七.巨星落つ 
  

  初平三年、孫堅は荊州・襄陽に向けて出兵を行った。 
  遠術からの要請という名目の元、その実は遠術から離れるための戦であった。 
  孫堅の電光石火の進軍は、瞬く間に劉表の居城、襄陽城を視界に捉える。 
  慌てた劉表は、配下の黄祖に樊城(はんじょう)を与えるのであった。 
  樊城は長江の支流、漢水を挟んで襄陽城とは対になっている。 
  つまり、二城の連携をもって孫堅を撃退しようというのだ。 
  相手の思惑は読みとれる。 
  それでは、どうやって攻めようかと孫堅が思案していると周瑜が、目につく位置に立っていた。 
  「公瑾、策を。」 
  周瑜は孫堅の言葉に静かに反応する。 
  「策というほどのことはございません。主の劉表は戦下手、従の黄祖は粗野で直情的な性格です。」 
  「ふむ。その二人では、折角の陣形も役をなさんか。」 
  興ざめの表情をする周瑜だが、その口が閉じることはなかった。 
  「とはいえ、無策で挑むのも芸がございません。」 
  「お前と伯符の初陣だ。好きにするがいい。」 
  「はい。」 
  周瑜は孫策と示し合わせる。その後、程普、黄蓋、韓当といった古参の将達にも指示を送るのであった。 
  孫堅が周瑜に全権を与えたため、三将は苦笑混じりにその指示に従う。 
  「殿に願いがあります。」 
  そして、周瑜は最後に孫堅の前に現れる。 
  「『帥』の旗と百名ほど兵をお貸し下さい。」 
  「任せると言ったのだ。好きにするがいい。」 
  「ありがとうございます。では、準備に時間を要します。出陣は三日後ということにいたします。」 
  待っていた孫策は、周瑜が戻ると二人馬を並べて、意気揚々と百名の兵を連れて陣を離れていくのであった。 
  その後ろ姿は若さと躍動感に満ちあふれている。 
  見送る孫堅の頬が自然と緩むのであった。 
  そして、約束の期日となる。 
  周瑜は『帥』の旗を掲げ、船三艘を漢水に浮かべる。 
  さて、それを迎え撃つ劉表はどう動くのか?孫堅が岸辺で見守ると、黄祖は樊城から出陣し対岸に陣を敷く。 
  しかし、劉表からの動きは全くなかった。 
  劉表は孫堅の戦ぶりを知っているため、『帥』の旗に疑心を抱いたのだろう。 
  一方、黄祖は何も考えずに飛び出してきたと思える。 
  なるほど、全く連携が取れていないと孫堅は感心するのであった。 
  出てきた黄祖は、ありったけの矢を石弓を使って『帥』の旗めがけて降り注ぐ。 
  船は見る見るうちに針鼠の体を要し、反撃の糸口すら掴めていない様子であった。 
  それに気をよくした黄祖は、射手の手を休めることなく攻撃を続ける。 
  しかし、船は沈むこともなければ退くこともなかった。 
  それもそのはず、黄祖が見ている人影は全て藁で出来た人形であったからだ。 
  半時ほど矢の集中砲火は続くが、手持ちの矢がつきたのか、その攻撃がピタリと止まる。 
  この瞬間を周瑜は待っていた。 
  「公瑾、この矢を抜き取り反撃に出るんだよな。」 
  孫策は船に突き刺さる数万本の矢を見つめて問い掛ける。 
  周瑜の答えを待つまでもなく、兵達に命じて水を含んだ藁から矢を抜き取らせるのであった。 
  藁に水を含ませたのは火矢に対処するためであったが、それは用をなさなかったようだ。 
  作業の忙しさに没頭していた孫策であったが、先程から周瑜が黙りこんでいることに、やっと気付く。 
  その表情は暗く深刻であった。 
  「どうした?」 
  「いや、これを見てほしい。」 
  周瑜が指した先には、孫堅から借りた『帥』の旗があった。 
  「旗が何か?」 
  「矢が刺さっている。」 
  一瞬、周瑜がふざけているのかと思ったが、どうやら、そうではないらしい。 
  「それは当然だろう。」 
  「そう・・だけど・・・刺さっている矢は一本だけ。しかも、正確に真ん中を射抜いている。」 
  そう言われてみれば、他の箇所は足の踏み場もないほど矢で覆い尽くされているが、旗には矢が一本しか刺さって
 いない。それもこれ以上ないというほどの真ん中に・・・ 
  「不吉と言いたいのか?・・・俺は偶然と片づけたい。それに・・・」 
