょう。

「一流のオペラ」に聴衆が期待するものは、具体的には何なのか。名歌手の主役であり名指揮者であり、一流オーケストラ・合唱・豪華な舞台・・・・、もし、ある聴衆にとってそのすべてが、良い公演を体験するために妥協の余地ないほど不可欠なものであるのならば、その人はそのオペラハウスの本拠地に行けばよろしい。そういうマニアックな聴衆は全世界のオペラファンの0.1%にも満たないことでしょう。一流オペラの本拠地においてすら、聴衆は「居ながらにして味わう引っ越し公演」など期待しません。名歌手や名指揮者をゲストとして招聘しても、別劇場の名舞台や名オーケストラまで体験しようとは考えないし、そのことで自分のオペラ体験の「本格性」が薄れたとも思わないのが普通です。

ロンドンのロイヤルオペラの常連ならば音楽雑誌で例えば、ミラノのスカラ座でヴェルディの何々のオペラがいついつ大成功だった、などという事を知るでしょう。その公演ではオケも合唱も演出も舞台も絶賛された、とも読むでしょう。しかしそれを読んだ彼らがロンドンに呼びたがるのは、その時絶賛されたソリストとせいぜい指揮者だけで、ゲストとしてロンドンに呼んで、自分たちの舞台・演出・オケ・合唱と共演させるのです。どうしても、その絶賛されたミラノ公演の全てを体験したければミラノに行く以外にはありません。厳密にいえば、その讃辞は「スカラのホール内で起こったドラマ」に対するものであって、芸術的価値には建造物自体をふくめた環境すべてが深く関与しているからです。 したがって、日本でも専属チームをもった「小屋」が機能していれば、予算次第で名人をゲスト出演させることは十分可能です。パヴァロッティを聞くために照明係の飛行機・ホテル代まで出して、日本でも作れる大舞台装置を船輸送して、さらにオーケストラや合唱の定年間際のヘタクソまでチームの一員として丁重にもてなして、その挙げ句一流劇場の通常公演の5倍近い値段をつける。これは異常事態であるだけでなく、欧米音楽マネージメントに侮られて、カモになっていると認識すべきではありますまいか。


7,「おらが町の小屋」は聴衆を育てる

もうひとつ、ホール制作公演を外来に頼る弊害を挙げておきます。

普通の地方都市では、外来中心に経営すると結局「たまに名手が来るけど、あとはアマチュア団体がいろいろやってる」というホール利用状況になるでしょう。
予算上もやむをえず。

もしここに、かりにこのホールを「おらが町の小屋」として愛着もって通いつづける聴衆がいたとします。彼の舞台鑑賞の美学はこの大きな落差を許すでしょうか。地元のひとががんばっているからと下手に目をつぶるでしょうか。情の上で黙認しても、芸の巧拙は覆いがたいものです。つまり彼にとって小屋は「いついっても楽しい所」ではなくなってしまいます。名手の出る舞台はいつも名手でなくてはならないのです。上野鈴本の高座には大学の落語研究会がでられないのと同じです。これが舞台人とお客の紡ぐ暗黙の了解というものです。

やっぱり素人の発表する場を何百億円で新設するのは、歪んだ行政です。それなら老人ホームをつくらなくてはおかしい。いいホールを守るのはいい審美眼です。そのホールの基準となる芸の質と形態を明示するには、どうしても専属の芸人チームが必要なのです。

そして彼らと共演することでこそ、土地の素人さんの舞台出演のチャンスもパターンも多様化するものです。


8,劇場総監督が説く「おらが町の小屋」


最後の資料は、専属シスステムで劇場が土地に定着することの利点をあげた、当劇場総監督の講演の要旨です。私は彼の講演も日本の地方都市で是非実現させたいと願っています。もしNHKのご協力戴ければ幸いです。


資料 3  なぜ「おらが町の小屋」か(劇場総監督講演の要旨)

