マーラー「亡き子をしのぶ歌」
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ 第1回定期演奏会
2001年11月25日(日)
神奈川県民ホール
ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ
バリトン独唱 : 田辺とおる
指揮:井上 喜惟(アルメニア国立放送交響楽団・音楽総監督)
<リハーサル日記>
11月23日(金)記
マーラーは難しいです、はっきり言って。
オーボエかホルンにでもなったようなつもりで、長ーいフレーズを歌います。オケ伴奏の歌曲というよりも、本当に自分がオケの一楽器になったような気がする作品ですね。
風邪気味をひっぱって稽古してきた内にピシャリと回復しなかったもんで、本日はオケ合わせを休みました。オケと指揮者には申し訳なかったが本番第一ですのでやむなき選択。よく寝たら大分快方に向かいました。
明日は自宅で稽古できるでしょう。で、もうあさって本番。(と)
<報告>
歌ってきました。ぼくにとっては非常に難曲ですが、ああいう音楽に身を委ねて歌うのは格別の幸せです。その嬉しさと、自分なりの課題の両方を一杯もちかえった演奏会でした。
帰宅して開けたメールに早速入っていた感想には「とても情感の深い、せつないけど優しい感じがしました。お人柄でしょうか、悲しい歌なんでしょうけど声に温かさがあるというか・・・」という嬉しい言葉がありました。指揮者の旧友井上君からは「ハートで歌ってるね」と、「ハートでマーラーを振る」彼らしいコメント。後半の交響曲6番もたっぷり歌いこみたいという彼の情熱あふれる演奏でしたしね。
ハートの部分というのは、ぼく自身の表現能力というよりもむしろ、作品のクォリティに背中を押されて・・・、という気がします。器用な歌手ではないので、技巧をちりばめて多彩な表現をもりこむ、というのは苦手。録音で例示すれば、フィッシャー・ディースカウの名盤などは技巧派の最右翼かと思います。ぽくはヘルマン・プライがN響に客演したときのライブが割と好きです。素朴に不器用に、比較的単調に歌ってる。
巷間言われるように、いわゆる「リート歌い」の方は造形美を重視するようですが、ぼくはこれが本当に得意でない。劇音楽が本業ということと無関係ではないでしょう。なにを歌っても、その人物が訴えるメッセージに関心が傾きます。技術の反省でも触れますが、本来ならばこの歌曲集は「冬の旅」みたいに一言ひとことのドイツ語をしっかり語りこむという割合がやや低く、器楽的な長いフレーズ感が重視されています。でもその中で時々あらわれる「キーワード」をしっかり語りこむととても効果があるんですね。全部は書ききれませんが、思い出すままにいくつか例をあげると、
・「不幸が(なかったかのように・・・)=Unglueck,
第一曲」
・「太陽は(誰の上にも分け隔てなく照る)=
Die Sonne, 第一曲」
・「(ぼくたちは)喜んで(貴方のところに)居たいのに= gerne,
bleiben,第2曲」
・「(ぼくらを)見て!もうすぐ遠くに(いってしまうから)=
sieh, bald, ferne,第2曲」
・「いつものように(おまえが部屋に入ってくるようだ・・)=als
immer, als wie sonst, 第3曲」
・「(この)嵐にも、(子供たちは)母の家で(休んでいるかのようだ)= Braus,
derMutter Haus 第5曲」
こういう言葉はとても印象的におかれているので、発音することに大きな快感を覚えます。いつものように語りこめる言葉がきたっ、という感じでいきおい情感がこもりますね。べつに「これがキーワードだ」と楽譜に指定かあるわけではないので、これもぼくのセンスに過ぎないのですが、こういう発見は楽譜の隠れたメッセージと対話しているようで楽しいものです。お客様に伝わっていれば尚嬉しいが。
いつものことですが、技術面の反省と宿題も書いておきましょう。
・楽器がナマモノなもんで完全に回復しなかった部分いかんともしがたく、ドから下の低音がならないこと、中高音の弱音がハスキーになることは避けられなかった。
