田辺とおる・バリトンリサイタル 『モーツァルトとドイツロマン派のオペラを歌う』
Toru TANABE singt Arien von W.A.Mozart
und den Komponisten der deutschen Romantik
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○1991年4月24日 (水) 19:00 神奈川県立音楽堂 ○ピアノ・鳥井俊之 Am Fluegel: Toshiyuki TORII |
P r o g r a m m
モーツァルト (27.1.1756 ザルツブルク- 5.12.1791
ヴィーン)
Wolfgang Amadeus MOZART
1. 御婦人たちよ、全くのはなしが、あなた方は本当にしょっちゅう浮気をしますな。
〜〜「女はみなそんなもの (コジ・ファン・トゥッテ)
」よりグリエルモのアリア
Donne mie, la fate a tanti ! Guglielmo: Cos
fan tutte k.588 1790 Wien
2. ポンペイウス将軍、あなたは可愛い娘さんが御手にキスしたくらいで、
すぐ結婚したくなってしまうのですねぇ。 〜〜〜
演奏会用アリア
Un bacio di mano Konzertariette k.541 1788
Wien
3. 金槌の威力で鉄は曲がり、鑿の力で大理石もくだける。鉄や石じゃあるまいし、
なぁに女心のひとつやふたつ・・・。 〜〜〜「偽の女庭師」よりナルドのアリア
A forza di martelli Nardo: La finta giardiniera
k.196 1775 Muenchen
ヴァークナー (22.5.1813 ライプツィヒ - 13.2.1883
ヴェネーツィア)
Richard WAGNER
以下三曲とも、「タンホイザー」よりヴォルフラムのアリア及び情景
Wolfram: Tannhaeuser 1845 Dresden
4. ハインリッヒ (タンホイザー) よ、君は大胆な歌い方で我々に挑戦し、ある時は勝ち、またある時は、一敗地にまみれたものだった。
Als du in kuehnem Sange uns bestrittest
5. この荘厳な集いを見渡すとき、なんとも気高き眺めに私の心は熱くなる。
(歌合戦で披露する歌)
Blick ich umher in diesem Kreise
6. 夕闇は死の予感の如く大地を覆い、黒い衣を谷にかぶせる。〜〜
〜〜おお愛しき夕星よ、私はいつも幸せに満ちて、おまえを迎えたものだった。
Wie Todesahnung,Daemmerung deckt die Lande
... O du, mein holder Abendstern
リヒャルト・シュトラウス (11.6.1864 ミュンヒェン
- 8.9.1949 ガルミッシュ)
Richard STRAUSS
7. 私の伯父さんに冗談ですって? 〜〜〜 伯父はまだかくしゃくとしていたから、
この肖像画に魅了されて求婚のために、あなたの許へ馳せ参じたかもしれません。
「アラベラ」よりマンドリュカの情景
Dem Onkel einen Spass ? Mandryka: Arabella
op.79 1932
< P a u s e >
ロッシーニ (29.2.1792 ペーザロ - 13.11.1868
パリ)
Gioacchino ROSSINI
8. 私は街のなんでも屋、フィガロ、フィガロと引く手あまた。らつ腕理髪師の愉快な
一日が今日もはじまる。
〜〜〜「セヴィリャの理髪師」よりフィガロのカヴァティーナ
Largo al factotum della citta Figaro: il
barbiere di Siviglia 1816 Roma
モーツァルト (27.1.1756 ザルツブルク- 5.12.1791
ヴィーン)
Wolfgang Amadeus MOZART
9. わしが落胆の溜め息をついている時に、家来が幸せになっていいものだろうか
・・・いや、そんなことは許さんぞ。
〜〜「フィガロの結婚」よりアルマヴィーヴァ伯爵のアリア
Hai gia vinta la causa il conte: le nozze
di Figaro k.492 1786 Wien
10. 男どもはいつだってつまみ食いをしたがるものだし、それこそ、ちょっとビックリさせてやる事さえ知っていれば、放っておいても女なんてつかまるさ。どこが悪いのかね。〜〜「演奏会用アリア」
Maenner suchen stets zu naschen Konzertarie
k6.416c 1783 Wien
11. 恋人か女房が、このパパゲーノにも欲しいものじゃ。
〜〜〜「魔笛」よりパパゲーノのアリア
Ein Maedchen oder Weibchen Papageno: Die
Zauberfloete k.620 1791 Wien
12. 腹をすかせて食卓についても、もっぱら思い悩んでばかりいて据え膳食えぬような
奴には自分の身代なんかつくれるもんか。
〜〜〜「ツァイーデ」よりオスミンのアリア
Wer hungrig bei der Tafel sitzt Osmin: Zaide
k6.336b 1780 Salzburg
ロルツィング (23.10.1801 ベルリン - 21.1.1851
ベルリン)
Gustav Albert Lortzing
13. この幸せな日に、なんと親しげに朝日のふりそそぐことか。〜〜
はれやかさと喜びこそが、人生の神、人の心をなごませるもの。人の精進の賜物。
「密猟者」よりエーベルバッハ伯爵のアリア
Heiterkeit und Froehlichkeit der Graf: Der
Wildsch tz 1842 Leipzig
14. 裏切り! 私が信頼と愛を捧げてきた君たちの、悪魔の如き忘恩!