  「分かってる。ここで呆けていては、勝機を逸する。」 
  頭を切り換えた周瑜は、直ぐさま反撃の命令を下す。 
  自軍の矢で射かけられる。 
  黄祖にとってこれ以上の屈辱はなかったが、反撃する手だてがなかった。 
  そこに耳をつんざくような銅鑼の音が鳴り響く。 
  程普、黄蓋、韓当の三軍が黄祖軍めがけて襲来する。 
  漢水からは矢の雨、そして、三方を囲まれた黄祖軍は、樊城への逃げ場を失うのであった。 
  黄祖は樊城を捨てると支城のケ城(とうじょう)に逃げ込む。 
  最後に孫堅自ら兵を率いて追撃を開始すると、黄祖は部下の張虎(ちょうこ)と陳生(ちんせい)を伴って何とか反撃
 を試みようとするのだった。 
  しかし、それは冷静な判断とは言えなかった。 
  「城に籠もっていればよいものを。」 
  兵の勢いと士気がまるで違うのだ。 
  大将一人が大声で怒鳴り散らすが、ついていく兵達の頭には逃げ出す算段しかない。 
  歴戦の雄、孫堅には、それが手に取るように分かる。 
  そして、将たる張虎や陳生に至っても、同じ考えなのだから、全く勝てる戦ではないのだ。 
  そう分かっているのなら、副将、二人が主将を諫めればいいのだが、黄祖の性格をよく知る二人は、逆に首を刎ね
 られることも知っていた。 
  いずれにせよ、二人は自分の命が惜しいのだ。 
  この判断は賢明といえるが、運命は過酷な結末を二人に与える。 
  乱戦の中、張虎の前に一騎の勇将が登場する。 
  それは孫堅、股肱の臣、韓当であった。 
  「哀れ、ついていく将を間違えたな。」 
  「くっ。」 
  韓当を前にして、張虎は覚悟を決めて飛びかかるのであった。 
  しかし、残念ながら技量が全く違った。 
  十合と斬り合わぬ内に、張虎は命とともに馬から落ちていくのであった。 
  それを見ていた陳生は、完全に臆病風に吹かれた。 
  なりふり構わず、逃げ出そうとするのであった。 
  その前に、随分と若い将が飛び出す。 
  それは孫堅の息子、孫策であった。 
  「どけ、小僧。」 
  「どいてもいいが、命は置いていってもらうぞ。」 
  「ぬかせ。」 
  孫策を若いと見くびったツケは、陳生、自らの命で払うことになる。 
  陳生は、一合も交えることなく、孫策の一閃で首と胴が切り離された。 
  二将を失うと、強気の黄祖も流石に退かざるをえない。 
  今度は、本当にケ城に籠もるのであった。 
  この現状に慌てた劉表は、家臣の蔡瑁(さいぼう)を襄陽城から出陣させるが、後の祭りであった。 
  孫堅軍に軽く一蹴されると、襄陽城に逃げ帰る。 
  それを追うように軍を押し進めると、孫堅軍は襄陽城の周囲を取り囲むように陣形をとるのであった。 
  劉表は、これ以上出陣させる気はないようで、これで一旦、戦況が落ち着く。 
  時も夕刻に差し掛かっていたので、孫堅軍も無理に攻めようとはしなかった。 
  緒戦は、完勝といっていい。 
  この作戦を打ち立てた新軍師・周瑜は、孫堅から恩賞をもらうことになる。 
  「論功行賞は、全て勝ちきってからにした方がよろしいかと思いますが・・・」 
  「いや、これも士気を高めるためだ。功ある者はどのような時でも賞されるべきと、俺は考える。」 
  「そう、おっしゃいますなら。」 
  そう言って、周瑜は孫堅から一振りの剣を拝領する。 
  賞を受け取りつつも周瑜の顔は浮かない。 
  「まだ、気にしているのか?」 
  孫策も陳生を討ち取ったことにより、賞を授かっていた。 
  こちらの顔は上機嫌である。 
  「どうも、あの『帥』の旗が頭から離れない。」 
  「しかし、この結果を見ろ。どこに不安要素がある。劉表は亀のように城に閉じこもるしか、もう手はない。」 
  劉表軍の力では、もう、巻き返しは無理だろう。それは周瑜にも分かっていた。 
  あるとすれば援軍を呼ぶことだが、遠紹のいる冀州と荊州では、距離が離れすぎている。 
  援軍の到着前に勝負はつくはずである。 
  それでも援軍を呼ばれるのは、面白くない。襄陽城の監視は怠っていなかった。 
  その網に劉表の配下、呂公(りょこう)が引っかかった。 
