「こうもり」よもやまばなし〜〜ツアー報告の前口上〜〜

1,「特別な」オペレッタ          「こうもり」ツアー報告 ツアー出発前
2, こうもりとの出会い          ツアー初日日(ニュルンベルク)
3, ぼくのこうもり演奏歴         ツアー2日目(ベルヒテスガーデン)
4, 公証人ファルケ博士         ツアー3日目(バート・マインベルク)
5, 日本語オペレッタ・・・?       ツアー4日目バーデンヴァイラー
6, ぼくの好きなCDと映像        ツアー最終日シュヴェッツィンゲン

肺炎の年明けで諸事番狂わせ。こうもりツアーのご報告も遅くなってしまいました。遅れついでですから、ツアー報告の前に少々こうもりをめぐる茶飲み話にお付き合いください。


1,「特別な」オペレッタ


こうもりは管理人あっちゃんもご贔屓とか。ぼくのところにもツアー参加の宣伝をして以来「わたしもこうもりは大好き」というメールをいくつか頂戴して、あらためて人気の程を再認識いたしました。ぼくももちろん、大好き。オペレッタの最高峰の名にし負う名作だと思っています。

ウィーンやミュンヘンの国立歌劇場、いわゆる「オペラの殿堂」はなかなか格式張っておりまして「庶民的な」オペレッタは普通上演しないんです。こういう大都市にはオペレッタ劇場もありますから、そっちに任せる、という訳です。ウィーンのフォルクスオーパー、ミュンヘンのゲルトナープラッツ国立劇場などがそれにあたります。

でも「こうもり」だけは伝統的に特別扱いなんですね。天下の国立歌劇場から小都市の市立劇場、今回のようなツアーにいたるまで、どこでもやります。祖父の代から国立歌劇場の定期会員席をもつオペラ通も、人口一万人たらずの田舎のオバサンオジサンも、こうもりの乾杯の歌やワルツを聞いた事のないドイツ人はおよそいないでしょう。暮れのこうもりはどこの町の劇場も満杯にいたします。

だからこうもりだけは、CDでもあまたの名歌手がきけますよね。このオペレッタだけ。一見なんだか不公平な気がします。でも、その後自分が市立劇場の合唱団や専属ソリストとしていろいろなオペレッタを扱ってみて、やっぱり納得致しました。この作品は特別素晴らしいですよ。だてに贔屓されてはいない。

オペレッタという、エンターティメントを標榜した歌芝居のジャンルはまさに玉石混交なんです。・・・・ちょっとちがうかな。作品のチャームポイントとウィークポイントがはっきりしている、ということかしら。ある作品は素敵な音楽の連続だけど筋立てが平板だとか、または天下の流行歌になるほど魅力的なアリアがあるけど、全体の音楽作りが単調で厭きるほど件の名旋律をきかされてうんざりするとか、折角いい音楽を書いているのにオーケストレーションが雑できれいに響かないとか・・・・・。もしくは、アリアや重唱の音楽の流れがあまりよくできていないのに、テノールの高音のクライマックスだけやたら沢山かいてあるオペレッタとか。ドラマ仕立ても同様で、第一幕の冒頭15分見ただけで幕切れまでだいたい想像ついてしまう平板な作品あり、反対に開幕の前に起こっている逸話や2幕と3幕の間におこった逸話などがやたら込み入っていて舞台を追ってるだけではなんだかよくわからない作品あり・・。

興行主にせかされ、公演初日に間に合わせるべくねじり鉢巻きで五線紙に向かっている流行作家の背中が目に浮かびます。この時代、オペラの方ではワーグナーにしろヴエルディにしろ、満を持して自作を発表、という風潮になりつつありました。あっという間に時代の寵児になったウィンナ・オペレッタ界の興奮を象徴するようでもありますね。

そんななかでやっぱりこうもりのバランスよさは傑出していると思いました。すべての要素が過不足なくおさまっている中に、ウィーンナーワルツの王者シュトラウスが油の乗り切っている時代に書き込んだ第一級の音楽が躍動している。クライバーの指揮やウィーンフィルの弦楽器群が、まるで名陶器を丁寧に手に取るときのような味わいで、甘く軽くフレーズの弧を描いていく空間に身を委ねるのは、まったく贅沢な楽しみです。ぼくは「上手に演奏された」ウィーナーワルツをこよなく愛しておりますので、こうもりは自分が演奏するよりも名演を客席で聞くほうが楽しい、なんて思っておりました。