・鼻つまりが残っていて息継ぎに時間がかかり、フレーズに入るところの音程や終わりの処理がクリアーに行かなかった。
・この曲集は「子供の不思議な角笛」などとは対照的に、歌の旋律線がまるで管楽器のソロを模したようにかかれている。実際オーボエとユニゾンになったりホルンと掛け合いしたりが多い。この、「どちらかというと歌詞の明瞭さよりも、オーボエのような一本調子的に均質に鳴っている密度高い音の連なり」という感じが非常に難しい。オーボエほど息は伸びないし、今日のマエストロ井上君はわりとたっぷり目に音楽作るし。もうちょっとビターッと粘着質なフレーズ感を出したかったなぁ。
内容的には、なんともやりきれない「亡き子を偲ぶ父の歌」ですが、これが非常に色彩豊かに作曲されてる。物静かな繰言風の回想あり、絞りだすような悲嘆あり、透明な諦観あり。そこに、非常に薄いけど象徴的な器楽伴奏がついていますので、自然にノセられます。古典やロマン派前期の単純な伴奏形だと、自分自身で気持ちをつくって歌いはじめないといけない、という面がありますが、こういう曲は前奏間奏が完璧に情況を設定してくれていて、ぼくはそれに乗るだけ。ただ、その「気持ち」とやらに縛られて冷静さを失う危険も少なくありません。
いやぁ、お聞き苦しい声も出してしまい慙愧に耐えませんが、いい勉強させてもらいました。オペラ・オペレッタ・トークコンサートなど、親しみを意識する舞台が多いなかで、ひさしぶりにストイックな体験でした。いつかまた、好調なときに再演したいが・・・。(と)
<報告 by うぃんのもり>
O 初めて聴いたとおるさんのマーラー
今更ながらマーラーの音楽に関しては極めて表皮的にしか知らなかったことに気づき、したがってまとまった感想文にはなりません。
見当違いな記述になることを気遣いつつ書いてみます。
O マーラーの表題付き歌曲では「さすらう若人の歌(1883〜85)、「子供の不思議な角笛(1892〜1899)」と、この「亡き子を偲ぶ歌(1901〜04)があるが何れもキチンと聞いたことはなかった。特に「亡き子を偲ぶ歌」は印象に残るメロディは思い当たらない。
O 時期的には前二者は正に世紀末、そして"亡き子"は20世紀−ちょうど今から100年前ということだが、どうして彼は新世紀の初めにこのような暗い不吉なリュッケルトの詩を選んで作曲したのだろうか。
1902年アルマと結婚し、1904年には二人の女の子の父親となっているのに…。
(数年後には二人とも相次いで亡くなっているがそれから後での作曲ではない。)
O 彼が若い時の自作のテキストによる連作歌曲「さすらう若人の歌」よりも当然のことながら円熟した曲といえるのだろうがそれだけに難曲、これをとおるさんは静かに歌った。いつものことながら格調の高いドイツ語で、オーケストラの出だしでホルンなどの管の音が幾分心細かったが彼の綺麗な声が入るとオケも次第に整ってきた。
確かにとおるさんの言うようにこの曲では声は楽器の一部のように、そして井上氏の指揮と相俟って次第にオケを歌わせていった。
O ついでに勝手なことを言わせてもらうと、内外ともにバリトンは多士済々だと思う。今回の演奏でとおるさんの歌唱の幅(レパートリー)が更に広がって行くことと思う。しかし本領はオペレッタを含むオペラ歌手ではないだろうか。故人となったがヘルマン・プライあたりを目指してはどうだろうか(余計なお節介!)。プライが「こうもり」のアイゼンシュタインで出演したのをNHKホールで見たが、極めて印象深かった。それより更に(これはビデオだが)「ニュールンベルクの名歌手」のベックメッサーを歌ったのが心に染み付いている。敵役だが、声ばかりでなくペーソス漂う名演技で主役(靴屋の親方父娘、さすらいの騎士)を完全に凌いでいた。
O もう一人、とおるさんとイメージを重ねたいのがバス・バリトンのフランツ・ハウラータ。ウィーンかミュンヘンが本拠でとおるさんと同年代、2年前ウィーン国立歌劇場で「フィガロの結婚」のフィガロで活躍し大喝采を受けていた。今年6月NHKホールでのメトロポリタン・オペラ引越し公演では「ばらの騎士」のオックス男爵でこれも印象が深い。
とおるさんはよくご存知と思う。
