六.強さ 
  

  ビの砦が完成した後、落成式と称した宴が催された。 
  公卿以下、文武百官が皆そろうと用意されていた幔幕が下ろされる。 
  そして、一同、絶句するのであった。 
  そこには首輪、手枷、足枷をつけられ地べたに這いつくばる男達がいた。 
  その数は十や二十ではない。 
  百は数える男達が、身動きができない状態で板の上に並んでいるのは、別世界の光景を思わせる。 
  その男達の正体は、反乱を起こした北地郡の降伏者達であった。 
  つい先日、呂布率いる騎馬隊によって鎮圧された兵士達は、戦時の負傷を治療することなく並べられているため、
 血と汗の異様な匂いが立ち込める。 
  しかし、事態は更に凄惨なものへと移り変わるのであった。 
  董卓の合図とともに、男達の手足が一斉に切断される。 
  そして、その手足は、ぐつぐつと煮だった大鍋に投げ込まれるのであった。 
  舌を引き抜かれる者、目をくりぬかれる者、阿鼻叫喚の景色が続く。 
  体を切り刻まれても、すぐに絶命するわけではない。 
  痛みに耐えかねてジタバタ動くので、血しぶきが舞い、それが杯や机に飛び散る。 
  その凄惨な状態に慄然とし、招かれた人々は箸を取り落としたまま、声を発することができずにいた。 
  その中で、一人平然と飲食を続けるのは、文武百官を招いた主人、董卓であった。 
  周りの者の顔が、青ざめれば青ざめるほど、董卓の顔は嬉々とする。 
  その表情に厳しい視線を投げる者がいた。 「あの時と同じ顔だわ・・。」 
  それは幕の影に立つ、貂センであった。 
  厳しい視線に悪意が籠もったとき、人の気配を感じて、ハッとする。 
  振り返ると、そこには董卓軍にあって唯一無比の将軍、呂布奉先が立っていた。 
  咄嗟のことで、貂?は頭の中が混乱するのであった。 
  『今の言葉、聞かれたかしら・・・』 
  呂布の表情を恐る恐る見つめるが、その真偽はうかがい知れない。 
  もともと、呂布という男の表情は読みづらい。何を考えているのか分からない。 
  それが貂センの呂布に対する第一印象であった。 
  「女、何を強く思う。」 
  「何のことでしょうか?」 
  貂センは男を魅惑する微笑みとともにしらを切るが、胸の鼓動は鳴りやまない。 
  動揺を隠しきれないと悟った貂?は、その場を離れようとするが、呂布の太い手に肩を捕まれると、もう身動きが
 出来なくなった。 
  これまでかと貂センは観念すると、微笑みではなく強い視線を呂布に向ける。 
  勿論、そんなことでたじろぐ呂布ではなかった。 
  逆にその視線に釘付けになるのであった。 
  「その意志の強さをどこからきている?何が・・・」 
  「呂布将軍には関わり合いのないこと。遠い過去の記憶と重なっただけ、他意はありませぬ。」 
  過去という言葉に呂布が反応を示す。 
  今の呂布には昔の記憶がないのだ。 
  「過去の記憶が人を強くするのか・・・。」 
  これは質問ではなく、単なる呟きであったため、貂?はどうしていいのか分からなかった。 
  「俺は、どういう訳か強さに惹かれている。誰よりも強くありたいのだ。」 
  「漢(おとこ)として生を受けたのならば、誰しもそう願うものではありませんか?」 
  「しかし、お前は女であろう。」 
  「私めは、別に強くなりたいとは思っておりません。」 
  貂センは頭を振るが、呂布はがんとして聞かなかった。 
  「いや、先程の殺気はただ事ならない。戦場で何度となく感じたものと同じだ。」 
  呂布にそこまで気取られた以上、全ての終わりを貂?は感じていた。 
  口封じに呂布を仕留めることも、この細腕では適わない。 
  「私をどうなさるおつもりですか?」 
  「どうもせん。」 
  意外なほど、あっさり言うので貂センは拍子抜けするのであった。 
  「・・しかし・・」 
  「殺気が誰に向けられたものか分からんが、女に後れをとる方が悪いということだ。」 
  その発言は、呂布の美学からきているものなのかもしれない。 
  負ける奴が悪い。殺される奴が悪い。 
  そう思えばこそ、誰よりも強くありたいのだろう。 
  「それが、例え董太師でもですか?」 
  「俺の仕事は攻めることだ。決して護ることではない。護るのは自分の命だけよ。」 
  そう言うと、呆然とする貂センの前から、呂布は立ち去ろうとするのであった。 
  「おい、女。お前が欲する命が俺であっても構わない。その時は遠慮なく返り討ちにしてくれるがな。」 
  呂布の考えは、明らかに偏っている。 
  しかし、自分の意志を貫くということは、そういうことなのかもしれない。 
  自分も、自分の使命を達するためには・・・ 
  貂センは呂布の大きな背中を見つめながら、今まで張りつめていたものとは違う、大きな力を得たような気がした。
  「女ではありません。貂?です。」 
  「うん?貂センという名なのか。俺はお前が気に入った。貂?の強さの正体が知りたいからな。」 
  「それは復讐です。」 
  この言葉は呂布に聞こえないように小声で呟いた。 
  呂布の姿が完全になくなると、貂?はその場にへたり込んでしまう。 
  そして、胸の動悸が収まらない。 
  「復讐・・か。」 
  呂布に向かって大きな声で言えなかったのは、そんな動機で強くなって欲しいとは思えなかったからだ。 
  呂布には純粋に戦士として・・・ 
  そう思ったとき、この胸の鼓動が、単に危機を逃れただけのものではないことに貂センは気付くのであった。 
  
