「王様と私」日記 第2巻
10月15日(土曜日)
ゲネプロが終わりました。ようやくどのセリフもつっかえなくなったけど、気持ちをのせていって、間合いも楽しんで・・・・、というところにはまだまだです。公演やっていくうちにだんだんできるようにはなるでしょう。いつもおもうんだけど、日本の芝居興行は「千秋楽」をお祝いしますが、ヨーロッパは初日をお祝いします。批評家も初日にくる。それはそれで気持ちは解るんだけど、実は演者にとってはありがたくないんですね。初役の初日なんて一番いいできになんかなるはずないから。歌舞伎なんかだと初日にプレスをよばないで、3・4日目くらいを「お社の日」といって報道・批評関係者の招待日にしています。いい配慮だと思います。
ま、しょうがないです。なにをいったところで、明日は初日です。昼間の稽古がないから寝坊できるのを楽しみにしています。ドイツ語のセリフ役を、この役未経験の外国人にあてがって三日で仕上げたのですから、同情とねぎらいを含め、おおむね関係者からは感謝とお褒めの言葉を頂戴しました。芸事の評価は絶対評価、というのが建前ではありますが、やっぱり人は比較するものです。もしかしたら「病気でキャンセルした前任者よりもどこそこの表現がよかった」というような意味合いもあったかもしれません。前任者も日本人オペラ歌手で、バスだそうですから、多分に既述の「オペラ歌手の節回し」であったかも。
やっぱりワイヤレスマイクはつけろ、といわれてしまった。ひとりだけ生声で、対話の相手役の声がスピーカーからきこえるとおかしいから、だそうな。へんですね。ミュージカルはマイク、とだれがきめたものだか。器械の使いようなんてケースバイケースだと思います。ドミンゴやパヴァロッティだって武道館で歌えばマイクつけるし、「花火」や「ナイチンゲール」(過去の活動参照)、およびクルト・ヴァイル作品なんかだと、性格的にはあきらかにミュージカルというべき作品ですが、マイクはつけない。ここは小さい劇場なのでいらないとおもうんですがねぇ。そんなことも含めて、ミュージカルという概念全般についての雑感をそのうち書きたいと思っています。
ところで恥を告白しますけど、日本人なのに情けない話ですが、アジア人の役をやると正座が長いのでしんどいです。落語家志望だったのにねー。
今回の稽古はこびもまったく経験したことのないものだったので、驚きました。まず第一に市立劇場では稽古時間のタイムテーブルとリミットは厳格にきまっているものですが、組合の圧力もなにもないフリープロダクションでは、演出家の意のまま、ほとんど無制限に稽古が可能なことです。ハウプトプローベ(ゲネプロの一つ前の総練習)当日も、ゲネプロ当日も、夜19時30分開始の前、10から16時くらいまで、いろいろな個所の抜き稽古するのですから、時間割のことだけ考えれば「信じがたい猛練習」ということになります。
もうひとつは、長い時間の原因でもある、ものすごい量の繰り返し練習。これをオペラと比較するには勿論二面性があります。ひとつには、オペラが要求する声への負担度からして、オペラの稽古を演劇・ミュージカル並みに繰り返すことは不可能であること。その反面は、オペラ歌手がそれに安住して、演劇のきっかけや仕種などを緻密に設定して劇を作っていく、というプロセスを軽視していることです。一回初日をあけてしまっている作品を一週間かけて猛練習するなんて、オペラ界では信じられないけれど、作品に真摯に取り組む、という視点からすれば非常に意義ある稽古です。きちんと洗い直せば、どんなに馴れ合った作品でもどんどん新しいアイディアが生まれますから。公演つづきで、何度やってもしっくりいってないなー、と思いながらも放置してあった個所、などを点検することもできますし。
この点、稽古時間を厳しく制限してどんどん新作品を送り出していこう、とする市立劇場ではなおざりになります。また新しい経験ができました。
