十五.人中の呂布、馬中の赤兎 
  

  虎牢関に「董」の旗が立ち並ぶ。 
  その中で「呂」の文字が一際大きく見える。 
  反董卓連合の中で、曹操のみが事態の大きさに気付いていた。 
  しかし・・・ 
  「妙だな。」 
  「何がだ?」 
  呂布は、確かに強敵だ。だが、何か違和感を感じるのだ。 
  ただ、それが何か分からない。 
  「いや・・・惇。もし、呂布が出てきたときは、決して一人で当たろうとするな。必ず典韋、淵、いずれか二人と
 組んで戦うんだ。」 
  「子考(しこう)や子廉(しれん)じゃ駄目なのか?」 
  「個の武を考えると、あの二人では不足だろうな。」 
  曹仁や曹洪、本人が聞けば不満に思うかもしれないが、こういった時の曹操は冷静で私情を挟まない分、その計算
 に間違いはない。 
  夏侯惇は、武者震いとも思える身震いをした後に手を叩いた。 
  「それ程なのか。・・面白い。」 
  「いや、面白くないさ。遊び気分で手に負える相手ではない。」 
  そう言った後、曹操の瞳は夏侯惇の双眸をとらえた。 
  「必ず生き残ってくれ。今、お前を失うわけにはいかない。」 
  その真剣な眼差しに、夏侯惇は一瞬、言葉に詰まる。が、間をおいて頷くと、「心配するな。お前の命とあれば、
 どんなことでも忠実に守ってみせる。」と、胸を反らせるのであった。 
  「分かった。どんなことでもだな。」 
  曹操は悪戯っぽい笑みを夏侯惇に見せると、そのまま背を向けて歩き出すのであった。 
  夏侯惇は、曹操の含み笑いに不安を覚え、慌てて後を追う。 
  「おい、待て。孟徳。」 
  その言葉を無視して、歩を進めていく。曹操の表情は、とても明るかった。 
  
  
  