人の羨む王笏の力も冠の輝きも、嫌悪によって報いられる。これは、統治者の努力
の対価としてはめずらしくもないのだ。
〜〜「ロシア皇帝と船大工」よりピョートル皇帝のアリア
Die Macht des Zepters Zar: Zar und Zimmermann
1837 Leipzig
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プログラムノート/田辺とおる
幕開きはアップテンポのモーツァルトを3曲。
◆「女はみなそんなもの (コジ・ファン・トゥッテ)
」よりグリエルモのアリア〜〜〜御婦人たちよ、全くのはなしが、あなた方は本当にしょっちゅう浮気をしますな。?
私は貴女方が大好きで、何度となく貴女方を護ってきたが、なんぞと言えば浮気ばかり。頭にくる悪い癖だよ。男が文句たれるのにも、ちゃんと訳があるのさ。
(恋人スワッピングの話。友達同士の士官の、それぞれの恋人は姉妹。女の貞操を試すゲームとして、老哲学者に唆された士官達は、変装して相手方の恋人を口
説きにかかります。オチル訳ないと思いきや、友人が我が恋人をおとす様をまのあたりにして、悔しがる図。)
◆「演奏会用アリア」〜〜〜ポンペイウス将軍、あなたは可愛い娘さんが御手にキスしたくらいで、すぐ結婚したくなってしまうのですねぇ。?いくらオツムが足りないって、もっと世間をごらんなさい。結婚すると可愛い子ちゃんと火遊びできない上に、女房には好きにさせてやって見て見ぬふりしなけりゃならんのですぞ。己が裸の王様にならんためにはね。
(アンフォッシ作曲の「幸せな嫉妬」という、今日忘れられたオペラへの挿入歌。)
◆「偽の女庭師」よりナルドのアリア〜〜〜金槌の威力で鉄は曲がり、鑿の力で大理石もくだける。鉄や石じゃあるまいし、なぁに女心のひとつやふたつ・・・。?全く俺たち男は馬鹿だよ。嘲笑われても、逃げられても捨てられても、殺されても女の許へ馳せ参るって調子だ。
(片思いの気を取り直して、さぁ口説くぞ、と決意のアリア)
つづいて中世騎士、愛の詩人の物語「タンホイザー」より、ヴィーナスの快楽に身を委ねるタンホイザーを優しく見守り、同情を寄せる親友ヴォルフラムの聞かせ所を三曲。
◆ハインリッヒ (タンホイザー) よ、君は大胆な歌い方で我々に挑戦し、ある時は勝ち、またある時は、一敗地にまみれたものだった。?
だが勝利の賞エリザベートの愛は、ただ君だけが勝ち得た。君なしには彼女の心はもはや開かれない。我々の許に帰り来よ。互いにまた、兄弟と呼ぼうではないか。(第一幕フィナーレより)
◆「歌合戦で披露する歌」〜〜この荘厳な集いを見渡すとき、なんとも気高き眺めに私の心は熱くなる。?
