十六.再会 
  

  体制を立て直すべく、味方を鼓舞する曹操であったが、近くには遠紹もおらず、指揮命令系統が崩壊している今、
 曹操の声は虚しく叫喚、悲鳴にかき消されるのみであった。 
  その状況にやむなしと、子飼いの手勢のみを束ねて、戦地を離脱しようとする。 
  その時、曹操の背筋に悪寒が走るのであった。 
  「ま、まさか。惇が・・・」 
  ここで、曹操は選択に迫られる。 
  何とかまとめたあげた兵は五百。この数をもって呂布に挑み夏侯惇を救出するか・・・それとも・・・ 
  苦渋の決断を強いられた曹操は、悩んだ末、五百の配下に宣言する。 
  「私は、こんなところで死ぬわけにはいかない。私が戻れば、夏侯惇の想いを無駄にしてしまう。」 
  この言葉に兵達は、迷いなく頷く。 
  曹操のためなら、この命を捧げる。そういった者達の集まりが、子飼いの兵なのである。 
  『すまん、惇。』 
  兵達の熱い視線を受けながら、曹操は心の中で謝罪するのであった。 
  「しかし、曹孟徳の覇業に夏侯惇は欠かすことはできない。」 
  この言葉は曹操の口から発した言葉ではなかった。 
  兵の視線がある男に集中する中、曹操だけは目をつむって、声を絞り出した。 
  「戻ったのか?」 
  「ああ、たった今ね。」 
  その声の主は、孫堅へ兵糧補給に向かっていたはずの劉備玄徳であった。 
  その後ろには、左右両翼の関羽と張飛が並んで立っている。 
  「ここにも間もなく、董卓軍がやってくるだろう。」 
  「連合は壊滅かい?」 
  「いや、数ではまだ、勝っているはずだ。今は兵の末端まで、命令が届いていない状態だ。これが。続けば・・・」
  「じゃあ、間に合ったってことだ。」 
  二人の会話中も鬨の声と悲鳴が、交互に飛び交い、辺りは騒がしい。 
  「時間がない。手短に話すぞ。」 
  「分かっている。呂布を抑えに行く。董卓軍はあいつ次第だろ。」 
  「そうだ。・・・すまない。」 
  「いいさ。呂布を抑えるのは義弟の仕事だしね。それより、その間に・・・」 
  「ああ、体勢を立て直す。」 
  劉備と曹操の視線がぶつかる。 
  曹操の深刻な表情が劉備の屈託ない笑顔で氷解する。 
  そして、視線を互いに切ると、それぞれへの道へと歩き出すのであった。 
  「益徳、任せるが・・・」 
  歩き出した、劉備は次の言葉を飲み込んだ。 
  無理はするなと言いたかったのだが、無理をしないで止められる相手ではないのだ。 
  そんな劉備に張飛は、丈八蛇矛で空を薙いで感触を確かめた後、向き直ると、「とりあえず、死なねぇよ。それし
 か、約束はできねぇさ。」と、告げるのであった。 
  「いや、それで十分だ。」 
  張飛の肩を叩き、その言葉に頷く劉備であった。 
  
  
  
  「ほう、まだ粘るか?」 
  呂布の方天画戟が向けられた先には、肩で息をする夏侯惇の姿があった。 
  愛槍を失い、腰に帯びていた剣で何とか呂布の斬撃を防いでいたのだが、流石に限界が近づいていた。 
  「この化け物が。」 
  傍らの曹仁に目をやると、こちらは夏侯惇に何度か加勢を試みた結果、全て呂布に打ち払われて、既に戦意を喪失
 し呆けているのであった。 
  何とか曹仁だけでもと考える夏侯惇だが、この切迫した状況では妙案など浮かびようもない。 
  「そろそろ、観念したらどうだ?」 
  「俺もそうしたいんだがね。・・・色々と背負っちゃっているものがあるんだよ。」 
  気力を奮い立たせて、気丈な姿をみせる。 
  そんな夏侯惇を呂布は、鼻で笑うのであった。 
  「ふん。お前の都合に合わせてやるほど、俺がお人好しに見えるか?」 
  「残念ながら・・・しかし、お前がそんなに饒舌だとは知らなかったぜ。」 
  夏侯惇の指摘に呂布は、一瞬、顔をしかめる。確かにいつになく興奮している自分がいることは間違いない。 
  それは夏侯惇という雄敵がいたからだと思っていたが、一騎打ちの白黒がついた今もその興奮が収まらないのは、
 自分としても不思議でならない。 
  これは、単なる興奮なのか・・・それとも・・・ 
  不意に呂布は背筋に冷たい悪寒が走り、振り返る。 
  するとそこには、兵五百にみたない集団とその先頭に立つ三人の部将の姿があった。 
