四.力 
  

  都の路地を闊歩(かっぽ)する二人の偉丈夫は、違和感を感じながらその景色を眺めた。 
  ここを訪れるのは二年ぶりとなるのだが、あまりの変貌ぶりに驚きを隠せない。 
  「関兄、静かすぎるんじゃねぇか。本当に人が住んでいるのかよ。」 
  関羽は義弟・張飛の言葉に苦笑いをしながら、頷くのであった。 
  二人の脇には、先程から、ちゃんと通行人も通っているのだ。張飛が言う、『人が住んでいるのか。』という疑問
 など生まれるはずがないのである。 
  しかし、張飛の意見は、あながち的外れともいえない。事実、関羽も頭の中で同じ事を考えていたからだ。 
  今二人は、都の真ん中の路地に立っているのだが、活気や覇気というものが皆無と言っていい。 
  人が生活をしているという匂いすら、全く感じられないのだ。 
  そして、時折、感じられる畏怖の視線。それも一つや二つではない。 
  戦場では、常にこの視線と向かい合っているのだが、それとは異質な思いが込められているのが分かる。 
  関羽が何気に振り返ると、その一つとぶつかった。不意だった事もあるが、予想外の出来事だったために、関羽は
 一瞬、言葉を失うのであった。 
  それは小さな子供が関羽を睨んでいたからだ。 
  関羽と暫く対峙しても、その視線を外す事をしない。 
  初めは董卓の配下と勘違いをしているのかと思ったが、どうやら違うようだ。 
  関羽や張飛が持つ『武』、そのものを嫌っているのだろう。 
  それが今のこの状況、全ての元凶であると。 
  そう、気付いたとき、幾多の死地においても怯む事のなかった関羽雲長が、初めて臆するのであった。 
  『私の武が乱世を招いているのか?』 
  「関兄?」 
  張飛はそのまま歩いていたのだが、関羽のの異変に気付いて戻ってきた。 
  「いや、大丈夫だ。」 
  張飛の声で我に返った関羽が見回すと、先程の子供の姿はすでになくなっていた。 
  「大丈夫じゃねぇだろう。変だぜ。」 
  張飛の呼びかけにも要領を得た返事をせず、関羽は、一、二歩進んだ後、再びその足を止める。 
  関羽の培ってきた自信が土台から崩れ去ろうとしているのが、自分自身ではっきりと知覚できる。 
  「私は・・・」 
  「雲長、お前が悪いんじゃねぇよ。」 
  この声がギリギリの所で、関羽の二の足に活力を与えるのであった。 
  「長兄、長い小便だな。」 
  「うるせいな。そんな事言って、置いて行こうとしたじゃねぇか。」 
  張飛との遣り取りが長引きそうなので、劉備は途中で手で遮ると関羽の前に立った。 
  「いいか、雲長。『武』が悪いんじゃねえ。それを使う人間が悪いんだ。」 
  「では、やはり・・・」 
  「ばっ、あったま、固えな。違うだろ、使う人間が悪いってのは、正しい事に使わねえからだ。」 
  「正しい事?」 
  「おい、何の話してんだ、さっきから。」 
  話に割り込んできた張飛を見ると、丁度いいとばかりに劉備は張飛を手招きする。 
  「こいつが良い例だ。この益徳さんときたらよ酒を飲んじまったら、手の負えねえ乱暴者さ。でも、一度戦場に出
 てみろ、泣く子も黙る鬼将軍に大変身だ。」 
  「確かに。」 
  関羽が張飛の顔を確認してから、大きく頷いた。それが何となく張飛には癇(かん)にさわったようで、厳(いか)つ
 い顔を近づけてくるのを劉備は必死に押さえる。 
  「いいか、人間てのはみんながみんな、こいつみたいに単純じゃねえが、正しい面と悪い面の両方を持っているの
 さ。・・・おい、暴れんなって。」 
  流石に劉備では張飛の膂力(りょりょく)に抗するのは難しく、会話が途中で中断されてしまった。 
  話の続きを聞きたい関羽は、無理矢理、張飛の体を劉備から引きはがすのであった。 
  その勢いで道ばたに倒れ込んだ張飛は、拗(す)ねて、そっぽを向いてしまう。 
  「それで。」 
  「ああ。・・人間てのは常に正しい選択が出来るわけじゃねぇ。だからどうしても、時折、悪い面がひょっこり顔
 を出しちまう。・・・間違った力の使い方をしちまうから、あんな悲しい子供達が増えちまうのさ。」 
  「・・・私は今まで、正しい力の使い方をしてきたのか。」 
  劉備の話を聞いても、結局、自分自身に咎(とが)がないという自信は、関羽には生まれなかった。 
  「やはり・・・」 
  「ばーか。だから、お前は間違った力の使い方なんかしちゃいねーよ。」 
  「何故、何故そんな事が言い切れるのです。」 
