二十二.解散 
  

  『孫』の旗が荊州に差し掛かる。 
  反董卓連合から離脱した孫堅軍は、久方ぶりの帰郷に心躍らせるのであった。 
  離脱にあたっては、同盟者であった遠術が怪訝な素振りを見せるが、遠術自身もこのまま連合にいても益はなしと
 みていたので、同時に引き上げることになった。 
  まあ、孫堅としては、遠術の返答とは関係なく行動をとるつもりでいたのだが・・・ 
  「全軍、止まれ。」 
  不意に孫堅の指令が伝達される。軍の中に緊張感が走った一瞬であった。 
  「殿。あれは、まさか・・・」 
  行く手を遮るように前方に現れた一軍は、ついこの間まで、連合軍として味方であった劉表の手の者であった。 
  「使者を送りましょうか?」 
  当座の対応として、程普が進言するが、孫堅は頭を振る。 
  「いや、見るからにやる気満々だろ。その必要はない。」 
  「しかし、我らと戦う理由はないではありませんか。」 
  黄蓋は、そう言うが、孫堅には理由がしっかりと分かっていた。 
  「遠紹の差し金か?」 
  大声でそう叫ぶ孫堅だったが、心の中では、『董卓に踊らされた。』という言葉を付け加えていた。 
  「察しが良いな。・・・では、懐中の玉璽を渡してもらおうか。」 
  劉表の言葉には、生返事で返す。 
  「はて、玉璽とは宮中にある物。それを渡せとは、どういうことかな?」 
  「惚けるな。お前が洛陽復興の折り、涸れ井戸から玉璽を見つけたという情報が入っているのだぞ。」 
  孫堅軍の中には、言葉を詰まらせる者もいたが、当の孫堅は、逆に呆れていた。 
  『この短期間で、そこまで詳しい情報がどうして掴めたのか・・・そこを疑問に思わんものかな・・』 
  しかし、これで董卓の罠であることがはっきりしたので、孫堅は劉表をまともに相手にしないことにした。 
  「くだらない話に付き合う気はない。遠紹に、そう伝えるんだな。」 
  孫堅軍は、進軍を開始する。 
  進路を予定とは若干ずらし、劉表軍とは、一定の距離を保ちながら移動する。 
  当然、劉表軍への警戒は怠らない。 
  「殿、このまま仕掛けてこないでしょうか?」 
  「それは、分からん。・・・ただ、劉表もあれでなかなか強(したた)かな男。油断だけは、するな。」 
  孫堅の言葉に韓当が頷く。 
  友好とはいえない相手に対して、緊張感を保ちながらの行軍は、神経を磨り減らし、互いに疲労感を隠せない。 
  道程は二里ほどしか進んでいないが、その十倍は移動した錯覚に陥る。 
  特に移動の際、背を向けなければならない孫堅軍は、顕著にその症状が現れた。 
  そんな孫堅軍に、劉表の言葉が棘を刺す。 
  「孫堅よ。玉璽が野心的な遠紹に渡るのを恐れているのか?しかし、お前がそのまま持ち帰っても、周囲は同じと
 見るぞ。」 
  直ぐさま、孫堅の近臣達が反論しようとするが、「構わん。相手にするな。」と、孫堅が制する。 
  しかし、劉表は構わず続けるのであった。 
  「遠紹は、確かに名門の出。しかし、遠家と言えど、劉家には適わない。景帝(けいてい)の流れをくむこの劉表に
 預けるというのは、どうだ。」 
  漢の時代、劉氏というのは、それだけで大きな強みとなる。 
  劉表の言葉は自分に都合が良く、多少、あざといが、聞きようによっては正論に聞こえる。 
  このままでは、部下達に動揺が広がると判断した孫堅は、堪らず言い返すのであった。 
  「名と人格が一致するとは、限らないぞ。劉表。」 
  「何!劉家を愚弄するのか。」 
  「いいや、お前さん自身を愚弄しているのさ。」 
  「貴様!」 
  その言葉が戦端となり、劉表軍が戦を仕掛けてきた。 
  勿論、十分に警戒していた孫堅は、そつなく指示を出す。 
  孫堅の期待に応えるよう、孫堅軍は心力ふるって、劉表軍の攻撃をいなすのであった。 
  ところが、時間の経過とともに、やはり孫堅軍が押され始める。 
  董卓軍との戦闘や洛陽への移動、洛陽の復旧工事から、また、直ぐに移動。 
  この一連において、孫堅軍が休息をとったのは、僅かな時間しかない。 
  また、今の行軍も常に緊張感を持たされてのものだった。 
  その疲れが、時とともに出始め、気力では補えないところまできたのだ。 
  「・・・やはり、こうなったか。」 
  劣勢となった戦況に、孫堅が思わず、そう漏らす。 
  できるだけ、戦闘は避けるように心がけていたのだが、最後は挑発に乗った形で舌戦が始まり、そのまま戦闘に突
 入してしまった。 
  迂闊だったと認めざるを得ない。 
  やはり、玉璽を持ち帰るということに私心はなくとも、迷いは孫堅の中にあったのだろう。 
  しかし、今となっては、そのように思い返しても詮無きことである。 
  「仕方がない、撤退だ。公覆(こうふく)、まだ元気な者を集めて殿(しんがり)として当たらせろ。」 
  指示通り、黄蓋が直ぐに兵を厳選し、隊列の最後方へと走る。 
  「殿、精鋭を集めたとしても、疲労は同じ。早く、お逃げになって下さい。」 
  程普が詰め寄ると、韓当も頷く。 
  「私が囮となります。殿は、その内に・・・」 
  韓当の台詞に孫堅が鋭く反応した。 
  「駄目だ。大栄(だいえい)と同じことを繰り返すのか?そんなことは認められん。」 
  董卓配下の華雄と戦った時、孫堅を助けるために散っていった祖茂大栄(そもだいえい)のことを、全員が思い出す。
  「しかし・・・我らの気持ちは、あの時の大栄と一緒です。」 
  尚も韓当が孫堅に食い下がるが、孫堅は韓当の両肩に手を置き、頭を下げる。 
  「頼む。・・・あんな思いは二度とごめんだ。分かってくれ。」 
  頭を垂れる主君の姿に韓当は、それ以上、返す言葉がなかった。 
  「分かりました。では、全力で退却しましょう。」 
  「よし。公覆にも伝えろ。無理に戦う必要はない。時間を稼ぐだけでいい。」 
  直ぐさま、その伝令が走るのであった。 
  その伝令を見送った後、孫堅は、改めて近臣達の顔を見渡す。 
  「よいか。今日、この戦は孫堅文台の生涯において、たった一度の敗北だ。・・・その敗北を認める代わりに、全
 員、生き延びるんだ。・・・そして、劉表にはいつか、この借りを返す。」 
  孫堅が見つめる近臣達の目に生気が戻る。 
  それで、孫堅は、無事に逃げ切れることを確信するのであった。 
  事実、この後、劉表軍の追撃を振り切り、長沙にたどり着くことができたのだ。 
  しかし、無事というには、あまりにもひどい被害状況で、重臣達に死者が出なかったのがせめてもの救いであった。
  「玉璽は、守った。・・・だが、負け戦は、二度としない。・・・そして、この屈辱は忘れんぞ、劉表!」 
  長沙にたどり着いた夜、孫堅は月夜の中、夜空に向かって、そう誓うのであった。 
   