  「後ろから、仕掛けても良かったんだが、それじゃあ、義弟が納得しないんでね。」 
  呂布が何者か問おうとした答えを、夏侯惇が先に述べる。 
  「お前は劉備!何故ここに?」 
  「あんたのとこの大将に頼まれたのさ。呂布を抑えろってね。」 
  この言葉に呂布が触発される。 
  「俺を抑える?ここにも世間知らずの馬鹿がいたか。」 
  呂布の力を身をもって体験した夏侯惇も、はじめは同意したが、関羽と張飛の実力を思い出し、その考えを改める
 のであった。 
  「ならば、関羽と張飛。二人がかりであたるんだ。」 
  曹操に自分が言われたことを立場を変えて言い直したのだ。 
  ところが、その言に劉備は首を振る。 
  「まさか・・そう言うのは世間じゃあ、一騎打ちとは言わないんだぜ。・・・益徳、一人で十分だ。」 
  「何を・・馬鹿・・。」 
  夏侯惇の言葉を打ち消し張飛は、呂布の前に駒を進める。 
  「ごちゃごちゃとうるせぇよ。お前はどっちの味方だ?この張飛様の力を見てから、言いやがれ。」 
  「ふん、身の程しらずが、何をほざく。」 
  呂布は張飛の挑発にのるように、当面の敵であった夏侯惇を無視し、張飛と正対するのだった。 
  「貴様のような下郎が相手になると思うのか。」 
  『こいつ、間違いなくあの時の山賊だが・・・俺のことは覚えてねぇってか。それとも似ているだけか?』 
  張飛の脳裏に様々な憶測が飛ぶが、本来、そういうのが性に合う質ではない。 
  打ち合ってみれば分かるとばかりに、張飛が先制して渾身の一撃を繰り出す。 
  すると呂布は見事に常人ならば致命打となる一撃を受け止めるのだ。 
  そして、返す刀で張飛に方天画戟を繰り出す。 
  張飛は、その一撃を受け止めつつ、実感するのであった。 
  『やっぱり、こいつはあの時の山賊じゃねぇか。・・しかも、前より強くなってやがる。』 
  あの強敵が生きていた。その事だけでも張飛の喜びであるのに、更に強くなっている。 
  武に生きる張飛は、舌なめずりを心の中でするのであった。 
  一方、呂布は呂布で、奇妙な感覚に捕らわれていた。 
  まだ、一合しか打ち合っていないが、その太刀筋が気になる。 
  目の前の虎髯の偉丈夫とは面識がないはずだが、どこか体の奥で倒さなければならない相手だと、まるで警鐘を鳴
 らされているかのように動悸が収まらないのだ。 
  「お前は何者だ!」 
  呂布は、そう叫ばずにはいられなかった。 
  そう問われた張飛の鼓動も激しく高鳴る。 
  「燕人・張飛益徳様。お前を倒す男だ!」 
  「ほざくな張飛!」 
  呂布の凶悪な一撃は、張飛の丈八蛇矛で無効と化す。張飛のそれも同様であった。 
  汗、ほとばしる中、血しぶきは一向に舞い散らない闘いは、すでに五十余合を数えた。 
  そして、百合を超えたところで差が出始める。 
  互いに力量等しくも跨る愛馬には、大きな差があった。 
  呂布の重い一撃を受けすぎたため、張飛の駆る悍馬の後ろ足に力が入らなくなったのだ。 
  そのため、張飛は徐々に後退を余儀なくされる。 
  『畜生、これじゃあ、前とあべこべじゃねぇかよ。』 
  張飛の表情には明らかに焦りが浮かび、呂布は勝ち誇った顔で、猛攻撃を繰り返す。 
  この状況に関羽も黙っていられなくなった。 
  「長兄、ここは私が助太刀に!」 
  「いや、待て。益徳の野郎は、まだ本気じゃねぇよ。」 
  これまで傍観していた劉備は、死闘を続ける二人に近づいていった。 
  「おい、益徳。てめぇ、頭ん中でくだらない言い訳を考えてんじゃなぇだろうな。そんなもん捨てて、全力を出せ
 よ。」 
  長兄の台詞に張飛は、感情顕わに反発するのであった。 
  「うるせい。こっちは、さっきから全力でやってんだよ。」 
  「 全力?馬鹿野郎。俺の知っている張飛益徳はな、闘っている最中に間違っても、そんな情けない表情を出す男
 じゃねぇんだよ。」 
  そういう劉備の表情が、張飛には憎たらしいほどに頼もしく見えた。 
  「へっ、ったく、人使いの荒い長男だぜ。」 
  張飛は、不思議と全身に力が漲るのを感じた。それは劉備の人気(じんき)か張飛の潜在能力か? 
