三.再会 盤河(ばんが)の畔、野営する天幕の群れ。 その中で一際、大きな天幕に一人の偉丈夫が入ってきた。 迎え入れる男も立派な衣装を身に纏っているが、少し派手すぎるきらいがある。 それは、似合う似合わないと聞かれれば、明らかに後者なのだが、本人の好みに他人が口出すことでもない。 もっとも入室した偉丈夫は、もともと口数が少ない質なので、苦言を呈する心配は全くなかったが・・ 迎え入れたのは、この天幕の主にして、野営する一軍を率いる公孫サン。そして、目の前に立つ偉丈夫は、広大な 中華でも五指に入るであろう槍の使い手、趙雲子龍であった。 「趙雲殿、よくぞ参られた。」 公孫サンは趙雲の両肩を叩く。すかさず侍従が杯を差し出した。 趙雲が受け取ると酒が振る舞われる。 「貴殿の武勇で一命、取り留めた。感謝をしてもしつくしきれない。」 「いや、あの場を見過ごしては、あとで劉備殿に会わせる顔がなくなりますので。」 そう言うと趙雲は、なみなみ注がれた杯を一気に飲み干す。 「おう、槍の腕もさることながら、酒の方も豪快ですな。・・・して、玄徳とは、どのような間柄で?」 「何度か、あの方の義弟と手合わせをしたことがございます。」 劉備の義弟と言えば言わずもがな、関羽と張飛である。 両名ともその腕は公孫サンも認める豪傑。 昼間の趙雲の闘いぶりも納得できるというものだった。 「・・・しかし、それでは玄徳の敵であったということだが?」 「以前は、そうです。だが、これからはあの方にお仕えしようと思います。こちらにいれば、いずれお会いするこ とも適いましょう。」 「うむ、それは確かに・・・玄徳も、こちらに向かっている途中でしょう。・・しかし、玄徳につくということは、 これからも助力願えるということですな。これは、頼もしい。」 公孫サンは、そう言いながら、この偉丈夫が劉備の部下となることに僅かながら嫉妬心を抱くのであった。 何とか気を引こうと、これからの戦術について相談する。 公孫サンは騎馬戦法が得意で、白馬ばかりを揃えた騎馬隊は『白馬義従』と恐れられていた。 しかし、遠紹の巧みな用兵により、盤河での対峙となったために得意の戦法を使えずにいたのだ。 趙雲は公孫サンの問いに暫く考え込むと、その双眸を輝かせる。 「やはり、得意の騎馬戦に持っていくしかないでしょう。」 「それは、望むところだが・・・」 目の前の河が邪魔をして、それを許さないのだ。そのことは趙雲も承知のはずだが・・・ そんな公孫サンの考えを見抜いたかのように、趙雲は解答を出す。 「橋を架けるのです。」 「橋?・・しかし、そんな簡単にはいかないのではないか?」 「いえ、船を数隻用意さえできれば、その船の上に橋を架けるのです。」 これは得た。 公孫サンが膝を叩く。 多少不安定になるかもしれないが、その程度のことは馬術で何とかなる。 早速、検討すると趙雲に告げると、近臣達を集めるのであった。 趙雲が退出し、近臣達が集まるとこの案を告げる。 近臣達からは、歓喜の声が洩れるのであった。 直ぐにこの案は実行されることになる。 そんな中、家臣の一人が危惧するように公孫サンに進言した。 「殿。この策は、確かに見事ですが・・・趙雲子龍という人物を信頼してもよろしいのでしょうか?」 「俺の命を救ってくれた男だぞ。何を疑う。」 「しかし、それも信頼を得るための芝居の可能性があります。文醜が逃げたのは、あまりにも呆気なさ過ぎるよう な気がするのですが。」 その言葉に一同が静まり返った。 胸中では、同じ思いをしているのだろう。 「馬鹿な・・・玄徳に仕えようというのだぞ。その人物が遠紹に通じている訳がないだろう。」 「それは趙雲が一方的に言っているだけで・・・果たして、本当に劉備殿と面識があるかどうかも怪しいものです。」 そう言われると公孫サンも自信がなくなっていく。 そして、決定的な一言が、この場に投じられた。 「更に疑わしいは、趙雲という者、元黒山賊にいたというではありませんか。」 「それは、まことか?」 「見知った者がいたのでしょう。兵の間では噂になっております。」 趙雲を擁護する公孫サンも言葉を失った。 「それでは、どうする?功ある者を遠ざけては、以後、公孫?の元に人は集まらないぞ。」 「確かに軍から外すのはやりすぎかもしれません。それでは、後陣に配置しましょう。幸い趙雲が示した策は、白 馬義従がいれば事を得ます。」 これで、明日の作戦の全てが決まった。 公孫サンは必勝を期して床につく。 そして、決戦の朝を迎えるのであった。 早朝一番、趙雲に後陣に配置することを告げる。 不平の一つも出るかと公孫サンは気が気でなかったが、趙雲は二つ返事で引き受けてくれたのだった。 これで、心おきなく戦いに望める。 公孫サンは、趙雲の策通りに船の上に板を並べ橋を造りにかかる。 遠紹軍は、これに対して矢を射かけるが、橋を造る速度の方が勝っているようだ。 橋は着実に出来上がっていく。 間もなく、橋が完成する。そんな時、これを遠くで見ていた趙雲の顔が曇った。 自分が示した策とはいえ、橋が出来上がるのが早すぎる。 