二十.火攻め 
  

  閃光と轟音。 
  両者の武器が激しくぶつかり合う度に、その周囲には衝撃を与えるのであった。 
  関羽と呂布の闘い。 
  いつしか関羽が手にする青龍偃月刀は、青白い光を帯びるようになる。 
  「そうだ。その力が増す不思議な強さ。お前達、義兄弟のその強さに再び巡り会いたかった。」 
  呂布は関羽の攻撃を捌きながら、ますます、その力を増大させていくのであった。 
  関羽も負けじと、呂布の力を押し返す。 
  両者の決着は、一向につく気配がなかった。 
  しかし、人の力は無尽蔵ではいられない。 
  特に両者は、この一騎打ちの前にそれぞれ、雄敵との闘いを制してきているのだ。 
  関羽は張遼と呂布は典韋を含めた曹軍の三将と。 
  気持ちと体の連結が崩れ始めていることを両者は、次第に自覚するのであった。 
  五分の闘いを繰り広げても、それは本来の自分達の姿ではない。 
  すると普段では、絶対に思わない感じない気持ちが、お互いにわき起こるのであった。 
  『決着を、今、この状態でつけるべきではない。』 
  いつもであれば、体力が切れたことを理由に一騎打ちを止めるということは、絶対にあり得ない二人であったが、
 今はお互いにそうすべきではないかと思い始める。 
  何故なら、この状態での決着は、どこかに紛れが生じる可能性があるからだ。 
  勿論、初めからこの一騎打ちによっての体力の消費であれば、そうは思わない。 
  しかし、現状は違う。 
  この決着は、神に委ねるのではなく、自分達自身でつけるべきだ。 
  青龍偃月刀と方天画戟がぶつかり合った瞬間、関羽と呂布の視線も同じくぶつかる。 
  そして、互いに武器を収めるのであった。 
  「関羽、今日は勝負なしだ。」 
  「それが良かろう。」 
  関羽と呂布、それぞれが背中を向け合い、次第にその距離が広がっていく。 
  大将同士の一騎打ちが終わったことにより、両軍の鍔迫(つばぜ)り合いも終わる。 
  戦略的にも典韋達との闘いから、関羽との一騎打ちに時間がかかりすぎてしまい、もう、曹操を追っても間に合わ
 ない。 
  引き上げ時としては、良い潮時であった。 
  関羽にしても、曹操軍に貸し出された役目は、一応果たしたことになる。 
  逃げ切れるかどうかは、曹操自身の天運に任せるしかない。 
  「長兄にとっては、どちらが良いのか・・・。」 
  関羽は感慨深い溜息を漏らすと、曹操の後を追うのであった。 
  
  
  
  「追ってくるのは、李かくか。」 
  董卓の残りの手駒を考えると順当であり、かつ有力な部将が残ったとも言える。 
  黄河を背にした曹操に決断の時がせまるのであった。 
  前に出て血路を開くか、それとも・・・ 
  曹操は剣の柄を握り、鞘から白刃を取り出すと、その刃紋を確認する。 
  「この首、簡単に董卓に渡すものならば・・・とも思わないでもないが・・。現実は、そう、楽な道は選ばせてく
 れないものだな。」 
  曹操が、そう嘆くと、李?軍の一部が崩れ始めるのであった。 
  「孟徳、すまん、遅れた。」 
  敵軍を切り崩して登場したのは、夏侯惇、夏侯淵、曹洪、曹仁。先発別働隊の四将であった。 
  「おお、惇。いや、絶妙だ。」 
  握った白刃を鞘に戻すと曹操は、李かく軍に背を向けるのであった。 
  「おい、どこへ行く。孟徳!」 
  「お前の存在は、やはり、大きいよ。危うく簡単に命を落とすところだった。」 
  曹操が自分を褒めていることは認識できたが、結局、その行動がつかめない。 
  夏侯惇は仕方なく、もう一度、曹操に呼びかけるのであった。 
  「だから、どうしたいのだ?」 
  「何を言っている。逃げるに決まっているだろ。」 
  曹操は収めた剣を鞘ごと地面に放り投げると、鎧兜を脱ぎ出す。 
  「逃げる?・・・まさか・・」 
  夏侯惇の予想は的中し、裸となった曹操は黄河に身を投げるのであった。 
  「お前、この大河を・・」 
  唖然としている夏侯惇達を曹操は不思議そうに眺めるのであった。 
  「どうした、お前ら。早くしないとおいていくぞ。」 
  その言葉を期に、曹操軍は、一斉に我先にと黄河の中へ走っていくのであった。 
  それを見送る李かく軍。 
  「良いのですが?」 
  李かくの副官として同行していた張済(ちょうさい)が、心配になって声をかける。 
  それを李かくは、鼻で笑うのであった。 
  「この大河を渡れる訳がないだろう。こちらは、黙って見ていればよい。こんな楽な仕事が他にあるか?」 
  「しかし・・・。」 
  常識に照らし合わせれば、李かくの意見は、もっともである。だが・・・ 
  曹操という人物を考えると、そこに一抹の不安が過ぎるのである。 
  そして、その不安は的中する。 
  笑っていた董卓軍の表情が、一様に醜くゆがむのであった。 
  いつ溺れるかと、期待していた曹操が、あれよあれよという間に、黄河の半分を泳ぎ切ってしまったのだ。 
  慌てた李かくは、部下達に矢を射るように命令する。 
  しかし、距離的に矢も、届くか届かないかの距離である。あまり、有効な手段とはいえなかった。 
  とはいえ、黙って見過ごすこともできない。 
  ひょっとしたら、見事に曹操の体を貫くかもしれないと一縷の望みを託す。 
  李かくは、ありったけの大声を張り上げて、斉射の命令を下すのであった。 
  一方、曹操は、そんな李?の行動を冷静に受け止める。 
  「慌てて動くな。かえって、その方が当たる。」 
  その言葉に曹操軍の将兵達は頷く。 
  曹操の一言が安心感を与えるのであった。 
  「うぬぬぬ。」 
  李かくには、もはや歯噛みして見送るしかなかった。 
  そこに張済の甥である張繍(ちょうしゅう)が李かくの視線に入るように進み出た。 
  「何だ?」 
  機嫌が悪いだけに、李かくの言葉には棘があったが、張繍は平然とした表情を崩さない。 
  李かくは、更に張繍の後ろにいる見知らぬ青年が気になったが、取り敢えず、今は張繍の進言を聞くことにした。
  「小舟を五艘ほど、用意できました。乗れるの四、五名ですが、追うには十分かと思います。」 
  「何!早く兵の準備をしろ。」 
  張繍の提案に即座に飛びついた李かくであった。 
  そんな李かくに対して、張繍の後ろに控えていた青年が、初めて口を開いた。 
  「将軍。上兵は乗せないようにお願いします。」 
  「この者は、賈くと申します。その知謀、古の陳平(ちんぺい)に勝とも劣らぬかと。」 
  賈くへの返答の前に、李かくが怪訝そうに見つめるため、張繍が先手を打って紹介するのであった。 
  紹介された賈くの会釈一つしない態度が、李かくは気に入らなかったが、その自信に満ちつつもどこか陰気な目に
 逆らうことができなかった。 
  「うむ、分かった。そのようにな。」 
  手近な部下にそう告げると、李かくはさっさとその場を離れる。 
  その隙に張繍は、叔父である張済に耳打ちをする。一瞬、張済の目が大きく見開かれるが、無言で頷くと李っくと
 同じく、その場を離れていくのであった。 
  