10月16日(土曜日)
公演初日とはいっても、先月のボエーム公演日とはまったく異なる24時間でした(「ボエーム日記」参照)。
昨夜、ゲネプロから0時ころ戻って1時間くらいメールの返事を書いていたんだけど、タイプしながら目が閉じていっちゃったから、簡単にシャワーだけ浴びて就寝。目覚しをしっかりと切って。自然に目覚めて、ノビをして「あーよくねた」といいながら時計みたら11時55分。ここ数日の稽古疲れと寝不足(稽古帰りが0時過ぎ。熟睡はしているけどなにせ7時の「早起き」!)が解消した気分。このアパートは裏通りの、さらに裏庭に面した一階で、およそ何の音もきこえない。庭の大木の間からさすこもれびの他には明かりもない。睡眠にはうってつけです。どこでも熟睡できるぼくにはあまり関係ないけど・・・・・・。
もうここで、いつものオペラ初日の気分とは大違い。遅刻高校生が教室に入るがごとく遅ればせながら緊張・・・・しても始まらないから「まっ、いっかー!」気分でメールの続きを書きました。土台、前日に10時−16時立ち稽古、19時−22時ゲネプロ、22時−23時半ゲネプロ反省と打ち合わせ・・・・という一日をすごしておいて公演初日!なんてオペラでは絶対起こりえませんから。
冷蔵庫も空だし、ちょっとセリフを見直して早々に外出。おなじウロウロするなら劇場でウロウロしようと思いまして。なるべく劇場、とくに楽屋から舞台周辺が自分の家みたいになじんでくるようにしたいんです。役者心理なんでしょうね。日本の俳優さんなぞ、食い物から本からゲーム・うたた寝用の枕と毛布・封筒と便箋から愛玩の植木鉢まで、自分の化粧台の前にならべている人がいます。ロングランだと特にね。気持ちはわかりますな。ぼくは不精者だから化粧前も雑然としているだけだけど(つまり自宅同様)。
今回の劇場はTheater im Rathaus = 「市役所内劇場」といいます。文字どおり市庁舎内にある300席に満たぬ小劇場です。つまり街のど真ん中。「初日なんだし」と近くのレストランでステーキなど奢って自分をおだてて劇場入り。公演には2時間以上あるのでまだ閑散としたものです。
発声練習は今回、わざとしませんでした。目下、この作品でのぼくの課題は、いかにオペラ歌手の「歌い口調セリフ」を払拭するか、です。自然にしゃべっていても我々の話し声と口調は誰が聞いても「オペラ歌手」。そこにウァーっと普段のウォーミングアップなんかした日には、自分の気分自体まで「オペラ」になってしまうので。小劇場で、まして共演者と音響効果のバランスをとるためにぼくのセリフにもワイヤレスマイクがつく・・・・となれば、べつに喉や発声関係の筋肉がフル稼動する必要はないでしょう。しぶい初老の役だし。それでも何ヶ所かはある「歌」をどうするか・・・・追って考えることにします。初日がすんでしまえば夜公演のほか、二ヶ月間昼間ひま、になるので、自分の稽古も始めるわけですから。セリフの方がもっと馴染んでくれば、そう「役者だ、役者だ」と意識しないでも済むだろうと期待しています。
そういえば、ボエーム以後ろくろく歌っていません。帰独・引越し。さぁ歌うか、と思ったらこの代役で四六時中セリフ稽古。図々しくなったもんだ、と我ながら思います。20代で歌の仕事を始めて以来、ぽくは終始コンディションづくりと「練習不足!」という天の声に怯えて暮らしてきました。「今日はフルヴォイスを出していない」「今日は不調でフルヴォイスがでない」・・・・なんという、いわば日常茶飯事が、いちいち歌手生命の終末のように思えたものです。旧友には当時「今何時。ああどうりで。出番が近づいたもんで田辺のオンス(!)が始まった」など揶揄されていました。
田舎劇場の専属やったおかげでしょうね。気にならなくなりました、ここ数
年。ミュージカルに取り組んでいるときに歌の稽古がすくなくなるのは当然。松本
