七.一州の男 騎馬三千が小さな農村を訪れたのは昼下がり、農作業も一次休憩している頃合いであった。 その騎馬隊の長は、精悍な騎馬隊を村の外に待機させると二人の護衛を伴って村の中に入って行く。 村長への挨拶のためであったが、村人達にとっては、兵は武力。恐怖の対象にしかならなかった。 この隊長と護衛二人を遠巻きに息をするのも憚(はばか)るように、ジッと見つめる。 そんな村人の様子に苦笑いをすると先頭を歩く隊長が後ろを振り返った。 「おい、益徳の顔があまりにも恐ろしいんで、村の連中、みんな隅っこで縮こまっちまってるぜ。」 「ふん。こいつは生まれつきだ。俺にはどうする事もできん。」 「ははは。達観しちまったか。」 「いや、長兄。村人達が恐れているのは益徳の顔ではなく、我らの兵でしょう。」 「ああ、正確に言えばおいら達がこの村に来たという現実にだがな。」 踵(きびす)を返すと劉備は真顔で頷いた。視線の先には白髪白髭の老人が立っている。 劉備、関羽、張飛の三兄弟はこの老人、村の村長に礼をするのであった。 村長も返礼し、家に招きたいと申し出るが、劉備はやんわりと断る。 直ぐに村の外に出て、任務に就くためであった。 その任務とは、現在、幽州で起きている烏丸(うがん)族の反乱鎮圧であった。 劉備は安喜県で督郵を懲らしめた後、昔の縁を頼って、公孫さんの所に身を寄せていたのだが、そこに幽州の土豪、 張挙(ちょうきょ)と張純(ちょうじゅん)が烏丸族の族長・丘力居(きゅうりょくきょ)と手を組んで反乱を起こしたの である。 そして、中央から公孫さんの元に討伐の令が下り、先発隊として劉備が指名されたのであった。 劉備は村を出る間際に安喜県の事を思い出す。この農村はどこか似ており、のどかな風景は、心を落ち着かせるの だ。 だからこそ、ここを戦場にするわけにはいかない。 村人達が劉備達を畏怖の目で見ていた原因はそこにあった。 本来、村を守るための兵だが、その来訪は敵の襲来も意味する。村人達が恐れているのは、戦禍によって耕地が荒 らされ、民家が焼き壊される事であった。 「簡雍、異常はないな。」 「はい。斥候の連絡でも、まだ、烏丸族は現れていないようです。」 留守を任せていた簡雍に確認を取ると劉備は、隊を前進させる。兵という凶器をできるだけ村から離すためである。 しかし、それは任された任務を忘れた行為であった。村を守る者が村から離れては、いざというときに遅れを取る のは必至である。 簡雍はその危惧を劉備にぶつけた。 「これは少し、離れ過ぎなのでは・・・。公孫さん将軍の話では、この村は糧道の確保として、大事な拠点と聞い ていますが。」 「ああ、そうだ。・・・が・・。」 「簡雍、長兄の気持ちも汲んで差し上げろ。この風景を見て、何か思い出さんか?」 「・・・いや、それは、私も・・・。」 珍しく劉備が言い淀んでいるところに、すかさず関羽の助け船が出た。この阿吽(あうん)の呼吸に次兄のありがた みを感じる。 「長兄、物見をいつもの倍、出しましょう。村の周りに配置し、敵の動きをいち早く察知するのです。」 「そりゃいいな。例え兵力が半分になったって、俺と関兄がいりゃあ、蛮族何かに遅れは取らねぇしな。」 関羽、張飛の言葉に簡雍は、もう何も言うまいと納得すると、「分かりました。そういう事でしたら、その物見の 指揮は、私に取らせて下さい。」と、劉備に告げて離れて行った。 そして、自ら斥候の人選を行っている。 「すまねぇな、みんな。」 「長兄は、我らの主なのです。思うようにすればいい。」 関羽がそう言うと張飛も黙って頷いた。 その様子にこのまま押し黙っていようと思っていた胸の内を、劉備は二人に明かすのであった。 「おいら、安喜県での事は間違っちゃいないと思っている。・・が、残された連中は、どうなんだろうって考えて た。」 劉備はそこまで言うと一息、吐いた。関羽と張飛は、次の劉備の言葉を黙って待つ。 