十三.援軍 「殿!お待ち下さい。」 疾駆する孫堅に、その言葉が届かないことを悟ると黄蓋は素早く手勢を集める。 董卓軍の前に孫堅、単騎で向かわせるわけにはいかないのだ。 最悪、孫堅軍の壊滅もあり得る。 そんな不安が頭を過ぎるが、せめて孫堅一人が生き延びればよい。 そのことだけを強く念じ、孫堅の背中を追うのであった。 「殿を見失うな!」 手勢を叱咤し、孫堅に付かず離れずで駆け抜ける。 僅か数十騎まで、減った兵力。 しかし、何としても護り抜いてみせる。 黄蓋の気迫が兵達に伝わり、結束力の高いことで有名な孫堅軍、兵士の心がより強く一つにまとまるのであった。 その心が無茶な行軍を可能とする。 兵糧責めで動かないはずの騎馬隊に力が漲り、はるか先にあったはずの孫堅の騎影を徐々に捉えはじめた。 そして、ついには孫堅を手勢の固まりに吸収することができたのだ。 「殿、我らの気持ちも一緒です。ですが、殿だけは、どうしても護りたい。その大栄の気持ちも分かってください。」 「すまない。」 孫堅が素直に黄蓋に謝罪する。 この時、孫堅は自分についてきてくれる仲間の心強さを改めて認識するのであった。 孫堅を迎入れた数十騎の騎馬隊は、程なく、その手綱を弛めるのであった。 それは「董」の旗印に揺れる敵軍を見つけたからだ。 しかし、孫堅が手綱を弛めたのは、他にも原因があった。 それは、予想はしていたが、最悪の現実を受け入れなければならなかったからだ。 先頭を走る敵の将。 華雄の薙刀には、物言わなくなった部下であり、友でもある祖茂大栄の首が突き刺さっていたからだ。 長年、ともに過ごしてきた仲間だ。 遠くからでも見間違えるわけがない。 この現実に、一瞬、思考が停止した孫堅の手綱を握る手から、知らず知らずの内に力が抜けていったのだ。 孫堅を護るために身代わりとなった祖茂。 自分は仲間を犠牲にしてまで、生にしがみつかなければならないのか。 孫堅の中で葛藤が生まれる。 孫堅の心は沈み、外界からの言葉を完全に遮断するのであった。 そんな孫堅に、やっと巡り会ったという華雄は、喜々とした表情をみせる。 「孫堅よ。その首をやっと差し出す気になったのか。」 勝ち誇った弁をそのままに、董卓軍はあっというまに孫堅の手勢を囲み込む。 華雄の口は、余裕からか滑らかに動いた。 「どうした。観念して、言葉もないか。」 逆に孫堅が黙り込んでいるので、より対照的な構図であった。 「ふん。もう、こんな首など、用はないわ。」 そう言うと、華雄は薙刀に刺してあった祖茂の首は空へ投げ出すのであった。 「あっ。」 今まで、黙り込み身動きもしなかった孫堅が、反射的に反応する。 投げ出された祖茂の首を受け止めようと、馬を動かしたのだ。 それは、同時に黄蓋達が作り上げた囲みから抜け出すことも意味する。 孫堅軍の中から、一騎だけ飛び出した孫堅に董卓兵の凶刃が襲いかかるのであった。 一瞬の出来事であったため、黄蓋も反応できていない。 また、体を動かそうとも孫堅の死を予想してしまった体は、黄蓋の意志を伝達できずに固まってしまったのだ。 董卓兵、数本の刃。 孫堅の頭上に振り落とされる瞬間には、孫堅軍から、悲鳴に近い絶叫があがる。 その刹那、一陣の風が両軍の中を突き抜けた。 そして、一拍過ぎた後、その悲鳴は董卓兵の口に移り変わる。 地面に転がる董卓兵、数名の首の先には、大きな背中と背中越しに見える青龍偃月刀があった。 「あなたは?」 黄蓋が眩しそうにその背中を見つめる。 振り返った偉丈夫の見事な美髯(びぜん)が風に揺れた。 「劉備玄徳が義弟、関羽雲長。ここに推参!」 関羽の朱顔が怒りのためか、より赤く燃えている。 「関羽、関羽だと。」 正式には、初めて対面するこの豪傑に、華雄は動揺をみせるのであった。 そして、董卓軍の一角が切り崩されると、その動揺は更に大きくなるのであった。 「おいおい、俺も忘れてもらっちゃ困るぜ。」 そう言って、現れたのは炬眼(きょがん)に虎髯の大男。張飛益徳であった。 張飛は挨拶代わりに、自慢の丈八蛇矛を風車のように振り回すと、董卓兵の首を十数個、一瞬で切り払うのであっ た。 「ちょっと待てよ、益徳。そいつはおいらの台詞だ。まったく、派手好きな義弟を持つと長兄の影が薄くなっちま うな。」 「劉備殿!」 黄蓋は、突然、現れたこの友軍に驚喜の声をあげる。 「悪い。ちょっと遅れちまった。」 劉備は、軽く舌を出すと、その手勢三千騎で孫堅を保護するのであった。 「劉備!貴様がどうしてここにいる。」 華雄は援軍の将に問い掛けた。 「はぁ?そんなの朋友の危機だからに決まってんだろう。・・・それから、華雄。おめぇは、やっちゃいけねぇこ とをしちまったようだな。」 「ほざけ。たかが、三千の援軍で何ができる。」 突然の劉備軍の登場に、揺れた心であったが、華雄も歴戦の勇者。 流石に切り替えが早く、自軍と敵軍の差を冷静に分析するのであった。 敵に劉備軍を加えたとしても、圧倒的な数的有利は変わらないのだ。 