十八.想定外の武 
  

  反董卓連合の本隊が駐屯する地、酸棗(さんそう)から、夜陰の中を一軍が慌ただしく動き出した。 
  それは洛陽を焼いた董卓を追うべく、急遽編成した曹操の軍であった。 
  陳留太守(ちんりゅうたいしゅ)・張ばくから兵を借りたものの、それでも二千に充たない軍勢である。董卓軍の強
 襲を受けたら、ひとたまりもないのは明白であった。 
  しかし、少ない兵の利点を生かし、その機動力で逆に奇襲をかければ、董卓軍に大打撃を与えるのも可能である。
  今の曹操の頭には、それしかなく。事実、奇襲は曹操が得意とする戦法の一つであった。 
  「真っ直ぐ、洛陽へ向かうのですか?」 
  劉備に請うて借り受けた偉丈夫、関羽が曹操に尋ねた。 
  関羽の問いに曹操は頭を振る。 
  「いや、董卓軍の中にも我らの動きを読んでいる者がいるだろう。洛陽への道には兵が伏せられている可能性が高
 い。」 
  「確かに・・・」 
  曹操の言葉に関羽も同意した。しかし・・・ 
  次の言葉を飲み込むのであった。 
  思うところはあったが、あくまで立場は客将である。何より、自分は劉備の義弟であり、曹操の臣下になったわけ
 ではないのだ。 
  あまり出しゃばりすぎない方がいいだろう。 
  今も曹操の命で、馬を隣りに侍(はべ)らせているのだが、普段、その位置は曹操の右腕である夏侯惇がいる場所だ。
  夏侯惇自身は何も言わないが、その周りの者は、白い目で関羽を睨みつける。 
  もっともそんなことに痛痒(つうよう)を感じる関羽ではなかったが、立場ははっきりとさせておいた方がいいと思
 ったのだ。 
  関羽の含んだ返答の内容は、曹操も気付いている。 
  逆に曹操は関羽から、その言葉を引き出したいと思っていたのだが、劉備と関羽のつながりの太さが、邪魔になっ
 ている。 
  機敏に察した曹操は仕方なく、関羽の言葉を補填するのであった。 
  「しかし、あまり遠回りをすると、今度は董卓に追いつけなくなってしまう。・・・そこで、ここから西にある成
 皋(せいこう)を経由して行こうと思う。」 
  成皋とは地理的な関係上、古来より軍事要地として重宝された都市である。 
  かの地であれば、万が一、董卓軍に襲われても十分に対抗できるし、洛陽を目指すのにもさして遠回りにならない。
  反董卓連合軍きっての機動力を誇る曹操軍は、敵に察知されぬよう、月夜の光だけを頼りに行軍を続ける。 
  それでもそこいらの一軍よりも、早い進軍をするあたりは流石である。 
  曹操曰く、張?から借りた兵がいなければ、まだ、早く行軍できるというのだから、関羽は舌を巻くのであった。 
  成皋までの道程は、順調すぎるほどに順調で、朝日が顔をのぞく頃には、第一の目的地である成皋まで、あと少し
 という所まで来た。 
  水の流れる音が聞こえるのは、成皋の北に流れる大河、黄河のためであった。 
  「もう、一息というとこ・・」 
  曹操の言葉が途中で途切れる。同時に関羽が青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を強く握りしめ、構えるのであ
 った。 
  「南か!」 
  黄河の水音と聞き分けるのに苦労したが、南側から騎馬の音が聞こえる。 
  目をこらせば、土煙も見える。また、それが次第に大きくなっていくのだ。 
  方角からも、今の反董卓連合の状況からも援軍ということはあり得ない。 
  つまり、董卓が差し向けた兵ということである。 
  「孟徳。下がれ。」 
  隊列の後方に位置していた夏侯惇をはじめとする子飼いの将達、夏侯淵、曹洪、曹仁が曹操の前に躍り出る。 
  曹操は、夏侯惇の指示を無視して、自らの馬を先頭に押し出す。 
