十九.二つの青龍刀 
  

  平素は静寂な朝を迎える成皋(せいこう)から黄河近辺が、本日は剣戟の音と鬨(とき)の声、そして悲鳴によって一
 日が始まるのであった。 
  付近に住む野生動物にとっては、良い迷惑であったが、それ以上に曹操軍にとっては、迷惑な呂布の手勢であった。 
  もっとも迷惑だからと言って、黙って見過ごせば自軍の被害が大きくなる。 
  呂布軍としても手を抜くわけにはいかない。 
  つまり、今、曹操の脳漿(のうしょう)は常人には計り知れない早さと能力で稼動していることになる。 
  「典韋、楽進、李通。」 
  「ここに!」 
  名前を呼ばれるやいなや三将が、曹操の前に現れる。 
  「まもなく惇達が駆けつけてくる。それまで、三人で呂布にあたるんだ。」 
  「はっ。」 
  三人の勢い弾む返事とは、裏腹に曹操は浮かない表情をみせる。 
  「・・・但し、三将は同時に呂布の前に立ってはならぬ。三方から、釣瓶(つるべ)の動きで連携して戦うことを忘
 れるな。」 
  「波状攻撃ということでしょうか?」 
  代表して、楽進が曹操に質問をする。 
  「そうだ。・・・それと、間合いはしっかりととるんだ。不用意に近づくと、あっという間に呂布の距離となる。」 
  曹操からの指示を全て受けると、三将は馬を駆って戦場へと急ぐ。 
  曹操の幕下に入ったのは、典韋の方が先であるが、この無口な男が指示を出せる訳もなく楽進が二人を仕切った。 
  「典韋殿は正面を、李通は左。私が右から参ります。」 
  波状攻撃をかける前に、まず、呂布を囲もうという考えだ。 
  しかし、楽進のこの提案に年少の李通が難色を示した。 
  「呂布を囲むのは良いとして、正面をつく役目を俺に譲ってはもらえませんか?」 
  曹操に仕えて、まだ日の浅い李通である。手柄を早く立てたいという思いが、言葉の端に滲み出ている。 
  「何を・・この作戦は、まず、正面の者が一度は呂布の前にその身を晒さなければならない。そして、更に呂布の
 一撃を受けねばならぬ。受けた後、その隙をついて波状攻撃を仕掛けるのだ。・・・つまり、呂布の一撃に屈しない
 膂力が必要なのだ。」 
  言われるまでもなく、そんな事は李通も百も承知だ。 
  「確かに俺の力は、典韋殿には及ばないですが、呂布の一撃を受けるぐらいはできますよ。」 
  「な、相手はあの呂布だぞ。夏侯惇殿でさえ命を落としかねた相手を・・・」 
  楽進が顔を赤くして、李通に詰め寄ったところを典韋が制止する。 
  確かに、今は時間をかけて議論をしている場合ではない。 
  典韋の無言の表情が楽進に冷静さを取り戻させた。 
  「分かった。李通に正面を任せる。」 
  「よっしゃ。」 
  「・・・但し、殿がおっしゃっていたことを忘れるな。距離を誤れば、一撃ではすまないからな。」 
  浮かれる李通に釘を刺すと、楽進の「散!」という言葉で、三人は、それぞれの配置につくのであった。 
  打ち合わせ通り、李通が呂布の正面、楽進が右、典韋が左につく。 
  但し、楽進と典韋の存在は、呂布に気付かれてはならないため、李通、一人が名乗り出る。 
  「呂布。ここから先は、この李通が通さ・・・うわ!」 
  しかし、李通の台詞は最後まで唱えることができなかった。 
  あっという間に呂布の方天画戟の間合いとなり、李通は騎乗している馬ごと吹き飛ばされたのだ。 
  生きていることが奇跡に近い。 
  「いてて。」 
  「大丈夫か?」 
  地に倒れる李通に楽進が声をかける。しかし、李通の心配ばかりしてはいられない。 
  呂布に囲みを突破されれば、曹操の命が危ない。 
  「待て!」 
  普段無口な典韋が大音声を響かせる。 
  すると、呂布の前進が止まるのであった。 
  まさか、大声にびっくりしたのではあるまいな?と楽進の頭に的外れな考えが一瞬過ぎるが、そんな事よりも呂布
 の前進が止まったことの方が重要なのである。 
  楽進は、軽く頭を左右に揺らすと、急いで陣形を整えるのであった。 
  「しっかりせい、李通。殿にあれほど間合いに気をつけろと言われただろう。」 
  「面目ない。」 
  李通は楽進に促されるまま、立ち上がる。 
  馬も無事の様子で、直ぐに騎乗し、楽進の後を追うのであった。 
  一方、立ち止まった呂布は典韋に向き直る。 
  「ほう、少しは歯ごたえのありそうな奴がいるじゃないか。」 
  「むむ。」 
  典韋は対峙してみて、呂布の強さを肌で感じる。体中全身から汗が噴き出るのを自覚した。 
  緊張感漲る中、双戟の感触を今一度、確かめる。 
  二対合わせて、八十斤の大業物であるが、今は不思議と軽く感じるのであった。 
  呂布の強さに触発され、典韋の気力も充実する。 
  「ふん。」 
  気合いの掛け声とともに、それに見合った一撃が呂布を襲う。 
  この間合い。 
  典韋は確かな手応えを感じるのであった。 
  
  
  