しかし、その分析は冷静ではあったが、甘かったことを、後ほど、身をもって知るのである。 「死は、戦場に身をおく限り致し方ないとしても、刃を交えた雄敵の死を冒涜する貴公の所業。この関羽が許さん。」 「だってよ。」 関羽の台詞の後、小馬鹿にしたような口調で劉備が華雄に言い放った。 自分たちが不利であるくせに、余裕の表情をみせる劉備の態度がかんに障っていた華雄であったが、この一言で完 全に切れた。 「貴様ら。黄巾の乱で少し、名前が売れた程度で図に乗るなよ。」 「では、試してみるがいい。この青龍偃月刀の切れ味を。」 「小癪な。」 華雄は関羽の挑発に乗って、一騎打ちに挑むことになった。 これで勝ちを確信した劉備は、張飛に目配せを送ると無言で頷く。 続いて、劉備は黄蓋の馬に近づいた。 「この一騎打ちは、一瞬で決まる。その後、敵さんが呆けている内に、一気にこの囲みを突破するんだ。」 「はい。承知しました。」 時を経て、この戦場を振り返ったとき、このとき何故、何の疑問も持たずに劉備の言葉を受け入れることができた のか、黄蓋自身首を傾げるのだが、このときは、劉備から溢れ出る風格と揺るぎない眼差しに素直に首を縦に振るこ としか考えられないのであった。 そして、本当に劉備の言葉通り、この一騎打ちは一瞬で決まる。 関羽の怒りが青龍偃月刀に乗り移り、青白い光を帯びた刃が、華雄自慢の薙刀ごとその主の首まで切り落としたの であった。 呂布が現れるまでは、董卓軍、随一の勇者であった華雄が一合と交えることなく戦死した。 この現実は、董卓軍にはにわかに受け入れがたく、隙が生まれる。 そこに乗じて、張飛が先駆けとなって斬り込みをかけた。 抵抗らしき抵抗もなく董卓兵は倒れていき、気がついたときには、劉備・孫堅軍の姿がなく、残ったのは自軍の甚 大なる被害だけであった。 九死に一生を得た孫堅軍は、先に行動を起こしていた韓当・程普隊と合流すると、そこでやっと息をつく。 孫堅の様子が相変わらずなので、変わって黄蓋が劉備に改めて礼を述べるのであった。 「劉備殿。黄蓋、このご恩は一生忘れません。」 「よせよ。そんなことより・・・」 そう言う、劉備の先には祖茂の首を抱き、無言を貫く孫堅の姿があった。 その主の姿に程普や韓当も一様に肩を落とす。 そんな孫堅の前に大きな影が覆い被さった。 「おい、あんたの今の姿を見て、その祖茂って奴が『私の死を悲しんでくれて、ありがとう。』とでも言うと思う か。」 「よせ、益徳。」 それは張飛であったが、すぐに関羽に止められる。 「しかし、益徳の言は正しいと思いますぞ。孫堅殿。」 張飛を抑えながら、関羽も同意見を述べる。 二人に質されて、孫堅は、初めて顔を上げるのであった。 「大栄は、富春(ふしゅん)にいた頃からの仲間だ。その死を悲しんで何が悪い。」 孫堅の言葉に黄蓋、韓当、程普もうなだれる。 「人の死は悲しいもんだ。別に悪かない。でもな・・・その死にも意味があったんじゃねぇかな。」 「・・意味?」 関羽と張飛の間だを割って、劉備が孫堅の前に立った。 「ああ。祖茂大栄は、今の中華の大乱の中に孫堅文台が必ず必要だと思って、その身を投げ出した。英雄・孫堅文 台の姿を夢見て、華雄に向かっていったんじゃねぇのか。」 「・・・」 劉備の言葉に孫堅は、返す言葉を失った。 「もし、英雄・孫堅文台になるためには、祖茂の力が必要だったってんなら、おいらが祖茂の替わりをしてやるぜ。 文台!」 「劉備・・」 劉備の底抜けの笑顔が孫堅を包み込む。 孫堅に立ち上がる力が蘇りつつあった。 「いや、劉備殿。その役目は我らが担います。」 そう言ったのは、黄蓋、韓当、程普の三将であった。 「大栄の穴は、確かに大きいですが、今まで以上に我らが協力し、殿を盛り立ててまいります。」 「お前達・・・いや、すまなかった。俺はもう大丈夫だ。」 孫堅はそう宣言すると力強く立ち上がるのであった。 「人の死、仲間の死を次の糧として成長する。今後、これを孫家の家訓とする。」 「殿!」 孫堅の周りに三将が集まり、手に手を取る姿を認めると、劉備は安心する。 「じゃあ、おいら達は自陣に戻るよ」 「ああ、すまなかった。・・・しかし、大栄の替わりをすると言ったが、大栄は一度として俺を字(あざな)で呼ん だことないぞ。」 「え?そうなの。」 「ふっ、まあ、いい。じゃあな、玄徳。」 「ああ。」 劉備は関羽、張飛を伴って、簡雍が待つ自軍へと戻るのであった。 その折り、関羽が劉備に問いかける。 「しかし、長兄。もしものときは、我らも祖茂殿と同じことを致します。そのときも今と同じことをおっしゃって 下さいよ。」 「そいつは無理に決まってんだろ。」 「はぁ、長兄。人の前だけ格好つけたのかよ。」 すかさず張飛がつっこみを入れるが、劉備は頭を振った。 「そうじゃない。そんときは、みんなで助かる方法を、このおいらが見つけるってことさ。」 「よく言うぜ。」 張飛は、そううそぶくが満更でもない表情を見せ、関羽は目を閉じて頷く。 そして、劉備は心の中で、今の言葉に必ずと誓うのであった。