十一.狂気の復活 反董卓連合は、その陣容を整えた後、その軍を各地に展開することとした。 張ばくや劉岱、橋瑁といった主立った群雄は、そのまま酸棗に留まり、遠紹と曹操は河内に進行する。 その他では、孔ちゅうは穎川、韓馥はぎょうに駐屯した。 また、別働隊として行動していた孫堅は、魯陽(ろよう)で手勢の調練をしつつ、董卓の動向をうかがい、遠術は南 陽で孫堅への補給路の確保を行っていた。 数の上で、数段勝る反董卓連合は董卓が腰を据える洛陽を取り囲む布陣をとる。 これに対して、董卓の家臣達は軍議の中で様々な対策案を議論し合うが、どれも有効な策は浮かんでこなかった。 それは、いずれの策も挟撃を恐れる気持ちが根本にあり、腰の引けた策しか進言されないためであった。 そんな中、軍議の内容を歯噛みしながら聞いていた董卓が、おもむろに立ち上がる。 「貴様らの目は節穴か。反董卓連合などと騒いでいるが、その中で、本気で戦おうとしているのは、数人しかおら んのだぞ。」 主君の逆鱗に、それまで内容はともかく、活発な意見が飛び交っていた軍議の場が静まり返る。 すると董卓の影から、参謀の李需(りじゅ)が現れた。 この男は普段から、努めて前に出ようとはせず、常に董卓の傍らで冷静に寡黙を貫く。 しかし、董卓は勿論、他の家臣にとっても彼への依存度は高く、この軍議の場でも意見を求めようと何度も彼へ視 線を送った人物がいたが、結局、無言を通していたのである。 そんな李需が董卓の傍らから、一歩、前へ進み出た。 周囲は固唾をのんで見守る。 「数人というより、曹操と孫堅のこの二名だけでしょう。そして、両名には、遠家の足枷がそれぞれついています が、足枷が遠い分、すぐに動けるのは孫堅だけです。」 その言葉に頷いた董卓は、「誰か、孫堅の首を獲る者はいないか。」と、叫ぶ。 しかし、名乗り出る者はいなかった。 孫堅の手勢は、反董卓連合の中では規模が小さい。 比較的、与し易い相手のはずである。 しかし、孫堅の戦上手ぶりは、涼州での反乱を一緒に戦った董卓の家臣の間では語り草となっており、それが原因 で二の足を踏ませたのだ。 その現状に董卓は舌打ちをし、呂布に視線を送った。 が、その視線も呂布の無表情な顔の上を虚しく滑り落ちる。呂布は、誰もが恐れるその視線に対して、頷くでもな く目をそらすでもなく、平然と見返すのであった。 いや、正確に言えば、見返しているのではなく、無気力に前方を見つめているだけで、ひょっとしたら董卓すら、 その瞳に映っていないのかもしれない。 好戦的な呂布とは思えぬその仕草に、流石に董卓も訝しむ。 すると、李需が音も立てずに進み出た。 「呂布将軍ですら、出陣を渋る相手とならば、華雄(かゆう)将軍しかおりませぬな。」 名前を呼ばれた華雄は、一瞬、躊躇する様子を見せるが、大衆の前で指名された手前、引くことは彼の自尊心が許 さなかった。 そんな華雄に李需は近づくと、声をひそめる。 「将軍、呂布将軍に奪われた先駆けの栄誉、取り戻す機会ですぞ。」 それは鼓舞させると言うよりは、背水の陣に追い込むような口調であった。 追いつめられた華雄は、息を思い切り吸い込んだ後、怒号ともとれる雄叫びをあげた。 そして、「分かった。華雄、参る。」と、軍議の場を離れていくのであった。 華雄が孫堅にあたるということで、軍議の議題は決まった。 集まっていた家臣達も散会しだし、人もまばらになってきたころ、呂布が李需に近づいてくるのであった。 「李需殿、これは貸しだぞ。」 「分かっております。」 その二人のやりとりを見ていた董卓がやっと得心する。 いつもなら、一番に名乗り出るはずの呂布がそうしなかったのは、李需の差し金だったのだ。 しかし・・・ 「李需、何故、このような芝居をうった?」 「はい。」 董卓の質問は、李需の予想の内に十分に入っている。 李需は、理路整然とその理由を主君に述べるのであった。 「その理由は三つございます。」 「三つ?」 「はい。まず、一つ目は呂布将軍は、我が軍の切り札でございます。奥の手は、そう簡単に敵に見せるべきではあ りません。そして、二つ目ですが、これは一つ目の理由と関連がございますが、動けぬとはいえ、相手は曹操。何を してくるか分かりません。最大の戦力である呂布将軍は手元に置いておいた方が良いのです。また、それが曹操への 牽制にもなるでしょう。」 「おお、流石は李需じゃ。」 李需の述べる二つの理由を聞き、董卓は手をたたいて喜んだ。続けて、三つ目を問うた。 しかし、何故が李需の表情は暗い。 「はい。その三つ目が重要なのです。我が軍は洛陽を手に入れたことで、一つの成功を収めました。しかし、その 成功は小さなものです。いや、小さなもののはずなのです。・・・ところが、我が軍の中には、その成功だけで満足 している気風が漂っております。