  「何のためにおいらがいるんだよ。おいらが、お前らを正しい道へと導いてやる。」 
  劉備はあきれる程の笑顔で、自信たっぷりにそう告げるのだった。 
  その笑顔は太陽の光が反射しているかのように、関羽の目に眩しく映った。 
  「ああ、でも、勘違いすんな。偉そうな事言ってるけど、おいらだって完璧な人間ってわけじゃない。だから、お
 いらが道を外しそうになるときがきっとある。そんときは頼むぜ。」 
  『この人は・・・』 
  生涯を劉備とともに誓った事に間違いはない。関羽は、そう確信するのであった。 
  「おう、どんどん正してやるぜ。桃園結義に誓ってな。」 
  「益徳、お前がこん中で、一番あぶねぇんだよ。」 
  「うむ。益徳に正されるようになってはお終いだ。」 
  「何だよ。二人してよ。」 
  誰からともなく笑いだし、いつしかその笑いが他の二人にも伝播した。 
  三人の絆(きずな)がまた一つ深まった瞬間であった。 
  「おい、こうして油、売ってると簡雍(かんよう)の奴がやきもきしちまうぜ。」 
  「そうですな、戻りましょう。」 
  久しぶりに洛陽に戻ったという事で、街の中を散策に出掛けていたのだが、思いの外時間がかかってしまった。 
  まあ、その分、実もあったのだからと、劉備は足取りも軽く、世話になっている盧植の屋敷へと向かうのであった。
  その折り、奇声とも悲鳴とも取れる声が三人の耳に届くのであった。 
  「何事か?」 
  「悲鳴だよな?」 
  関羽と張飛が素早く反応し、声の主を探す。しかし、二人よりも目聡(めざと)い劉備は、既にその先へと駆け出し
 ていた。 
  「長兄!」 
  関羽と張飛も劉備に続く。 
  目的地に近付くにつれ関羽の足が早まるのであった。それは、早く着くためではなく、劉備を止めるためであった。
  何故なら、目的の先には『董』の旗を掲げる一団がいたためだ。 
  この洛陽で堂々と『董』の旗を掲げるのは、言わずと知れた董卓仲頴、その人しかいない。 
  「長兄、お待ち下さい。」 
  「そうだ、待ちやがれ。」 
  「おお、益徳、気が合う。長兄をお止めしろ。」 
  「おう、董卓の配下なら、長兄の手を煩わせわけにはいかねえ。俺様が相手をしてやるぜ。」 
  やはり、意見は一致していないようだった。 
  関羽は天の無情を恨みながら、劉備の後を追うのであった。 
  「長兄。」 
  「何だよ。」 
  「お待ち下さい。相手は、・・・どうやら、董卓はいないようですが、その配下。表だって諍(いさか)いを起こす
 のは得策でありません。」 
  「じゃあ、黙って見過ごせってのか。」 
  そう言われると関羽も言葉を失う。関羽が目にしたのは、董卓の配下どもが平民の手足に槍を突き立てて遊んでい
 るのだった。 
  しかも笑いながらである。 
  人の心を持つ者の所行とは、到底思えない。 
  「この張飛様が相手だ。」 
  劉備と関羽の問答している間に、張飛が董卓の配下達の前に躍り出た。 
  張飛が一旦、暴れ出したら、もう止まらないだろう。しかし、この状況を赦すわけにもいかない。 
  苦悩の末に関羽は、赤面が更に紅潮し、憤怒の叫びが天を衝くのであった。 
  そして、董卓の配下と張飛の間に割って入る。 
  「何だよ、関兄。」 
  「益徳、下がっていろ。私が奴ら討つ。」 
  劉備は口笛一つ吹くと張飛の肩を叩く。 
  「ここは雲長に任せようや。」 
  「だけどよ。」 
  「いいから、見ろよ。雲長の奴もようやく吹っ切れたようだぜ。正しい事に使う力を躊躇(ためら)ってちゃあ、逆
 に乱世の混沌は続く。」 
  劉備と張飛の目の前には、次々と倒れていく董卓の配下達と、その中心で台風の如く青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)
 を振り回す関羽がいるのであった。 
  「何だ、いつもと変わんねえぜ。」 
  「ああ、そうだ。いつもの雲長に戻ったんだよ。やっとな。」 
  張飛は、その言葉にわけが分からないという仕草をすると、大立ち回りが行われている輪に一歩近付く。 
  関羽に成り代わったつもりなのか、動きに合わせて何もない空間に向かって得物を振るい、董卓の配下達をうちの
 めす真似事をするのであった。 
  劉備は張飛の丈八蛇矛(じょうはちだぼう)を躱しながら、笑顔で関羽の様子を伺っていたが、ある事を思い出して
 青ざめるのであった。 
  