当劇場総監督ゲーロ・ハンマー氏は旧東ドイツ時代、ポツダム市立劇場総監督を30年以上勤めるなど現在ドイツ劇場界で最長の総監督歴を誇る。同時に全国劇場連盟などの要職も兼任し、一貫してドイツ地方都市の市立劇場維持に尽力してきた人物である。ドイツの「専属劇場システム」も深刻な財政難に直面しているが、その中にあってハンマー氏は東西ドイツ統一まもない1991年にハルバーシュタットに赴任以来、クヴェートリンブルクとの都市連合や夏の野外劇場への定期出演など大胆な基盤作りに成功。当劇場を、劇場年間歳入のうち入場券収入11%という、ドイツ劇場経営の優等生に押し上げた。以下は彼が各地の講演で話す劇場必要論である。このような、「劇場人のロマン」「経営感覚」「政治的調整能力」をあわせもった、ドイツ劇場界を象徴する地方劇場実務家の講演は、日本の音楽関係者や自治体・地方議会などにも新鮮な関心を呼び起こすことだろう。

・周辺住民が集まり、ある程度以上の人口を持つ地方都市は、「公演会場」ではなく専属スタッフによって機能する「劇場」をもつべきである。その内容は地元住民の嗜好と教養および青少年への教育的配慮で決定される。ドイツでは音楽・演劇・バレェの三部門が一般的である。

・町の中心の劇場が毎月同じ体裁の月間プログラムを刊行し、それを見ることが市民の間で習慣化し、さらに多彩なプログラムによって老若男女問わず自分の好みにあう公演が必ずみつかる、という状況になると、劇場は公演を提供するだけでなく市民によって育てられることになり、理想的な相互関係がうまれる。

・「貸しホール」への出演タレントは全員「よそもの」なので市民に愛着がわかないが、専属タレントが一シーズン中にさまざまな役で出演していると「地元の芸人」へのなじみが生まれる。ひいては劇場公演への愛着が郷土愛・地元意識の高揚にも寄与する。

・歌手、俳優、オーケストラ演奏家、ピアニストなどは「専属劇場システム」のない国では首都周辺に集中してしまい、地方都市に根づかない。このようなプロの芸術家が劇場を軸に地元に多数住んでいると、教育面、チャリティーなど福祉面、アマチュア指導など市民活動面などで、低予算で大きな効果が期待できる。演技・合唱・バレェなどの教室を劇場が併設していると市民教育だけでなく、舞台出演・共演の機会も提供できる。

・固定給で地元に演奏者をかかえるということは、公演回数を増やすほど経済性があがるので、「毎晩やってる町の小屋」は交通費などの諸経費がかさむ客演システムよりもずっと安上がりである。この点で「北ハルツ都市連合劇場」のケースは、年間予算13億円前後で550公演を数え、最もコンパクトな予算で成功しているモデルといえる。

これまで述べましたとおり、「ナビゲーション96」の番組は私の問題意識と合致して興味深く拝見しましたが、ホール活用への提案までは深くふみこんでいませんでした。私は、この専属システム導入の機運がもし日本でうまれてきたなら、当「北ハルツ都市連合劇場」などは恰好のモデルケースとして紹介できるし、また姉妹劇場提携などで協力できるとおもっています。当劇場総監督ゲーロ・ハンマー氏講演実現にも努力している最中です。そういった点で番組制作者の方、取材先のかたなどと是非意見をかわしたく、長々かきつづりました。

おはなしの発展することをねがって・・・。

草々




上記NHK番組のゲスト解説・電通総研・研究部伊藤裕夫氏にあてた書簡(一部・97年5月)


前略。お返事と大変に興味深い資料をありがとうございました。

今までもやもやと一人で考えてきた事柄に対して、もっと専門的に深く関わっておられる方とお知り合いになれたことは、私にとって大変な喜びです。今後とも是非いろいろご指導たまわりますようにお願い申し上げます。(中略)

伊藤さんは私の紹介した当劇場のデータについて、お手元のウィーン国立歌劇場の資料などと比較して評価してくださった訳ですが、この演劇と音楽、両ジャンルの交流という点においてはまさに大劇場にはできない小劇場の独壇場なのです。