あまたの英雄と徳高き婦人、我はこの光景に酔い、我が歌は優雅に黙し、魂は敬虔な祈りに沈む。そして見よ、我に奇蹟の泉現る。断じて我、この泉の汚すまじ。(第二幕フィナーレハープ伴奏でヴォルフラムが自作自演する場面)
◆「夕星の歌」〜〜夕闇は死の予感の如く大地を覆い、黒い衣を谷にかぶせる。おお愛しき夕星よ、私はいつも幸せに満ちて、おまえを迎えたものだった。?
彼女を裏切らぬ心で、どうかエリザベートも迎えておくれ。天使となるべく、彼女が地上の谷から姿を消すまで。
(第三幕。エリザベートは己の死を持って、愛するタイホイザーの快楽の罪を贖わんとします。密かに彼女に思いを寄せるヴォルフラムが、その死出の旅路を気づかって歌う曲。)
私の敬愛してやまぬ作家リヒャルト・シュトラウスの名オペラの中から、ハイバリトンの最も大きな場面を前半の最後の曲で。私はこの曲こそ、是非一度大ホールで、鳥井君のサポートで歌いたかったのです。
◆「アラベラ」よりマンドリュカの情景〜〜〜私の伯父さんに冗談ですって?
伯父はまだかくしゃくとしていたから、この肖像画に魅了されて求婚のために、あなたの許へ馳せ参じたかもしれませんよ。?
1860年2月謝肉祭の頃、ハンガリーの若き豪農マンドリュカは肖像画ひとつでヴィーンの退役軍人の娘アラベラに恋してしまい、遙々上京して娘の父に切々と訴えます。如何に私が恋しているか、どれほどの決心で来たか、私の妻になればどんなに裕福か。挨拶がわりにと、山林を売った大金を差し出して曰く、とりあえずこのホテルに滞在します。御都合の良き折りにもどうかお引き合わせ下さい。
(爛熟のロココ時代、モーツァルトが闊歩した18世紀、マリア・テレーズィア治世下のハプスブルク王都ヴィーンの王朝絵巻を活写した「薔薇の騎士」作曲から20年、6曲に及ぶシュトラウスとホフマンスタール協作の最終作品。70歳間近の作曲翁は前作に増して巧みにウィーンの人間模様を綴ります。今回は世紀末らしく、安ホテル住まいで借金に追われ支払いが滞って、ボーイはコニャック一杯持ってきてくれない、という市井のヒトコマです。)
シュトラウスは1919年から5年間のヴィーン国立歌劇場楽長をはじめ、終生ヴィーン・フィルハーモニーと密接に関わりました。この誇り高き街の音楽にどっぷり浸り、ドイツ語のオーストリア訛に魅了されている私も圧倒的にヴィーン志向です。この街の独善的排他性にもいささか感化されたでしょうか、どこの国の音楽よりも豊かだと思っております。
休 憩
◆「セヴィリャの理髪師」よりフィガロのカヴァティーナ〜〜〜私は街のなんでも屋、フィガロ、フィガロと引く手あまた。らつ腕理髪師の愉快な一日が今日もはじまる。?
床屋がなんでも屋だったのは洋の東西を問わぬ様で、スペインの浮世床も鬘、髭、洋裁、歯医者と、よろず引受。作曲はモーツァルトのフィガロの30年後ですが、ボーマルシェの原作では、モーツァルトに先立つ、三部作の第一部。次に歌うモーツァルトの伯爵はちょうど、このフィガロが結婚するのを邪魔する策を巡らすのですが、この場面はその20年前、伯爵の結婚をフィガロがサポートするところです。不思議な曲で、同作曲家や同時代に音域や様式の点で似たタイプがあまり見当たらない。私の研究不足かな。ともあれ、現代の軽めのバリトンにとっては己のキャリアのキャスティングボードを握る曲だと考えています。
再びモーツァルトを4曲。
◆「フィガロの結婚」よりアルマヴィーヴァ伯爵のアリア〜〜〜わしが落胆の溜め息をついている時に、家来が幸せになっていいものだろうか?