O それにしてもマーラーは2世紀に亘って大交響曲、歌曲を作曲しながら、そしてウィーン国立歌劇場をオペラの殿堂に仕上げる基礎を築いた最大の功績者で、なおかつ指揮者でもありながらどうして現在に残るオペラを書かなかったのだろうか。
もっとも、交響曲、協奏曲、歌曲そしてオペラすべての分野で後世まで残る多くの優れた作品を残したのはモーツァルトただ一人だということだが。
この日(2001.11.25)は「ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ」の門出の日ということで、その意味でも記念すべき日になりました。アマチュアオーケストラで、それも世に問う最初の曲が第6番という大曲なのは画期的なことです。プロの人達も参加していますが大部分はアマでその熱意と努力は驚くばかりです。
そして指揮者井上氏はとおるさんと同年代、同じ横浜出身の俊英。ウィーンを皮切りにドイツ、チェコ、旧ソ連各地で研鑽を積み、現在アルメニア国立放送交響楽団音楽総監督、主席指揮者を務める若きマエストロで今後の活躍が期待されます。
蛇足ながら、今回アルメニア共和国という国の場所を初めて知りました。
手元の小さな世界地図ですので国境がはっきり分かりませんが黒海とカスピ海の間、トルコとイランの国境線の最北端から北方の小さな国のようです。首都イェレバンはトルコとの国境に沿った交通の要衝のようですが、日ごろ全く接点の無い多くの日本人にとってはどのような世界なのか想像も付きません。そのような所で日本の少壮気鋭の音楽家が活躍されているという事実に限りないロマンを感じます。
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詳細なご感想ありがとうございました。
O どうして彼は新世紀の初めにこのような暗い不吉なリュッケルトの詩を選んで作曲したのだろうか。
史料に詳しく当ってないので思いつくイメージに過ぎませんが、「死」というのは彼の創作活動を一貫する最大のテーマですね。多くの交響曲にやたら「葬送行進曲」、もしくはそう解釈できるような楽章を書き込んでいるし、そのへんは3番と7番の第二楽章に葬送行進曲をかいたベートーベンを意識してるかも知れない。「亡き子」と彼の6番交響曲は同時期の作曲ですが、6番一楽章も葬送なのかな。
とにかくマーラーというひとは徹頭徹尾コンプレックスのかたまりだったように思われます。ユダヤでありながら改宗してウィーンのオペラ音楽監督になったという経緯をだすまでもなく、生涯屈折した劣等意識をもっていたのではないかな。年のはなれた才色兼備のアルマとの結婚もまた、コンプレックスを押し殺しながらの喜び、という感じがします。新婚時の5番交響曲5楽章が途端に伝統的手法に回帰しているのなんかは、ポロッと出た無邪気な嬉しさの現れだったのかもしれない(気鋭の作曲家でもあったアルマに「なんと因習的な!
」と批判されたのも皮肉ですね。)
人間の矮小さ、利害渦巻く社会の混沌など、いわゆる「世紀末の不安感」の代表選手のようにマーラーは受け止められているし、クリムトやシーレみたいな世紀末ウィーンの「死」を美化した作家たちの旗手みたいにも言われている。彼の評伝からは強迫観念にいつもとりつかれているかのような印象が読めます。幸福な家庭生活にあってこういう詩にピンと来た、というのはとてもマーラー的なのかも知れません。
O しかし本領はオペレッタを含むオペラ歌手ではないだろうか。故人となったがヘルマン・プライあたりを目指してはどうだろうか(余計なお節介!)。
いえ、その通りなんです。ぼくもそう思っています。真似してるわけじゃないんだけど、音程が下がりがちになる悪癖なんかも似てたりして・・・・(笑)。ただ、プライはフッと力を抜いて音域の端の音(高音も低音も)を響かせるさじ加減が上手いので、あれだけの多彩なレパートリーをこなせたんですね。ディースカウよりも高い歌も低い歌も平気で歌っています。こういういいところはなかなか真似できない。
O プライが「こうもり」のアイゼンシュタインで
上手いですよね。でもアイゼンシュタインは高いの!本来テノールの役。よく歌いますわねぇ。あっけにとられてしまう。
O「ニュールンベルクの名歌手」のベックメッサー
おお!
