とおる「ボエーム日記」(3)

公演当日 !! 9月26日(日)


7時30分
 起床・朝食。14時開演に体がベストになるように、夕べも12時には寝たし、熟睡できたけれど、まだねむい。9時すぎまで楽譜などみながらモゾモゾしている。
9時30分
 そろそろ潮時かな、と観念してピアノに向かう。
 こういうといかにも音楽家の公演準備のようだが、実は歌手としてはノーマルでない。やっぱり我々は体のウォーミングアップとか、発声練習などから始めるほうが普通だし、僕もそのほうがいいんだろうなー、とおもうんだけど、これが僕苦手。何年やっていてもまだ苦手。まして夜公演のように自然にからだが起きた状態から発声するのとちがい、朝の眠い体をほぐしたり、喉を試運転していくのは面倒でしようがない。
 つくづくスポーツマンじゃないんだね。
 いやいややるのもいやだから、遊び半分の気分でへたっくそなボエームをひきながら鼻歌で今日のパートを通してみる。技術的には気休めにしかすぎないと思うけど、気分はボエームになってくる。
11時ころ
 鼻歌歌っているうちに体もおきてきた。12時すぎには楽屋入りしたいな、と心積もりしているので、いいかげんに遊びモードから、真面目なウォーミングアップモードに移る。ストレッチと発声練習。体調はわるくないみたいで、とりあえず安心。
12時すぎ
 楽屋入り。バスでもいけなくはないが、タクシーなど奢る。これも気分の問題。
 ほかの楽屋など巡り、ご挨拶。ミミさんと副指揮者はもう来てた。メイクさんもいるけど、ぼくはわりとぎりぎりにメイクするのが好きなので、世間話して辞去。楽屋にもどり、仕出し弁当を食う。昔は歌う前のコンディションにすごく神経質で、何時間前に食っておかないと消化がドウノコウノといっていたけど、最近は「だからって、歌がうまくなるわけでなし」のクチ。食い意地に正直になり、おいしく頂戴する。
 今回はなんと、個室の楽屋をいただいた。もうびっくり。僕、ドイツでなんぼ舞台勤めていてもそんなこと一回もないから。シャワーもトイレもついていて、舞台のモニターテレビもあって感激。なーんか「シュヤクーッ(主役)!」って感じ。すっごくいい気分。
13時まえ
開演一時間前の13時には舞台のセットも終わり、緞帳をおろして開場にそなえる。僕はその前の、がらんどうで客席がみわたせる舞台にいってみてノソノソするのが好きなのである。なんでかな。なんか気分が乗ってくるんだな。
 舞台って、われわれが火花を散らす戦場であり、精神的には聖域でもあるでしょ。そこに開戦前に立って、リラックスしてノソノソすると、すごく舞台に親近感がわくんだ。一幕のセットの掘っ建て小屋が、本当に自分のうちのような気がしてくるためには、そういうリラックスした状況で立ってみるのが一番。コソコソと小道具さわったり、ストレッチしたり、周りの人としゃべったりしているうちに、本日の芸つかまつる舞台の上がぼくになじんでくる。この時間はいい気分の貴重な一時なんです。
 今回は副指揮者としばしおしゃべり。此の方、若いのに歌手心理に通暁していて、なんか不思議と気分を高めてくれるし、不安をしずめてくれる。タスカッテマシタ。
13から14時
 小道具類の確認、化粧、楽屋でちょっと楽譜をひらく、ぞくぞくと集まってくる歌手たちに挨拶・・・などなど、あわただしくすぎる。となりの楽屋でロドルフォ役のテノール永沢氏がさかんに発声練習している。なーんか、関係ないくせに、ちょっと気になって自分も声だしたりして。
 そうしちゃぁ、「きょうは絶好調なんだから」と自己暗示かけたりして。
当然ながら、落着かない時間です。ゲネプロのテープを聞いて反省したことなどを順に思い出す努力などしてみる。
14時
 一幕開演。ドイツでは開演まえに「toi,toi,toi」と言い合うセレモニーがあって、「お互い頑張ろう」という気分がもりあがるのだけど、今回はそういうのがなくて、なんか手持ちぶさた。僕、もともと迷信深いほうじゃないはずなんだけど、あれをやらないと、なんか舞台もしくじりそうな気がしてきちゃう。構造的には僕らしくない心理だけど、結局まだまだ舞台がこわいんだね。
それでもロドルフォのテノールや、近くにいたスタッフのお嬢さん(カワイイ!)などとセレモニを交わすことができた。