2, こうもりとの出会い


ぼくのこうもりとの出会いは学生時代。1979年から83年までザルツブルクに滞在していたおり随分何度もききました。ちょうどザルツはミュンヘンとウィーンのあいだ。どちらのオペラにも日帰りでいってこれます。当時は演出家オットー・シェンクの全盛で、この作品はどちらの劇場も彼の演出をもっていました。キャストもよく共通していましたね。オーケストラの味は断然ウィーンでききたいけど、ミュンヘンではカルロス・クライバーが振っているし・・・・なんという夢のような選択のできた時代です。

ヴィデオで日本でも発売しているクライバー指揮のミュンヘン公演のライブは、ちょうど収録日にぼくも劇場で観ておりました。この日はヴェヒターのアイゼンシュタインとコバーンのロザリンデでしたが、当時ミュンヘンの定番はベルント・ヴァイクルとルチア・ポップ。ずっとこちらのほうが素敵で、折角の映像なのにこのキャストが残っていないのは残念です。

ウィーンでは当時、新進気鋭のグルべローヴァがアデーレでよく出ていましたね。先年亡くなったヘルマン・プライも時折アイゼンシュタインを歌っていたかな。アルフレートには、よくワーグナー歌手がごちそう役ででていました。ルネ・コロあたりが、タンホイザーを歌いに客演している「ついで」っといった調子で。


3, ぼくのこうもり演奏歴


自分で歌うほうのお付き合いは、いつにはじまるのかな。ザルツの学生時代も友人たちと遊びで歌った覚えはありますけど、仕事でやったのは銀座のビアホールかしら。ここは気軽なトークコンサートを毎晩提供しているところですから、こうもりをとりあげないわけにはいきません。司会でアデーレのアリアの導入をしゃべったことが一番多かったかしらね(笑)。若いソプラノ歌手はたいてい誰でも歌う曲ですから。それに乾杯の歌。ファルケとアイゼンシュタインの二重唱も何度かやった覚えがあります。

ヨーロッパにきてからは、ヴィースバーデンの劇場合唱団時代に、はじめて全曲原語で参加しました。もっともこれも慌ただしい体験でして、こういう曲になると劇場は何年も前からレパートリーとしてもっていて、年末だけ取り出してきて数回やってはまた来年までオクラ、というパターンで上演しますから、ろくろくリハーサルがないんです。去年もやっていてみんな知っていますからね。そこに新人合唱団員としてはいっていって、右の人みて左の人みて見よう見まねで相勤める、という調子でした。

その後、ハルバーシュタットの5年間のソリスト生活ではずいぶんいろいろなオペレッタをやりましたが、残念ながらこうもりには出会えませんでした。

そして去年の正月、神奈川フィルハーモニーのニューイヤーコンサートで演奏会形式のこうもり抜粋をやり、ファルケを歌いました。日本語。

これはまぁ今だから白状してしまいますが、不調でつらい本番でした。二日前に自分のリサイタルでハルバーシュタットの同僚ソプラノを招聘して「ヒルデ&とおる・ニューイヤーコンサート」をやった疲労が喉に残っていたようです。ま、そうもいっていられないので出演し、NHKも収録したようですが。

日本人のぼくがいうのも変ですけど、どうも日本語「だから」歌いづらい、ということもあるようなんですね。ファルケはバリトンとしてはやや高めのパートなので、「ミュージカルと発声」に書いた、パッサッジョの上の母音の変音、という技術を沢山使わないといけない。ところが日本語はぼくの母国語ですから、その母音を変音させて、いわゆる「変な日本語発音」することにはやっぱり抵抗がある。そのへんのジレンマなんだと思います。邦楽の発声ではこの問題はないわけで、このへんがヨソモノのわびしいところです。日本のロック歌手のようにわざと英語なまりの日本語を歌ってカリカチュアライズするってのも手かな、なんて思ったりして(笑)。オペレッタなんだからわざとドイツ語なまりで歌うとかね・・・・。