いや、そんなことは許さんぞ。下郎、私の不幸を嘲笑うような氏素性ではあるまいに。おお、復讐の希望に我が胸は躍る。
(フィガロの許嫁スザンナに横恋慕する殿様。スザンナが逢引を承諾したので欣喜雀躍するも束の間、我を愚弄する企みと知って、激怒。)
◆「演奏会用アリア」〜〜男どもはいつだってつまみ食いをしたがるものだし、?
それこそ、ちょっとビックリさせてやる事さえ知っていれば、放っておいても女なんてつかまるさ。どこが悪いのかね。娘はいつも新鮮、つまみ食いはうまい。でも食い過ぎると食欲はなくなる。ここに気をつけないと本命にも逃げられるよ。御父兄の皆様、気をつけて飴玉や娘衆はしまっておきな。
(作詩不詳、作曲も未完の作品。本日の演奏はモーザーによるブライトコップフ版の補填を使用)
◆「魔笛」よりパパゲーノのアリア〜〜〜恋人か女房が、このパパゲーノにも欲しいものじゃ。さすれば・・・?
1番「飲むも食うもみなうまく、殿様になったよ
うで極楽気分」
2番「いい女が誰か惚れてくれんかのう。さもな
けりゃ、もだえ死んでしまうわい。」
3番「誰も惚れんのなら、火にでも焼かれてしま
うかい。キスしてくれりゃ元どおり」
(第二幕。高音部は鉄琴)
◆「ツァイーデ」よりオスミンのアリア〜〜〜腹をすかせて食卓についても、?もっぱら思い悩んでばかりいて据え膳食えぬような奴、寒いのに痩我慢して火にあたらぬ奴、泣いて騒いで、既に持っている物まで不安気に探し回る奴・・・、そんな奴には自分の身代なんかつくれるもんか。これが笑わずにいらりょうか、ハハハハ・・・・。(皇帝の家臣。ライバルがいなくなって一気に信頼を獲得して富豪になるチャンスとばかり、うかれて。「後宮からの逃走」の先駆けとなった作)
最後の2曲はロルツィング。19世紀前半のドイツで、喜劇オペラとしては「魔笛」でジングシュピール(セリフと歌のナンバーで構成されるドイツオペラの様式のひとつ。「ツァイーデ」「後宮」もこれに属します。)を確立したモーツァルト、「魔弾の射手」のヴェーバーの後継者であり、「こうもり」や「メリーウィドウ」などヴィーナーオペレッタの先駆けに位置される作家です。親しみやすい劇と旋律でドイツの中クラスの劇場では人気がありますが、日本も含め、外国での上演は多くありません。まして国外での原語上演は稀です。ロルツィング本人は作曲家兼指揮者、台本作家、三枚目テノール歌手、俳優で、子供の頃から旅回りの一座にいました。作詩作曲から、自作の初演には主役を演じたり、指揮をしていたりします。ほとんど必ずハイバリトンが座頭の二枚目で殿様や伯爵になり、いはば歌舞伎の捌き役の生締めに相当しましょう。当時のイタリアオペラの定型「テノールは二枚目、バリトンは悪役」とは対照的です。
◆「密猟者」よりエーベルバッハ伯爵のアリア〜〜〜この幸せな日に、なんと親しげに朝日のふりそそぐことか。?はれやかさと喜びこそが、人生の神、人の心をなごませるもの。人の精進の賜物。酒と女と歌があればこの世は極楽。
(第三幕、幕開きのアリア)
◆「ロシア皇帝と船大工」よりピョートル皇帝のアリア〜〜〜裏切り!
私が信頼と愛を捧げてきた君たちの、悪魔の如き忘恩!?