これは彼一世一代の名演でした。ぼくは80年代にミュンヘンのオペラハウスで何度も見ましたよ。靴屋のザックスは大抵ヴァイクルかテオ・アダムあたりで、これも勿論名演でした。両者横綱相撲というかんじで見ごたえありましたねぇ。ベックメッサーは狙ってるんですよ。40代前半のうちに手がけたいと思っています。まずは独唱の部分を稽古しておいてオーディションということなんでしょうけど。
Oバス・バリトンのフランツ・ハウラータ。
最近のトップ歌手情報にちょっと疎いもんで、この人は知りませんでした。ウーン、オックスの人だとするとぼくより大分低いですね。レポレロ・フィガロあたりは重複するのでしょうけど。
低音が課題だと最近感じています。なんとかプライのように、もとの声はそんなに低くないけど共鳴体の技術でポンとだしてしまう低音、というのをマスターしたいもんですが。
97年にやった初回の「ドイツ便り」コンサートの最後に靴屋ザックスの終幕の歌をやったんです。どうせザックス歌えるほど声が太くはなるわけないと思っているので、せめてもの「見果てぬ夢」が見たくてね。バラの騎士のオックスはバシッとしたバス歌手のものですが、ザックスはボーダーラインだし、第一しどころがとても多い主役なので、いっぱしのバリトンはみんな歌ってみたくなるらしい。39歳のヴァイクルがバイロイトのザックスでデビューしたときは「こんな軽くて明るい声のザックス」と話題になりましたが、最近はブレンデルもやるし、リリックバリトンあがりがベテランになって、よくやってる。あの軽いディースカウすらちょこっとだけやっちゃった(笑)。
プライはそっちに進まずベックメッサーに磨きをかけた。ぼくの手本はこっちでしょうね、どっちかといえば。
O それにしてもマーラーはどうして現在に残るオペラを書かなかったのだろうか。
不思議ですよね。「(交響曲作家とオペラ指揮者という)二人の自分」というものをとても意識して、ひとつの方からの逃避場所がもうひとつだった、のかな。ついぼくは、マーラーの行動をコンプレックスと結び付けてしまうのですが。
歌曲作家としてのマーラーというのは交響曲作家の彼というものと同一だとぼくは思っています。歌を交響曲のなかにたくさんいれたり、歌曲を器楽曲として流用したりしています。でも歌曲が交響曲の「スケッチ」だったというわけでもなく、彼にとっては五線紙の裏表のように不可分のものだったのではないでしょうか。
O アマチュアオーケストラで、それも世に問う最初の曲が第6番という大曲なのは画期的
いや、凄いアマオケでしたね。「マーラーオタク」結集、という感じ。それぞれ地域や大学などでアマオケの経験豊富なひとたちで、「井上さんとマーラーやるんなら集まろうか」という感じで一年一回のたなばたオーケストラを組織したようです。あとはインターネットの広告で足りないパートを募集したとか。でも「マーラー6番」に集まろうなんていう人だから、普通のアマオケには必ずいる初心者なんかはこないんですね。それなりに腕に自信もってる人ばかり。
次回は2003年新春に未完の遺作10番(一楽章のみ)をやるそうです。あとはハチャトリアンの交響曲3番。トランペット15本登場だそうで、これは日本初演になるそうです。井上君がアルメニアから持ってきた作品です。
おかげさまでここのオケからは「次回の声楽ソロも」と誘って頂いています。たまーにこういう曲のチャンスがくるのは楽しみですね。さすらう若人・角笛・千人の交響曲と、バリトンのオイシイのはまだ有りますので。
○指揮者井上氏はとおるさんと同年代、同じ横浜出身の俊英。現在アルメニア国立放送交響楽団音楽総監督
井上君とは同い年で、おなじく18・19のナマイキ盛りをオーストリアに過ごしました。ウィーンの天井桟敷で知り合い、オペラに日参しては終演後大評論会をやってた一人です。世間はせまいもんで、同じ横浜で子供時分に音楽習っていたもんだから楽器屋や録音会社の社長さんに共通の知人がいたことが今回判明したりして、懐かしい思いをしました。楽器屋さんの方は、ぼくが川手美保子嬢と伴奏合わせするときにいつも練習室をお借りしており、今回も聞きに来てくれました。「あの指揮者と歌手は、両方ともオシメつけてるころから知ってんだ・・・」なーんて話してたそうです(笑)。
つい「元ソ連」でひとくくりにしてしまい勝ちですが、アルメニアはとても特異な風土と文化をもっているそうです。井上君は近年すっかりアルメニア漬けのようです。「・・・・アン」というのはアルメニア系の名前で、有名なところではハチャトリアンとカラヤン。カラヤンのほうは遠い先祖が・・・・、という程度だそうですけど。独特のアルメニア正教とアルメニア文字・アルメニア語をもち、陰鬱な情熱とでもいうのか、特徴的な音楽を持っています。ハチャトリアンのバレエ音楽や協奏曲のたぐいからも感じられますね。そういう独特な音楽の風土のところには行ってみたいモンです。「オタクのオケに共演させてよ・・」と井上君におねだりしております。(と)