幸四郎だって「ラ・マンチャ」のドン・キホーテやっているときに「弁慶忘れ
ちゃったらどうしよう」といってあわてて稽古はしないだろうと思います(余談乍
ら、ぼくは彼と江守徹の西洋物が大好きです)。気にさえしていれば時間的な空白
など取り戻せるもの、と開き直っています。土台、ハルバーシュタットの野外劇場
で、午前11時児童公演の「ヘンゼルとグレーテル(オペラ)」、午後3時ミュージ
カル「アニーよ銃をとれ」のインディアン酋長、夜7時半「魔弾の射手(オペラ」
なんていう三本立てを経験してると、オンスになる暇もありません。
脇道がながくなりました。「王様と私」初日のはなし。
17時をまわって、舞台ではバレェ団のウォーミングアップが始まっています。
ぼくは相変わらずウロウロ。セリフをつぶやき直してみたり、前任者から引き継い
だ衣装なので寸法を直している衣装さんと打ち合わせたり。
17時半をすぎて、同室の「王様」楽屋入り。イタリア北部、南チロル地方出身
の彼は独伊両国語が母国語の完全パイリンガル。だからでしょう、日常会話でもど
ちらの言葉も標準語に近く明瞭に話します。「言葉が土地と密接に結びついて摩滅
した結果、強烈な土地アクセントを生む」というローカリティを感じません。多分
それと無関係ではないはずですが、シャム王役でしゃべるドイツ語のたどたどしさ
が実に上手い。ぼくら外国人が本当にたどたどしくやったのでは、主役の人物表現
に邪魔になります。デキル人間が計算してたどたどしくしなければならない。きっ
と、ドイツ人俳優ならだれでもできる、というものではありますまい。エルヴィン
のは立派なものです。
18時すぎ。メイクのおじさんがきました。眉毛と目尻をつりあげて皺をかいて
・・・・初老の東南アジア人に変身いたします。スキンヘッドは照明が反射しない
ように特に念入りにパウダーをパタパタ。 18時半、サウンドチェック。うっとーしくてヤダヤダと逃げていたのにワイヤレスをつけることになってしまい、アンテナユニットとゴムバンドで腹に縛り、その上から衣装を着て、肌色のコードを背中にはわせ、首の後ろをテープでピタリ、耳の上でピタリ、耳の前でピタリ。オデキに糸ぼこりがついたみたい。ヤダナー。舞台で下手(客席から見て左側)から上手をみるポジションが多いか、逆が多いか、頭の中で段取りを早送りで思い出した結果、上手から下手をみていることの方が多いと判断。オデキマイクは右耳の前に貼りました。
チェック自体は音声係がやります。ぼくは舞台の上で自分のセリフを順不同に
ベラベラ喋る。結構10分くらいはやらされましたかね。解放されて楽屋へ。
ここから19時30分の本番まではオペラもミュージカルもかわりません。入れ代わ
り立ち代わり人が訪ねてきて、挨拶、演出家の激励・・・・などなど。アンナ役の
スザンナ嬢から激励にひまわりの鉢植えを戴く。王様エルヴィンもなにやら紙包み
のプレゼントをくれた。こっちは終演後のお楽しみにとっておく。日本のボエーム
ではあんまりできなかったToi,toi,toi!のセレモニーを交わして、開演いたしまし
た。
舞台運びの内容のほうは・・・・・・あまりコメントすることがありません。
なにせ急ごしらえ代役の初日。「無我夢中」です。一応稽古の段取りどうり進行し
ます。客席は満杯。ゲネプロと違うといえば、御見物の笑い声でしょうか。この聴
衆の反応をあやつって間合いをはかるようになるまでには、もう数公演必要です。
ま、成功裡に終了、ということにしておきましょう。これから60日、同じ作品を毎日やるのですから、毎日分の日記は書きませんが、おいおい内容も含めてご紹介してまいります。
今晩のところは劇場が用意したパーティでシメ。朝まで、はさすがにやりませんでしたが、さみだれ式散会の、最後の一人ではありました。ぼく、飲み会の付き合いは極めていいのです。