  いずれにせよ、先程のまでの不安が嘘のように、今は呂布に負ける気がしなかった。 
  「うぉぉぉお。」 
  漲る力を丈八蛇矛にこめるのであった。すると、女かの細工が赤白い光を発する。 
  「喰らえ。」 
  張飛は死神の鎌を振り下ろす。 
  呂布は額の前で受け止めた。しかし、風圧が額の傷をかすめて、血が滲み出す。 
  と、同時に呂布が苦悶の声をあげるのであった。 
  張飛の一撃で傷を負ったわけではないが、その表情から察するに相当の苦痛が、彼を襲っているようであった。 
  「おい、降参でもしてみるか?」 
  「うるさい。」 
  少しは回復したのか、張飛に言い返すだけの気力は見せるが、先程までの迫力はない。 
  呂布は方天画戟を横に払って、張飛を後退させて距離を取ると、その戦場から離れようとするのであった。 
  「雲長!」 
  劉備の声と同時に関羽が呂布の行く手を遮る。 
  呂布は、残った力の全てを振り絞って、関羽に一撃を喰らわすが、関羽は自慢の青龍偃月刀で受け止める。 
  そんな関羽に呂布は驚きの表情を見せるが、今は新たな雄敵と争っている場合ではなかった。 
  赤兎馬の脚力によって、僅かな隙をつき、あっという間に戦場から離脱するのであった。 
  関羽と張飛は、赤兎馬を追おうとするが、数完歩、走っただけで無駄だと思い知る。 
  「まあ、いいさ。呂布を追っ払うのがおいら達の役目だ。あとは曹操がうまく立て直してくれているはずだからね。
 ・・・そうだろう?」 
  「ああ、孟徳が生きている限り、戦の負けは気にもとめていない。」 
  劉備が振り返った先には、地に腰を下ろす夏侯惇がいた。 
  手を差し伸べると、不本意な表情をしつつもその手を掴み、夏侯惇は立ち上がるのであった。 
  「借りが出来たな。」 
  「いや、味方を救うのは当然のことだろ。」 
  ふんと鼻を鳴らすと、次に張飛の前に立つ。 
  「今日は助けてもらったが、俺もいつか、お前の域にたどり着いてみせる。・・・そして、呂布を討つのは俺だ。」 
  「へっ、やれるもんならやってみな。」 
  呂布戦で気力を使い果たした張飛は、それだけ言うと気が遠のき、意識を失いかける。 
  慌てて、関羽が張飛の体を支えるのであった。 
  「益徳、しっかりしろ。」 
  八尺はある張飛の体躯を片手で支える関羽をみとめると夏侯惇は、心の中で、『そう言えば、こいつも、呂布の一
 撃を軽く受け止めていたな。・・・まったく、化け物ぞろいの世の中だぜ。』と、考えるのであった。 
  夏侯惇の中で劉備三兄弟への警戒心が強まる。 
  「おい、それじゃあ、帰ろうぜ。誰か空いている馬、二頭、貸してやってくれ。」 
  馬を与えられた夏侯惇と曹仁は、劉備軍と行動を共にしながら無言となるのであった。 
  そんな二人に劉備は声をかける。 
  「そんな深く考えるなよ。今は董卓にとっ捕まっている天子様を救うのが一番だろう。な。・・・何か考え出した
 ら、天子様が不憫に思えてきたぜ。」 
  遠く離れる天子のことで、今にも泣き出しそうな顔をする劉備に、夏侯惇と曹仁は、一瞬、呑まれそうになるので
 あった。 
  「・・・みんなで力を合わせて、頑張ろうぜ。」 
  そして、次の瞬間には笑顔で肩を掴んでくる。その笑顔に今度は引き込まれそうになる。 
  単純な曹仁は、「応!」と応えて、手を振りかざしているが、夏侯惇は何とか自制し、改めて劉備を見直すのであ
 った。 
  『関羽や張飛は、化け物だが・・・劉備はそれ以上か?』 
  呂布以上に報告しなければならないことがある。 
  夏侯惇は沈む夕日を見つめながら、心を落ち着けて、曹操への忠誠だけを思うように努めるのであった。  
 

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