人の羨む王笏の力も冠の輝きも、嫌悪によって報いられる。これは、統治者の努力の対価としてはめずらしくもないのだ。神よ、裏切り者の血は貴方を満足させるだろうか。私の心には常に私の民への忠誠が宿っていた。しかし、断は下されたのだ。現世においては罪人が慈悲によって悔い改めることはない。裏切り者の血は光り輝く斬首刀を染めるべきだ。償いに彼らは死に、祖国に栄えをもたらすだろう。
(ロマノフ朝ロシアのピョートル一世〔1672-1725
〕が1697年に変装して西欧諸国を視察し、オランダで造船術を学んだ、というエピソードをもとにメルル他により書かれた喜劇「ザールダムの市長または二人のピエール」の独訳からロルツィングがオペラ台本にしました。皇帝と船大工二人のペーターがとっ違ってしまうところから始まる誤解の話。大工になりすまして造船場で働いている皇帝に在オランダロシア公使が、祖国での謀叛を知らせて来て、激怒した皇帝が歌うアリア。当時のイタリアオペラでロッシーニやドニゼッティが多用した「カヴァティーナ(叙情的部分)〜レチタティーヴォ(台詞的部分)〜カヴァレッタ(リズミカルな部分)」という様式を踏襲しています。)
・田辺とおるのごあいさつ
御来場ありがとうございます。とはいえ切符を販売するコンサートと違い、この文を書いている時点では果たして何人お見えになるのか分かりません。心配しております。
なんでタダでやるの、という御質問は随分頂戴しました。なんにせよ人様に噂して戴けるのは、舞台人のタマゴとしてこれに勝る喜びはない訳ですが、それをさておいて、つづめて申しますと僕は今宵のお客様に、のちのち「俺はあの田辺って奴の初リサイタルを聞いたんだぜ」と言って戴ける歌い手になりたいと思っております。なにかの新製品だって売り出しの時は、タダの試供品が出回るのですから、僕を知ってもらう催しだってタダに決まってます・・・。と言ってみたものの、ふところ具合は心配でした。ところが御覧戴くようにたくさんの企業から御協賛を賜りました。厚く、厚く御礼申し上げると同時に、こんなプログラムでも些かの宣伝効果になるべく、お客様に御愛顧をお願い致す次第です。とりわけ僕は、株式会社インフォプラス社長佐藤祐一様の、物心両面にわたる、いつもいつもひとかたならぬ御支援の栄に浴しております。この機に深く感謝の念を申し添えさせて戴きます。
巻頭でわが師匠のメッセージをお読み戴いたことと存じます。「君は奇人変人の声だ」と一言のもとに斬ってすてられたカルチャーショック以来、僕は八年有余にわたって師匠に数々の心労を強いている訳でございます。師匠の「歌と声の美学」は純粋かつ清冽を極め、なお、その音声学的分析と判断にかけて比類なく優れておりまして、毎度の「こだわりレッスン」で徹底的にやっつけられています。イタリア語語感や昔のイタリア人名歌手のカンタービレを正確に把握せずに、主観的に盛り込んだ伝統的でない表現は、殆ど生理的嫌悪感と言ってもいいほど拒絶されてしまいます。ノーマルにまず立ち帰ること、出発点を確実に自覚させてくれる師匠で、ドイツ人の教師をはなれて入門した事は、いま現在ドイツ語の歌を歌うためにも非常に実り多き選択であったと考えています。名伯楽、と申し上げたいが、それには弟子が駿馬でなくてはなりませんので、僕にはとても恐れ多いことでございます。師匠のカミナリが鼓膜の奥に、なにやら聞こえそうです。
初リサイタルは少々の意地も手伝ってオペラアリアばかり14曲。半分が没200
年のメモリアルイヤーによせてモーツァルト、残りは19世紀のドイツロマン派を、それぞれ特集しました。とりわけドイツオペラには期するものがありまして、この時代には、僕の声域であるハイバリトンが主役になって大活躍する喜歌劇作品が沢山ドイツ、オーストリアで書かれているのに、同時期のイタリアオペラやワーグナーをはじめドイツの大オペラに押されて、日本ではあまり有名とは申せません。僕の大好きなこれらの作品を、本日は御紹介がてら歌わさせて戴きます。