開演

 第一幕は、最初の約20分が出ずっぱり。ちょっとお腹の支えが浮きあがっているな、と心配しながら歌い続ける。テンションは高く、役柄には没頭し、かといってコントロールを失った声をだしてはならん、などなどが頭をかけめぐる。思い通りにいっていない風に歌ってしまたびに「ヤバイ」と思いつつ、劇は進行。演劇的な流れの点でこの曲は希有の名作であり、ここに参加できているだけで幸福をしみじみ感じるので、そうこう言いながらも楽しくこの流れに身をまかせているところもあるかな。
  ロドルフォとミミの二重唱になる前でひっこむ。不遜なはなしだけど、この最初の一場面を夢中にやってしまって、あれこれとコントロールを失うのはある程度仕方ない、と思って半分あきらめている。一芝居やって、一回引っ込んできて、素の田辺とおるに戻ったときにその日の舞台の感じ、声の響きかた、オケの聞こえてきかた、などについて印象がまとまるので、「じゃ今日はこんな感じでいくか」という案配ができるような気がする。それでちょっと安堵して二度めの出番にでていくので、一度ひっこんでおくと、とても舞台になじんだような気になって楽。
 今回は袖で待機している副指揮者に聞いたところ「ちょっと声が浮いているんじゃない」との由。自分でも歌いながら予測していたたから「やっぱりそうか」とおもう。こういうコメントをちょこっといってくれるスタッフは助かるね。歌手によっては公演中ずっとおだてられていないと不安でしょうがない、という人もいるみたいだけど、ぼくは疑り深いタチだからほめられてもあまり安心しないのね。むしろこういう風に「よりよく歌うための」コメントを言ってくれることを歓迎しています。

 一幕から二幕は速い場面転換。この二幕は合唱と児童合唱も加わって終始ワイワイやっているうえに、トコロドコロ歌うところがはさまる感じなので、一幕の4人の住まいでじっくり歌い込んでいくのとちがい、全体の流れのなかでリズミカルに反応して、自分のパートもいちいちオオゴトにしないでさらっ、と歌い流すのが肝心。ぼくの苦手な反射神経の部分です。ましてこういう難しいアンサンブルは共演者がどこかでフッと入りそこなうかもしれないので、「あの人がこれを歌ったらぼくのここの歌がはいる」という計算ができない。「あの人」の歌はおっこっちやうかもしれないからね。自分とオケと指揮者がたよりです。
 ぼくは音大の最初の専攻がフルートだったので器楽の世界もすこしかじったことがあるのだけど、この「アンサンブル」という概念が器楽とオペラでは全然違うんだ。オケピットの音は客席にむかって響くようになっているから、舞台にいるとあまり聞こえない。まして自分が歌っている瞬間というのは、あの大きな声の発音体が耳から数センチのところにあるのだから、周りの音なんて聞こえるわけがない。要は誰もいない野っぱらで高歌放吟しているのと大差ないんです。ただ、自分が声だしてないときに音楽をきいてテンポ感をつかむのと、歌っているときは指揮者をチロチロ見て人様とずれないようにする、というだけです。
 器楽の、ことに室内楽なんからもともと発想がちがうでしょ。お互いに聞き合って呼吸をはかっていく。本来アンサンブル、てのはそういうもんですね。その点オペラ歌手は大仕掛けのサーカスの真っ只中に目隠しして放り出されたピエロ、みたいね。
ともあれ、二幕はことにそんなかんじ。
 ぼくの相手役、ムゼッタ嬢はぼくを煽ろうとしてフォークでぼくのひざを突っつくんだけど、ずっと練習では遠慮がちで演出家をイライラさせていた彼女、本番ではイヤッてほど突っついてくれました。本気で痛かった!
 この二幕には僕の役マルチエッロ随一の聞かせどころのメロディーがあります。一瞬の沈黙のあと、オケの全合奏にのって朗々と歌う一節。これだけはずっこけたくないよね。3階のテッペンまで届け、とばかりに祈りをこめて、舞台前面の縁ぎりぎりまで張り出して歌いました。脳卒中になりそうな緊張です。オケの人に唾がとんだかもしれないな。なにせ2500人の県民ホール。でかいよねー。
カーテンコールをすませて、休憩。割とおとなしいお客様だなー、と思いつつお辞儀する。下げた頭の上に「ブー」が降ってきたら、どんな顔して頭あげようかしら、なんて考えちゃいます。これも毎度の癖。ペシミストだね−。

15時すぎ
 休憩は水飲んであんぱん食ってた。ちょこっと甘いもの、って公演のとき好きなんだけど、あんぱん、おいしかったよ。ドイツにはない。
 昨日、公演を終えている僕の役のダブルキャストのパリトン鹿野先生が楽屋にきて、励ましていってくれる。大きいホールだから、と心配するぼくに、立派に聞こえているよ、など言ってくれ結構安堵。ドイツの公演ではもっともっとみんな一匹狼でやっているから、こういう一言って日本ならではだなぁ、としみじみ。いいもんですよね。

