六.群雄達の思惑 
  

  密勅(みっちょく)を携えた早馬が疾駆し、中国全土を駆け回る。 
  馬を駆る使者達は、自分達が中華を救うための皇帝の使徒であるという自覚に燃え、昼夜を問わず、ただ、目的地
 へと向かうのであった。 
  しかし、実際に勅を受け取った群雄達の反応は、それ程情熱的なものではない。 
  見える人間には、これが曹操の手による偽勅(ぎちょく)であることが直ぐに看破できたし、見えない人間には、事
 の大きさによって、ただただ狼狽するばかりで、逆にこの勅が届けられたことを逆恨みする者までいた。 
  しかし、行き着く結論は全ての者が一緒であった。 
  『このまま、放置はできない。』 
  それは自分のための野心であったり、世論に心を寄り添わせた結果であったりと、志を一つにするには心許ない理
 由ではあったが・・・ 
  そんな者達を尻目に、大いなる大儀と志を持って、上洛を進める者達もいる。 
  その一人が長沙の太守・孫堅文台(そんけんぶんだい)であった。 
  孫堅は、以前から上洛の準備を進めており、その機を見ていたところに、まさに天の時が訪れたのである。  
  意気揚々とする孫堅陣内で、ただ、一人、程普(ていふ)だけが浮かない顔をする。 
  「殿、兵糧が整いませぬ。出陣は、収穫を待ってはいかがでしょうか。」 
  確かに長沙は昨年不作で、貯蔵されている兵糧は僅かである。とても洛陽まで遠征できる程の物量はないのであっ
 た。 
  だが、孫堅は程普の意見に頭(かぶり)を振る。 
  「洛陽の途上、宛(えん)に寄ろうと思う。」 
  「宛?・・・宛と言いますと遠術(えんじゅつ)殿ですか。」 
  「そうだ。宛は昨年、豊作だったと聞く。兵糧の貯蓄も十分であろう。」 
  孫堅の言に間違いはない。しかし、程普には一抹の不安が残る。 
  「はい。確かに宛は豊作でしたが・・・遠術殿の人となりが・・・」 
  「その心配には及ばない。俺は反董卓連合の後、先のことも含めて考えているんだ。」 
  「先と言いますと?」 
  その問いに孫堅は即答せず、意地悪な顔をして、逆に程普や他の家臣に質問をするのであった。 
  「では、この挙兵の後、天下は誰の元へ行くと思う。」 
  「それは、勿論、殿です。」 
  即座に祖茂(そも)が答える。それには、孫堅も苦笑いを浮かべるのであった。 
  「お前や義公(ぎこう)なら、そう言うと思った。が、俺の名が出るには五年早い。」 
  孫堅のその言葉に、祖茂と韓当(かんとう)が並んで首をすぼめる。 
  すると今度は、最近、幕下に加わったばかりの朱治(しゅち)が、一歩前に進み出る。 
  「今の情勢から推察しますと、袁紹(えんしょう)殿かと思われます。」 
  「うむ・・・良い所をついているが、それでは正解とは言えないな。」 
  程普と黄蓋(こうがい)の意見も同様だったのであろう。自分達の考えとは異なる、主君の意外な返答に驚きの表情
 を見せている。 
  「では、一体、誰が・・・もしや・・・」 
  この時、程普の心に不安の影が過ぎった。 
  まさか、ご主君は董卓を倒すことなどできないと考えているのではないか。 
  質問の仕方も『反董卓連合の後』や『挙兵の後』と、はっきりと董卓を倒した後とは言っていない。 
  この出兵もあるいは、良心の呵責(かしゃく)や董卓への怒りから、自身を見失っておられてのことではあるまいか。
  こう結論づけた時、程普は、ある覚悟を決める。 
  ならば、臣下として執るべき道は、ただ一つ。命を投げ出してでも、この出兵をお止めせねばなるまい。 
  程普がその体を地に投げ出して、孫堅に進言を申し上げようとした時、そんな程普の考えを見透かしたのか、先手
 を打って、孫堅が程普の動きを目で制した。 
  「俺を見くびるなよ。」 
  そう言われた程普は体が固まってしまった。 
  戦場では、決して、臆病者のそしりを受けたことのない程普が、孫堅の目に射竦められただけで、何もできなくな
 ってしまったのだ。 
  孫堅の眼光は万兵にも勝るということか。 
  そして、動けなくなったのは程普だけではなかった。 
  程普が受けた叱責の意味が、近臣達には全く分からない。 
  分からない以上、孫堅の怒りを静めるための適切な言葉が浮かばないし、程普ほどの功労者を退けるにも、何と諫
 めてよいのか分からない。 
  結局、張り詰めた緊張感の中、誰も声を発することができなくなってしまったのだ。 
  「・・・何てな。」 
  そんな中、不意に孫堅の口からこぼれた言葉に、家臣一同、耳を疑った。 
  それ程に孫堅の今の言葉は、予想の範疇を超えていたのだ。 
  しびれる空気の中、誰も確認することができない。その役目は、いつも程普が行っていたので、尚更であった。 
  それで、仕方ないので黄蓋が、恐る恐る孫堅に尋ねるのであった。 
  「殿、今、不問にすると仰せになったのですか?」 
  「小難しい言い方をすればそうだな。・・・だから、何でもないって言ってるんだろ。」 
  はっきりとその言葉を耳にすることで、場の緊張が一気に解けた。 
  「だが、これだけは言っておく。讒言(ざんげん)を聞く耳を俺は持っているが、俺の心に響かねば、それは戯れ言
 (ざれごと)以下だ。」 
  弛緩(しかん)とまでいかないが、和みつつある空気を引き締めた孫堅は、その後、何事もなかったかのように、先
