オペラを歌っていつのまにか人生の半分をドイツに暮らしてきたが、この程謙さん扮する勝元がオルグレン役のトム・クルーズ等と英語で話している部分を独・仏・スペイン各語に吹替える機に恵まれた。
専ら字幕上映する日本と異なりヨーロッパでは吹替が主流。一画面二行の字幕では割愛されがちな表情をかなり再現することができる。
両国人の拮抗と友情が主題のこの作品で、日本人役には「適当に」日本語訛りの残る声が求められた。訛りが強くては芝居の表情よりもそちらが強調されてしまうし、ネイティブでもおかしい。吹替えは独語の経験しかなかったが、役柄表現が買われて仏・西語にも起用された。本業のバリトンを素地に声の張りや圧力が出せて、ドイツの劇場でオペレッタやミュージカルなどのセリフ劇に慣れている(スキンヘッドの効用で「王様と私」独語版などは随分公演した)ことが奏効したのだろう。
音声も抑揚も極端に節約したモノトーンの中で、持ち声の野太い威圧感を生かして武士の貫禄を表現していく謙さんの台詞回しは西欧語にとって非常に異質だ。この「滅多に聞かれない調子」が不自然に堕すことなしに役の雰囲気を醸すべく試行錯誤を重ね、表現に行き詰まると目を閉じて彼の英語を聞き、その精神世界を共有しようと努めた。通常の吹替えは各国語ネイティブの声優がやるので、一人で同じ役を三ヶ国語担当するという千載一遇の機会は誠に刺激的だった。
日本で直訳というと試験答案まがいの不自然な文と見なされ、劇台本の如き芸術作品は意訳されるのが常だが、語源や文法構造が似通っている西欧語内の翻訳では直訳がかなり適う。しかし直訳で十分ならばそれに越したことはないはずなのに、吹替えでは逆に不都合が起こることも今回経験した。
構造は近くても発音がかなり異なるので、直訳しても文全体の音節と子音の数には大差が生ずる。「マイ・ネーム・イズ(カツモト)」を「マイン・ナーメ・イスト」(独)「ジュ・マペル」(仏)「メ・ヤーモ」(西)と録音する際、英語と独語は自然に話してほとんど同じ長さになるが仏・西語は明らかに短く、ゆったりしゃべらないと画面の口よりも早く台詞が終わってしまうのだ。文が長くなるとこの差も広がるので、わざと意訳して単語数を増減することもあった。吹替台本作家も配慮しているが、最終的には僕の台詞回しを聞いて現場で調整する他はない。
このような各国語の違いはとても興味深い。独語は子音が多く、普通に話しても英語より急いた調子に聞こえがちだ。仏語は促音を伴う詰った子音に加えて圧倒的に短母音が多いので、英語と同じ文を同じ速さで発音すると随分短くなる。逆にスペイン語は南欧語に特徴的な明るい長母音と長い活用語尾、冠詞・形容詞にもつくため矢鱈に多い複数のsなどのおかげで発音時間も長い。英語を話す謙さんの口に合わせると早口になって重厚な味が出ないため、タイミングの工夫が必要だ。
臨終の際、勝元は満開の桜の幻像をみて「パーフェクト」と呟く。印象的なこの一言が問題になった。ラテン語源を共有し、ペ(ル)フェクト(独)・パルフェ(仏)・ペルフェクタス(西)と酷似しているので直訳できるはずだが、アクセントはオリジナルの英語だけが「パー」で他の各語は「フェ」にある。悶える勝元のパーは息混じりに長く、フェは力ない。アクセントの逆転は、観客が固唾を飲んで見守る大アップの画面で深刻な齟齬を生んでしまう。どの国の現場でも議論になり、仏・西語ではルの子音を長目にして英語の長音になんとか合わせたが独語は折衷案が作れず、フォルコメンというゲルマン語源の対語に置き換えた。
日本語会話の部分はオリジナル音声が使われているので英語の字幕が出る。この翻訳も吹替台本作家の仕事なのだが、フランスではこのアドヴァイザーも勤め、チャプリンの「独裁者」から吹替台本を書いているというベテラン作家と相談しながら台詞を決定していく楽しい作業を体験した。長年の勘で「この英語は意訳に見えるが日本語ではどう表現されているのか」と質問してくる。僕からも「読んでびっくり」という意訳英語を指摘する。意訳の意訳では文意が歪むので、なるべく原文に近づけねばならない。
日本の歌を独訳して出版・公演するなど日独の架け橋たらんと願う僕にとってまた一つ、「らしい」仕事を為すことができた。詳報はwww.tanabe.de
も参照されたい。
|