大劇場は人員・予算規模も大きく、オケや合唱など専属団体も優秀で、主役にはスターゲストを招聘するわけですから、オペラ制作だけを比較したら我々の制作水準とはくらべものになりません。しかし大都市では演劇とオペラだけでなく、オペラとオペレッタとミュージカルだけでも専門の3劇場が別々に存在するので、スタッフや出演者の交流のチャンスや出演者が専門以外のジャンルに出演して刺激をうけることなどは不可能なのです。

(例) ウィーン ベルリン
オペラ Staatsoper Staatsoper Deutsche Oper
オペレッタ Volksoper Komische Oper
ミュージカル Theater an der Wien Metropol Theater Raimundtheater Theater des Westens

最近は各劇場でもお得意以外の分野を少しずつプログラムに載せはじめていますが、それでも大都市ではこの他に演劇専門劇場やバレエ劇場があるわけですから、NHK宛の手紙でふれたドイツ劇場界のスタンダードである「三分野劇場」−音楽劇・演劇・バレェを一つの劇場でまかなう地方都市モデルからは程遠く、分化されている訳です。

当地のような小劇場では対照的に、小所帯の機動性を生かしたジャンル間のクロスオーバーはさまざまな形で実践されています。「殿堂」である大劇場と違ってメンバーも演出など管理職も若いので、そういう実験的(必ずしも前衛的ではありません)気分が強いことと、聴衆層の違いが大きな理由です。すなわち大劇場はその分野のファン、という聴衆によって成り立ちますが、地方の三分野劇場ではもっと「一般的娯楽施設」としての色彩が強いのです。個々の作品にこだわる聴衆は少なく、今晩は芝居見物、という気分でやってきます。したがって劇場も一作品を内容的・水準的に掘り下げるよりも、どうやって市民の興味をかき立てるか、という戦略をとります。目先をかえていかないといけない訳です。いろいろな企画で、いろいろキャッチコピーを練って、宣伝するのです。年間25本新制作という当劇場のデータは大劇場の何倍にものぼる数字で、我ながらいったいどうやってこなしているのか不思議なくらいですが、大劇場のように有名作品を再演だけしていたのでは、地方都市の客足は離れてしまうのです。ウィーンでは「フィガロの結婚」を上演するのに作品について宣伝する必要なんか一切ありませんから、大きな違いです。

余談ですが、この「地方の一般のお客さん」というのはなかなか面白い反応をするもので、私のように自身が音楽畑をずっと歩いてきて、なお日本でも音楽好きの聴衆としか出会ってこなかった者にはびっくりすることがいろいろあります。たとえば4月末にプッチーニの「トスカ」初日があったのですが、これが一週間後の土曜夜公演でひどく入りが悪かったんです。ハルバーシュタットでは何ヵ月ぶりの本格的イタリアオペラで、有名作品だから不思議だったのですが、広報部の分析によれば「太陽と新緑の五月になって凄惨な殺人劇なんて観たがらない」のがその理由だそうです。もともとのオペラファンを対象とした大都市劇場には起こらない現象でしょう。

いずれにしても、そんな地方劇場ではとにかくいろいろなタイプの舞台にふれることができます。

ホールの大きさも大きく関与しています。当劇場の両ホームグラウンド、ハルバーシュタットもクヴェートリンブルクも500人クラスの大ホールと70〜100人クラスの小ホールをもっています。大ホールの方の性格は要するに2000人の大都市劇場を小さくしただけですが、国立オペラでは普通所有していない100人の小ホールというのがなかなか個性的で面白いんです。オペラでも作品によっては、わざとピアノ伴奏の室内オペラ形式で小ホールにだすと、全然雰囲気が変わります。聴衆の息とやりとりするのも小ホールならではです。偶然私は今年にはいって、3月と5月二本続けて小ホール作品の新制作を手掛けましたが、ミュージカルコメディー様式ドタバタ喜劇「それはナイチンゲール」のセリフや歌詞への聴衆の反応などは到底500人ホールでは期待できないものですし、5月のメノッティ作曲のオペラ「泥棒とオールドミス」は、本格的オペラなので小ホールだと声楽的にボロがみんな聴衆に聞こえてしまう点で非常に歌うことが難しくなりましたが、通作オペラに挿入したギャグへの反応が小ホールらしくこまやかに受けとめられて、とても成功したプロダクションになりました。このような二作品では演技の点でも当然、突っ立って歌うだけの「オペラ歌手風」ではどうしようもないので歌手にとっては難しいことですが、聴衆にとっては歌手の演技をつぶさに見られる魅力にもつながるようです。