  
  「それで、董卓の配下を二十名程、打ち倒したのですか。」 
  「そう怒んなよ、簡雍。」 
  盧植の屋敷に戻った劉備達は、事の次第を簡雍に話した。すると、初めは呆れてものが言えない様子だった簡雍が、
 烈火の如く怒り出したのであった。 
  「私はいいんですよ。こんな事には、もう慣れましたから。しかし、盧植師父に迷惑がかかる事をお忘れになると
 は・・・」 
  「その事については、私に責任がある。すまん。が、再び、私の目の前であのような事が起きれば、私は自分の『義』
 にかけて同じ事を繰り返す。」 
  横で黙って聞いていた関羽だが、一歩進み出ると簡雍に謝罪しつつも、強い意志を語るのであった。 
  劉備は、それを『良い傾向だ。』と微笑む。しかし、簡雍の感想は違うもので呆れた顔を見せる。 
  「関羽殿、張飛殿ならいざ知らず・・・関羽殿がそのような事を申されては・・・」 
  「何だと、簡雍。てめぇ。」 
  簡雍の一言で、論争の火種は張飛にも飛び移った。 
  張飛の迫力に一瞬、怯んだ簡雍だが、気を取り直すとこれは良い機会だとばかりに張飛の普段の行いについても言
 及し始める。 
  屋敷の中は、何やら、収拾がつかない状況となった。 
  その中、一人の人物が部屋の中に現れる。 
  「静かにせんか。」 
  劉備一家の口論を、その一言で制したのは、劉備の師であり、この屋敷の主である盧植であった。 
  流石に師に迷惑をかけた事を反省している劉備は、その師の前で跪いた。 
  「先生、何かえらい迷惑をかけちまったようだ。」 
  「いや、よいぞ、玄徳。例え儂であっても同じ行動を取ったやもしれん。・・・しかし、簡雍の言う事も、もっと
 もだぞ。もう少し、頭も使わんとの。」 
  そう言うと、盧植は闊達に笑った。 
  深刻に考えていた簡雍の毒気が抜かれ、また、責任を感じていた関羽の肩の荷が大分楽になる。そんな笑いであっ
 た。 
  「やはり、先生には敵わないや。」 
  「それはそうと、儂の心配より、自分の心配をしたらどうだ。流石にこのまま洛陽に逗留(とうりゅう)するのは無
 理だろう。今夜中にここを離れるんだ。」 
  相手の方に非があろうと、それで納得してくれる連中では、当然ない。 
  師の意見はもっともだと、劉備は簡雍にその準備にあたらせる。 
  「おいら達は逃げるとして、先生は?」 
  「儂か?儂も既に官職をはがされた身、田舎に帰って、また塾でも開くことにするわ。」 
  「じゃあ、第二の劉備玄徳が誕生する事を心よりお待ちしております。」 
  「はっはっはっ。お主のような問題児が二人もいては、儂が困るわ。」 
  「そいつは、ひでえな。」 
  劉備は頭をかきながら、唇をとがらせるのだが、間もなく、我慢できなくなったのか堰を切ったように笑い始める
 のであった。 
  そして、みんながそれにつられる。 
  屋敷の門番が驚く程の笑いが屋敷中にこだまするのであった。 
  その夜、夜陰に乗じて劉備一家は盧植の屋敷を後にした。 
  それを見守る盧植がぽつりと呟く。 
  「玄徳、お主のような男は、この中華に二人と現れんよ。」 
  盧植の顔を雲の間から漏れた月光が照らすのであった。 
  
  
  
  「おい、孟徳、聞いたか。あの三兄弟が洛陽に戻ってきたそうだ。」 
  「聞いた。そして、三日としない内に董卓の手の者と諍いを起こしてとんぼ返りだろう。」 
  「ああ、全く、あいつらときたら、何しにやって来たのやら。」 
  董卓に宣戦布告した曹操は、洛陽の外れにある隠れ家に逐電しているのであった。 
  この隠れ家は大人数が隠れる程の大きさではないため、今、曹操の周りには夏侯惇(かこうとん)を初めとした数名
 しか残っていない。 
  ほとんどの者は、曹操の故郷である予州(よしゅう)は沛国(はいこく)?県に戻っているのだ。 
  曹操は洛陽の情勢をつぶさに把握しておくために、この地に残ったのだが、その胸中にはある秘策が温められてい
 た。 
  「惇、劉備に会いたいのだが、何とか出来るか。」 
  「出来ない事は聞かないだろう。分かった、何とかしよう。」 
  夏侯惇は、手下に指示をするために曹操の部屋から出て行く。 
  一人になった曹操は、月明かりに向かって酒の入った杯を差し出した。 
  「一役、買ってもらうぞ。劉備玄徳。」 
  そう言うと、曹操はその杯を一気に飲み干すのであった。  
 

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