「でな、おいら達は気にいらないって言って、ほっぽちまう事ができるが、そうできない人間が世の中にはいる。 理由は、人それぞれ。家族を守るためであったり、家を守るためであったり・・・。そんな連中から見たら、今回の 行動は勝手すぎたのかも知れねぇなって。」 「しかし、あの場合は致し方のない事ですし、長兄が気に病む事ではありますまい。」 「ああ、だから間違っちゃいないって言ったろ。ただ、そんな連中がいるのを忘れちゃいけない。」 「そして、そういう連中っていうのが世の中じゃ、力を持たない弱い人間ってわけか。・・・だから、俺達が守っ てやんなきゃいけねぇんだろ。」 「そういう事だな、益徳。」 関羽は張飛の肩に軽く手を置いた。劉備も笑顔で頷く。 が、少し口元を尖らせると、「一番いい台詞を末弟に持ってかれちまったな。」と、言った。 それに関羽も同調し、「そう言えば。」と、張飛をからかう。 一方、からかわれた張飛は、「俺の口は酒を飲み込むだけにあるんじゃねぇやい。」と、これまた、達観した台詞 を吐くのであった。 劉備達が村から五里程、離れた地に陣を布いてから、一泊目の夜が明けたとき、劉備軍に緊張が走った。 反乱を起こす首謀者の一人、張挙の兵が現れたのである。その数は五千、通常であれば、斥候に大半の兵を割いて いるとはいえ、ものともしない兵力差であるが、別働隊がいる可能性もある。 手元の兵力、全てをつぎ込むわけにはいかないのだ。 「雲長、お前は兵五百を率いて後曲で待機。おいらと益徳は残りの千五百で敵に当たる。いいか、一気に滅ぼすぞ。 一瞬で決着をつけるんだ。」 他の別働隊が現れる前に瞬殺しようとするのが劉備の目論見である。そして、そこは騎馬隊だけで構成されている 強みが存分に発揮される事になった。 劉備の号令で動き出した劉備軍は、瞬く間に張挙軍との間合いを詰めた。 両軍、激しくぶつかる。 数に頼る張挙軍と質で優る劉備軍。 結果は質の劉備軍の勝ちであった。四半刻もしないうちに、明らかに優劣が決まった。しかし、どういうわけか、 いくら攻めても大将の張挙が現れない。 劉備としては、早く大将首を取って、この戦を終わらせたいのだが・・・。時の経過とともに苛立ちを募らせる。 そんな折り、戦場にて、簡雍が劉備に声を掛けてきた。 簡雍はこの戦が始まると斥候を必要最小限にし、残りの兵をまとめて参戦してきたのである。 その簡雍の顔が蒼白になっていた。 「劉備様、これは張挙の本隊ではありません。本隊はここから二里の地点、間もなく現れます。・・・そして。」 簡雍が後ろを指さすとあの農村から煙が出ている。 「張純の軍です。その数、一万。今、関羽殿が当たれていますが・・・。」 「くっ。」 劉備が下唇を噛む。今、劉備の脳漿(のうしょう)では、幾つもの計算が行われている。 一万とはいえ、関羽であれば五百でも簡単に敗れはしない。しかし、村も無傷というわけにはいかないだろう。 では、こちらの戦局は? 本隊ごと倒すべきか、それとも・・・。 「簡雍、張挙の本隊の数は?」 「同じく、一万です。」 「一万!一万か。」 更に劉備は考え込むが、その計算は混迷を増すばかりであった。 「何を迷ってやがる長兄。ここは俺に任せて、関兄の所に行けよ。」 「益徳。」 そんな劉備の迷いを吹き飛ばすように張飛が声を掛ける。こういう決断は素早さが命だ。 劉備の迷いは張飛の言葉、存在で吹き飛んだ。 「分かった。益徳、お前に任せる。」 「おお、任せろ。何と言っても俺様の膂力は万兵に値する。」 「よし、じゃあ、五百。おいらと来てくれ。簡雍、お前は益徳とこっちを頼む。」 「はい。」 張飛と簡雍にこの地を託し、劉備は手勢五百を率いて、関羽の元へと急いで、向かうのであった。 「思ったより、荒らされてねぇな。」 劉備が村に到着したときの、最初の感想がこれであった。 しかし、戦場な事に間違いはない。