芸域の面でクロスオーバーしているといえば、たとえば子供向けメルヘンなどもその一例です。

子供劇は児童生徒が学校単位の団体で来るので、夏とクリスマス前にそれぞれ100回近く公演します。単純に分担すれば音楽畑と演劇畑で50回づつなのですが、お互いに通常の劇場活動に追加してこれだけこなすので、知恵が必要になります。たとえばヘンゼルとグレーテルにしてもブレーメンの音楽隊にしても、音楽・演劇で同作品を扱っておいて病欠のピンチヒッターとしてお互いにカバーできるようにしておいたり、最初からキャストの一部をクロスオーバーしておいたりします。

このようにホームグラウンドとしての「小屋」を軸にして、所属メンバーがさまざまな作品を提供していく、というのはドイツ地方劇場の大きな特徴だと申せましょう。もちろんバレェ団とも日常的に共演しますから、たとえばミュージカルの内のナンバー一曲は踊り子がデュエットするとか、オペラ歌手が彼らと踊るとか、俳優がバレェ作品のナレーターに起用されるとか、小所帯ならではの交流は小予算内でのやりくりという理由もあっていたるところで行われているのです。

次に、伊藤さんのあげられた問題点にもあった「教育の欠如」についてもすこしふれたいと思います。

日本演劇界の現状は存じませんが、日本オペラ界では歌手以外のスタッフ払底が深刻です。とりわけオペラ演出を教育する機関はおそらく皆無ではないでしょうか。照明や舞台装置など純粋な技術スタッフのことはひとまずおいて、制作責任者の層が薄いこと、すなわちオペラピアニスト・指揮者・演出家の教育が整備されていないことは、日本オペラ界の将来に暗澹たる影を投げかけているとおもいます。無節操なまでに歌手の卵(音楽大学声楽科の卒業生)ばかりつくって、発表する場はおろか、公演を現実のものとするために必要な環境を整える気は全くない、というのは嘆かわしいことです。私の卒業した武蔵野音楽大学など毎年200人からの声楽科卒業生をだしています。みんな在学中に有名なオペラアリアの5〜6曲はかじっている連中です。

ドイツではこういう新人受入れ機関としても、地方の小劇場は機能しています。もちろん数でいえば圧倒的な供給過剰ですから、音楽大学をでても劇場に入れない学生は沢山いますが、少なくとも小劇場の側からみれば若くて安くてやる気のある人材は不可欠なのです。前述の「泥棒とオールドミス」は新人演出家でした。彼は音楽大学オペラ演出科の卒業制作としてこの作品を扱い、好評だったのです。卒業後、ある国立歌劇場の演出助手に就職したのですが、演出家として一本立ちする念願絶ちがたく、この卒業制作の資料などを各劇場に送りつけたところ、たまたまこの作品を制作する予定だった当劇場の目にとまって(おそらくは新人だから、さんざん買いたたかれたであろう結果)プロ演出家としてスタートできることになりました。こういう事は劇場にとっては一種の冒険でもありますが、今回は新鮮なアイディアが奏功した好演出となりました。

ちなみにこの「泥棒とオールドミス」やミュージカルコメディー「それはナイチンゲール」などは日本に未紹介の魅力的分野(作品)として私は、ぜひいずれ邦訳などして日本公演を実現したいと願っているものです。なにかお知恵を拝借できれば幸いです。

まぁ、このようなドイツ地方劇場の姿は、本当は一流劇場の営みよりも日本の地方自治体にとって参考となる点が多いだろうと私は確信しているわけです。安上がりだから、仮に真似るにしても現実味があるでしょう。