  「全軍、前へ。」 
  反董卓連合の軍勢が虎牢関を取り囲む。 
  その中心に遠紹と曹操の姿があった。 
  「孟徳。数だけで虎牢関を抜くのは難しくないか?」 
  「敵がこのまま、立て籠もっている限りは難しいだろうな。」 
  曹操の物言いに、遠紹は怪訝な表情を見せる。 
  「では、この進軍に何の意味がある?」 
  「立て籠もっていればと言ったんだ。呂布がそんな戦い方をするわけがない。」 
  「・・・なるほど。しかし、出てきた呂布に勝てるのか?」 
  曹操は、その問いに答えず前方を見つめた。 
  「それを今、考えている。」 
  答えを期待していなかったところ、不意に曹操が口を開いたので遠紹は驚いた。そして、その答えの中身を理解し
 て、二度驚く。 
  「おい、今、進軍中だぞ。」 
  「この進軍は時間稼ぎさ。虎牢関に呂布が入った時点で、防衛に専念せずに攻めてくるのが明白だった。だから、
 呂布が出てきた時のために軍に厚みを持たせたかった。」 
  「それで、虎牢関の前に軍を集めたのか。」 
  笑みで肯定すると視線を戦場に移す。気持ちも戦場に戻ったのか、その視線は鋭い。 
  「中央、囲みが薄い。本初、もう少し、こちらに回してくれ。」 
  「十分と思うが・・・分かった。」 
  頭が切り替わった曹操に何を言っても無駄である。遠紹は、言われるまま指示を出す。 
  「いや、もう遅いかもしれない。」 
  その一言は、遠紹が部下に話をつけているさなかであったため、『さっきの今』で何を馬鹿なことを言っているの
 かと、曹操の顔を見直した。 
  すると、曹操が虎牢関の門を指さすのだ。 
  つられて、その先を見ると偉丈夫が単騎で登場した。 
  遠紹がまず目を奪われたのが、真っ赤な毛並みに見事な馬格の馬であった。そして、次に上に跨る偉丈夫の姿が目
 に焼き付く。 
  この人にして、この馬あり。いや、この馬にして、この人ありか。 
  「あれが呂布と赤兎馬だ。」 
  「おお、あれが。」 
  「感想は後だ。それより、もう少し陣深く下がった方がいい。」 
  そう言うや否や、曹操は馬の準備を仕始める。 
  まだ、呂布が出てきただけである。 
  「何を慌てている。」 
  曹操の気の使いぶりに、冷やかすような意見を述べるが、その直後に自分の認識が間違いであったことに気付かさ
 れるのだった。 
  遠紹が一瞬、目を離した隙に呂布の姿は視界から消えていた。 
  そして、再び目にしたのは味方の悲鳴の先であった。 
  なぎ倒すという形容では物足りない。 
  呂布の進む道に屍が次々と積み上げられていく。 
  呂布の得物である方天画戟に一合と合わせる者はいない。それどころか、呂布の前に立った瞬間には、その者の命
 は亡くなっているのだ。 
  呂布は、その勢いのまま、単騎で反董卓連合軍の陣中深くまで切り込んでくる。 
  その姿に遠紹は、戦慄と恐怖を覚えるのだった。 
  「本初、急げ。」 
  呆けていた遠紹は、曹操の言葉で正気を戻す。 
  「孟徳、何だ。あれは・・・」 
  「あれが呂布だ。・・・人と思わない方がいい。」 
  その言葉に納得すると、遠紹は慌てて用意された馬に飛び乗るのであった。 
  遠紹と一緒に移動しながら、曹操は振り返る。 
  予想以上に呂布の進行が早い。 
  呂布の強さは想像通りであったが、騎乗馬の赤兎馬があそこまで早いとは、想像もしていなかった。 
  そして、赤兎馬は早いだけではなく、強い。 
  呂布に倒された者の四人に一人は、赤兎馬の蹄によって致命傷を与えられている。 
  この二つの狂気が、一体となっているため、曹操の想定を超えた進軍をしているのだ。 
  「おい、本初。顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)は、どうした?」 
  曹操は、遠紹の二枚看板である部将の所在を確認した。 
  「・・右陣に配している。」 
  遠紹は、疑い深く曹操の質問に答えた。 
  自慢の顔良と文醜とはいえ、呂布の前に立てば無事ではすむまい。 
  そう、考える遠紹は、曹操が呂布を止めるように要求してきたときの言い訳を考えているのだった。 
  そんな腹の内も曹操はお見通しで、言ったところ遠紹が黙って頷かないことも知っていた。 
  だから、要求したのは別のことである。 
  「呂布が通った後、できた道を董卓軍に突かれるのをさけたい。二部将を前曲に回して、道を閉ざしてもらいたい。」
  その言葉を聞いて遠紹は、安心する。 
  即座にその伝令を飛ばすのであった。 
  まず、これで一つ手を打った。 
  後は、問題の呂布をどうするかだ。 
  曹操は思案に暮れているところ、見た目屈強な男達が呂布の前に立ちふさがる。 
  その男達は、王匡(おうきょう)配下の方悦(ほうえつ)、張楊(ちょうよう)配下の穆順(ぼくじゅん)、孔融(こうゆう)
 配下の武安国(ぶあんこく)であった。 
  その者達を一瞥するが、結果を気にせず走り続けた。 
  それは、見ずとも結果が見えているからであった。 
  あの者達では、時間稼ぎにもならない。 
  曹操の予見通り、呂布にとって三人は雑兵と変わらず、軽く一蹴されるのであった。 
  この光景を見た反董卓連合の兵の中には、戦意を喪失し、呂布に近づこうともしなくなる者も出てきた。 
  その心理は兵だけではなく、一軍を率いる将校の中にも生まれる。 
  それが呂布の動きを更に加速させるのであった。 
  このままでは、遠紹はおろか曹操まで、呂布の前に姿をさらすことになってしまう。 
  さて、どうしたものか。 
  流石の曹操も打つ手が少なくなってきた頃、久しぶりに聞く金属音に驚いて振り返る。 
  そこには果敢に呂布に挑む曹仁の姿があった。 
  「な?」 
  思わず曹操らしくない言葉を漏らしてしまった。 
  曹操旗下において、一目置かれる曹仁であったが、呂布に挑むには力不足である。 
  曹仁は、今まで誰も受け止めたことのない方天画戟の一撃を何とか受け止めると、二撃目に備える。 
  しかし、その手は痺れて力が入らないことに死を悟るのであった。 
  「孟徳、止まるな。俺が何とかする。」 
  曹操の馬脚が止まりかけたところ、夏侯惇が声をかけてきた。 
  「しかし。」 
  その夏侯惇が単騎であったため、その身を危惧したのだ。 
  「迷っている場合か。」 
  二撃目は受け止められないと察した曹仁は、避けることに専念し、何とか方天画戟の追撃をかわす。 
  そして、三撃目が繰り出されたとき、夏侯惇の愛槍によって、その命は救われるのであった。 
  「惇兄。」 
  「弱いくせに無茶をするな。」 
  夏侯惇は、受け止めた方天画戟を跳ね返すと、そのまま呂布に正対する。 
  そして、その時、初めて呂布の表情が変わるのであった。 
  「貴様、強いな。」 
  低く曇った声は、呂布の口から発せられる。 
  初めて聞く呂布の声に武者震いをする。 
  「下がっていろ、子考。」 
  曹仁は言われたとおり、格の違いを感じ取り素直に従った。 
  「さあて・・・どうしたものかな。」 
  確かに迷っている場合ではなかったので、曹仁を助けにきたが、曹操には必ず夏侯淵か典韋と組んで当たれと言わ
 れていたのだ。 
  その意味を対峙してみて痛感する。 
  夏侯惇。この人にして初めてのことだが、勝てる気がまったくしないのであった。 
  そんな夏侯惇のことなどお構いなし、呂布は凶刃を振るう。 
  常人ならば、例え武器で受け止めても致命傷となる一撃を、夏侯惇は相手の力を削ぎながら受け止め自分の命をつ
 なぎ止める。 
  それが精一杯なのだ。 
  「くっ。強すぎるぞ、この野郎。」 
  「お前が弱すぎるのだ。」 
  呂布の加撃の力が増す。 
  いよいよもって、夏侯惇でも受け止めることが難しくなってくる。 
  「終わりだ。」 
  その言葉とともに繰り出された一撃は、夏侯惇の手から槍を奪い取った。 
  地に突き刺さった槍は、綺麗に半分に折れていた。 
  「ふっ。」 
  愛槍を慈しむように見つめる夏侯惇は、くり出される最後の一撃の前に、そっと目をつむるのであった。 
  『すまん、孟徳。約束は守れそうもない。』 
  そう、心の中で呟いた。         
 

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