現に劉備の足下には、雌雄一対の剣によって、屠(ほふ)られた敵兵が倒れてい る。 「雲長は?」 劉備は周りに視線を泳がすが関羽の姿を捉える事はできなかった。 恐らく、門外で敵の侵入を食い止めているのだろう。が、多勢に無勢。全ての侵入を防ぐ事はできないようで、劉 備が倒したのはそういった敵兵の一部だろう。 関羽が表で戦っているのであれば、劉備は侵入してきた敵兵に集中する事にした。 劉備は手勢に劉備達が村に入った入口を固めるよう指示すると、単独で村の中に入って行った。 村の中は兵達の喧騒以外、静まり返っている。人の気配は感じるので、村人が逃げ出したわけではなさそうだ。 「可哀想に。みんな完全に怯えきちまってるぜ。」 劉備がそのまま歩き続けると、程なく村の中央の広場に辿り着いた。 そこで劉備は自分の目を疑った。 「爺さん。何してんだ、そんな格好で。」 あの村長が甲冑を身に纏い、槍を構えて立っている。 「自分の村は自分達で守るんじゃ。」 「いや、気持ちは分かるが、爺さん一人じゃ、どうにも何ねぇだろ。おいら達が守ってやるから、家の中で隠れて なよ。」 「一人じゃないわい。」 村長がそう言うと同じく槍を構えた村人達が数十人、物陰から現れ出した。 「へー、こいつは驚いた。」 「この通りじゃ、自分の身は自分で守れる。劉備殿と言ったか、・・・貴方は貴方のいるべき場所に戻られよ。我 らは大丈夫じゃ。」 「ははは、本当だな。・・・こいつは参った。」 劉備は人というの甘く見ていたと反省した。 そして、今の自分の身の置き場とは・・・。 「分かった。ここは任せる。できるだけ、侵入は防ぐから、万が一のときは頼む。」 劉備は走り出しながら、村人達に告げた。 全力で駆け抜ける劉備の目前には寡兵で苦戦している味方がいた。 劉備は遠くから、声を掛ける。 「おーい。みんな元気を出せ。おいらが助けに来たぞ。」 劉備の大声は不思議と勇気を奮い立たせる。これまで、幾度となく戦場でその効果を示したが、今回もそれは同様 であった。 敵兵は息を吹き返した劉備軍に戸惑いを見せる。 しかし、それにも限界はあった。倒しても倒しても無尽蔵に溢れ出る敵兵に、劉備軍は疲労の色が濃くなっていく。 「何を手間取っているんだ。」 そこに敵兵の大将の張純が現れた。張純は僅かの兵に食い止められている事に苛立っている様子であった。 「何をって、おいら達が強いから手間取っているんだよ。」 「ふん。もう、完全に息が上がっているではないか。おい、あの化け者にはもう構うな。こっちに兵力を集めさせ ろ。」 劉備の心を見透かすように張純は、手を打つ。劉備は平静を装うのがやっとであった。 「おい、早くこんな村なんか潰しちまうぞ。畑も焼き払っちまえ。」 「待て!今、何て言った?・・・潰す?焼き払う。村や畑は村人の命だ。そんな事はおいらがさせねぇ。」 劉備は張純の言葉を黙って見過ごす事ができなかった。怒りに打ち震え、睨み返す。 しかし、張純は冷ややかにいなすだけであった。 「させないって言ってもな。現実をよく考えろ。更に兵力をつぎ込んだら、お前、お終いだぞ。」 確かに張純の言う通りである。劉備にはこの現実を跳ね返すだけの力がない。 『くそ。おいらに雲長や益徳のような武力あれば・・・。』 いつも傍らにいた関羽や張飛の有り難みが痛い程分かる。そして、自分の無力さも・・・。 「何を落ち込んでいらっしゃる。劉備殿。」 そこに傍らから劉備に声を掛ける人物がいた。何とそれは村長と中央広場であった面々であった。 「なかなか、敵兵が現れぬので、こうして来てしまいました。」 「な、何やってるんだよ。」 劉備は驚くを通り越して、唖然としてしまった。自分の身を守るだけではなく、戦場に参加しようとする者がいよ うとは・・・。 「ははは。そんなしょぼくれた援軍で何ができるというのだ。」 「うるいさわい。我らは劉備殿の心に動かされたんじゃ。