  嵐と嵐のぶつかり合い。 
  そう形容しても過言ではない、二本の青龍刀の激突は、他者が踏み入ることができない聖域を作り出していた。 
  「やるな、張遼!」 
  「・・・貴様こそな。」 
  張遼は、そう言い返すが、関羽ほどの余裕はない。 
  ここまで闘ってみて、関羽の方が実力が上だと、自覚した。 
  今は互角の闘いをしているが、あと数十合も打ち合えば優劣はみえてくる。 
  張遼には、それがはっきりと分かった。 
  そして、張遼の中には、沸々と悔しい思いが込み上げてくる。 
  それは関羽に劣っていることに対してではなく、この楽しい時間が、あともう少しで失われてしまうことににであ
 った。 
  「どうした、張遼!」 
  「・・・くっ。」 
  そして、その時は無情にも訪れた。 
  関羽の渾身の一撃が張遼の青龍刀を弾き落としたのだ。 
  「あっ。」 
  張遼は大地に突き刺さる青龍刀を放心したように、ただ見つめる。 
  そんな張遼の前を関羽は、ゆっくりと立ち去るのであった。 
  その気配を感じた張遼は、関羽の背中に怒号を浴びせる。 
  「貴様、情けをかけるのか!呂布軍にあって、敗北は、即ち死だ。」 
  「死を賜りたいのであれば、青龍刀を取って自害するが良い。・・・だが、貴公は、まだ強くなる。悔しいのであ
 れば、今一度、精進し私を越えてみせよ。」 
  関羽の言葉に逡巡する張遼であった。が、「先程の一騎打ちは、楽しかった。貴公とは、またやりたいものだ。」 
  関羽が残した最後の言葉が張遼の背中を後押しする。 
  大地に突き刺さった青龍刀を手に取ると、その刃先を関羽に向ける。 
  「その言葉通り、私はいずれ、貴様を越えてみせる。」 
  その言葉に関羽は、口元に笑みを浮かべながら頷く。 
  「私も楽しかった。また、会おう。関羽。」 
  張遼の見送りの言葉を背に、関羽は馬を飛ばす。 
  予想外の雄敵のために、曹操の策は破綻しかねない状況にある。いや、ひょっとしたら、もう破綻しているのかも
 知れない。 
  関羽の主君にして長兄の劉備から、曹操の命を守るようにとの指示があった。 
  ならばこそ、関羽の力を発揮し、その命は必ず守らなければならない。 
  「さて、曹操は、どこに・・・」 
  そんな関羽の馬が止まる。 
  それは悲惨な光景が関羽の目に飛び込んできたからであった。 
  「これは・・・」 
  曹操軍の屍が累々と積み上げられ、その中央には炎のように真っ赤な悍馬と同じく、返り血で真っ赤に鎧を染めた
 偉丈夫がいた。 
  それは、勿論、呂布である。 
  この様子に関羽の脳裏には、最悪の事態が一瞬、過ぎる。が、屍と思っていた人の中から、よろけながらも立ち上
 がる者がいるのを発見し、全滅だけは免れているのかもしれないと希望を持つのであった。 
  呂布の前に立ち上がったのは、血だるまになりながら、息も絶え絶えの典韋であった。
  「典韋殿!」 
  その典韋に関羽は駆け寄り、片腕で馬上から襟首を掴むのであった。 
  力一杯引き上げると、典韋の体が宙を浮く。すると、それまで典韋の体があった空間を呂布の方天画戟が横切るの
 であった。 
  「大丈夫か?」 
  呂布から、少し距離をとった場所に典韋を下ろす。 
  「曹操殿は、いずこに?」 
  典韋は何が起こったのか、分からない様子であったが、自分を救ってくれたのが関羽であると気付くと、安心した
 表情をみせる。 
  「おお、すまぬ。殿は、黄河の方向に向かわれた。呂布は引き受けるので、殿の警護を頼む。」 
  その言葉に関羽は頭を振る。 
  「いや、失礼だが、今の貴公に呂布を抑える術はない。私が残って、呂布の相手をする。典韋殿が、急いで曹操殿
 を追うべきだ。」 
  「・・・。」 
  典韋は、正直、立つのがやっとの状態であったので、仕方なしと、関羽の提案を受け入れる。 
  「どうやら、楽進殿も李通殿も息があるようだ。彼らも一緒に連れて行ってくだされ。」 
  「分かった。関羽殿、恩に着る。」 
  典韋は、覚束ない足取りながらも、楽進と李通に肩を貸し、戦場を離れて行こうとするのであった。 
  「関羽殿、呂布の強さは想像以上だった。気力は充実していたのが・・・・貴殿も気をつけられよ。」 
  「分かった。」 
  関羽は典韋の後ろ姿を見送りながら、軍礼をとる。 
  「もう、相談はすんだのかな?」 
  関羽と典韋のやりとりを傍観していた呂布が、嘲るような笑いを含んで話しかけてきた。 
  「待って頂いてかたじけない。ここからは、この関羽雲長がお相手申す。」 
  「貴様は、確か兎耳の子分だな。」 
  兎耳とは、劉備の長い耳を指してのことであった。 
  「貴公、我が主君を嘲る言葉、高くつくぞ。」 
  当然、関羽の怒りを買うことになるのだが、流石に呂布は平然としている。 
  「あの虎髯の男は、なかなかの強さだった。さて、貴様はどうかな?」 
  「ふん!この関羽、まだまだ義弟に後れを取る気はない。」 
  「それでいい。」 
  関羽の青龍偃月刀と呂布の方天画戟が、火花を散らして激突する。 
  関羽が連れてきた小勢と呂布、率いる大軍。 
  両軍が固唾を呑んで、二人の英雄の一騎打ちを見守るのであった。  
  

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