ともかく、そんな正月のコンサートでした。後段にもかきますけど、なーんか燕尾服着て「日本語の」オペレッタ歌うってしっくりきませんね。

そして今回のツアーです。これも急なはなしでした。王様の千秋楽を打ち上げて帰宅し、次のオーディション準備でもじっくりやるか、と思っていた矢先にマネージャから電話です。しかし
まぁ、かねてより一度ドイツで原語でやっておきたい役だったので二つ返事でOKしました。

でも考えてみると無謀もいいとこ。日本語・抜粋・演奏会形式・・・・でやったことがあるだけの役を、よく聞き馴染んでいるとはいえ、原語・全曲・オペラ公演で、しかもほとんどリハーサルなしですから。でもこの役はドイツ人バリトンならだれでもレパートリーにもっているので、こういう飛び込みの仕事でもなければ僕のところになんか回ってこない。ハルバーシュタットでも今シーズンの新演目に採用されているので、もし専属のまま残っていたら、あるいは本役のカバーくらいにはなったかもしれないけど、あそこもドイツ人バリトンがいるから、ぼくが本役になることはなかったでしょう。セリフの多いオペレッタは外国人のハンディを痛感します。飛び込み仕事も覚悟きめるしかありません。楽譜屋にはしって譜面を買ってきて、原語の全パート一夜漬けがはじまりました。またもや。

なんでもOkするオチョーシモン、という自覚はあるですがネ。


4, 公証人ファルケ博士


ぼくの役です。作品の筋書きは、どこか適当なホームページにリンクはっておよみいただくとして、役のはなしをすこしいたしましょう。

この男、主役アイゼンシュタインの旧友。よく演出家が設定したがるのはアイゼンシュタイン夫人のロザリンデの「もと彼」。この曲には目下の浮気相手アルフレートも登場しますので、ロザリンデ女史はなかなかのヤリテ、ということになりますね。作品名のこうもりとはファルケのことでして、こうもりに変装した仮装舞踏会でアイゼンシュタインにさんざん飲まされ、酔いつぶれて公園におきざりにされたことへの仕返し、というのが筋の主軸です。騙し役、狂言回し、気取った策士。博士ですからインテリですわな。件の仮装舞踏会当時「ファルケはすでに博士号をとっていておれはまだ独身だった」と銀行家アイゼンシュタインはいっています。三年越しで復讐劇を狙っていたのですから、白昼こうもりの格好で町を横切らされた酔い醒めの博士は余程恥ずかしかったのでしょう。なにせスカシ屋ですから。

ぼく本人だったら・・・・どうかな。注目されてけっこう上機嫌だったかもしれない(笑)。復讐するほど恨みそうではありません。でもこういうスカシ屋いますよね。ぼくの知人にもいる。そうか、奴をイメージして演ずればよかったのかな?

そう、ファルケ博士はアイゼンシュタイン・フランク・アルフレート・フロッシュ・・男声陣がおっちょこちょいの道化じみた善人のおおいなかで、ひとりでハスに構えたスカシ屋、というところです。どなりまくるセリフもない。はしゃぐ役ってぼくわりと好きなんですけど、この役では自重してクールにいかないといけません。ぼくのイメージだと、本当はアラン・ドロンみたいな二枚目が、ときおり稚気をのぞかせながらやるとよさそう、という気がします。スキンヘッドの日本人じゃ、柄でないかもね。ま、一風かわったファルケになったはずです。スカしてハスに構える雰囲気は、エキゾチックな風体と外国訛りのドイツ語が意外にマッチするかな、とも思いました。

セリフのおもしろいのは、二幕でアイゼンシュタインやフランクが登場するたびに舞踏会の亭主オルロフスキーにからくりを耳打ちしていくくだりでしょうかね。アイゼンシュタインをとっちめる狂言一切は、退屈病の富豪オルロフスキーを慰める余興なわけです。オルロフスキーがうまくかんでくれて、こっちの二人は「騙す人」、むこうは「騙される人」、という図式ができるとなかなか面白いやりとりになります。

歌の聞かせどころは、二幕のパーティの場で、乾杯の歌のあとでひとしきり座がなごんだところをみはからって歌う「われらみな兄弟」のアリアです。たゆとう「ドゥイドゥ」ワルツの大アンサンブルに先鞭をつける曲。なかなか重厚なフレーズでして、ヴェルディの大アリア一曲歌うくらいのウェイトがある曲です。オペレッタの名調子はたいていテノールの専売特許ですから、バリトンのアリアはめずらしいナンバーといえましょう。スカシ屋の策士らしい曲、ですか。このへんの曲配分にも名曲オペレッタの由縁がしのばれます。