村や畑を命だと叫んで、怒ってくれる御仁、徳の人が他 にいるか。」 「ははは。下らない、あまり笑わせるなよ。」 張純の高笑いは、とどまらない。そして、更にそれを増長するかのように援軍が現れたのである。 それは丘力居率いる烏丸族であった。 「見ろ。援軍とは、このような精強な軍の事を言うのだ。」 流石にこの現実には元気な村長も言い返す言葉を失った。 戦場で闊達な笑みを浮かべる劉備でさえ、そうなのだ。一般人には無理というものだろう。 「劉備殿。ここは我らを捨てて、お逃げ下され。お強い、味方が近くにいるのでしょう。」 気丈にも村長がそう言うと、劉備は優しくその肩を抱いた。 「そいつはできねぇよ。おいらは劉備玄徳だ。大丈夫、こんな所じゃ、くたばんねぇ。」 「根拠のない自信はたっぷりだな。心や徳だけじゃ、一万の兵を相手には通用しないんだよ。」 「そいつは、どうかな。」 不意に予想もつかない方向から返事が返ってきた。張純は、声の主を探すが、見つかるより先に腹部に鋭い痛みを 感じる。 無意識に押さえた手には熱いものが感じられた。 「どうしてだ?」 張純は自分の目を疑った。その手には自分の血が付いているのだ。そして、刺した人間を睨み付ける。 「どうしてだ?丘力居。」 突然の裏切り、理解しろという方が無理だろう。それは他の張純軍の兵士にとってもそうで、味方と思っていた烏 丸族の刃が、突然、自分達に向けられた事に信じられない様子であった。 しかも裏切ったのが烏丸族だけならばまだしも、一部の張純兵からも出たので混乱はより一層となる。 背中から斬りつけられる恐怖。果たして隣りに立つ人間は味方なのだろうか。張純軍は味方同士で疑心暗鬼に陥った。 こうなれば、完全に勝敗は決したものとなり、張純軍は、あっという間に壊走を始めた。 その姿を認めて、劉備はやっと安堵の溜息を洩らす。 「劉虞(りゅうぐ)殿か。」 劉備の憶測通り、烏丸族の間から、たちまち、『劉』の旗が立ち並んだ。 劉虞伯安(はくあん)とは、漢の皇族の一人で清廉にして高潔な人物として知られる。 劉虞は公孫さんと同様に烏丸族討伐の命を受けたいた。 そして、公孫さんは武力で劉虞は懐柔策を持って望んだ結果、劉虞の策が功を奏し劉備は九死に一生を得る事にな ったのだ。 「劉備と言ったかな。」 全てが終わった戦場で劉虞が劉備の元へとやって来た。 この同族の格上人物に劉備は、珍しく敬語を使う。 「はい、そうですが。」 「先程。張純が徳では、どうにもならない事があると言ってましたが、貴方はどう思いますか。」 「どうって。・・・それは劉虞殿がおいらに見せて下さったでしょ。」 劉備の言葉に表情を崩すと、劉虞は咳払いを一つしてから表情を戻した。 「分かっていればいいのです。戦は、単に力に頼るだけではないという事です。」 劉虞の言葉は重く劉備にのし掛かった。これまでの戦は確かに関羽と張飛の武力を頼りに強引に戦っていた。そし て、今回、初めて二人を抜いた厳しい戦いを経験すると、いかに自分の力のなさを痛感する。 今回の劉虞のような策も必要となるのだ。 劉備はこの戦で学んだ事を今後の糧とする事を誓った。 「それでは、これで。」 劉備が辞そうとする所に、最後に劉虞が声を掛ける。 「それから、安喜県の件、聞いています。此度の功で不問とするよう上奏しておきましょう。」 「ありがとうございます。」 劉備は軍礼を深くとるとちりぢりになっている味方の兵を捜しに向かう。 戦には勝ったが、何か大きな欠点を自軍に、そして、自分に見た。そんな気がする劉備であった。 その後ろ姿を劉虞が黙って見送る。 『面白い若者だ。村人を思う情熱と先程の気迫。あの者の徳が上手く育てば、万兵、いや、ひょっとすると一州の 民をも動かすかも知れない。今日の一件で、何かを掴み取って欲しいものだ。』 奇しくも次代の皇帝に近いと目される男に皇帝を目指す男が認められたのであった。