本日の催しがどのような出来映えになるか、初めて尽くしのこととて、予測できません。ただただ、若造の七顛八倒を御高覧に供し、いはば先物買いのつもりで可愛がって戴きたく、お願い申し上げます。
・プロフィール
田 辺 と お る
1961年横浜に生まれる。横浜市立南太田小学校、蒔田中学校、神奈川県立横浜翠嵐高等学校出身。小学校、中学、高校を通じてミニコミ誌やら学校新聞の制作に勤しむ傍ら落語に傾倒して談志、志ん生、せんの金馬を殊に愛す。成績なぞ自慢にもなにもならないが、このころ自作の落語でもらった小さな賞と高校新聞コンクールの全国2位は自慢。1979年、故柴田久氏に師事していたフルートを専攻して渡欧しザルツブルク(オーストリア)のモーツァルテウム音楽院に入学、ヘルムート・ツァンガレ氏に師事。渡欧以来オペラ通いのやみつきになっていたが、病膏肓に入りて声楽科に転向。ヴィーンとミュンヘンの国立歌劇場に入りびたり乍ら、西独ヴュルツブルク音楽大学の声楽科に籍をおいてプレステル女史、ハンノ・ブラシュケ氏に師事する。ミュンヘンで、当時バイエルン国立歌劇場専属歌手の故山路芳久氏に師事した後、氏の紹介で武蔵野音楽大学教授の疋田生次郎氏に入門のため帰国。1989年同校声楽科卒業。
1985年からはオペラ公演「フィガロの結婚」「劇場支配人」「エジプトのマリア」「カルメン」「アブ・ハッサン」「コジ・ファン・トゥッテ」等に出演した。1986年よりテノール斎藤忠生氏の推薦により音楽レストラン「アルテリーベ銀座店」「音楽ビヤプラザライオン」の両店に定期出演が始まる。オペラ、オペレッタの他、19世紀ロマン派のドイツ歌曲も好んで学ぶが、とりわけヴィーンナーリートなるヴィーンの方言による俗謡をレパートリーに持つのは日本人で数少ない(と自負)。この年、剃髪。しゃれのつもりだが、ひとの噂にのぼるので気をよくしていた。渡欧を控え、照れて1990年秋より伸ばし始めたが、時、既に遅く禿顱を慈しんでいる。88年横浜市新人演奏会、89年横浜市戸塚クラシックコンサート出演。自ら主宰する『べぇさんのエキサイティングオペラ』シリーズで横浜博覧会、越谷市などでオペラコンサートを開く他、同様の企画で各地のホテルディナーショー、イヴェントなどにも出演している。1990年、国際ロータリー財団奨学生試験、ドイツ語教育機関『ゲーテインスティテゥート』の上級中央試験に合格、本年六月よりオーストリアのグラーツにに留学予定。
鳥 井 俊 之
1963年秋田市に生まれる。県立秋田高校卒業。8歳からピアノ、9歳で作曲を始め、自作のピアノ曲によるヤマハJOC
全国大会にて、応募作品「風は舞う」で13歳の時に奨励賞、14歳「朝日を浴びて」15歳「赤道地方」でそれぞれ特別優秀賞受賞。同年イギリス演奏旅行、16歳でメキシコ・アメリカ演奏旅行。ヤマハシニアコンサートでは、自作「ピアノと管弦楽のためのラプソディー」を弾いて日本フィルハーモニー交響楽団と協演。17歳ではベルギーとチェコスロヴァキアにて「ピアノと管弦楽のためのラプソディー第二番」を演奏する。18歳の折り、インターナショナルオリジナルコンサートで再び日本フィルハーモニー交響楽団および山形交響楽団と協演して優秀賞を受賞した。
同年東京芸術大学作曲科に入学、野田暉行、尾高惇忠各氏に師事。第一回日本モーツァルト音楽コンクール伴奏部門入選。卒業後、そのまま同校大学院ソルフェージュ科入学、アンリエット・ピュイグ・ロジェ女史に師事。1989年には秋田市市制100
周年記念創作オペラ「ねぶり流し物語」を委嘱作曲、秋田市内での初演を指揮する。翌年、浅草公会堂で東京公演。この活動により秋田県芸術祭賞を受賞した。一貫して声楽曲の伴奏を多く手がけ、オペラ・歌曲、ドイツ・イタリアを問わぬ広いレパートリーと膨大な演奏回数および高い資質は、渡辺高之助教授をはじめ多くの声楽家、声楽教師の篤い信頼をかちえている。来月五月には渡欧、スペインのマドリッドでアントニオ・イグレシアス教授に師事する。
