十四.暗策 
  

  華雄討たれるの報は、翌日の内には洛陽中に知れ渡ることになった。 
  当然、洛陽の主たる董卓の耳にも、その情報は入る。 
  大きな体を腰掛けにゆったりと身を預けているが、その表情は険しい。 
  漢の重臣達は、主君からの落雷がいつ落ちるかと身がやせる思いで、なるだけ視線を合わせないようとするのであ
 った。 
  そんな重臣達の姿に、いっそう苛立ちを募らせる董卓であった。 
  「おい、貴様ら。次策を言え。」 
  董卓の低い声が重臣達の心を震わせる。 
  「まずは、貴様からだ。」 
  董卓に指名されたのは司空(しくう)の張温(ちょうおん)であったが、顔面を蒼白にし口元を震わせるだけで、献策
 できる妙案など出ようはずがない。 
  「ふん、死ね。次!」 
  次に指名を受けたのは、司馬(しば)の潘隠(はんいん)である。 
  目の前で張温が別室に連れて行かれる。それを尻目に潘隠は、この人が人生で初めてかというくらい脳細胞を活発
 に活動させ、考え込む。 
  しかし、董卓の視線に射抜かれ、遠くで張温の断末魔の声が聞こえると、落ち着くことができなくなる。 
  焦れば焦るほど、考えれば考えるほど自分の末路が思い浮かばれるのだ。 
  心の平衡を保つことができなくなった潘隠は、「死にたくない。」と、叫ぶと董卓の目の前から走り去ろうとした。 
  しかし、走り出した潘隠の目の前が突然、暗くなる。まるで急に壁が現れた感じであった。 
  本当に壁であったら良かったのだが、立ち止まった潘隠が目にしたのは、董卓以上の恐怖の対象であった。 
  「りょ、呂布将・・・」 
  潘隠の言葉は最後まで伝わることなく、呂布の太い腕で頭を弾かれると、潘隠の体は遠くの壁まで飛んでいくので
 あった。 
  そして、呂布は何事もなかったかのように、董卓の前まで歩いていく。 
  「呂布を出すのか?」 
  「はい、そうです。」 
  董卓の問いに答えたのは呂布ではなく、その影に隠れていた李需である。 
  「呂布将軍には虎牢関(ころうかん)で、連合軍を迎え撃っていただきます。」 
  「ふむ。堅牢な虎牢関に呂布が加われば、守りは万全だな。」 
  「いえ。呂布将軍が虎牢関に立て籠もるのでは、意味がございません。呂布将軍の膂力を存分に発揮するには、討
 って出る。それが一番でございます。」 
  「うむ、分かった。呂布、そのようにな。」 
  董卓が、そう下知すると、呂布は黙ってその場から立ち去るのであった。 
  董卓は、呂布がいなくなると意味ありげな視線を李需に送る。 
  「策は、それだけではないのだろう。」 
  「勿論です。呂布将軍の力は頼りにしていますが、連合軍の勢いを削ぐ策も必要かと。」 
  「ほう。それは?」 
  「餌を蒔いて、連合軍の瓦解を狙います。」 
  李需の言葉に董卓は、腰掛けに預けていた体を持ち上げて身を乗り出す。 
  「餌とは?」 
  「洛陽を与えます。」 
  この言葉で、一瞬、董卓の顔が険しくなる。付き合いの短い、重臣達はその様子に震え上がるのだが、李需の暗い
 目にはそんな董卓の姿など映らないかのように、淡々と言葉を続けるのであった。 
  「洛陽を焦土と化してから、長安に遷都するのです。」 
  遷都という言葉で、重臣達は言葉を失う。いや、諌言する言葉はあってもその勇気がなかっただけであったが・・・
  唯一の救いは、董卓があまり乗り気ではない様子だということだが、この狡猾な主君の気持ちなど信用できるもの
 ではない。 
  「しかし、焦土と化した洛陽が餌になるのか?」 
  案の上、董卓が気にしているのは遷都のことなどではなかった。 
  「それと、もう一つ。これです。」 
  そう言って、李需が取り出したのは、『伝国の玉璽(ぎょくじ)』であった。 
  これには、声を失うを飛び越えて気を失いそうになる重臣達もいた。 
  流石の董卓も動揺を隠せないでいる。 
  「それを宮中から持ち出したのか?」 
  「はい。そうです。」 
  「な、不遜ですぞ。」 
  李需の言葉に堪らず声をあげたのは、尚書(しょうしょ)の周(しゅうひ)であった。 
  しかし、次の瞬間には、董卓の手によって投げられた槍で、二度と物言わぬ人となった。 
  「本物ということか?」 
  「本物、という意味では本物ですが・・・この玉璽は、古来、秦の始皇帝より伝わるものではございません。」 
  「どういうことだ?」 
  「それは、皇居に遠紹の兵が入った争乱時に、一時、宮中から玉璽が失われました。その時、急いで同じ藍田の玉
 を使って作らせた玉璽です。」 
  そう答えたのは、司徒の荀爽(じゅんそう)であった。 
  「一時?」 
  「はい。失ったと思っていたのですが、実は十常侍の蹇碩(けんせき)が隠し持っておりました。」 
  「なるほどな。つまり、古来より伝わる玉璽は宮中にまだあるということか。しかし、これをどう使う?」 
  その答えを知っているのは、李需のみである。 
  李需は玉璽を袋に収めると、持っていた手をいとも簡単に離すのであった。 
  当然、玉璽は袋に入ったまま床に落ちる。 
  「このようにして、涸れ井戸にでも放り込みます。そして、見つけた者の野心の大きさに比して、連合軍の亀裂は
 大きなものとなるでしょう。」 
  「面白い。流石は李需だ。よし、長安に遷都するぞ。皆の者、準備をしろ。」 
  後から作らせた物とはいえ、漢朝の名をもって作った玉璽を弄ぶ姿、光武帝以来、二百年の歴史を持つ洛陽の遷都。
  しかし、この暴君に逆らうことができない自分たちの不甲斐なさを嘆く、重臣達は一様にうなだれるのであった。 
  「貴様らが、一人前に落ち込むのか?片腹痛い。長安に遷都した後、司徒・司空・司馬の三公は全てすげ替える。
 まあ、その内、二人は、もう替わるしかないがな。」 
  追い打ちをかけるように董卓が高笑いをする。堪らず、越騎校尉(えつきこうい)の伍孚(ごふ)が立ち上がろうとし
 た。 
  それを荀爽と楊彪(ようひょう)が必死になだめるのであった。 
  「今は死に急いではならん。耐えるのだ。」 
  「ふん。」 
  いちいち、手にかけるのは面倒だとばかりに、董卓は荀爽達を相手にせず自室へと戻るのであった。 
  災厄が去り、取り残された重臣達は、力無くその場に沈み込む。 
  そんな中、荀爽が力強く、もう一度、先程と同じ意の言葉を一同に聞かせるのであった。 
  「今は耐えるしかない。連合軍然り、都を去っていた俊英達も然り。必ず、忠義の士が我らを、天子様を救って下
 さる。」 
  「しかし、連合軍も董卓と変わらぬ軍閥。それに李需の策で、本当に瓦解する可能性も否定できません。」 
  「いや、確かにその可能性はあるが・・・あの玉璽が真の忠臣の手に渡れば・・・あるいは・・」 
  荀爽自身、希望的観測であることは認識しているが、今は僅かな希望にもすがるしかない。 
  今は良き人物の手に玉璽が渡ることを祈るのであった。 
  