  そして、素早く中華随一の脳漿(のうしょう)で計算を始めるのだ。 
  もう少し進めば成皋の砦に入ることができる。しかし、その前に董卓軍に捕まれば、後ろは黄河、逃げ道はなくな
 り、最悪全滅ともなりかねない。 
  「・・・ふっ。間に合わぬな。」 
  迫り来る土埃を前に断を下すと、曹操軍は素早く退却を始める。 
  勿論、殿(しんがり)は夏侯惇他、三将である。 
  曹操は、この四人に的確に指示を与える。 
  その指示は簡単明白であった。 
  まず、一つは、敵の出鼻をくじけ。そして、次ぎに死ぬな。 
  この二つのみであった。 
  もっとも、曹操の指示がなくともこの四人は、自分がなすべきことをしっかりと理解していた。 
  「惇兄。『徐』の旗が見える。」 
  「とすると、敵は徐栄(じょえい)だな。」 
  曹仁の報告に答えたのは、夏侯惇ではなく曹洪であった。 
  そして、夏侯惇は、「ふん、董卓の奴。舐めやがって・・・徐栄ごときが相手ならば、完膚無きまで叩きつぶして
 くれるわ。」と、息巻くのであった。 
  「それは、駄目だ。」 
  夏侯淵が直ぐさま、反論するが、本気ではない。夏侯惇自身が冗談で言っていることを十分に理解しているからだ。
  大軍を前にしても、この余裕があるからこそ、曹操軍きっての将達と周りから、賞賛の声を浴びるのである。 
  まずは、夏侯淵の強弓が唸りを上げる。 
  曹軍一の弓取りと言われるその弓は、徐栄軍の先頭を走る将を射抜く。 
  続けて、三度、弓を弾くとその回数と同じ数だけ空馬が生まれ、その数の十倍以上の騎馬が巻き込まれるのであっ
 た。
  「よし。子廉(しれん)、子考(しこう)、続け。」 
  夏侯淵の弓によって、徐栄軍の隊列が乱れた。そこに夏侯惇が馬を駆る。そして、僅かな手勢を伴った曹洪と曹仁
 が続くのであった。 
  乱戦の中を余裕で敵の凶刃を躱(かわ)すと、あり余る膂力で斬撃を繰り出す。 
  夏侯惇の槍が閃くと、曹洪、曹仁の大刀が踊る。 
  「くっ、たった数人に何をしている。」 
  味方の兵が、次々と倒される現状に徐栄は、苛立ちの声をあげるのであった。 
  「そう思うのなら、自分で来いよ。」 
  二人の間に兵の壁が二層、三層とある中、夏侯惇が徐栄に向かって叫ぶ。 
  「来ないのか?」 
  なおも挑発を続けるが、徐栄は歯噛みするのみで、前に出ようとしなかった。 
  「ふん、命拾いしたな。」 
  徐栄が出てくる様子がないので、夏侯惇は撤退を指示するのであった。 
  味方が全て徐栄軍から、距離をとったことを確認すると、最後に夏侯惇が徐栄を睨みつける。 
  「徐栄よ。今日の所は、これで見逃してやる。」 
  そう言うと、高笑いを残して、その場を去っていく。 
  その後ろ姿に徐栄は、「言わしておけば。」と、身を乗り出し、更に自分の兵達に追うよう指示を出そうとする。 
  そんな矢先、もう一度、夏侯惇が振り返ったため、徐栄及び徐栄の部下達は一様にギョッと驚くのであった。 
  「そこから動かない方が良いぞ。」 
  夏侯惇のその台詞の後、徐栄軍の兵達の前に続けざま、夏侯淵の放つ矢が三度、大地に突き刺さる。 
  「なっ。言った通りだろ。次は・・・」 
  夏侯惇の言葉と夏侯淵の矢が、まさに影縫いの矢となり、徐栄軍は一歩も動けなくなるのであった。 
  徐栄軍が呆けている間に、夏侯惇達の姿は、完全に見えなくなる。 
  その頃になって、ようやく徐栄が我に返るのであった。 
  「・・な、何をしている。さっさと追わんか。」 
  慌てて、動き出すも夏侯惇の姿は遙か彼方であり、曹操に至っては、完全に見失ってしまったのである。 
  夏侯惇にとっては、役目を十二分に果たして、してやったりといったところか。 