 程の問いの続きをするのであった。 
  「袁紹は、確かに名門の名にふさわしいだけの寛容な器と影響力がある。しかし、抜きん出るだけの器量は、まだ
 ない。」 
  「つまり、群雄割拠の世となる。そう言うことですか?」 
  先程の件より、言葉を発することのなかった程普が、思わず、孫堅に聞き直した。 
  それを孫堅は嬉しそうな笑顔で迎え、そして、頷く。 
  「但し、抜きん出た者がいない以上、独力で覇を唱えることは誰にもできない。」 
  孫堅の言葉に、近臣の中からどよめきが起こる。では、混沌とする世を誰が制すというのか。 
  「閥・・・軍閥。」 
  そんな中、誰かが言ったその言葉に、再びどよめきが起こった。 
  「そうだ。俺は遠術の閥に名を連ねる。」 
  遠術・・・その名が出たとたんに、先程までのどよめきが嘘のように静かになる。 
  家臣達の無言の抵抗と言っていい。 
  「皆は不満のようだが、では、遠術の他に適当と思う人物を挙げてみろ。」 
  孫堅が不穏な空気を打ち消すかのように言った。すると、すかさず程普が進み出る。 
  それはいつもの程普の間が戻っている証拠であった。 
  「では、恐れながら、申し上げます。やはり、渤海(ぼっかい)の袁紹殿が最適かと。」 
  「袁紹か。先程から、言っているように袁紹の力は認める。・・・しかし、渤海と長沙では地理的に離れすぎてい
 る。ましてや連携を図るなど、どだい無理な話だ。」 
  程普の意見を事も無げに論破した孫堅は、次の意見を待った。 
  すると朱治が進み出る。 
  「それでは、劉表(りゅうひょう)はどうでしょう。魯(ろ)の恭王(きょうおう)の末孫であり、袁紹、遠術にも劣ら
 ぬ名家かと思いますが。」 
  「いや、劉表は天下への気概はない。乱世で生き抜ける人物ではないんだ。そのような者と組んでも先が知れる。」
  「それでは、私が。」 
  次いで、黄蓋が持論を述べる。 
  「えん州刺史の劉岱(りゅうたい)を挙げます。あの者も皇族に名を連ねる人物。また、他者への思いやりや人の意
 見を入れる度量があると聞いております。」 
  「公覆(こうふく)、それは誰が申している噂だ?世間の風評と実物は、かけ離れていることが多い。劉岱は、それ
 程の器ではないよ。」 
  その後も次々に今、世間に通った群雄達の名が挙がったが、どれも孫堅の首を盾に振る人物はいなかった。 
  「王匡(おうきょう)、張ばく、孔ちゅう、橋瑁(きょうぼう)、公孫さん。どの名も役不足だな。」 
  孫堅に言わせれば、彼の名士達も物足りないということか。 
  しかし・・・ 
  「何故?遠術殿なのですか。」 
  これまで挙げた人物達の中には、確かに得体の知れない者もいる。だが、本当に人物と呼べる者もいるはずである。
 その中で、あえて遠術を選ぶ理由が分からないのだ。 
  「俺は難しいことは、戦場の駆け引きしか分からん。だから、簡単に言うと・・・」 
  自分達の疑問を解消するために、次の孫堅の言葉を聞き漏らすまいと、家臣達は、身を乗り出して聞き入った。 
  呼吸の音すら、邪魔であると言わんばかりに、誰一人、物音を立てない状況は異様な感じがするが、それ程に孫堅
 の意見を求めていたのだ。 
  そんな中、孫堅は、「俺の勘だ。」と、悪びれることもなく言う。 
  何を言っているのか? 
  本日、二回目の不可解な台詞に家臣達は、戸惑うばかりである。 
  これまで、理路整然と群雄達の名を退けてきたのに、一番、大事な部分は『勘』であるとは・・・ 
  「ははは。殿がそう、おっしゃるのなら、我らは付いていくだけです。そうだろう、みんな。」 
  一番、最初に韓当がそう言うと、拍子抜けしたかびた笑いが起こり始め、その笑いが次第に大きな本当の笑いへと
 変わっていくのであった。 
  その笑いの中心には孫堅がおり、大きな口を開けて笑っている。 
  「ははは。二つに一つだ。仕方あるまい。」 
  その時、つられて笑っていた程普が、やっと孫堅の言っている意味を理解した。 
  孫堅は、これから群雄割拠の乱世になると言っているが、実は袁紹と遠術の二遠の争いになると踏んでいるのだろ
 う。 
  だから、選ぶとすれば、どちらか片方しかないということだ。 
  そして、五年後に自分が台頭する。 
  つまり、地理的な要因もあったであろうが、力を蓄えた五年後に閥を抜け出すことを考えれば、遠術の方が与し易
 いと考えているのだろう。 
  ここまで考えて、程普は思考を一旦、止めた。 
  また、自分は出過ぎたことを考えているのではと、思ったからだ。 
  しかし、今度は、孫堅が笑顔を向けて、「徳謀(とくぼう)、まったくその通りだ。」と、告げるのであった。 
  「五年後だ。そうだろう、曹操に劉備よ。」 
  領地を持つ群雄ではないため、家臣達からは一向に名が挙がらなかったが、将来の覇を競い合う相手と認める両名
 を思い、気持ちを引き締める孫堅であった。 
  五年後の夢を見るのもいいが、目の前の敵は董卓である。 
  夢見心地のまま、勝てる相手ではない。 
  その夜、孫堅軍は強い覚悟を持って出陣し、最初の目的地となる宛を目指すのであった。  
 

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