  
  
  「ふむ。劉表と孫堅がな。」 
  李需の報告に長安の主にして、絶対的な支配者、董卓がほくそ笑む。 
  その報告の他にも、連合軍の現状についても報告を受けている董卓は、まさに笑いが止まらないといった状態であ
 った。 
  孫堅の洛陽入城後、連合軍は解散の一途をたどる。 
  遠紹に言わせると、孫堅が私心を抱いたまま故郷に帰ったとし、このままでは志を一つにして戦うことができない
 と不満をぶち上げたのだ。 
  まあ、不満を言っているだけならばまだ良かったのだが、自身の兵をまとめて酸棗から離れて行くのには、誰もが
 唖然とするのであった。 
  参謀的立場だった曹操が去り、連合軍の急先鋒であった孫堅が去った。 
  そして、盟主であった遠紹が去るに至っては、解散もやむなしと、参加していた諸侯の意見が一致し、それぞれの
 兵をまとめ、自身の居城へと帰り出すのであった。 
  連合軍結成の際の目的であった、董卓を討つこと、捕らわれた天子を救い出すこと、いずれも達成することなく解
 散する。 
  董卓にしてみれば、これを笑わずにはいられないといったところであった。 
  そして、劉表と孫堅の激突。 
  このまま、内部崩壊を続けてくれれば、言うことなしだろう。 
  そんな董卓の心情を酸棗の地で、劉備は感じ取っていた。 
  「董卓の高笑いが聞こえてきそうだな。」 
  「まあ、聞こえずとも笑っていることは、間違いないでしょうな。」 
  関羽が同意すると、張飛も頷く。 
  「それにここの連中ときたら、解散に悔しがる素振りを全くみせねぇ。頭にくるぜ。」 
  「反董卓連合への参加は、世間に向けての風評を上げるため・・・それが、本音だったのでしょう。」 
  「そういうことだね。まあ、力のないおいらが、人のことをとやかく言えないけど。」 
  劉備は、そう言うと関羽と張飛の間に入り、両人の肩に体を預ける。 
  「さあ、伯珪(はくけい)殿がお待ちかねだ。」 
  「おーい。玄徳、そろそろ出発するぞ。」 
  「ほらな。」 
  劉備につられて、関羽と張飛に笑みがこぼれる。 
  連合解散による帰郷は、劉備が身を寄せていた公孫さんも例外ではない。 
  公孫さんの赴任地は幽州の北平である。 
  根無し草とも言える劉備は、取り敢えず公孫さんと行動を共にすることにしたのであった。 
  しかし、董卓を討つこと、天子を助けることを諦めたわけではない。 
  ・・・だが、正直、自分の力不足は認めないわけにはいかなかった。 
  今回の連合軍への参加は、公孫さんのおまけである。解散云々以前に、立場がまるで違いすぎるのだ。 
  この後、董卓と相まみえる時・・・その時は・・・ 
  足を止めていた劉備が、再び歩き出すと、前を先行する二人の義弟の間を駆け足で駆け抜けるのであった。  
 

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