  
  
  荊州・長沙郡。 
  孫堅は久方ぶりに、自分の居城へと戻った。 
  董卓を打ち倒すことは出来なかったが、連合軍が解散という憂き目にあった以上、本拠をいつまでも空のしておく
 訳にもいかなかったからだ。 
  洛陽からの道は長旅であったが、そんな疲れを吹き飛ばす出来事があった。 
  それは息子、孫策伯符(そんさくはくふ)を先頭に家族の出迎えがあったからだ。 
  出迎えは、孫家と主立った家臣の家族だけであったが、他の将兵達もいち早く家族のもとに戻りたいであろう。 
  孫堅は全軍に向かって、解散の旨を通達する。 
  「今夜は家族とともに、長旅に疲れを癒すがいい。」 
  その声に全員が、「応!」と応えるのであった。 
  「父上、洛陽一番乗りの武勲。お見事でした。」 
  孫堅に真っ先に声をかけたのは、今年で十七歳となる長男の孫策である。 
  「世辞はよい。それより、皆、健やかか?」 
  孫堅の家族は、一時的に寿春(じゅしゅん)に移住させていたのだ。 
  「はい。公瑾(こうきん)のおかげをもちまして、寿春でも恙(つつが)なく生活が出来ました。」 
  孫策が元気よく応えるその後ろに、眉目秀麗にして華奢な印象を受ける少年が佇んでいる。 
  孫堅が見かけぬ顔なので、家臣の子息ではないだろう。 
  この少年が伯符がいう公瑾という者だろう。 
  孫堅の推測は正しく、程なく少年から挨拶を受けるのであった。 
  「周瑜公瑾と申します。。縁あって伯符とは義兄弟の契りを結びました。そして、この度は将軍に仕えるようお待
 ちしておりました。」 
  義兄弟?仕える? 
  突然、年端の行かぬ少年に、そんなことを言われれば、歴戦の雄たる孫堅も困惑してしまうのであった。 
  「公瑾殿、慇懃な挨拶、痛み入るが・・・」 
  当惑する父の理由を察した孫策は、助け船のために補足する。 
  「父上、公瑾はこう見えても私と同い年です。次の戦には揃って戦陣に加えて頂きたいと願います。」 
  伯符と同い年! 
  更に三つか四つは下と思っていた孫堅は、驚いた表情を向ける。 
  しかし、男子に向かって言うのは失礼だが、黙っているとおなごのように見える。 
  この少年を戦地に・・・ 
  「公瑾兄さんは頭が良いよ。それに武芸も達者だしね。」 
  不意に声変わりのしていない、透明な声が聞こえた。 
  その先には呉夫人に手をつながれる孫権仲謀(そんけんちゅうぼう)が立っていた。 
  七つ年下の弟の言葉に孫策も頷く。 
  弟を見つめる兄の目は優しく、弟の目はどこまでも明るい。 
  この光景を見ると孫家の安泰は確証されたようなものである。 
  「うむ、分かった。・・・だが、今、戻ったばかりだ。次の戦など、いつのことになるやら。」 
  孫堅は笑って孫権の頭に手を当てた。 
  「でもね。遠術って人からの使者が、今、来てるよ。」 
  「遠術殿から?」 
  疲れを癒す間もないのか。 
  孫堅は嘆息したい思いを何とか堪えた。そんな姿を家族に見せたくないためだ。 
  「恐れながら申し上げます。遠術殿の思惑は、遠紹に与する荊州・襄陽(じゅよう)、劉表への出兵かと思われます。」
  周瑜が一歩前に進み出て言上する。 
  敢えて、使者に会ったのかという質問はしない。襄陽への出兵は予測の範囲を越えることではないからだ。 
  「一族同士の争いに介入するのは、将軍の名を貶めるだけかもしれませんが、出兵することを進言します。」 
  「ただの私戦になるが?」 
  孫堅は周瑜に逆に質問を投げかける。 
  だが、周瑜はその展開も織り込み済みなのか、臆することなくむしろ堂々と持論を続けた。 
  「確かにそうですが、襄陽への出兵は三つの利がございます。」 
  「ほう。」と、軽く唸ると孫堅は周瑜の次の言葉を待った。 
  「一つは襄陽をとることで確固たる地盤ができます。二つ目は肥沃な土地であることから今後、兵糧に困ることは
 ないでしょう。」 
  兵糧不足という言葉には孫堅も苦い思い出がある。孫堅は感傷を押さえ、最後の利に耳を傾けた。 
  「そして、最後に遠術殿との距離を置くことが可能となります。」 
  その言は、ずばり孫堅の心の内を言い当てた。 
  反董卓連合のために同盟を結んだ相手であるが、いつまでも手を組んでいく相手ではないと孫堅も思っていたのだ。
  「伯符に仲謀。そして、周瑜か。孫家、百年の計はなったな。」 
  そう呟くと、孫堅は足取り軽く歩き出す。 
  「よし、使者に会うぞ。」 
  偉大な父の後を三人の息子が追うのであった。  
 

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