オペレッタの常で、ワルツが始まるとみんな手をとってカップルになります。アイゼンシュタイン/仮面のロザリンデ、フランク/アデーレときて、通常の演出ではファルケはアデーレの妹(姉?)イーダと組みますが、今回のツアーの演出ではなぜかイーダを合唱の男声にとられてしまい、ぼくはひとりで立ち尽くす羽目になってしまいました。それじゃあんまり芸がないので、バレエのお嬢さんたちがたむろしているところにいって一番可愛い娘と踊りましたが・・・(笑)。


5, 日本語オペレッタ・・・?


こうもりの日本語。これはかねがね気になっているテーマなんです。

最近は外来公演でも字幕がつきますし、ヴィデオで簡単に字幕つき名演もみられるようになりました。一方、日本人の公演では「こういう作品はやはり・・」と日本語上演が主流です。
どうなんでしょうね。これは逆にこの記事を読んでくださる皆様にお尋ねしたい気がします。

・現行の日本語訳による日本語上演は「オペレッタとして」面白いか?
・とはいえ、ドイツ語を解さない人が字幕上演をみてオペレッタは面白いか?

ぼく自身は、前者には非常に否定的です。

後者は・・・・、こうもりという作品をあらかじめ知っているひとならば、本場の上演をみてほしい、という気持ちもあるのですが、字幕と行き来して観劇するのは、舞台と客席の一体感が生命のオペレッタには少々そぐわない気もする。「オペレッタって面白いんだよ」と無縁な人を誘うには少々躊躇するでしょう。せめて映画館で洋画観るのと同程度の直接性で楽しめなくてはね。「教養」だの「芸術」だのが臭っては娯楽音楽の王様もとんと興ざめですから。

とはいえ、名演は名演。一流劇場が来日して字幕つきでこうもりが観られる、というのは贅沢な楽しみではあると思います。ばか高いのは問題ですが。

落胆させられるのはむしろ前者、日本語上演がつまんない、という方です。
ぼくの知ってる限り、オペレッタの邦訳ないし邦訳上演は、極端にいうとオペレッタというジャンルの概念を大変にはきちがえているように思われます。こうもりだと特に三幕のフロッシュの場などがあるものですから、原作台本を大幅に書き換えてとんでもない笑劇を展開することが少なくない。その他にも無理矢理ギャグを挿入しようとする傾向があるようです。まるでどたばた喜劇のよう。

そうじゃないんですがね。オペレッタのキャラクターは全員大真面目ですよ。人を笑わせようというような行動をとる人物はまずでてこない。大真面目な行動が、その人物の性格にあやつられてとんでもない方向に展開するから、傍でみている観客にとっておかしいだけです。時事ネタのようなアドリブも、ほんとにタマーに挿入するから爆笑をよぶので、連発するようなものじゃない。オペレッタの持ち味は、品のいい人物の率直な行動がテンポよく展開していくことです。挿入ギャグは流れをとめてしまうので余程慎重でないといけない。だいいちドイツの公演ではスピード感を重視するためにセリフをどんどんカットしていくのが最近の傾向なんですが、日本では逆にどんどん書き加えている。それじゃオペレッタもヤボになってしまいます。

現行の日本語台本はそのあたりのクドサが大きな問題のように思えます。人物の率直な行動が阻害されると、へんにダンディぶった「いわゆる」オペレッタ的漫画キャラクターになってしまい、燕尾服姿がチンドン屋に見えてきてしまう。 いちど、ドイツ語の原台本を、一切入れ事しないで、有能な洋画の吹き替え台本作家かなにかに翻訳させてみるといいと思うのですがね。なにしろ前述のように、日本語で歌うのはなかなか難儀なんです。それをあえてやるからには、せめて劇団四季や宝塚のミュージカルの歌詞が聴衆に訴えかけているのと同等の説得力をもちたいものです。「真実味」ってやつがないとね。「オペレッタってこういうものですよ」と変に納得している通ぶりの聴衆だけに喜ばれてもしかたないじゃありませんか。本場ドイツでは「こうもり」という演題みただけで本当に老若男女だれもが気軽に足を運ぶ、というほど広く親しまれている作品なのですから。

