「王様と私」日記(エッセン公演) 第1巻
10月5日(火曜日)
段ボールを前に相変わらずボー然として、「日本と、引越しの疲れもあるからのんびりやるさ」と思っていたら、電話。ベルリンの新番号知ってるひとはまだ少ないはずなのにと受話器をとったところ、二ヶ月通し公演のミュージカルが舞い込んできました。
頭の混乱にますます拍車がかかってます。
ものは「王様と私」、役は王様の側近クララホーム。でもベルリンじゃないんだ。ライン川地方、デュッセルドルフのとなり街エッセン。街の市立劇場ではなくて、他の劇場を二ヶ月借り切ってロングランしますので、劇場に缶詰になる予定です。病気の役者の代役さがしで向こうはかけずりまわったみたいです。はやいはなしが、ギャラが安いんでなかなか見つからなかったんでしょう。
本来ミュージカルは僕のテリトリーではないんだけど、田舎劇場の専属を4年からやったおかげで何でもかんでもやらされて、すこしなじみになりました。まして「王様」はアジアの話。ユル・ブリンナーの映画ご存知でしょう。今回は王様役ではないけれど、ドイツで活動するスキンヘッドの日本人バリトンとしてはこういう作品を逃す手はないわけで、やってみようと思います。稽古が数日しかなくてセリフが山ほどあるそうですから、痩せる思いをすることになるでしょうが。ま、日本で朝からご飯と味噌汁食べて夜飲んでいたから、ダイエットにちょうどいいか。
10月8日(金曜日)
水・木と住民登録やら銀行口座やら、引越し当初のごたごたに費やされる。二ヶ月の留守となると携帯電話も買わないといけない・・・・・・。こと整理だの処理だの、という話になるとボクの頭はすぐにパンクしてしまいます。
郵便で台本到着。ざーっと読む。思ったほどセリフは多くありませんでした。外国人ですからたった一言いうのでも、舞台となると格別なので、少ないと言っても、たいして楽な気分にはなりませんが。そういえば買ったきり見てないユル・ブリンナーのヴィデオがあったっけな、と思いついたけど、なにせダンボールの山。探し出す気になれない。
ミュージカルの資料の手持ちは本当に乏しいんだけど、「王様」だけは以前、ヴィデオと楽譜を買っておいたんです、アジア人スキンヘッドとしては。でも勤勉じゃないから、買ったっきりになっていた。
10月9日(土曜日)
ファックスであわただしく契約書を交換。ギャラやすいなー、まっ、いっかー。と、これもいつものオハナシ。日本からもってきたトランクを開けて、詰め替えて、閉めて。慌ただしくヴィデオを見て。どうせ演出もセリフも違うので、なんとなくイメージをつかむ、という以上の効果は期待してない。
10月10日(日曜日)
結局ごたごたして出発は3時半。渋滞と寝不足解消の休憩もあったから9時半に到着。550キロ。想像よりちょっとみじかかった。
日曜夜だから、すべてはあしたから、という感じ。指定されたホテルのフロントでこれから二ヶ月住むアパートの鍵をもらい、地図を頼りに到着。
このプロダクションと契約があるのだろうが、変な環境です。
普通の50平米くらいのアパートで、Heegさんと表札もでていて、入ってみるとほんとに住んでるひとがちょっと小旅行にでもでかけた、という体裁。キッチンの食器はそろっているし、本棚は本でいっぱいだし、バスには清潔なタオルがかかっている。なんか泥棒に侵入したような気分。管理人の名前はきいているけど、日曜10時では訪ねるのも憚られるから、空き巣ねらいは今日のところ、ねてしまおう。
今後二ヶ月のPCアクセスがちょっと問題。あした劇場できいてみるけど。きょうはとりあえず、遅い晩飯をとった食堂の電話線をかりた。携帯もっているけどつなげるカードはバカ高いから買わなかった。
10月11日(月曜日)
きょうは雨。慌ただしい荷造りでかさをもってこなかったことに気づいた。ちいさいキーボードピアノも忘れて、練習用には音叉しかないし、忘れ物をあげたらきりがない。カメラも忘れた。だいたい二ヶ月の留守のための準備、なんて考えただけで家事音痴のぼくは頭痛にみまわれるので、身の回りの洋服と楽譜とPCとコンタクトレンズくらいしか思い付きませんでした。横浜に帰省するときは何週間だって親の傘でも靴でも借りられるので。