あの血気盛んであった華雄将軍ですら、あの様子でしたので・・・」 確かに涼州を発した頃の勢いを自軍に感じられない。そのことは董卓自身も気に病んでいた。 「それで、華雄を発憤させたというわけか。」 李需は黙って頷く。 「しかし、そのような状態の華雄で大丈夫なのか?孫堅を侮ると痛い目を見るぞ。」 「華雄将軍には李粛(りしゅく)、胡軫(こしん)、趙岑(ちょうしん)の三将をつけます。」 「うむ、そうか。」 李需が算段した結果であれば、董卓も安心であった。 しかし、李需の策は、それだけでは終わらない。 「離れているとはいえ、足枷は足枷。これを利用せぬ手はありませぬ。」 「それは、どういうことだ?」 「では、お耳を。」 李需は董卓に顔を近づけ、そっと耳打ちするのであった。 その言に董卓が大いに喜んだのは、言うまでもなかった。 華雄、他三将が魯陽へ向かった翌日、董卓は主立った家臣数名を連れて、陽城(ようじょう)に巡行に出かけた。 反董卓連合の攻勢が、いつ始まってもおかしくないこの時期の巡行に、家臣達は一様に首をひねるが、主君の命と あらば従うしかなかった。 しかし、実際、巡行に出発してみると小春日和の陽気が心地よく、家臣達は張りつめていた緊張をとくための心遣 いであると、自分達に納得させるのであった。 巡行は順調で、何事もなく陽城に入城することができた。しかし、ここで事件が起きる。 洛陽の事実上の支配者である董卓に対して、陽城の村人の誰一人として、出迎える者がいなかったのだ。 これに激昂した董卓は、家臣達に村人達を探すように命じる。 これは主君に対しては勿論、自分達に対しても大きな侮辱であったため、血眼になって村人達を探す。 すると程なく、神社に集まっている村人達を見つけるのであった。 村人達は、血走った目をしている兵士達の突然の登場に、訳が分からないまま青ざめる。 実は村人達は、春祭りの最中であったため、董卓の入城に気付かなかったのだが、そのようなことで斟酌する董卓 ではない。 村人の代表らしき初老の男が、おずおずと董卓の前に進み出た。 「今日は春祭りの日でございます。村人、総出で祝っておりました。・・・まさか、董卓閣下にお越しいただける とは、思いもよらなかったものですから・・・」 「ほう。では、突然に来た儂が悪いと申すのか?」 「いえ、いえ、そのようなことはございませぬ・・・お許し下さいませ。」 董卓の恫喝に代表の老人は、平伏して許しを請う。その後ろの村人の中から、子供のすすり泣く声も聞こえる。 その声を背景に老人は、尚も釈明に声を震わせた。 「幼き子もおります。どうか・・御寛大な処置をお願いいたします。」 地に顔を擦りつけるように懇願する老人に倣うように、村人全員で地に伏し助命を求めるのであった。 その姿があまりにも哀れであったため、董卓の家臣達も先程までの怒りを忘れる。 また、春祭りという吉日であったため、何とか許されのではないかという憶測が脳裏を過ぎるのであった。 そして、董卓の口から洩れた、「分かった。では、許そう。」と、いう言葉に何故か、ホッとするのであった。 しかし、そんな甘い男ではないことを家臣達は、改めて思い出させられることになる。 「分かった。幼少の者は許す。しかし、他の者は許さん。皆殺しだ。」 その言葉と同時に李需が、サッと手を挙げ、兵士達が次々に陽城の村人達の首を刎ねていく。 逃げまどう村人を追う兵士達。 それは、まさに阿鼻叫喚の絵図であった。 「どうした。お前達も行かぬか。」 董卓の命があっても、なかなか動けなかった家臣達であったが、「貴様ら、洛陽で暮らすようになって平和呆けし たか?涼州人の熱い血はどこへ行った。貴様らは出迎えも受けぬ扱いに我慢ができるのか。」という董卓の言葉に覚 悟を決め、一人、また一人と白刃を閃かせるのであった。 はじめは渋っていた家臣達の剣が、時間の経過とともに滑らかに動き始める。久しぶりの殺戮に次第に心躍らせる 自分達を見つけるのであった。 勢い余って、はじめは殺さないと約束した子供達にまで、その凶刃は伸びるのである。 その状況に董卓は止めるでもなく、李需とともにほくそ笑んで見つめる。 これは董卓の狙い通りの出来事なのだ。 今日、陽城で春祭りが行われることは、事前に李需が調べをつけていた。 突然、訪問すればこうなることも容易に予想できる。 そして・・・・ これで失いかけていた董卓軍の闘争心を呼び戻す。 李需の提案が見事にはまったのである。 村人達の悲鳴の中、董卓の高笑いが響き渡るのであった。 李需も同様で声こそ出さないが、同僚達の予想通りの変貌に心の中で拳を握る。 ・・・ただ、この時、計算高い李需にも一つの大きな誤算があったことに気付かなかった。 草陰の中から、この様子を見つめる少女の姿を見落としていたのである。 その少女は、笑いで肥大したかのように見える董卓の顔をジッと見つめ、心の焼き付けるのであった。 その目には復習の炎が宿っていた。