日本の場合、公演形態に問題がある、ということもいえるでしょう。

ドイツでは国立オペラからツアー興行まで、大小さまざまなこうもり公演があるおかげで、国中どこでもみられます。残念ながら日本では制作団体が限られていて、継続的にレパートリーとして所有しているのは二期会だけ、といっていい状態です。たまに市民オペラなどの地方団体が制作してもレパートリーとして保存はしない。新国立劇場ですら、やりっぱなしの打ち上げっぱなしですから大差ありません。

いくらなんでも二期会だけでは、熱心に地方興行したところで限界がある。どこでも誰でも観られる環境にはほど遠い現状です。本当に楽しいこうもりを制作して、それをもって始終全国をツアーする、というような団体があらわれてもいいように思うのですがね。

鶏と卵、なのかもしれませんが、公演数が伸びない原因のひとつは有名ナンバーの浸透度ではないか、とも思います。

「ミュージカルと発声」のところで書きましたが、ミュージカルの有名ナンバーはポップス歌手もオペラ歌手も歌います。きっとキャッツのメモリーなんかはカラオケにもはいっているに違いありません。

歌というのは、こうやって人口に膾炙していくものです。モーツァルトの時代だってこれは変わりない。フィガロやドン・ジョヴァンニが初演されて程なく、あまたの海賊版楽譜が市中に流通している事に憤慨するモーツァルトの書簡が残っています。著作権の確立していない時代でしたから。もっとも逆に、そのおかげで街頭の楽士までもがフィガロを演奏していることには、彼は気を良くしていますが。

オペレッタも同様。ドイツではこうもりの有名ナンバーはヒットパレードのような歌謡番組でも歌われます。歌詞のさわりならどんなひとでも口ずさめる。

こうならなくては、作品が人々に親しまれているとはいえません。入場料何万円もする外来公演が評判になってもポピュラリティーにはつながらない。マイウエイにしろメモリーにしろ、いくつかの外国作品は日本に定着したのですから、その手でこうもりのワルツや乾杯の歌も馴染んでいって欲しいものです。キーを下げるなどして、誰か流行歌手が日本語で歌ってくれるといいんですがね。訳詞も二期会訳を業界人のあいだでコピーし回しているだけでは埒が明かない。本当に素敵な日本語詩をつくって、きちんと出版して、カラオケにも流して、誰もが「どこかできいたことがある」という状況をつくっておけば、地方公演もおのずと開発されてくるような気が致します。

そこまでする必要あるのかね、という批判があるかもしれない。

でも、極論かもしれないけど、名演に触れただけではオペレッタを観たことにはならないんです。聴衆も作品のことは先刻ご存知、でないと舞台と客席の一体感は生まれないし、それがオペレッタの生命線なわけですよ。プログラムの筋書きを一生懸命追っかけているのでは面白くないんです。歌舞伎の名セリフの前に「待ってました!」と声がかかるのと同じような雰囲気が生まれてこなければ、オペレッタの楽しみは伝わらない。ドイツ人はこうもりをそうやって楽しんでいます。日本の「エリート」こうもり・・・教養の、芸術の、インテリのこうもりはつまんない。それを打開しようとして、日本のオペラ歌手たちがぎこちないドタバタ喜劇を展開するのはもっとつまんない。

ドイツの旅興行に参加して、そんなことを痛感いたしました。


6, ぼくの好きなCDと映像

CDはこの二種が好きです。

・カルロス・クライバー指揮、バイエルン国立歌劇場、ヘルマン・プライ、ベルント・ヴァイクル、ユリア・ヴァラディ、ルチア・ポップ他(ドイツグラムフォン/ポリドール POCG 30141/2) 注 2000年1月22日 4,077円の廉価版発売

・カラヤン指揮ウィーンフィルハーモニー、クメント、ギューデン、ベリー他(デッカ)

映像はこの二種。

・カルロス・クライバー指揮、バイエルン国立歌劇場、ヴエヒター、コバーン、ブレンデル、ペリー他(VHS ポリドール POVG 2005 3,150円)

・カール・ベーム指揮、ウィーンフィルハーモニー、ヤノヴィッツ、ヴエヒター、ホレチェック、ヴィントガッセン他(VHS JHC 118  16,243円 生産中止)

茶飲み話しがとんと長くなりました。稿を改めて、ぼくの年末こうもりツアーをご紹介したいと存じます。(と)