ひ と こ と
疋田生次郎
田辺君に最初に逢ったのは八年前にミュンヘンの故山路芳久氏の家でした。血氣盛んなオペラ狂の若者は、ふりしぼる力の限りでイタリアオペラのテノールのパートを歌って私を驚かし、この若者はひょっとして変人・奇人のたぐいではないかしらんと思わせました。すべては自然でなければという、
声楽の基本が如何に大切かを話し合い、日本に歸って新たな勉強をする事になったわけです。彼の、音楽に対する貪欲なまでの情熱と自己主張は私の、教師としての執念深い意地とぶつかり合い、幾多の苦しい時を経て、今夜皆様に演奏をお聞かせするバリトトン田辺とおるの誕生となりました。
彼は生まれ乍らに恵まれた資質を持ち、音楽的な洞察力と言語に対する感性は、人並すぐれたものがあります。声楽技術の面で未熟な点は多々ありますが、近く渡墺する事にもなって居り、大いに將来を期待出来るものと信じます。
何卒好漢田辺君に、心からの暖かい拍手をたまわりたく、お願い致します。
平成三年四月 (ひきた・せいじろう, 前武蔵野音楽大学教授)
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新聞記事から

・「旅立ち前にリサイタル 〜 音楽の本場で歌に磨き
・ オペラ歌手田辺さん」(1991年4月23日付け毎日新聞)
オペラの本場で磨きをかけようと、今年六月にオーストリア・グラーツ音楽大学オペラ科に留学するオペラ歌手、田辺とおるさん(30)−横浜市南区南太田−
が24日、同市西区の県立音楽堂で旅立ちにむけ無料リサイタル「モーツァルトとドイツ・ロマン派のオペラを歌う」を開く。モーツァルト没後200年にあたるため、「フィガロの結婚」などモーツァルト作品を中心にワーグナーの楽劇「タンホイザー」など、11のオペラのバリトン独唱曲が歌われる。
田辺さんは横浜市生まれ。県立横浜翠嵐高校卒業後、オーストリア・ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院に入学、フルート奏者を目指した。しかしウィーンとミュンヘンの国立歌劇場などのオペラに感激、声楽科に転向した。いったん帰国し、武蔵野音楽大学教授の疋田生次郎氏に師事。オペラ歌手としてスタートを切り、一昨年の横浜博覧会では自ら主宰の「べぇさんのエキサイティングオペラ」を公演した。
田辺さんは「これまで、食事中のお客さんをリラックスさせるために歌ってきましたが、オペラ歌手として生きて行くためにも、今回のリサイタルで、声楽家の力量を計っておきたい。駆け出しなので、リサイタルは試供品のようなもの。オペラ好きの人にぜひ聴いてもらいたい」と話している。
・「魅力を存分にアリアを14曲・横浜出身の歌手、田辺さん24日、リサイタル」(1991年4月22日付け神奈川新聞)
横浜生まれのバリトン歌手、田辺とおるさん(30)−横浜市南区−が24日、県立音楽堂でリサイタル「モーツァルトとドイツロマン派のオペラを歌う」を開く。
田辺さんは県立横浜翠嵐高校卒業後、フルートの勉強のためにオーストリアに4年間留学。途中で声楽に興味をもち、帰国して武蔵野音楽大学の声楽科を卒業した。これまで日本で「フィガロの結婚」「コシ・ファン・トゥッテ」「カルメン」などのオペラの舞台を経験。6月から再びオーストリアに奨学生として留学する。
曲はオペラのアリアばから14曲。モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」、ワーグナーの「タンホイザー」などのほか、ロルツィングの「密猟者」「皇帝と船大工」など、日本ではあまりしられていないオペラのアリアも披露する。
田辺さんは「リサイタルでオペラのアリアばかり歌うのは珍しい試み。故郷で初めてのリサイタルなので、できるだけ多くの人に来てもらいたい」と張り切っている。入場無料。