  
  
  「じゃあな、文台。おいら達は、連合軍に戻って虎牢関を抜くよ。」 
  「ああ、俺達は水関(しすいかん)を目指す。」 
  華雄を討った後、体勢を立て直した孫堅軍と劉備軍は、その陣中で別れの挨拶を行っていた。 
  「気をつけろ。呂布って奴の力は、半端じゃないらしいぞ。」 
  「ああ、義弟達には無理はさせないつもりだよ。だけど、一人、言うこと聞かない奴がいるからなぁ。」 
  劉備が悪戯っぽく張飛の顔を見つめるが、反応はそっぽを向くだけであった。 
  この様子に孫堅も気付いた。 
  「何か呂布とは、訳ありらしいんだ。どうしても決着をつけたいらしい。」 
  「なるほどな。」 
  そう言って考え込む孫堅が、再び表情を上げたとき、劉備が目にしたのは哀しげな視線であった。 
  「だからこそ、気をつけた方がいい。」 
  孫堅は、先の戦で大事な友を失った。 
  同じ思いを劉備にはさせたくない。そんな想いが込められた視線を受け、劉備は頷くのであった。 
  「大丈夫だ。おいらと雲長もついている。」 
  これ以上は心配してもきりがない。 
  同じ戦場に身を置く者として、笑って送り出すしかないのだ。 
  「じゃあ、これで。」 
  「ああ。ともに洛陽で会おう。」 
  こうして、劉備軍は孫堅軍から離脱するのであった。 
  劉備達が去った後、程普が孫堅に歩み寄る。 
  「何やら、いわく付きのようでしたが・・・劉備殿には残ってもらった方が良かったのではありませんか。」 
  孫堅は程普の言に頷くも、反対の言葉を口にする。 
  「いや、因縁があるからこそ、早く断ち切らせてあげようという玄徳の心だろう。」 
  「なるほど。」 
  「それに曹操の指示らしいしな。」 
  孫堅が劉備から聞いた話によると、孫堅の窮地を予測し、兵糧を届けるように指示を出したのが曹操らしいのだ。 
  それは恐ろしき慧眼というしかない。 
  「曹孟徳。噂に違わぬ人物ですな。」 
  「ああ。頭一つ抜き出ている。」 
  孫堅が人を認めることがあっても、他人の方が勝れていると発言したことが、今までなかったので、程普をはじめ
 黄蓋や韓当も驚く。 
  「では、我らも劉備殿も手中と?」 
  「うむ。表面上は、そうだろう。しかし、本音は頼む相手が連合の中にあっても少ないのだと思う。」 
  「それで、我らを救けたと?」 
  孫堅は、それには答えず黙って、馬上の人となる。 
  「頼りにされている内が華かもしれん。華雄がいないとはいえ、水関は李かく、郭(かくし)が守将だ。気を抜
 くな。」 
  その言葉に続いて、程普、黄蓋、韓当は同じく鞍上に手をかける。 
  そして、孫堅は、もう一度、劉備が去っていった地平線を眺めるのであった。 
 

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