 で、三幕開始
 5分ほど合唱のシーンがあったあと、ヒロインのミミと二重唱、テノールと二重唱、さらに三重唱とつづく。ミミとの二重唱で一ヶ所、突然ノドチンコが後ろがわに丸まってしまい、変な声だしてしまう。だしてびっくり。そのフレーズだけだったから、ま、事故事故。この二つの二重唱は短いけれど歌って気持ちいい。相手役ふたりとも好調で結構気持ちよさそうに飛ばしているから、刺激されます。
 ここらまでくると、やっぱり体も声も消耗しているから、すこしペース配分を考えないといけません。ひっこんできて、舞台袖でミミのアリアをききながら幕切れの出番にそなえる。ちょっと1、2分椅子に座る。筋肉の緊張がほぐれていくのがわかる。
 三幕幕切れの出番は僕の彼女、ムゼッタとの壮絶な大喧嘩。テンポよく、リズミカルに、かつ正確に入らなけりゃいけないけど、喧嘩のテンションも必要。怒りながら片目のすみに指揮者をいれておいて、1、2と数えていないといけない。ゲネプロでしくじっている個所だからちょっと緊張して備えます。
 麗しき御婦人にむかって、喉はちきれんばかりに「まむし」だの「魔女」だのどなりちらすんですから・・・・・。密かに楽しんでいます。現実世界でやる勇気はないもんねー。心配していた相手役の覇気も本番の興奮がもりあげてくれたのでしょう、結構迫力あって、いい喧嘩(?)になったんじゃないかしら。
 すぐとなりでテノールとソプラノはロマンチックでメロディックな別れの二重唱を歌っています。これと我々の喧嘩を同時進行でかぶせて4重唱にしたんですから、プッチーニは冴えてるね。ボエーム三幕幕切れの4重唱。聞いたことないかたは是非一度きいてください。演劇的にも音楽的にも効果抜群の秀作です。

 三幕、四幕も休憩はなく、舞台上はあわただしい場面転換。一幕の屋根裏部屋、こと今回の演出では高速道路下の掘っ建て小屋に戻ります。2組みのカップルが決裂した三幕幕切れから数ヶ月後、という設定。別れたくせに未練たらたら、という二人の独白の愚痴が絡み合う二重唱で始まります。
 こういう、頭と気持ちの切り替えが易しくないんだ。実際には2分とかからぬ場面転換の時間しかないんだから。大喧嘩して別れた二分前とは全く違う顔と心理で立っていないといけない。ましてこの二重唱は僕のパート全曲中で一番、歌唱的にむずかしい。ゲネプロでは派手に喧嘩やりすぎて喉の負担がとれず、うまくいかなかった曲です。これはテープ聞いて自己嫌悪におちいった。このペース配分ができないんじゃプロとはいえないよ。 ま、その反省があったから本番はまあまあ、実力相応だったんじゃないかしら。一ヶ所、高い音(fis)をどーっと伸ばすところがあるんだけど、もうちょっと豊かな音色で立派にのばしたかったなー、とは思っています。これも、実力相応ということなのかもね。やってるときは真っ赤になっているんだから、出しちまってから修正するわけにもいかないし。 この二重唱で、歌唱の面ではマルチッロはほとんど終了。ほっ、とする瞬間です。 芝居のテンションは保つけど、あとはほとんどパントマイムだし、中心はロドルフォとミミ、つまりテノールとソプラノにうつるから、邪魔しないように立って、節目節目で短くフラッシュのようなリアクションをすればよい。
 でもショナールにミミが死んでいることを告げられる瞬間の視線や首の動きなど、結構、気にして勝負しますけどね。

 ということで、4時半ごろかしら、公演はうちあげました。
 ヴィデオをみるのは恐くもあり、ちょこっとは楽しみでもあり。でも反省させられるからやっぱり恐いかな。
おおむねご好評を頂戴したので安堵はしました。地元の初オペラにミソつけないでよかった。今回は9月の滞在期間中、実家の両親が風邪で寝込んだりして、うつされるかなー、と心配もあり、ちょうど昨年9月にみなとみらいホールで予定していたリサイタルを風邪でキャンセルしたことなども思い出されましたが、とにもかくにも健康でやりおおせたので、ようござんしたよ。

18時ころ
 となりのホテルに移動してパーティー。4次だか5次会までつきあって帰宅したのも6時でした。

三日後、ドイツに戻る機内にて
 とにかくボエームはおわりました。すべての緊張と興奮と混乱は夢のようです。解放感にややひたっております。不思議なもので、オペラ制作のプロセスと初日の興奮自体は年に何度も経験しているのですが、やっぱり初めての日本人チームとの共演、地元でのオペラデビュー、一回こっきりの祭典的雰囲気、盛大な打ち上げ・・・・・などなど、普段のドイツのオペラ制作とはまったくことなる5週間でした。
 散漫な日記にお付き合いくださってありがとうございました。
 また、懲りずになんか書きますので・・・・・。


ボエーム日記おわり