  「捕らえよ。」 
  孫堅の号令のもと、呂公の追跡部隊が編成される。 
  「殿も出られるのですか?」 
  「ああ。昼間、俺は働いてないからな。」 
  「・・しかし。」 
  この夜陰。どんな不測の事態が起こるか分からない。 
  周瑜は、何とか孫堅を思いとどまらせようとするが、新参で若い周瑜の言葉では、到底聞き入れてくれまい。 
  慎重な性格の程普がいてくれれば、自分に同調してくれるかもしれない。 
  そう思い、急いで程普を捜すが、あいにく程普とは別の陣に配置されていたのであった。 
  仕方がない。 
  「伯符、私達も殿に続こう。」 
  「しかし、命令はないぞ。」 
  「罰は功をもって償う。今は、殿の身を案じる方が先決。」 
  「分かった。」 
  周瑜と孫策は、手勢数騎を伴って孫堅の後を追うのであった。 
  孫堅は呂公を追って、けん山に入る。 
  その手勢、三千は松明を手に進軍するが、予想外に困難を極めた。 
  木が生い茂り視界が悪く、呂公の姿を見失ってしまったのだ。 
  「地の利は敵にある。呂公の命は、ひとまず預ける。ここは退くぞ。」 
  この状況で深追いは禁物である。 
  敏なる孫堅の判断は速かった。 
  その帰路、後を追ってきた周瑜と孫策に出くわした。 
  「殿、無事でしたか。」 
  「軍師とは、心配性でなければ務まらぬか。」 
  揶揄する孫堅であったが、無事であればいい。 
  周瑜は、ほっと胸を撫で下ろすのであった。 
  「公瑾の心配性より、父上の無鉄砲の方が度を超してます。」 
  「俺が無鉄砲か?」 
  「はい。このような雑木林、どこに敵兵が潜んでいるか分かりません。」 
  孫策に窘められると、孫堅も形無しと言った表情をするのであった。 
  その時、不意に風を切る音が聞こえる。 
  孫策は、刀に手を当てながら、周りを見回すが変わった様子はなかった。 
  孫策は周瑜と、視線を合わせると舌を出す。 
  どうやら周瑜の心配性がうつったようだ。 
  「父上、私は先頭に立ちます。早く、戻りましょう。」 
  孫策がそのまま馬を進めようとするが、孫堅の様子がおかしい。 
  「は、伯符!」 
  そして、周瑜の叫びが孫策の心を凍りつかせた。 
  「父上!」 
  孫策の目には、悪夢以上の惨劇が映る。 
  孫堅の体から、一本の矢がつきだしているのだ。 
  その矢は性格に心臓を貫いている。 
  「・・・伯符、俺はやはり無鉄砲だったようだ。」 
  「いえ、そのようなことよりも早く矢を!」 
  孫堅を馬から下ろすと、突き刺さった矢を抜こうとする。その孫策の手を孫堅が止めた。 
  「・・俺は、もう助からん。・・そんなことより、・・ここにいれば・お前の命も危うい。」 
  「いえ、私の命より、父上です。」 
  その言葉に微笑み返した後、厳しい言葉を愛息に向けた。 
  「馬鹿者!・・お前は俺に似ている。・・公瑾のいうことを・・よく聞いて、自重するのだぞ。」 
  そして、傍らに周瑜を呼ぶ。 
  しかし、近くにはいなかった。 
  周瑜は手勢に、近くに呂公がいないか探らせていたのだ。が、どうやら、とっくに逃げ出しているようだった。 
  その姿を頼もしく思う孫堅であった。 
  呼ばれて、周瑜は横たわる孫堅の前に膝をつく。出された孫堅の手を握りしめた。 
  「・・公瑾、お前の知謀は当代一だろう。・・あの曹操ですら、出し抜ける・・かもしれん。伯符、そして、・・
 ・弟の仲謀を頼む。」 
  「はい。殿より拝領した剣に誓って。」 
  その言葉を聞くと安心したのか、孫堅はまぶたをそっと閉じるのであった。 
  「父上!」 
  「殿!」 
  二人の若者の叫びがけん山にこだまする。 
  「劉表!孫家はお前と共に天は抱かぬぞ。」 
  孫策は、そう夜空に誓うのであった。 
  翌日、孫堅軍は悲しみおし包まれながら、長沙へと退却する。 
  孫堅文台。享年、三十七歳。 
  それは、突然訪れたあまりにも早すぎる死であった。  
 

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