  「よし、急いで、孟徳を追うぞ。」 
  曹洪と曹仁が、「応。」と応える。 
  その中、夏侯淵だけが浮かない顔をするのであった。 
  「どうした?妙才(みょうさい)。」 
  「いや、追っ手があいつらだけなのか・・・やけに・・」 
  夏侯淵の言わんとしていることは、十分に理解できる。 
  夏侯惇は、もう一度、同じ言葉を繰り返すのであった。 
  「急ぐぞ。」 
  
  一方、殿を夏侯惇に任せ退却中であった曹操軍の行軍は、ピタリと止まっていた。 
  その目の前には、『呂』の旗が翻っている。 
  夏侯淵の不安は、見事に的中したことになる。 
  もっとも、曹操にとっては、予測の範囲内の出来事であった。 
  「ふむ。嫌な予想というのは、得てして当たるものだな。」 
  「なるほど。夏侯惇殿を早々と軍から離したのは、このことを見越してのことでしたか。」 
  この見解に、少し驚いた表情をみせる曹操であったが、直ぐに得心するのであった。 
  「それは劉備殿の推測か・・・素晴らしい。、確かに、惇と呂布の相性は非常に悪い。少し、時間が必要だ。」 
  曹操は、素直に認めると、熱い視線を関羽に送る。 
  「そこまで分かっているのならば、君の役目は、言わなくてもいいだろう。」 
  関羽は頷くと、青龍偃月刀を構え、単騎で呂布軍に向かって行くのであった。 
  それに三馬身ほど離れて、曹操軍の精鋭が続く。 
  「呂布!劉備玄徳が義弟、関羽雲長が参った。手合わせ願いたい。」 
  関羽の呼応に反応して、一騎、呂布軍の中から飛び出したものがいた。 
  「おお、呂・・」 
  言いかけた言葉が途中で止まる。出てきた将が呂布だとばかり思っていたが、実際の人物は呂布とは似ても似つか
 ない人物であったからだ。 
  「貴公、何者だ。」 
  「我の名は、張遼(ちょうりょう)文遠(ぶんえん)。」 
  相手の返答は短い。手にしているのは、関羽と同じく青龍刀であった。 
  「ほう、耳は聞こえるようだ。・・・が、私が呼んだのは、呂布だ。貴公ではない。」 
  関羽は、そう言いつつ、相手との距離を慎重に保った。 
  張遼と名乗る偉丈夫の体躯や身のこなしから、ただ者ではないと悟ったからだ。 
  「一度や二度、あの方の攻撃を凌いだ程度で、つけあがるな。」 
  張遼は、渾身の一撃を関羽に喰らわす。 
  関羽はその一撃をいなすと、青龍偃月刀を横に払う。 
  張遼の状態が崩れていたため、致命傷となること間違いないと関羽は思ったが、虚しく空を切るのみであった。 
  張遼は、馬のたてがみにしっかりと体を預け、関羽の一撃を躱したのだ。 
  やはり、容易ならない相手だと、関羽は気持ちを引き締める。 
  「呂布の他に、これほどの手練れがいようとはな。」 
  「その褒め言葉、余裕のつもりなら、後悔するぞ。」 
  「うむ。では、後悔させていただこうか。」 
  「ほざけ。」 
  ここに関羽と張遼の一騎打ちが始まった。 
  互いに繰り出す一撃を見事な剣技で捌く。 
  二本の青龍刀が踊る様は、二匹の竜が舞っているようであった。 
  誰もが見とれる一騎打ちであったが、その中で、曹操だけが険しい顔をしている。 
  『こんなところに、私の計算を狂わす武があったとは・・・典韋(てんい)を呂布に・・いや、楽進(がくしん)と李
 通(りつう)を・・』 
  素早く様々な状況を想定して、計算するが最良の結果を得ることはかなわなかった。 
  「さて、どうするかな。」 
  どのような危機も自分の頭脳で乗り切ることができる。その自負が、僅かでも希望を残していた。 
  曹操は、心を静めて深い思考に入るのであった。  
  

戻る       次ページへ       TOPへ