そもそもただの矢ではなく、火矢を射かけてくると想定していたのだが、それもなかった。 これは遠紹軍の罠かもしれない。 そう気付いた趙雲は、単独で駒を前に進めるのであった。 「公孫サン軍にも知者はいるんだな。」 「橋を架けるくらい、誰でも気付きましょう。・・・いや、気付いてもらわねば・・・」 「次の策が生きないか・・」 遠紹は、ニヤリと笑って田豊を見やる。 公孫サン軍の動き、全てがこの田豊の掌の上で踊らされていることになる。 田豊は、そんな遠紹に視線は送らず、戦局だけをジッと見つめる。 「橋が完成したようです。迎え撃ちましょう。」 田豊が手を挙げると遠紹軍は臨戦態勢をとる。 不安定な橋を渡ってきた公孫サン自慢の白馬義従は、対岸に着くと更に気勢が上がる。 揺るがない大地を踏みしめた白馬達が、目指す標的に向けて疾走を始める。 指揮するのは、公孫サンの配下、厳綱(げんこう)であった。 「かかれ!」 その声のもと、騎馬上の兵は槍を前に構える。 そして、一気に遠紹軍に突撃する。 ・・・そのはずだったのだが、目の前の遠紹軍が、突然、視界から消えた。 遅れて、体中に痛みが走る。 盤河の大空が視界に入ったとき、自分達が馬上から転げ落ちたことを悟った。 遠紹軍は白馬義従の機動力を封じるために、そこら中に杭を打ち付け、その間に縄を結んでいたのだ。 その縄に引っかかった白馬義従は、見事に総崩れとなった。 「くそ!引け!」 何とか立て直そうとするが、どう見ても無理と察した厳綱は、退却という選択肢をとった。 しかし、それも田豊は織り込み済みである。 退路である急造の橋は、顔良、文醜、キク義(きくぎ)の三部隊によって、押さえられているのであった。 「くそ。」 逃げ場の失った厳綱の前にキク義が現れる。 「田豊殿の策にはまったな。死ね。」 厳綱の命は、キク義の一振りで絶ちきられるのであった。 そして、白馬義従が通った道を、今度は遠紹軍が利用する。 顔良、文醜、キク義の部隊が盤河を渡り、公孫サン軍に襲いかかる。 白馬義従の無惨な姿など予想していなかった公孫サン軍は、完全に浮き足立ち混乱が広がっていく。 そこに遠紹軍の凶刃が拍車をかけた。 そこら中から、「引け!」、「退却だ!」などの異音同義語が飛び交う中、一際、大きな声で「退くな。ここでの 一敗は、ただの一敗にあらず。」という声が響いた。 その声の主は、真っ白い鎧、槍を小脇に抱え眼光鋭く遠紹軍を睨みつける趙雲子龍であった。 そして、気合いの掛け声とともに群がる遠紹軍の中に飛び込んでいく。 趙雲は目の前に現れる敵を屠りつつ、遠紹軍の中を突き抜けていく。 この鬼神の如き働きは、直ぐさま、敵将にも知れ、趙雲の前に顔良、文醜、?義という錚々たる顔ぶれが揃うので あった。 「この間の借り、ここで返させてもらうぞ。」 まず、先日、一騎打ちを繰り広げた文醜が趙雲に挑もうとする。 趙雲は文醜に正対しつつ、他の二人にも警戒は怠らない。 この場で行われるのが、一騎打ちとは限らないからだ。 その趙雲の集中力が、一瞬、途切れる出来事が起こった。 大事に至らなかったのは、三将も同じことに気をとられたためである。 遠くで聞こえた悲鳴が、どんどん近づいてくるかと思えば、爆音とともに四、五人の兵士が空から落ちてきたのだ。 いずれも遠紹軍の者である。 四人の視線が一点に集まる。 そこには、青龍偃月刀を携えた長髯の偉丈夫と丈八蛇矛を振り回す虎髭の偉丈夫が並んでおり、その真ん中には戦 場には似つかわしくない笑顔をみせる、一際、耳が大きな偉丈夫が、それぞれ馬上の人となっていた。 「劉備殿!」 「なに!」 その言葉に遠紹軍の三将が反応する。 軍師、田豊の言葉に、劉備が現れたら作戦を練り直すというのがあったからだ。 しかし、完全に優勢に進めるこの戦場を放棄してよいものか、判断に迷う展開である。 顔良、文醜の二将は、この場を去り兵を退く。だが、キク義だけがこの場に残った。 目の前の手柄を捨てていくのは、勿体ないという考えからであったが、その判断が間違いであったことに気付かさ れるのに時間はかからなかった。 趙雲が劉備に挨拶しようと近寄っていく、その片手間に趙雲の槍によって命を落としてしまったからだ。 公孫軍の厳綱を破った強者も、趙雲にとっては赤子同然であったということだ。 「相変わらず見事な槍捌きだね。」 にこやかな劉備に対した趙雲は、直ぐに馬上から降り、礼をとる。 「再会することを心待ちにしておりました。どうか、家臣の末席に・・」 熱い視線に劉備も応え、馬から降りると趙雲の手を取る。 「おいらのところは、居心地が悪いぜ。何せ、厳つい男が常に二人いるからね。」 関羽と張飛は苦笑いを浮かべると、それぞれ、趙雲の元に寄る。 実力を認め合う豪傑同士だ。 交わす言葉は短いが、仲間と信じた時点で、信頼は何より深くなる。 「さあて、伯珪殿に挨拶に行こうか!」 戦の結果は、公孫サン側からよく見て、痛み分け程度なのだが、劉備の登場というだけで、その雰囲気を打ち消す。 その後ろ姿に趙雲は、この再会を神に感謝するのであった。