  
  
  「殿、小舟が出てきました。」 
  泳いでいる曹操に、その知らせが入る。 
  数は五艘ほどだと直ぐに確認ができた。兵は三名ほどしか乗っていなかった。 
  櫂をこぐ兵以外は。すべて弓に矢を番(つが)えている。 
  しかし、曹操が気になったのは、そんな事ではなかった。 
  乗っている人数の割に船足が重く、更に船の喫水も深い。 
  そして・・・ 
  「みんな、急いで対岸に渡るんだ。」 
  曹操自身、無茶な要求だと分かっていたが、そう言わずにはいられなかった。 
  黄河から漂う匂いが、曹操の警鐘を鳴らすのだ。 
  「おい、孟徳。この匂いは、ひょっとして・・・。」 
  夏侯惇も異変に気付いたようだ。その表情がことの深刻さを表している。 
  「ああ、多分・・・油だ。・・・火攻めがくるぞ。」 
  その言葉と同時に、黄河が火の海に変わった。 
  また、曹操達を追ってきた小舟、五艘とも火達磨に変わる。というより、その小舟が一番、燃えていた。 
  李かく兵の悲鳴が耳を肌の焦げた匂いが鼻を、それぞれ不快にさせるのであった。 
  恐らく、小舟にも油が積まされていたのだろう。 
  この火攻めは、初めから計算されていたものではないはず。つまり、本来、黄河を埋め尽くすまでの火計の準備は
 できる訳がない。しかし、その足りない油を味方の兵を犠牲にして作ったのだ。 
  敵ながら、恐ろしい兵法である。 
  「惇。火が近づいたら、水中深く、潜るんだ。他の者も同じく。」 
  敵の作戦に驚異を感じつつ、曹操は的確な指示を与える。 
  冷静を振る舞う曹操であったが、この作戦を打ち立てた人物のことが気になるのであった。 
  『この策略、手際は、自分に近い。』 
  その一瞬、他のことに気を取られたことが、致命的な失敗を呼ぶ。曹操自身に忍び寄る赤い魔の手に気付くのが遅
 れたのだ。 
  「孟徳!」 
  夏侯惇の叫び、虚しく曹操の体に火がつく。すかさず、水中に潜り込むが、今度はなかなか水上に姿を見せない。 
  夏侯惇が助けに行こうにも、火の壁が行く手をふさぐのであった。 
  暫く、祈るように見守るが曹操の姿が現れることはなかった。 
  「孟徳!」 
  夏侯惇の叫び。それすらも曹操軍の悲鳴によってかき消される。 
  曹操軍にとって、地獄絵図がそこに展開される。 
  そして、夏侯惇自身の意識も次第に薄れていくのであった。 
  
  
  
  「・・・う・・。」 
  「気がつきましたか?」 
  優しい言葉が曹操を包み込む。この暖かさには、どこかに見覚えがあった。 
  朦朧(もうろう)とする意識の中、曹操は声の主を確認するのであった。 
  「・・劉備・・か?」 
  劉備と呼ばれた男は、ニコリと笑った後に頭を振る。 
  「いえ、私は荀ケ(じゅんいく)という者です。劉備という御仁ではありません。曹操殿、今はしばし、お休み下さい。」 
  その声は凛としており、暖かさと同時に気高さがあった。 
  『・・劉備ではなく、荀ケ・・。荀ケ・・・』 
  その名前を心の中で反芻しながら、再び、曹操は気を失うのであった。  
 

戻る       次ページへ       TOPへ