しようがない。ま、暮らせるでしょ、なんとか。
ボエーム当日を最後に髭も頭も剃っていません。公演がないと至って不精です。頭はたいして生えないが(!)、顔はヒゲボーボーで登山帰りみたいになった。剃ってからミュージカルにいこうかとおもったけど、剃るのはいつでもできるから、とりあえずこれを演出家に見せて、どんな態がお好みか聞いてみましょう。
きょうは18時に演出家と顔合わせ。あすの稽古からは共演者がみんなそろうので、飛び入りのぼくとしては今晩のうちに演出家とふたりだけで段取りをつけておきたかったのだけど、演出家はひどくお疲れの様子。簡単な打ち合わせにしか付き合ってくれなかった。オーストリア人。生っ粋のウィーン人。北ドイツ人とは対照的に、独特のズボラさを持っています。久しぶりにきくウィーン訛り。随分ドイツ各地にも住んだけど、最初にドイツ語とふれた場所だからなのか、学生時代の思い出と重なるからなのか、いまだにオーストリア弁が大好きです。自分のドイツ語も余計スラスラ出てくるような気さえする。このプロダクションはウィーンでスタートしたものなので、共演者にも何人かウィーン人がいるそうで、楽しみです。
もっと問題なのは、台本。ろくろく読む間もなく出発したのがかえって幸いでした。プロダクションはそこらにある台本をコピーしておくったらしく、稽古中にいろいろ変更したり、演出家が書き直した最終版とは相当違うものらしい。歌の楽譜は少量ながら、今日渡された。ま、焦ってもしょうがないです。劇場で公演の記録ヴィデオをみて、前任者がやっていることを大体確認。
10月12日(火曜日)
12時から演出家と楽屋でセリフの読み合わせ。繊細だがフレキシブルな感じの方。ぼくにとってはなんだか、それもこれもウィーンのメンタリティーに重なります。慌ただしい昼食のあとは舞台で共演者たちと初稽古。飛び入りを気遣ってくれる仲間たちで助かります。衣装あわせをすまし、19時ころ劇場退出。
10月13日(水曜日)
午前中は演出家、子どもの稽古にかかりっきり。ぼくの場面を30分くらいやったのち、ぼくは休憩。彼らは散々公演やっているんだけど、演出家としては一ヶ月以上この作品を世話していないわけで、8月にウィーンであけた初日以来、公演のなかでズボラになってきている芝居のこまごまを直すいい機会なわけです。ま、ぼくのためだけに稽古するわけではないので仕方ない。
14時からの通し稽古には王様も登場しました。3日ほど休暇だったそうです。全曲、とめながら通します。照明がついたので、衣装はまだつけていないけど、ずいぶん雰囲気が変わります。うろ覚えのセリフはそういうことにデリケートで、ちょっとした緊張でつっかえたりしてしまう。もうちょっと馴染むのに時間が必要です。内心をいえば、所詮ぼくなんかセリフ役の急な代役なんか満足いくQualitaetで提供できるわけない、とひらきなおりながらやっています。歌とちがってセリフ回しは半素人だから、消化不良のプローベやるはめになって苦痛だし、気をしっかりもっていないと、どうしても劣等感で萎縮してしまいます。
ま、演出家と同僚にはげまされながらやっています。
10月14日(木曜日)
きょうはよるからハウプトプローベ。ゲネプロの一つ前の衣装付き通し稽古です。オペラの方の常識では、この日は昼間稽古はほとんどしません。でもミュージカルでは11時から普通に通し稽古するのね。ぼくはなにしろ飛び入りなんで、一分でも余計に時間が欲しい気分ですから、ありがたい限りですが、よくさんざん公演している共演者がやるもんだなぁと感心します。芝居のタイミングなんて、稽古すればするほどイメージはひろがりますが、そういうふうにいつもフレッシュに作品と対峙できることは、尊敬に値します。オペラ歌手はその心理面ではややズボラ、なのかもしれません。
あいかわらず演出家は子どもにきりきり舞いさせられています。問題は、ヒロインのアンナの息子役が7人(!)もいること。役は一つです、一人息子ですから。
ドイツの法律では15歳(だったかな)以下の子が舞台で商業公演に出る場合、児童保護の見地から一日やったら中3日はやすまないといけないのだそうです。毎日公演するためにはぎりぎりのローテーションでも4人。そこに最近のオコサマはスポーツだ習い事だとお忙しくていらっしゃるから、来れない日を換算して7人。さらに年間出演回数も制限されているので、10月ともなると、このエッセン市庁舎内劇場が普段使っている子役たちは、大抵リミットを超えていて使えない。未経験の子役をしこむことになります。それも×7。
ホントに演出家の気苦労が察せられます。児童保護に異論はないが、もうすこし柔軟に対応できないんですかね。
じゃウィーン少年合唱団はどうなんだ、ってことになる。彼ら年間100回以上の公演を世界各地でひらいているじゃないか、とね。
どうも特例、ってのがあるらしいんですな。いかにも法律らしいじゃありませんか。
もっと矛盾していることもあります。この作品には10人あまりの上海のカンフー特別学校の子どもたちが参加していて、アクロバットのアトラクションなんかを演じています。みんな小学生見当。このこたちは毎晩出演してもかまわないんだそうです。現に一チームしかきていなくて、毎晩同じメンツでやってる。それも僕が来る前、8月からずっと。
上海から連れてきた子の児童保護はどうやら構わないらしいのですな。いやはや。
そんなことで昼間の稽古も目一杯時間をくいました。おわったら16時。うちに帰る時間もないので食事に外出しただけで、劇場にもどり、ハウプトプローベの準備。
頭とひげは、結局メイクさんに床屋やってもらって、いつものスキンヘッドと口髭におちつきました。アジア人の役にひげはどうかな、とおもったけど、こわもての王側近の威厳を出したいそうです。前任者もそういうスタイルだった由。写真みたら、よく似てんの、ぼくと。日本人バス歌手で、こういうミュージカルの仕事をウィーンを根城に結構やっているらしい。ぼくはウィーン大好きだけど、あんな似ている同業者がいるんじゃ、住んだら仕事野取り合いになっちゃうかもね、残念。
ハウプトプローベはまずまず、準備量相応にできた、というところでしょうか。なにせはじめての衣装付きだから、着替えに楽屋に帰るタイミングなど、初体験の連続です。これは毎度のことで仕様が無い。明日はもっと慣れるでしょう。
演劇畑の演出家とこうやって稽古していて、これも毎度の注文なんだけど、ついつい我々は悪い癖がでるんです。「オペラ歌手的台詞回し」というビョーキが残念ながらあってね、つい大芝居の歌い口調でしゃべってしまうんです。
ミュージカルとオペレッタは双子の兄弟みたいで極めて共通点が多いのですが、前者はセリフに、後者は歌に重点がおかれます。まわりがみんなオペラ歌手のオペレッタではわりにこの「歌手のセリフ」に寛容なんだが、ミュージカルにくるとぼくのようなオペラ畑は少数派だから、ちょっとでも節回しがセリフにはいっていまうとえらく目立つ。ドイツ人歌手の場合でもやり玉にあげられるポイントだから、外国人のぼくなどは尚更神経質になるのですが、なかなか払拭できるもんでもありません。
変なものです。人間は不器用だ、とおもいますね、つくづく。
オペレッタチームよりもセリフ運びはみんなうまい。ダンスにいたってはオペラ歌手は全滅だから、これはもう格段にすばらしい。だけど歌はオソマツだよねー。よくまあこれで・・・・という気がしちゃう人がウヨウヨいる。やっぱり元東独という経済力のない街の歌手何年もやったから、その2倍以上の入場料とっといてこの歌きかせるんじゃねー、とおもわざるをえない。ミュージカルの魅力は「混成チーム」というところにあるのだから、踊りが少なくてアリアと二重唱でバチッと聞かせる若いカップルの役なんか、ちゃんとしたオペラ歌手をつかえばいいのに、思います。踊り子のなかでそこそこ歌の上手い子、という選び方には問題ありそうです。
ミュージカル出演の顛末、其の一でした。明日はゲネプロ、土曜が初日です。